召し使い様の分際で

月齢

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第27章 白銅メモ

その3 かいぶつ

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 しつようにチュウしてこようとする緑花リョクカさんの手から、ようやくニュルッと抜け出して、ぼくは灯曄ヒバナ様のお部屋をあとにしました。
 緑花さんは最後まで「逃げられたーっ! 猫は液体ってやつかー!」とさわいでいました。

 あの人も八尋様とは別の意味で、要注意人物のようです。チュウの人。
 トラのみなさんとお顔を合せるときは、まちがってもアーネスト様にチュウされないよう、いざとなったら、ぼくがからだを張って守らねばです。デキる従僕として! 

 さて、次の目的地は、確か……灯曄様たちの客室の、回ろうを挟んで向こう側だから……こう行ってあそこを曲がって……

 うーん?

 確かにこちらのはずですが、やけに暗いです。
 実際、いつのまにやらお日様も夕焼け色に染まっています。でも、だいじなお客様がお泊りになるときは、しょく台を増やしてロウソクも松明もたくさん灯して、もっと明るくするはずです。

 それに暗いだけじゃなく、しーんとしています。
 ほかのお客様たちのところは、どこもたくさん人がいて、荷物を運びこんだりお部屋を整えたり、とてもにぎやかだったのに。

 夕日に照らされた回ろうと、その向こうの建物に続く長いろう下と。
 明かりのないろう下の先は、真っ暗に見えます。
 まるでろう下が、やみの中に吸いこまれているみたいでブキミです。

 ……こわがってなんかいませんよ!
 こんなときこそ猫獣人のうでの見せどころ! じゃなくて、目の見せどころ!
 猫は暗い場所でも見えちゃうんですから。すごいんですから。
 
 よし。行け、すごいぼく。
 伝説の……ぼくの中では伝説の執事さんである、ジェームズさん。
 アーネスト様はよく、ジェームズさんは本当になんでも知っているし、なんでもできるんだと話してくれます。そのジェームズさんならば、暗やみなんか、ものともしないはず。

 だから、ぼくだって平気でなければ。
 アーネスト様をお守りする従僕は、暗くても人の気配がなくても、ブキミに静まり返った場所であっても、ぐいぐいつき進んじゃうぞ!

『ど……どんぐりお山のどんぐり親子~♪』

 歌だって歌っちゃう。声、ふるえてません。
 ひんやりとした回ろうの石床をすぎて、いよいよ建物の中へと続くろう下へ入りました。お客様用にじゅうたんがしかれていて、肉球にフコッとした感しょくが伝わってきます。

 ちゃんと見えるのに……
 どうしてうす暗いというだけで、うしろからなにかが、あとをつけてきているような……そんな気がしてしまうのでしょか。
 まさかね。
 そんなのは、おくびょう者のただの想像です。

『どんぐりきわめて三百年~それでも今でも仲よし親子~♪』
 
 ……だれもいないようですね。
 まだろう下を少し歩いただけですけど。
 でもまた明るいときに、出直すのがよさそうです。
 よし! アーネスト様のところへもどりましょう!
 そう決めて、足どり軽くきびすを返すと――

「どんぐり……」

 目の前に、黒いかいぶつが立ちふさがって、「どんぐり」とつぶやきながらぼくを見下ろしていたのです……!

『ニャアアアァァァッ!』

 文字通り、跳び上がってしまい。
 とっさに逃げようとしたけれど、背後からも「あれっ? 猫じゃん」と声が聞こえてきて、またもおどろいていっしゅん固まってしまったそのすきに、かいぶつに捕まってしまいました!

『シャーッ! シャーッ!』

 もう、いかくしまくりです。
 すっぽりつつみこんでくる手に爪を立てて引っかくと、「いてっ、いてっ」と、かいぶつがボソボソ言いました。ちっとも痛くなさそうな声です。
 ニュルリと逃げ出そうとこころみましたが、上手いこと胸にかかえこまれてしまってダメでした。
 それでも『ニャーッ!』と胸に爪をつき立てていると……

「落ち着け、大丈夫だから。お前、獣人だろう? 例の双子の嫁ちゃんの従僕じゃないか?」

 さっき背後から聞こえた声に、また話しかけられて。
 そこでようやくぼくは我に返りました。

『ウー……』

 すぐには警かいが解けず、うなってしまいましたけど。
 かいぶつの手の中に捕まったまま、声の主のほうへ顔を向けると、かいぶつではない、ふつうの男の人が、笑顔でぼくを見ていました。

 ごくふつうの、茶色いかみに茶色いひとみで、からだの大きさもふつうの、気さくそうな男性です。
 からだの大きいトラの方たちばかり見てきたので、ちょっとホッとしました。

 でもぼくはまだ、かいぶつに捕まったままです。
 もう一度シャーッと言いかけて、かいぶつの手に引っかき傷がついていることに気がつきました。ぼくがつけてしまった傷です。

 同時にもうひとつ、気がついたことがありました。
 かいぶつの手は、とても優しいです。
 ぎゅうっと強くにぎってきたりしないし、どんなに引っかいても、乱暴に投げつけられたりもしませんでした。
 ……世の中には、自分より小さな相手、弱い相手を、そういうふうにあつかう人もいるのに。

 ぼくらのような小型の獣人は特に、そういう人にはよくよく注意するよう、チビ猫のときから教えこまれます。
 でもだからこそ、かいぶつの手が、ぼくをすごくていねいにあつかってくれていることに気がついたのです。

『ニャア……』

 申しわけなくなって、初めてまともにかいぶつの顔を見上げました。
 すると……真っ黒いモジャモジャのかみの毛と、同じくモジャモジャのヒゲで顔の半分をおおった男が、うす暗がりの中で三白眼を緑色に光らせ、にくい敵を見る目でぼくをぎょう視していました。
 ぼくはもう一度、思いっきり『シャーッ!』といかくしました。

 でもそんなぼくに、さっきの茶色いかみの人が、「大丈夫!」とくり返します。

「この人こわそうに見えるけど、双子王子のお仲間だから! 嘉織カオリっていうの!」

 ぼくはピタッといかくを止めて、まじまじと、かいぶつを見上げました。
 かいぶつもぼくを、じいっと見ています。
 嘉織、様。
 見た目の印象とお名前の可愛らしいひびきが、合っていない気が……
 いやいやダメダメ。
 そんなことを考えてはいけません! それよりそれより。

 この方こそ、ぼくが探していた三人目のトラの方です。
 ハグマイヤーさんから聞いたのは、確かに、嘉織というお名前でした。

 ……どうしよう。
 でん下方のたいせつなお身内を、傷だらけにしてしまいました……。
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