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第2唱 可愛い弟子には旅をさせよ
落ち込む騎士団長
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真実のみを促す、その威圧感ときたら。
ひと言でも偽りや建て前を口にしようものなら、彼の怒りが雷となり灼き尽くされそうだ。
クロヴィス・グレゴワールを直接知る者の殆どが、痛烈に彼を非難し罵倒する。
が、誰も『大魔法使い』の称号を剥奪しようとは言い出さない。
いや、できないのだと、今ならジークムントにもわかる。彼は王都のどんな魔法使いを前にしても、これほど底知れぬ力を感じたことはなかった。
クロヴィス・グレゴワールの全身から陽炎のように立ちのぼる気迫。もしかするとこれこそが、『竜氣』というやつなのかもしれない。
ジークムントは改めて、誠意が伝わりますようにと祈りながら相手の紅玉の瞳を見つめた。
「きっかけは……王城での貴殿の復職を願う、ある方の願いでした。けれど、その後は……自分自身の意思です」
次の瞬間、錯覚でなく、室内の空気が刺すように震えた。
窓も振動してビリビリと音をたて、ディードが声を上げて立ち上がる。
クロヴィスの放つ苛立ちが、感触をもって二人を包囲した。
(怒らせるつもりではないのに)
どうすればよいのかと考えあぐねていたとき、バタンと扉がひらいて、ラピスが外から戻ってきた。
「お師匠様! お薬を入れる器は、これで大丈夫ですか?」
途端、空気が緩む。
蓋付きの小瓶をいくつも抱えたラピスに、クロヴィスの表情が綻んだ。
「大丈夫だが、そんなにいらんぞ」
苦笑する顔の、そのやわらかさときたら――巨大な氷塊が、一瞬で溶け消えたような落差だった。
そしてそれ以降クロヴィスは、何ごともなかったように淡々と、手当てを済ませてくれたのだった。
「ディードくんは林檎ジャムのお茶をどうですか? 疲れたときは特に、甘いのが美味しいですよね!」
懐っこく茶を勧めるラピスの勢いに押されるようにして、「よ、呼び捨てでかまわないよ」と言いながら口をつけたディードが、目を丸くした。
「……すっごく美味しい」
「でしょう!? お師匠様はなんでもすっごく美味しく作っちゃうんです!」
「え。このジャム、グレゴワール様が作ったの?」
嬉しそうに匙でジャムを掬っていたディードが、カップとラピスを二度見した。
「そうですよ。この焼き菓子も全部、お師匠様のお手製ですっ」
信じられないという顔のディードには頓着せず、ラピスはあれこれまめに世話をやいてくれる。すっかりこの家に馴染んでいるようだ。
葡萄酒の入った杯を手にしたクロヴィスが厨から戻ってきて腰を下ろすと、ラピスはその隣にぴとっとくっついて座り、にこにこと師を見上げた。
クロヴィスも穏やかに微笑み返している。先ほどまで来訪者たちに殺気を向けていた男とは、思えぬ顔で。
ジークムントは驚きを禁じ得なかった。
高価な砂糖をふんだんに使ったジャムや菓子といい、ラピスの信頼しきった様子といい、千の言葉を尽くすより、クロヴィスがこのラピスという弟子を大切にしていることは明々白々だ。
(この少年は、何者なのだろう)
身元はわかっている。師弟契約の届け出内容も確認済みだ。
しかし、何がクロヴィスにそうさせたのか、何がこれまで誰ひとり弟子をとらなかった大魔法使いの考えを変えさせたのか、その理由がわからない。
ハッとするほど愛らしい少年だ。
森で突然現れた彼を見たとき、ジークムントは柄にもなく、妖精を連想してしまった。秋の金色の日射しからこぼれ出た妖精。
話してみれば愛嬌があふれるようで、春の花のようでもある。無邪気で素直なその性質が、愛らしい容姿をさらに輝かせているのだろう。
かと言って、クロヴィスに美童趣味があるなどとは思えぬし……躰に不自由もないのなら、弟子をとった理由はひとつしかない。
ラピスには、大魔法使いを動かすほどの才能があるということだ。
実際、彼は、地竜の歌を解いて、自分たちを見つけた。
(この幼さで聴き手とは……。伝説の大魔法使いから、これほど大事にされる逸材)
黙考しつつラピスを観察していたジークムントだったが、気づけばクロヴィスの赤い瞳が、またも物騒な光を宿してこちらを見ていた。
『――うちの弟子を気安く見るんじゃねえ、変態』
正しくその意図を読み取ってしまい、相まみえることを熱望していた相手から変質者扱いされたことに、さすがに落ち込んだジークムントだった。
ひと言でも偽りや建て前を口にしようものなら、彼の怒りが雷となり灼き尽くされそうだ。
クロヴィス・グレゴワールを直接知る者の殆どが、痛烈に彼を非難し罵倒する。
が、誰も『大魔法使い』の称号を剥奪しようとは言い出さない。
いや、できないのだと、今ならジークムントにもわかる。彼は王都のどんな魔法使いを前にしても、これほど底知れぬ力を感じたことはなかった。
クロヴィス・グレゴワールの全身から陽炎のように立ちのぼる気迫。もしかするとこれこそが、『竜氣』というやつなのかもしれない。
ジークムントは改めて、誠意が伝わりますようにと祈りながら相手の紅玉の瞳を見つめた。
「きっかけは……王城での貴殿の復職を願う、ある方の願いでした。けれど、その後は……自分自身の意思です」
次の瞬間、錯覚でなく、室内の空気が刺すように震えた。
窓も振動してビリビリと音をたて、ディードが声を上げて立ち上がる。
クロヴィスの放つ苛立ちが、感触をもって二人を包囲した。
(怒らせるつもりではないのに)
どうすればよいのかと考えあぐねていたとき、バタンと扉がひらいて、ラピスが外から戻ってきた。
「お師匠様! お薬を入れる器は、これで大丈夫ですか?」
途端、空気が緩む。
蓋付きの小瓶をいくつも抱えたラピスに、クロヴィスの表情が綻んだ。
「大丈夫だが、そんなにいらんぞ」
苦笑する顔の、そのやわらかさときたら――巨大な氷塊が、一瞬で溶け消えたような落差だった。
そしてそれ以降クロヴィスは、何ごともなかったように淡々と、手当てを済ませてくれたのだった。
「ディードくんは林檎ジャムのお茶をどうですか? 疲れたときは特に、甘いのが美味しいですよね!」
懐っこく茶を勧めるラピスの勢いに押されるようにして、「よ、呼び捨てでかまわないよ」と言いながら口をつけたディードが、目を丸くした。
「……すっごく美味しい」
「でしょう!? お師匠様はなんでもすっごく美味しく作っちゃうんです!」
「え。このジャム、グレゴワール様が作ったの?」
嬉しそうに匙でジャムを掬っていたディードが、カップとラピスを二度見した。
「そうですよ。この焼き菓子も全部、お師匠様のお手製ですっ」
信じられないという顔のディードには頓着せず、ラピスはあれこれまめに世話をやいてくれる。すっかりこの家に馴染んでいるようだ。
葡萄酒の入った杯を手にしたクロヴィスが厨から戻ってきて腰を下ろすと、ラピスはその隣にぴとっとくっついて座り、にこにこと師を見上げた。
クロヴィスも穏やかに微笑み返している。先ほどまで来訪者たちに殺気を向けていた男とは、思えぬ顔で。
ジークムントは驚きを禁じ得なかった。
高価な砂糖をふんだんに使ったジャムや菓子といい、ラピスの信頼しきった様子といい、千の言葉を尽くすより、クロヴィスがこのラピスという弟子を大切にしていることは明々白々だ。
(この少年は、何者なのだろう)
身元はわかっている。師弟契約の届け出内容も確認済みだ。
しかし、何がクロヴィスにそうさせたのか、何がこれまで誰ひとり弟子をとらなかった大魔法使いの考えを変えさせたのか、その理由がわからない。
ハッとするほど愛らしい少年だ。
森で突然現れた彼を見たとき、ジークムントは柄にもなく、妖精を連想してしまった。秋の金色の日射しからこぼれ出た妖精。
話してみれば愛嬌があふれるようで、春の花のようでもある。無邪気で素直なその性質が、愛らしい容姿をさらに輝かせているのだろう。
かと言って、クロヴィスに美童趣味があるなどとは思えぬし……躰に不自由もないのなら、弟子をとった理由はひとつしかない。
ラピスには、大魔法使いを動かすほどの才能があるということだ。
実際、彼は、地竜の歌を解いて、自分たちを見つけた。
(この幼さで聴き手とは……。伝説の大魔法使いから、これほど大事にされる逸材)
黙考しつつラピスを観察していたジークムントだったが、気づけばクロヴィスの赤い瞳が、またも物騒な光を宿してこちらを見ていた。
『――うちの弟子を気安く見るんじゃねえ、変態』
正しくその意図を読み取ってしまい、相まみえることを熱望していた相手から変質者扱いされたことに、さすがに落ち込んだジークムントだった。
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