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第1唱 変転する世界とラピスの日常
プレトリウス山の麓の東側の森
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ラピスは小首をかしげて師の顔を見上げていたが、そうしているうちに急に、この家で、彼の弟子として生活するのだという実感が湧いてきて、ふにゃふにゃと笑みが溢れて止まらなくなった。
「僕あの夜、お師匠様に見つけてもらえて本当によかったです。ありがとうございます!」
ぺこりと頭を下げると、大きな手にくしゃくしゃと髪を撫でられた。
「正直お前は無防備すぎて、よく今まで無事に生きてきたと思うぜ。それはともかく、寝台はさすがに用意してなかったから、そのうち作ってやる」
「作れるのですか!? すごいです、さすがですっ」
「たまに割れて、落下するけどな」
「割れるのですか! その緊張感あふれる寝台も、弟子修行のひとつでしょうか?」
「割れねえよ!」
「なんと!」
クロヴィスはなぜか額を押さえた。
「えーと。なんだった? ああそうだ。じき冬になるし、ラピんこの部屋はストーブの用意が間に合わねえから、とりあえず冬のあいだは物置にある寝椅子を使って暖炉のある居間で寝るといい。お前なら充分、寝台として使える」
一旦外に出て、家の隣にある大きな物置小屋に向かった。
中には柄の長い鎌や鍬、大工仕事の道具などが置かれ、寝椅子は壁際にあった。外でうたた寝したくなったとき用に作ったのだという。
「お師匠様……うたた寝したいがために手間暇かけて、こんな立派な寝椅子を作るなんて……びっくりです。すごいです! 昔うちのお店に、こんな外国の寝台がありましたよ。僕、これで眠りたいです!」
「割れるけどな」
「割れてもいいっ!」
「割れねえよ!」
「やったあ!」
ラピスはぴょんぴょん飛び跳ねた。
ものすごく心が浮き立って、何を話しても何を見ても、楽しくて嬉しくて仕方ない。
「お師匠様、親切にしてくださって本当にありがとうございます。僕、竜の勉強と、いろいろお手伝いも頑張りますね!」
「お、おう」
「薪集めとか食材探しとかも任せてください。皿洗いも洗濯もできます! 家畜小屋もあるみたいですけど、何か飼ってるのですか? 僕、早起きも鶏の世話も慣れてますよっ。あと、あと、えっと」
クロヴィスにも、ラピスと暮らすことを楽しいと思ってほしくて。
両手を振り振り、役立てそうなことを訴えてみたら、なぜか端整な顔が曇った。そしてどこか痛みをこらえているような笑みが浮かぶ。
「最初から張り切り過ぎると、熱出すぞ」
おでこを指でつつかれた。
「さて。軽く食ったら、ちび竜が言ってた『プレトリウス山の麓の東側の森』に行ってみるか」
「はい!」
☆ ☆ ☆
幼竜が歌った『プレトリウス山の麓の東側の森』は、ラピスがこれまで見てきた森の何倍も野性的だった。
足しげく通っていたブルフェルト街の森は、ここに比べれば公園の森程度。ラピスのような子供でも難儀しないよう、丈高の藪などを払ってあったし、間伐されて陽もよく入っていた。
だがこの森は、ほぼ手つかずだ。
たまにクロヴィスが訪れた際に気が向けば間引いているというし、あちらこちらに苔むした倒木もあるが……落葉した裸木も多いこの時期でなければ、鬱蒼とした草木に視界を遮られ、右も左もわからなかっただろう。
今はしんなりと麦色に枯れて倒れた雑草を踏む音を楽しみながら、ラピスはクロヴィスを見上げた。
「こんな大きな森で、何を見つければよいのでしょう」
尋ねると、クロヴィスはスイと前方を指差した。
「あそこに古い栗の木があるの、わかるか」
「えっと……あ、はい! うわぁ、太い幹……僕が二人がかりで抱きついても、手がとどかなさそう!」
「三人いればいいな。俺はあの木より奥へは入らない。特に用事もなかったし、だいたいあの木を目安に引き返してた。だからあの木より手前に変わったものがあれば、目にしていたんじゃないかと思う。ということは、もっと奥に入らないと駄目なんだろうが……ふむ。途方に暮れるな」
「はい。竜の感覚は大雑把すぎるんです」
カシュカシュと枯れ葉を踏み、迷わないよう目印を残しながら淡い木漏れ日の中を進む。澄んだ空気と、次々現れる大木にうっとりして、ラピスは何度も転びそうになった。
クロヴィスの大きな手につかまってみたら、つないだ瞬間、ちょっと驚かれた気配がしたが、振り払われることはなく、しっかり握り返してくれた。
ラピスは自然と頬が緩んで、ひとりでにこにこしてしまう。
誰かと手をつなぐなんて、いつ以来だろう。
冬ごもりの準備に励むリスや、ウサギや、キツネやシカとも行き会った。
人間を見慣れていないらしく、警戒すべきか迷って固まる姿が楽しくて、ラピスは声を上げて笑った。
そうこうするうち、クロヴィスが『目印』を見つけた。
木々が伸ばす暗色の梢の中に、ちらちらと光り瞬く何かがある。
「鱗だな」
瞬きながら頭上から舞い落ちてきたそれを、クロヴィスは手のひらで受けとめて、ラピスに見せてくれた。
きらきらの、水色の鱗だ。あの幼竜の鱗の色。
それがいくつかの木から花びらみたいにはらりはらりと舞い落ちながら、道標のように、奥へ奥へと続いている。
「わあ……! 目印を用意してくれてたんですね!」
「ああ。気をきかせてくれたんだな」
「僕、大雑把なんて言って申しわけないです。心から反省します」
「大雑把には違いねえよ。鱗なんて、風で全部飛ばされてたかもしれねえのに」
「僕あの夜、お師匠様に見つけてもらえて本当によかったです。ありがとうございます!」
ぺこりと頭を下げると、大きな手にくしゃくしゃと髪を撫でられた。
「正直お前は無防備すぎて、よく今まで無事に生きてきたと思うぜ。それはともかく、寝台はさすがに用意してなかったから、そのうち作ってやる」
「作れるのですか!? すごいです、さすがですっ」
「たまに割れて、落下するけどな」
「割れるのですか! その緊張感あふれる寝台も、弟子修行のひとつでしょうか?」
「割れねえよ!」
「なんと!」
クロヴィスはなぜか額を押さえた。
「えーと。なんだった? ああそうだ。じき冬になるし、ラピんこの部屋はストーブの用意が間に合わねえから、とりあえず冬のあいだは物置にある寝椅子を使って暖炉のある居間で寝るといい。お前なら充分、寝台として使える」
一旦外に出て、家の隣にある大きな物置小屋に向かった。
中には柄の長い鎌や鍬、大工仕事の道具などが置かれ、寝椅子は壁際にあった。外でうたた寝したくなったとき用に作ったのだという。
「お師匠様……うたた寝したいがために手間暇かけて、こんな立派な寝椅子を作るなんて……びっくりです。すごいです! 昔うちのお店に、こんな外国の寝台がありましたよ。僕、これで眠りたいです!」
「割れるけどな」
「割れてもいいっ!」
「割れねえよ!」
「やったあ!」
ラピスはぴょんぴょん飛び跳ねた。
ものすごく心が浮き立って、何を話しても何を見ても、楽しくて嬉しくて仕方ない。
「お師匠様、親切にしてくださって本当にありがとうございます。僕、竜の勉強と、いろいろお手伝いも頑張りますね!」
「お、おう」
「薪集めとか食材探しとかも任せてください。皿洗いも洗濯もできます! 家畜小屋もあるみたいですけど、何か飼ってるのですか? 僕、早起きも鶏の世話も慣れてますよっ。あと、あと、えっと」
クロヴィスにも、ラピスと暮らすことを楽しいと思ってほしくて。
両手を振り振り、役立てそうなことを訴えてみたら、なぜか端整な顔が曇った。そしてどこか痛みをこらえているような笑みが浮かぶ。
「最初から張り切り過ぎると、熱出すぞ」
おでこを指でつつかれた。
「さて。軽く食ったら、ちび竜が言ってた『プレトリウス山の麓の東側の森』に行ってみるか」
「はい!」
☆ ☆ ☆
幼竜が歌った『プレトリウス山の麓の東側の森』は、ラピスがこれまで見てきた森の何倍も野性的だった。
足しげく通っていたブルフェルト街の森は、ここに比べれば公園の森程度。ラピスのような子供でも難儀しないよう、丈高の藪などを払ってあったし、間伐されて陽もよく入っていた。
だがこの森は、ほぼ手つかずだ。
たまにクロヴィスが訪れた際に気が向けば間引いているというし、あちらこちらに苔むした倒木もあるが……落葉した裸木も多いこの時期でなければ、鬱蒼とした草木に視界を遮られ、右も左もわからなかっただろう。
今はしんなりと麦色に枯れて倒れた雑草を踏む音を楽しみながら、ラピスはクロヴィスを見上げた。
「こんな大きな森で、何を見つければよいのでしょう」
尋ねると、クロヴィスはスイと前方を指差した。
「あそこに古い栗の木があるの、わかるか」
「えっと……あ、はい! うわぁ、太い幹……僕が二人がかりで抱きついても、手がとどかなさそう!」
「三人いればいいな。俺はあの木より奥へは入らない。特に用事もなかったし、だいたいあの木を目安に引き返してた。だからあの木より手前に変わったものがあれば、目にしていたんじゃないかと思う。ということは、もっと奥に入らないと駄目なんだろうが……ふむ。途方に暮れるな」
「はい。竜の感覚は大雑把すぎるんです」
カシュカシュと枯れ葉を踏み、迷わないよう目印を残しながら淡い木漏れ日の中を進む。澄んだ空気と、次々現れる大木にうっとりして、ラピスは何度も転びそうになった。
クロヴィスの大きな手につかまってみたら、つないだ瞬間、ちょっと驚かれた気配がしたが、振り払われることはなく、しっかり握り返してくれた。
ラピスは自然と頬が緩んで、ひとりでにこにこしてしまう。
誰かと手をつなぐなんて、いつ以来だろう。
冬ごもりの準備に励むリスや、ウサギや、キツネやシカとも行き会った。
人間を見慣れていないらしく、警戒すべきか迷って固まる姿が楽しくて、ラピスは声を上げて笑った。
そうこうするうち、クロヴィスが『目印』を見つけた。
木々が伸ばす暗色の梢の中に、ちらちらと光り瞬く何かがある。
「鱗だな」
瞬きながら頭上から舞い落ちてきたそれを、クロヴィスは手のひらで受けとめて、ラピスに見せてくれた。
きらきらの、水色の鱗だ。あの幼竜の鱗の色。
それがいくつかの木から花びらみたいにはらりはらりと舞い落ちながら、道標のように、奥へ奥へと続いている。
「わあ……! 目印を用意してくれてたんですね!」
「ああ。気をきかせてくれたんだな」
「僕、大雑把なんて言って申しわけないです。心から反省します」
「大雑把には違いねえよ。鱗なんて、風で全部飛ばされてたかもしれねえのに」
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