32 / 228
第2唱 可愛い弟子には旅をさせよ
落ち込む騎士団長
しおりを挟む
真実のみを促す、その威圧感ときたら。
ひと言でも偽りや建て前を口にしようものなら、彼の怒りが雷となり灼き尽くされそうだ。
クロヴィス・グレゴワールを直接知る者の殆どが、痛烈に彼を非難し罵倒する。
が、誰も『大魔法使い』の称号を剥奪しようとは言い出さない。
いや、できないのだと、今ならジークムントにもわかる。彼は王都のどんな魔法使いを前にしても、これほど底知れぬ力を感じたことはなかった。
クロヴィス・グレゴワールの全身から陽炎のように立ちのぼる気迫。もしかするとこれこそが、『竜氣』というやつなのかもしれない。
ジークムントは改めて、誠意が伝わりますようにと祈りながら相手の紅玉の瞳を見つめた。
「きっかけは……王城での貴殿の復職を願う、ある方の願いでした。けれど、その後は……自分自身の意思です」
次の瞬間、錯覚でなく、室内の空気が刺すように震えた。
窓も振動してビリビリと音をたて、ディードが声を上げて立ち上がる。
クロヴィスの放つ苛立ちが、感触をもって二人を包囲した。
(怒らせるつもりではないのに)
どうすればよいのかと考えあぐねていたとき、バタンと扉がひらいて、ラピスが外から戻ってきた。
「お師匠様! お薬を入れる器は、これで大丈夫ですか?」
途端、空気が緩む。
蓋付きの小瓶をいくつも抱えたラピスに、クロヴィスの表情が綻んだ。
「大丈夫だが、そんなにいらんぞ」
苦笑する顔の、そのやわらかさときたら――巨大な氷塊が、一瞬で溶け消えたような落差だった。
そしてそれ以降クロヴィスは、何ごともなかったように淡々と、手当てを済ませてくれたのだった。
「ディードくんは林檎ジャムのお茶をどうですか? 疲れたときは特に、甘いのが美味しいですよね!」
懐っこく茶を勧めるラピスの勢いに押されるようにして、「よ、呼び捨てでかまわないよ」と言いながら口をつけたディードが、目を丸くした。
「……すっごく美味しい」
「でしょう!? お師匠様はなんでもすっごく美味しく作っちゃうんです!」
「え。このジャム、グレゴワール様が作ったの?」
嬉しそうに匙でジャムを掬っていたディードが、カップとラピスを二度見した。
「そうですよ。この焼き菓子も全部、お師匠様のお手製ですっ」
信じられないという顔のディードには頓着せず、ラピスはあれこれまめに世話をやいてくれる。すっかりこの家に馴染んでいるようだ。
葡萄酒の入った杯を手にしたクロヴィスが厨から戻ってきて腰を下ろすと、ラピスはその隣にぴとっとくっついて座り、にこにこと師を見上げた。
クロヴィスも穏やかに微笑み返している。先ほどまで来訪者たちに殺気を向けていた男とは、思えぬ顔で。
ジークムントは驚きを禁じ得なかった。
高価な砂糖をふんだんに使ったジャムや菓子といい、ラピスの信頼しきった様子といい、千の言葉を尽くすより、クロヴィスがこのラピスという弟子を大切にしていることは明々白々だ。
(この少年は、何者なのだろう)
身元はわかっている。師弟契約の届け出内容も確認済みだ。
しかし、何がクロヴィスにそうさせたのか、何がこれまで誰ひとり弟子をとらなかった大魔法使いの考えを変えさせたのか、その理由がわからない。
ハッとするほど愛らしい少年だ。
森で突然現れた彼を見たとき、ジークムントは柄にもなく、妖精を連想してしまった。秋の金色の日射しからこぼれ出た妖精。
話してみれば愛嬌があふれるようで、春の花のようでもある。無邪気で素直なその性質が、愛らしい容姿をさらに輝かせているのだろう。
かと言って、クロヴィスに美童趣味があるなどとは思えぬし……躰に不自由もないのなら、弟子をとった理由はひとつしかない。
ラピスには、大魔法使いを動かすほどの才能があるということだ。
実際、彼は、地竜の歌を解いて、自分たちを見つけた。
(この幼さで聴き手とは……。伝説の大魔法使いから、これほど大事にされる逸材)
黙考しつつラピスを観察していたジークムントだったが、気づけばクロヴィスの赤い瞳が、またも物騒な光を宿してこちらを見ていた。
『――うちの弟子を気安く見るんじゃねえ、変態』
正しくその意図を読み取ってしまい、相まみえることを熱望していた相手から変質者扱いされたことに、さすがに落ち込んだジークムントだった。
ひと言でも偽りや建て前を口にしようものなら、彼の怒りが雷となり灼き尽くされそうだ。
クロヴィス・グレゴワールを直接知る者の殆どが、痛烈に彼を非難し罵倒する。
が、誰も『大魔法使い』の称号を剥奪しようとは言い出さない。
いや、できないのだと、今ならジークムントにもわかる。彼は王都のどんな魔法使いを前にしても、これほど底知れぬ力を感じたことはなかった。
クロヴィス・グレゴワールの全身から陽炎のように立ちのぼる気迫。もしかするとこれこそが、『竜氣』というやつなのかもしれない。
ジークムントは改めて、誠意が伝わりますようにと祈りながら相手の紅玉の瞳を見つめた。
「きっかけは……王城での貴殿の復職を願う、ある方の願いでした。けれど、その後は……自分自身の意思です」
次の瞬間、錯覚でなく、室内の空気が刺すように震えた。
窓も振動してビリビリと音をたて、ディードが声を上げて立ち上がる。
クロヴィスの放つ苛立ちが、感触をもって二人を包囲した。
(怒らせるつもりではないのに)
どうすればよいのかと考えあぐねていたとき、バタンと扉がひらいて、ラピスが外から戻ってきた。
「お師匠様! お薬を入れる器は、これで大丈夫ですか?」
途端、空気が緩む。
蓋付きの小瓶をいくつも抱えたラピスに、クロヴィスの表情が綻んだ。
「大丈夫だが、そんなにいらんぞ」
苦笑する顔の、そのやわらかさときたら――巨大な氷塊が、一瞬で溶け消えたような落差だった。
そしてそれ以降クロヴィスは、何ごともなかったように淡々と、手当てを済ませてくれたのだった。
「ディードくんは林檎ジャムのお茶をどうですか? 疲れたときは特に、甘いのが美味しいですよね!」
懐っこく茶を勧めるラピスの勢いに押されるようにして、「よ、呼び捨てでかまわないよ」と言いながら口をつけたディードが、目を丸くした。
「……すっごく美味しい」
「でしょう!? お師匠様はなんでもすっごく美味しく作っちゃうんです!」
「え。このジャム、グレゴワール様が作ったの?」
嬉しそうに匙でジャムを掬っていたディードが、カップとラピスを二度見した。
「そうですよ。この焼き菓子も全部、お師匠様のお手製ですっ」
信じられないという顔のディードには頓着せず、ラピスはあれこれまめに世話をやいてくれる。すっかりこの家に馴染んでいるようだ。
葡萄酒の入った杯を手にしたクロヴィスが厨から戻ってきて腰を下ろすと、ラピスはその隣にぴとっとくっついて座り、にこにこと師を見上げた。
クロヴィスも穏やかに微笑み返している。先ほどまで来訪者たちに殺気を向けていた男とは、思えぬ顔で。
ジークムントは驚きを禁じ得なかった。
高価な砂糖をふんだんに使ったジャムや菓子といい、ラピスの信頼しきった様子といい、千の言葉を尽くすより、クロヴィスがこのラピスという弟子を大切にしていることは明々白々だ。
(この少年は、何者なのだろう)
身元はわかっている。師弟契約の届け出内容も確認済みだ。
しかし、何がクロヴィスにそうさせたのか、何がこれまで誰ひとり弟子をとらなかった大魔法使いの考えを変えさせたのか、その理由がわからない。
ハッとするほど愛らしい少年だ。
森で突然現れた彼を見たとき、ジークムントは柄にもなく、妖精を連想してしまった。秋の金色の日射しからこぼれ出た妖精。
話してみれば愛嬌があふれるようで、春の花のようでもある。無邪気で素直なその性質が、愛らしい容姿をさらに輝かせているのだろう。
かと言って、クロヴィスに美童趣味があるなどとは思えぬし……躰に不自由もないのなら、弟子をとった理由はひとつしかない。
ラピスには、大魔法使いを動かすほどの才能があるということだ。
実際、彼は、地竜の歌を解いて、自分たちを見つけた。
(この幼さで聴き手とは……。伝説の大魔法使いから、これほど大事にされる逸材)
黙考しつつラピスを観察していたジークムントだったが、気づけばクロヴィスの赤い瞳が、またも物騒な光を宿してこちらを見ていた。
『――うちの弟子を気安く見るんじゃねえ、変態』
正しくその意図を読み取ってしまい、相まみえることを熱望していた相手から変質者扱いされたことに、さすがに落ち込んだジークムントだった。
318
お気に入りに追加
799
あなたにおすすめの小説
〈完結〉この女を家に入れたことが父にとっての致命傷でした。
江戸川ばた散歩
ファンタジー
「私」アリサは父の後妻の言葉により、家を追い出されることとなる。
だがそれは待ち望んでいた日がやってきたでもあった。横領の罪で連座蟄居されられていた祖父の復活する日だった。
十年前、八歳の時からアリサは父と後妻により使用人として扱われてきた。
ところが自分の代わりに可愛がられてきたはずの異母妹ミュゼットまでもが、義母によって使用人に落とされてしまった。義母は自分の周囲に年頃の女が居ること自体が気に食わなかったのだ。
元々それぞれ自体は仲が悪い訳ではなかった二人は、お互い使用人の立場で二年間共に過ごすが、ミュゼットへの義母の仕打ちの酷さに、アリサは彼女を乳母のもとへ逃がす。
そして更に二年、とうとうその日が来た……
【完結】義妹とやらが現れましたが認めません。〜断罪劇の次世代たち〜
福田 杜季
ファンタジー
侯爵令嬢のセシリアのもとに、ある日突然、義妹だという少女が現れた。
彼女はメリル。父親の友人であった彼女の父が不幸に見舞われ、親族に虐げられていたところを父が引き取ったらしい。
だがこの女、セシリアの父に欲しいものを買わせまくったり、人の婚約者に媚を打ったり、夜会で非常識な言動をくり返して顰蹙を買ったりと、どうしようもない。
「お義姉さま!」 . .
「姉などと呼ばないでください、メリルさん」
しかし、今はまだ辛抱のとき。
セシリアは来たるべき時へ向け、画策する。
──これは、20年前の断罪劇の続き。
喜劇がくり返されたとき、いま一度鉄槌は振り下ろされるのだ。
※ご指摘を受けて題名を変更しました。作者の見通しが甘くてご迷惑をおかけいたします。
旧題『義妹ができましたが大嫌いです。〜断罪劇の次世代たち〜』
※初投稿です。話に粗やご都合主義的な部分があるかもしれません。生あたたかい目で見守ってください。
※本編完結済みで、毎日1話ずつ投稿していきます。
【完結】間違えたなら謝ってよね! ~悔しいので羨ましがられるほど幸せになります~
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
「こんな役立たずは要らん! 捨ててこい!!」
何が起きたのか分からず、茫然とする。要らない? 捨てる? きょとんとしたまま捨てられた私は、なぜか幼くなっていた。ハイキングに行って少し道に迷っただけなのに?
後に聖女召喚で間違われたと知るが、だったら責任取って育てるなり、元に戻すなりしてよ! 謝罪のひとつもないのは、納得できない!!
負けん気の強いサラは、見返すために幸せになることを誓う。途端に幸せが舞い込み続けて? いつも笑顔のサラの周りには、聖獣達が集った。
やっぱり聖女だから戻ってくれ? 絶対にお断りします(*´艸`*)
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2022/06/22……完結
2022/03/26……アルファポリス、HOT女性向け 11位
2022/03/19……小説家になろう、異世界転生/転移(ファンタジー)日間 26位
2022/03/18……エブリスタ、トレンド(ファンタジー)1位
ボロ雑巾な伯爵夫人、やっと『家族』を手に入れました。~旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます2~
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
第二夫人に最愛の旦那様も息子も奪われ、挙句の果てに家から追い出された伯爵夫人・フィーリアは、なけなしの餞別だけを持って大雨の中を歩き続けていたところ、とある男の子たちに出会う。
言葉汚く直情的で、だけど決してフィーリアを無視したりはしない、ディーダ。
喋り方こそ柔らかいが、その実どこか冷めた毒舌家である、ノイン。
12、3歳ほどに見える彼らとひょんな事から共同生活を始めた彼女は、人々の優しさに触れて少しずつ自身の居場所を確立していく。
====
●本作は「ボロ雑巾な伯爵夫人、旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます。」からの続き作品です。
前作では、二人との出会い~同居を描いています。
順番に読んでくださる方は、目次下にリンクを張っておりますので、そちらからお入りください。
※アプリで閲覧くださっている方は、タイトルで検索いただけますと表示されます。
金眼のサクセサー[完結]
秋雨薫
ファンタジー
魔物の森に住む不死の青年とお城脱走が趣味のお転婆王女さまの出会いから始まる物語。
遥か昔、マカニシア大陸を混沌に陥れた魔獣リィスクレウムはとある英雄によって討伐された。
――しかし、五百年後。
魔物の森で発見された人間の赤ん坊の右目は魔獣と同じ色だった――
最悪の魔獣リィスクレウムの右目を持ち、不死の力を持ってしまい、村人から忌み子と呼ばれながら生きる青年リィと、好奇心旺盛のお転婆王女アメルシアことアメリーの出会いから、マカニシア大陸を大きく揺るがす事態が起きるーー!!
リィは何故500年前に討伐されたはずのリィスクレウムの瞳を持っているのか。
マカニシア大陸に潜む500年前の秘密が明らかにーー
※流血や残酷なシーンがあります※
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。
少し残念なお嬢様の異世界英雄譚
雛山
ファンタジー
性格以外はほぼ完璧な少し残念なお嬢様が、事故で亡くなったけど。
美少女魔王様に召喚されてしまいましたとさ。
お嬢様を呼んだ魔王様は、お嬢様に自分の国を助けてとお願いします。
美少女大好きサブカル大好きの残念お嬢様は根拠も無しに安請け合い。
そんなお嬢様が異世界でモンスター相手にステゴロ無双しつつ、変な仲間たちと魔王様のお国を再建するために冒険者になってみたり特産物を作ったりと頑張るお話です。
©雛山 2019/3/4
おばあちゃんが孫とVRmmoをしてみた
もらわれっこ
ファンタジー
孫にせがまれて親の代わりに一緒にログイン、のんびりしてます
初めてなのでのんびり書きます
1話1話短いです
お気に入り 4 百人突破!ありがとうございます
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる