ドラゴン☆マドリガーレ

月齢

文字の大きさ
上 下
52 / 228
第3唱 歌い手

感動の騎士たちと、困惑のラピス

しおりを挟む
 ラピスの小さな躰から、信じられないほど透き通った声が、高らかに空へと舞い上がった。
 何を歌っているのか、ディードにはわからない。
 それが言語なのかすらわからない。

 それはまさに、竜の歌。
 あの日頭上を飛んで行く竜が発した声と、同種のもの。

 でも竜の声よりずっと優しくて、あたたかくて。
 梢で遊ぶ小鳥のさえずりのような、森の香りを含んだ大気そのもののような。
 心も、躰も、澄み渡っていく。
 ……癒される。

 あまりにも心地よくて、気づけば、涙が頬を伝っていた。
 ほかの騎士たちも同じく、陶然とラピスを見つめている。皆、同じように涙を浮かべて。
 ジークは泣いてこそいないものの、大きく目を瞠り、固唾を呑んでラピスを見守っていた。

 その歌が、どのくらい続いただろう。
 濃厚な蜂蜜をひと瓶食べ尽くしたほどの充溢じゅういつ感があったけれど、あっというまに終わってしまった気もする。
 もっともっと聴いていたかったのに、気づけば歌は途切れていて。
 そして。

「竜だ……!」

 驚愕に満ちた誰かの声を聞く前に、ディードは気づいていた。
 クロヴィス宅で竜と遭遇したあのときと同じ気配、翼の音、大気の振動で。
 森の木々が騒ぎ出す。波のような揺れが、向こうからこちらへ伝わってくる。

 ラピスは憑かれたように、上空の一点を見つめている。

 青空の中に、飛竜の美しい若葉色を視認できるようになったとき。
 吹き下ろされた強風によろめいた小さな躰を、あわてて駆け寄ったディードとジークが両側から支えた。
 けれどラピスは二人に気づいていなかったかもしれない。
 その瞳は、竜しか見つめていない。

 ラピスを気遣うようにゆったりと頭上を旋回する竜の金色の瞳も、小さな聴き手を見つめ返していた。

 竜の歌が森に降る。
 若葉色の光が降り注ぐような錯覚に、ディードは震えた。
 だがラピスの顔を見下ろせば、なぜかポカンと口をあけている。
 その変化に……少し迷ったが、こらえきれず声をかけた。

「ラピス、大丈夫か? 何かわかったのか?」
「うん……」

 腑に落ちないという表情ながら、ラピスはこくんとうなずいた。
 
「今ね、『誰か近くにいませんか、古竜さんはいませんか』って訊いたんだ。『古竜さんの居場所を知りませんか。もしも教えられないのなら、古竜さんを見かけなくなった理由を知りませんか』って」
「そ、そんなこと訊けたのか!?」
「うん。訊けたし、歌に応えて来てくれたのだけど……」

(そんなことができるのか)

 竜から知識や情報を教わるだけじゃなくて、人のほうから質問するなんて。
 呆然としてジークを見ると、彼の口から驚きに満ちた声が漏れた。

「――歌い手――」

 その言葉が気にはなったが、今はラピスの話が先だ。
 竜はもう一度大きく旋回すると、来たときと同じように、一帯を風で揺らして去って行った。
 しばしその姿を見送っていた騎士たちが、詰めていた息を吐き出し、それはすぐに大歓声へと変わった。

「すげえ……!」
「竜だ! 本物の竜だー! 初めて見ました、初めて!」
「俺もこんな目の前で見たのは初めてだよっ! やべぇ、すげえっ!」
「こんな小さいのに、こんな……さすがは大魔法使いの弟子! すげえよ! ですよね団長!」

 興奮状態でラピスに駆け寄ってくる部下たちを、ジークが片手で制する。
 ディードもそちらにはかまわず、「何かわかったかい?」と重ねて尋ねた。
 水色の瞳がようやくディードを見てくれたが、なんだかひどく戸惑っているように見える。

「古竜のことは何も。……ただ、僕の母様を知ってるって」
「え? ラピスの母上……って、えっと」

 ディードも今では、ラピスの複雑な家庭事情について説明を受けていた。
 だが訊いていいものか迷うあいだに、ジークが「実の母君のほうか……?」と率直に問う。
 ラピスはまた首肯した。

「でも、おかしいんだ」
「何がおかしいの?」
「えっと……母様は、病気で亡くなったんだ」
「うん、そう聞いてるよ。お気の毒だったね……」
「僕、ちゃんと見てたから間違いないんだよ。躰が弱いのに流行り病にかかってしまって、それで亡くなったの。でも今の竜が言うには、えっと」

 またもラピスらしくなく、言いあぐねている。
 ジークが静かに「ゆっくりで、いい」と頭を撫でて抱き上げ、騒ぎたくてウズウズしている団員たちから少し離れたところで、倒木に座らせた。
 少し間を置いたことで落ち着いたのか、ラピスは「あの」と顔を上げた。

「竜はこう言ったんです。『お前の母を知っている。尊い〝歌い手〟だったのに。可哀想に、殺された』って」
「殺され……!?」

 言いかけて、とっさにディードは声を低めた。物騒な言葉が、ほかの者に聞こえぬように。
 ジークのほうは、眉根を寄せてラピスを見つめている。

「竜が間違うということは、あるのか……?」
「ううん! ないです! ない……はずなんですけど……」

 実際に母が病で亡くなるのを看取り、それだけでもつらかったろうに、殺されたなどと聞かされては、ラピスが困惑するのも無理はない。
 ディード自身の知識としても、竜が間違った情報を伝えるなんて聞いたことがなかった。考え込みそうになったが、ラピスの話はまだ続いていた。

「竜に言ったんだ。『僕の母様は流行り病で亡くなったんだよ』って。そしたら」
「そしたら?」
「『それは呪い』だって。『穢れに触れた』って」
「の、のろ……っ」

 また言葉を呑み込み、ジークと目を合わせる。
 大変なことがいっぺんに起こりすぎて、混乱してきた。
 なんと声をかけるべきかとぐるぐるしていたら、ラピスがしょんぼりとうなだれ、悲しくなるような声で呟いた。

「……お師匠様ぁ……」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

〈完結〉この女を家に入れたことが父にとっての致命傷でした。

江戸川ばた散歩
ファンタジー
「私」アリサは父の後妻の言葉により、家を追い出されることとなる。 だがそれは待ち望んでいた日がやってきたでもあった。横領の罪で連座蟄居されられていた祖父の復活する日だった。 十年前、八歳の時からアリサは父と後妻により使用人として扱われてきた。 ところが自分の代わりに可愛がられてきたはずの異母妹ミュゼットまでもが、義母によって使用人に落とされてしまった。義母は自分の周囲に年頃の女が居ること自体が気に食わなかったのだ。 元々それぞれ自体は仲が悪い訳ではなかった二人は、お互い使用人の立場で二年間共に過ごすが、ミュゼットへの義母の仕打ちの酷さに、アリサは彼女を乳母のもとへ逃がす。 そして更に二年、とうとうその日が来た…… 

【完結】義妹とやらが現れましたが認めません。〜断罪劇の次世代たち〜

福田 杜季
ファンタジー
侯爵令嬢のセシリアのもとに、ある日突然、義妹だという少女が現れた。 彼女はメリル。父親の友人であった彼女の父が不幸に見舞われ、親族に虐げられていたところを父が引き取ったらしい。 だがこの女、セシリアの父に欲しいものを買わせまくったり、人の婚約者に媚を打ったり、夜会で非常識な言動をくり返して顰蹙を買ったりと、どうしようもない。 「お義姉さま!」           . . 「姉などと呼ばないでください、メリルさん」 しかし、今はまだ辛抱のとき。 セシリアは来たるべき時へ向け、画策する。 ──これは、20年前の断罪劇の続き。 喜劇がくり返されたとき、いま一度鉄槌は振り下ろされるのだ。 ※ご指摘を受けて題名を変更しました。作者の見通しが甘くてご迷惑をおかけいたします。 旧題『義妹ができましたが大嫌いです。〜断罪劇の次世代たち〜』 ※初投稿です。話に粗やご都合主義的な部分があるかもしれません。生あたたかい目で見守ってください。 ※本編完結済みで、毎日1話ずつ投稿していきます。

【完結】間違えたなら謝ってよね! ~悔しいので羨ましがられるほど幸せになります~

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
「こんな役立たずは要らん! 捨ててこい!!」  何が起きたのか分からず、茫然とする。要らない? 捨てる? きょとんとしたまま捨てられた私は、なぜか幼くなっていた。ハイキングに行って少し道に迷っただけなのに?  後に聖女召喚で間違われたと知るが、だったら責任取って育てるなり、元に戻すなりしてよ! 謝罪のひとつもないのは、納得できない!!  負けん気の強いサラは、見返すために幸せになることを誓う。途端に幸せが舞い込み続けて? いつも笑顔のサラの周りには、聖獣達が集った。  やっぱり聖女だから戻ってくれ? 絶対にお断りします(*´艸`*) 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2022/06/22……完結 2022/03/26……アルファポリス、HOT女性向け 11位 2022/03/19……小説家になろう、異世界転生/転移(ファンタジー)日間 26位 2022/03/18……エブリスタ、トレンド(ファンタジー)1位

ボロ雑巾な伯爵夫人、やっと『家族』を手に入れました。~旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます2~

野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
 第二夫人に最愛の旦那様も息子も奪われ、挙句の果てに家から追い出された伯爵夫人・フィーリアは、なけなしの餞別だけを持って大雨の中を歩き続けていたところ、とある男の子たちに出会う。  言葉汚く直情的で、だけど決してフィーリアを無視したりはしない、ディーダ。  喋り方こそ柔らかいが、その実どこか冷めた毒舌家である、ノイン。    12、3歳ほどに見える彼らとひょんな事から共同生活を始めた彼女は、人々の優しさに触れて少しずつ自身の居場所を確立していく。 ==== ●本作は「ボロ雑巾な伯爵夫人、旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます。」からの続き作品です。  前作では、二人との出会い~同居を描いています。  順番に読んでくださる方は、目次下にリンクを張っておりますので、そちらからお入りください。  ※アプリで閲覧くださっている方は、タイトルで検索いただけますと表示されます。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

魔獣奉賛士

柚緒駆
ファンタジー
砂漠の巨大帝国アルハグラを支配する冷酷な王ゲンゼルは、東の果て、氷の山脈に棲む魔獣ザンビエンに、己の姫リーリアを生け贄として捧げる事を決めた。姫を送り届ける役目には、三十人の傭兵達と年老いた魔獣奉賛士が一人。それ以外の奉賛隊はアルハグラの民から選ばれる。孤児として育ったランシャは、報奨金目当てに奉賛隊に参加した。一方隣国ダナラムは、奉賛隊を壊滅すべく秘密裏に聖滅団を差し向ける。

あいつに無理矢理連れてこられた異世界生活

mio
ファンタジー
 なんやかんや、無理矢理あいつに異世界へと連れていかれました。  こうなったら仕方ない。とにかく、平和に楽しく暮らしていこう。  なぜ、少女は異世界へと連れてこられたのか。  自分の中に眠る力とは何なのか。  その答えを知った時少女は、ある決断をする。 長い間更新をさぼってしまってすいませんでした!

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

処理中です...