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第1唱 変転する世界とラピスの日常
クロヴィス・グレゴワール 2
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両親がクロヴィスに、化け物でも見るような目を向けるようになった頃。
気づけば周囲も、クロヴィスを恐れるようになっていた。
無理もない、と今ならわかる。
クロヴィスの家は一応は上流の家柄で、そういう家庭の多くは、家長が絶対の権力者である。妻たちの仕事は、優雅に美しく在ること。
基本、教育も育児も人任せで、家長が選んだ乳母や教師には大きな権限が与えられ、躾けと称して子供を打とうがひどい言葉で傷つけようが、「立派な人物になるための教育です」で許されるのが常。
ましてクロヴィスの父は自ら息子を虐待していたのだから、雇われた教師らが主に倣うのも、当然と言えば当然だった。
だがクロヴィスはそうした『常識』をぶち壊し、ついでに必要ならば皿でも扉でも壁でも壊してやった。
好きでやっていたわけでは断じてないが、毒には毒を。暴力をふるう権利があると思っている者たちには力で対抗して、何が悪い?
ドラコニア・アカデミーへの入学が決まったのを機に、クロヴィスは家を出た。
以来、一度も帰っていない。
貴重な古竜の歌を次々集めて、報奨金で学生のうちから莫大な財を得たから、生活に困ったこともない。
しかしアカデミーで、ひと嫌いに拍車がかかった。
アカデミーはクロヴィスが期待していたような場所ではなかった。
そこは歌など解けぬ者が我が物顔でのさばり、権力に固執し、聴き手の能力を搾取する場所であり、あらゆる欲と束縛の権化だった。
彼は全力で抗った。
結果としてアカデミーでも彼への罵詈雑言が増殖したけれど、痛くもかゆくもなかった。
――くだらない世の中だ。
理解する努力より批判する手軽さを好み、それが正しいと思い込んでいる者があまりに多い。
やがて決定的な事件が起こって、クロヴィスはアカデミーとも王族とも袂を分かつことになったのだが。
後悔はまったくない。
ようやく自由に、望むまま竜を追い、歌を解き、研究する生活を得たのだから。
……けれど。
『お師匠様は、どうしてそんなに親切で優しいのでしょう』
クロヴィスは、寝椅子ですやすやと可愛らしい寝息をたてる子供を見つめた。
暖炉の炎が金の巻毛と桃色の頬を、ちろちろと照らしている。
小さな手で何か抱いていると思ったら、雑記帳だ。落描きでもしろと半端な紙を綴じて作ってやったら、大喜びしていたのだ。
しわにならないよう、そっとよけてやると……
『アカネズミは冬の前に、ブナの実を何千個も集める』
と書いてある。森でクロヴィスが教えたことだ。
ふっ、と笑いがこぼれて、刺々しい過去の記憶が霧散した。
――まさか自分に、子供を引き取って面倒を見る日が来ようとは思わなかった。
竜の歌に導かれ、ブルフェルト街を訪れたけれど。
誰かと暮らすなんてわずらわしいことは、断固拒否する性格だったのに。
子供など大嫌いだ。
うるさくて礼儀知らずで、何も知らないくせにわかったような生意気を言う。実力もないくせに自己主張の塊。野猿くらいの認識だった。
ラピスに会うまでは。
ラピスの声は、ちっともうるさいと思わない。
彼が笑うと、こちらまで楽しくなる。
竜たちと心を通わせ、この年で易々と歌を解くラピス。
苺鈴草などよりよほど貴重な存在なのに、彼の周りの誰ひとりとして気づいていなかった。
ラピス自身が隠していたとはいえ、あのまま行けばこの稀有な存在は、無残に踏み散らされていただろう。
――昔、竜の勉強がしたかった。
もっともっと知りたかった。
けれど阻まれてばかりいた。
あの頃、自分の気持ちを理解し、あと押ししてくれる存在がいたら。そしたらどれほど、救われただろう。
そう思いながら、クロヴィスはラピスの髪を撫でる。
ラピスは、自分とは違う。
この子はひどい目に遭っても、優しさを忘れない。いっそ歯がゆいほど、相手を責めない。
優しさですべてが通用するほど甘い世の中ではないが、ならば全力で守ってやればいい。その上で――
「お前には、選ばせるべきかもしれないな」
ぐっすり眠る顔に囁く。
今、この世界に起こっている異変。
じきに必ず訪れる、変化のとき。
この子が何を選ぶにせよ、決して邪魔も強要もすまい。
気づけば周囲も、クロヴィスを恐れるようになっていた。
無理もない、と今ならわかる。
クロヴィスの家は一応は上流の家柄で、そういう家庭の多くは、家長が絶対の権力者である。妻たちの仕事は、優雅に美しく在ること。
基本、教育も育児も人任せで、家長が選んだ乳母や教師には大きな権限が与えられ、躾けと称して子供を打とうがひどい言葉で傷つけようが、「立派な人物になるための教育です」で許されるのが常。
ましてクロヴィスの父は自ら息子を虐待していたのだから、雇われた教師らが主に倣うのも、当然と言えば当然だった。
だがクロヴィスはそうした『常識』をぶち壊し、ついでに必要ならば皿でも扉でも壁でも壊してやった。
好きでやっていたわけでは断じてないが、毒には毒を。暴力をふるう権利があると思っている者たちには力で対抗して、何が悪い?
ドラコニア・アカデミーへの入学が決まったのを機に、クロヴィスは家を出た。
以来、一度も帰っていない。
貴重な古竜の歌を次々集めて、報奨金で学生のうちから莫大な財を得たから、生活に困ったこともない。
しかしアカデミーで、ひと嫌いに拍車がかかった。
アカデミーはクロヴィスが期待していたような場所ではなかった。
そこは歌など解けぬ者が我が物顔でのさばり、権力に固執し、聴き手の能力を搾取する場所であり、あらゆる欲と束縛の権化だった。
彼は全力で抗った。
結果としてアカデミーでも彼への罵詈雑言が増殖したけれど、痛くもかゆくもなかった。
――くだらない世の中だ。
理解する努力より批判する手軽さを好み、それが正しいと思い込んでいる者があまりに多い。
やがて決定的な事件が起こって、クロヴィスはアカデミーとも王族とも袂を分かつことになったのだが。
後悔はまったくない。
ようやく自由に、望むまま竜を追い、歌を解き、研究する生活を得たのだから。
……けれど。
『お師匠様は、どうしてそんなに親切で優しいのでしょう』
クロヴィスは、寝椅子ですやすやと可愛らしい寝息をたてる子供を見つめた。
暖炉の炎が金の巻毛と桃色の頬を、ちろちろと照らしている。
小さな手で何か抱いていると思ったら、雑記帳だ。落描きでもしろと半端な紙を綴じて作ってやったら、大喜びしていたのだ。
しわにならないよう、そっとよけてやると……
『アカネズミは冬の前に、ブナの実を何千個も集める』
と書いてある。森でクロヴィスが教えたことだ。
ふっ、と笑いがこぼれて、刺々しい過去の記憶が霧散した。
――まさか自分に、子供を引き取って面倒を見る日が来ようとは思わなかった。
竜の歌に導かれ、ブルフェルト街を訪れたけれど。
誰かと暮らすなんてわずらわしいことは、断固拒否する性格だったのに。
子供など大嫌いだ。
うるさくて礼儀知らずで、何も知らないくせにわかったような生意気を言う。実力もないくせに自己主張の塊。野猿くらいの認識だった。
ラピスに会うまでは。
ラピスの声は、ちっともうるさいと思わない。
彼が笑うと、こちらまで楽しくなる。
竜たちと心を通わせ、この年で易々と歌を解くラピス。
苺鈴草などよりよほど貴重な存在なのに、彼の周りの誰ひとりとして気づいていなかった。
ラピス自身が隠していたとはいえ、あのまま行けばこの稀有な存在は、無残に踏み散らされていただろう。
――昔、竜の勉強がしたかった。
もっともっと知りたかった。
けれど阻まれてばかりいた。
あの頃、自分の気持ちを理解し、あと押ししてくれる存在がいたら。そしたらどれほど、救われただろう。
そう思いながら、クロヴィスはラピスの髪を撫でる。
ラピスは、自分とは違う。
この子はひどい目に遭っても、優しさを忘れない。いっそ歯がゆいほど、相手を責めない。
優しさですべてが通用するほど甘い世の中ではないが、ならば全力で守ってやればいい。その上で――
「お前には、選ばせるべきかもしれないな」
ぐっすり眠る顔に囁く。
今、この世界に起こっている異変。
じきに必ず訪れる、変化のとき。
この子が何を選ぶにせよ、決して邪魔も強要もすまい。
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