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1巻
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――それにしても、あの王女。気になることを言っていた。
『私と弟たちは、貴様らの国で、もっと酷い目に遭った』
王女と王子たちがエルバータに来ていたなんて知らなかった。いつの話だろう。
……いや、待てよ。
妻を亡くした二番目の異母兄が、後添いに他国の王女を迎える話が出ていると、ジェームズが言っていたような。
でもド田舎にいたからか、それ以降その件については話題にのぼらなかった。なので、立ち消えになったものと思っていたのだけど。うーん。
思考は、強くなる一方の風に、しばしば遮られた。
雑木林の黒い枝が、一斉にギシギシと音をたてる中、世界が雪化粧を始める。木々も道路も、粉糖をかけたように白くなっていくのを、夢の世界にいる心地で見つめていた。
――本当に異母兄の再婚相手が、あのカンギ王女だったとして。
王女も王子たちも酷い目に遭ったとは、どういうことだろう。
『貴様は知らぬのだな』
そう言っていた。
本当にその通りだ。なにも知らない。世間知らずもいいところ。こんなことで、交渉役なんて務まるのだろうか。はあ、とため息で指先をあたためる。
耳が痛い。冷えるとこんなに痛くなるのだということも初めて知った。なにもかも知らないことだらけだ。
歩く。今できることはそれだけ。歩く。つま先の感覚がなくなってきた。でも歩く。せめて街の端っこでも見えれば、張り合いがあるのだけど。空。雪。森。黒い山並み。寒い。そればかり。
……さすがに疲れた。
足もとがおぼつかない。景色がゆらゆらして見える。
ああ……目眩か。これ目眩だ。
こういうときは座らなくちゃね。転倒して頭を打たないように。ジェームズから何度も言われた。でも道の真ん中は邪魔になるから、脇によけて……
ザザッ! と音がした。
どうやら僕は、笹薮に倒れ込んでしまったらしい。枯れていてもクッション性抜群。よかった~。
しかしこの寒さの中で倒れていては、まずいのじゃなかろうか。
……凍死。
縁起でもない言葉が頭を埋め尽くしてきたぞ。
でも、いかんともしがたい。指一本動かせない。
……。どうしたものやら……目の前が暗くなってきた。
あれ。これほんとにアレかな? 死ぬのかな?
このまま死んだら僕は、所持品がマルム茸のみという、謎の行き倒れになるのか。
……ダイガまで来てなにをしているのだろう……情けない。
そのとき、聞きおぼえのある音が耳を打った。
馬の蹄の音だ。もしかして、将軍が戻って来てくれた?
懸命に目をひらいて顔を傾けると、ぼやけた視界に、黒い影が映った。
二つ。馬、かな? 駆けてくる……二騎……?
腹に響く力強い足音が、僕の前で止まった。馬がいななく。
誰かがおりてきた、みたい。二人、僕を覗き込んでいる。
「こいつか」
舌打ちが聞こえた。
「手間かけさせやがる」
「俺が乗せる」
「うるせえ」
毛布ごと乱暴に躰を起こされた。そのとき、相手を間近で見つめたと思う。目が合うと、綺麗な翠玉の瞳を大きく見ひらいたその人が、息を呑んだのがわかった。
そうして、力強い腕に抱き上げられて。軽々と、僕には体重なんかないみたいに。
そこで、完全に意識が途切れた。
◇
寒い。寒い。寒い。
「寒い」という感覚に支配され、歯の根も合わないほど震えながら眠っていた。
――けれど気づくと、モフッとしたものにつつまれていて。
なんとも心地よいぬくもりを孕んだモフモフが、冷え切った躰を少しずつあたためてくれている。
……この感触、絶妙だ……。もっちりとして張りがあり、モッフリとしてモッフモフ。
ちょっぴり硬めの毛の下に、やわらかな毛が密集して。モコモコとフカフカが渾然一体となり、脱力を促すハーモニー。
僕はさらにモフモフに顔をうずめて、やわらかな毛の匂いを吸い込んだ。
……うーん……ちょっと埃っぽい匂い。土の上で転がり回ったあとの猫みたいだ。外にいたのかな。ということは、これ、猫? 大きいね。
『おい……』
なにか言われた気がする。
でも僕はひたすら、フカフカとぬくぬくを堪能しながら、もう一度深い眠りに落ちた。
――はずだったのに。
なにがどうして、こうなった?
次に目をさましたとき、僕は……素っ裸で男と抱き合っていた。というか抱え込まれていた。
僕だけじゃなく相手も一糸まとわぬ姿で。いわゆるすっぽんぽんで。素肌と素肌が密着する感触がひどく生々しい。
モフモフは? モフモフはどこ行った?
「……なぜに」
あまりに驚くと人は、思考能力が著しく低下するらしい。
見知らぬ男の腕枕で目を開けた僕を、相手もじっと見つめ返している。その翠玉の瞳が、意識を失う寸前に見た、あの目だと気づいた。
「ようやく起きたか」
低い声。太陽のような金髪に、真夏の森林を思わせる緑の瞳のその男は、彫像みたいに凛々しく整った目鼻立ちの、かなりの美男。
と、認識したと同時に、鋼のような腕にがっちりと抱きしめられた。
「むぐっ」
空気漏れみたいな声が出て、男が喉で笑う。
いったい僕は、なにをされているんだ?
ここに至ってようやく、離れなければという拒否反応が目覚めた。が、それを察したかのように、急に男の顔に獰猛さがにじむ。捕食寸前の獣のごとく、ニヤリと口角が引き上げられた。
「じゃ、ついでにヤっとくか」
「じゃ?」
相手の言葉を理解する前に、いきなり性器を押しつけられた。男の半ば勃ち上がったものを、僕の性器に、グリッと。
なんで!? なんなのこの人!?
驚きのあまり、躰が硬直してしまう。それをいいことに寝台に仰向けに押しつけられ、躰を重ねたままニヤニヤと見下ろされた。
……このところ、怒濤の勢いで変転している僕の人生。
けれどこの事態は、度肝を抜かれるという点において頂点に達したかもしれない。
知らない国で放置されて、死にかけて。目覚めてみれば、いきなりブツを押しつけてくる屈強な変質者に、素っ裸で抱きしめられている。
ほんと誰。どこから出てきたんだ、この男は。この男もこの男の股間も、礼儀知らずにもほどがある。いや、「こんにちは」と挨拶されても、この行為は許せないけども。
……ところで僕……これまで他人の性器を見たことがなかったのだけど……まして興奮状態にあるものなんか、初めて見たのだけど……
……これが普通なの?
みんな、こんな凶悪な大きさなの?
組み敷かれたまま呆然と男を見ると、翠玉の目が細められた。
「余裕だな、元皇子アーネスト」
名を呼ばれた。この凶悪股間男は僕を知っているのだ。
「藍剛は報告書でお前をベタ褒めしていたが、奴の審美眼なんぞあてにならんから、話半分に読んでいたら――話以上だったな。顔も躰も、どこもかしこも、冗談みたいに美しい。どこもかしこも、な」
そう言った男の硬い指が、僕の性器をゆるりと握った。
「なっ! なにすっ」
「ナニをするのさ。わかってんだろ」
「わかるか!」
驚愕と衝撃のあまり、躰の硬直が解けた。不埒な行いを止めるべく、すぐさま反撃に転じる。
が、悲しいほど非力な僕……。ポカポカと相手の肩を叩いても、鎧のような筋肉に覆われた躰はビクともしない。これではまるで、ジェームズの肩を叩いてあげたときみたいじゃないか。
あ……ダメだ。
なんだかまた、視界がぐらんぐらんと揺れてきた。お爺ちゃんの肩たたき程度の抵抗すら、もう無理。ぐったりと力を抜くと、男はさらに笑みを深めた。
「おう。さすが、動じねえな」
違う! 動じすぎて動けなくなったんだ!
「やっぱ相当に遊んでたんだろ? このお綺麗な顔と躰で、どんな奴も思いのままに。エルバータは性風俗産業もお盛んだったし、王族が率先して楽しんでたもんな。お前は買うほうだったのか? それとも、その美貌で貴族どもを手玉に取ってたか?」
……ごめん。なにを言ってるのか、ちょっとわからない。
「おいおい、無反応じゃ寂しいじゃねえか。ちょっとくらい愛想良くしろよ、俺はお前の命の恩人だぜ?」
……恩人、だと? この無礼な凶悪股間男が?
馬鹿を言うな。僕を救ってくれたのはお前なんかじゃない。
僕が眉根を寄せると、それをどう受け取ったのか、男は整った顔を歪めて笑った。
「お前も、俺たちのような『所詮ケダモノで毛むくじゃらの醜い大男』が相手じゃ、不服ってわけか」
ん? その台詞、どこかで聞いたぞ。えーと……。ダメだ。頭もぐわんぐわんする。
だが聞き捨てならない言葉があった。これだけは、どうしても抗議しておかねばならない。頑張れ僕、全体力と気力を振り絞れ。恩人のために。
「き、聞ケ、コノヤロウ!」
あう。勇ましく言おうとしたのに、乱暴な言葉を言い慣れないからカタコトになってしまった。男が眉をひそめている。
「なんだ?」
「毛むくじゃらを馬鹿にするな!」
「はあ?」
「ぼ、僕を救ったの、は、礼儀知らずの股間を持つきみなんかじゃない……モフモフだ!」
「……はああ?」
ううぅ、気持ち悪い。目眩と頭痛でつらい。
もうこのまま失神したいけど、言ってやる。言ってやるぞ。
「お、恩人……恩獣の、モッフモフを、ケダモノ呼ばわりする者は、市中引き回しに……そんなことしないけど……」
もう自分の言ってることさえもよくわからない。クラクラしている僕を、男は目を丸くして見ていたが、急にプッと吹き出した。
「モフモフって、お前」
「モッフモフだ!」
「どっちでもいいけど。それって、これだろ」
その瞬間、金色の光が舞った。蛍の群れが飛び出したみたいに。驚いて反射的に閉じた目を、おそるおそるひらくと。
「……ほえ!?」
変な声が出た。
僕を見下ろしているのは、あの男ではなく――巨大な金色の虎に、なっていた。
翠玉の瞳の。モッフモフの。
ぽかんと口を開けたまま、僕は金色の虎をまじまじと見つめた。今の今まで、凶悪股間男だったのに。キラキラしたと思ったら、巨大な虎に変わってしまった。
これは……これが……あれか。あれなのか。
耳や尻尾だけじゃなく、全身の獣化。獣人の、全身の変容。
すごい。すごい! 初めて見た……!
興奮のあまり、無意識に手をのばしていた。翠玉の瞳に見つめられながら首の横辺りに触れると、モッフリと手首まで埋まる。うわあ、うわあ!
「おおぉ……モフニャン再び……!」
あたためてもらっていたとき、モフモフを大きな猫と思い込んでいたので、ついそう漏らしてしまったのだが。
『ニャンってなんだ、コラ』
ビン、と弦を弾いたような響きの声に驚き、手を引っ込めた。
とっさに虎の顔を見ると、からかうように揺らした尾を、僕の胴に巻きつけてくる。
……なんてことだ。尻尾まで太い、長い、モフモフ……!
思わず毛並みに沿って撫でてしまい、おまけにポフッと掴んでしまったけれど、大目に見てくれたのか怒られなかった。
なので、調子に乗って匂いを吸う。モフモフって、どうして吸い込みたくなるのだろう。
「あれ。埃くさくない」
『吸うなコラ』
完全に獣化すると、独特の響きの声になるんだな。
僕は引き続き、虎の全身を眺めまわした。
本当に、大きい。信じられないくらい、大きい。体長はおそらく僕の身長の倍以上ある。ちょっとした岩が置かれたみたいな威圧感と存在感だ。
だから相対的に頭部も大きくて、元の顔の五つ分くらいありそう。僕を見据える目も、ときおりガルルと唸りながら牙を剥いてくる口も、鼻も、いちいち大きい。
それに毛並み。なんと言っても毛並み。
僕は生きた虎は見たことがなかったけど、ダースティンの屋敷には昔、年代物の虎の敷物があった。幼き日の僕がそれを見るたび泣いたとかで、屋根裏部屋にしまわれていた物を見たのだが。
あの気の毒な虎の毛は、オレンジ色だった。
でも目の前の虎は、蜂蜜みたいにつやつや輝く金色。
そして毛も長くて、長毛の猫みたい……と言ったらまた怒られそうだから、言わないけど。とにかく動くたびに金の毛並みの艶やかさが際立って、本当に、すごくすごく、
「綺麗だあ……!」
心からの感嘆の声が出た。きっと頬も紅潮している。もう大コーフン。
だってモッフリつやピカの巨大な虎だよ!? そんなのかっこいいに決まってる!
今度は僕のほうが変質者と化して、ハァハァしながら手をのばし、もう一度モフモフを堪能させてもらおうとしたのだけど……
『……不気味だと、思わないのか?』
困惑したように、金の虎が言った。
僕は目を見ひらいて彼を見る。
「なぜ? こんなに神秘的で美しくて、かっこいいのに?」
『だが……』
「それより、その声はどうなってるの? どうやって喋ってるの? それにそれに……」
コーフンし過ぎて身を乗り出し、そこでようやく、緑の目がジーッと僕の躰を見つめていることに気がついた。同時に自分が素っ裸であることも思い出す。
相手が虎になったから油断していた!
「その卑猥な視線やめ! 威厳も格好よさも台なしだぞ!」
あわてて躰に掛け布を巻きつけながら抗議すると、虎は楽しげに目を細めてから、再び人の姿に戻った。金髪の、腕もお腹も筋肉バキバキの屈強な青年の姿に。
人の姿になってもかなりの長身だ。そういえばカンギ王女も、僕より背が高かったし逞しかった。
「俺が格好よくて、威厳があるって?」
「きみじゃなく虎がね」
「フッ」
男は目を眇めて笑った。
認めたくないけど、やっぱりイケメン。眉はキリッとしているのにタレ目がちで、大きな口で笑うと愛嬌が増す。だが、しかし。
「どうして股間を隠さないんだ」
片膝を立てて座る相手に文句を言うと。
「いいじゃん、どうせこれから使うんだから」
「使わない! ……えっと、ところできみは、どちら?」
「は?」
「カンゲツ王子か、セイゲツ王子か。どちらかなんだろう?」
尋ねると、「ああ、そこまでは気づいてたのか」と意外そうな声。
そりゃあ、最初は混乱したけど……僕の身許を知る虎の獣人で、ランゴウ将軍を呼び捨てにして、彼から報告を受ける立場といえば。鈍くさい僕でも、さすがに気づ、く……
あ。いきなりボフッと躰が寝台に倒れた。
そうだった。コーフンのあまり体力が暴走していたけど、僕の躰は今、限界まで弱っていたのだった。いきなり体力が空っぽになって、寝台に貼りついたみたいに躰が動かない。
「なにやってんだ、お前」
男が不思議そうに訊いてくる。なにと言われても……
答えられずにいると、未だ股間を隠さぬ王子もようやく、僕の異変に気づいたようだった。
「待て待て、回復したんじゃなかったのか!? なんでそんな急に倒れて、おいっ!」
「なにをしている、寒月」
叩きつけるような声がした。
「おい青月! こいつ死ぬ!?」
そんな簡単に死んでたまるか――とは言えない自分が情けない。
重いまぶたを開けると、新たに覗き込んできた男と目が合った。
いつのまにか部屋に入ってきていたその男は、サラサラした銀の髪に切れ長の青い瞳。精緻で冷徹な印象の顔立ち。職人に隙なく彫られた氷像みたいで、こちらも迫力の美男だ。
そうか……金髪がカンゲツ王子で、この銀髪がセイゲツ王子。
この二人が、エルバータで暴れ回った双子王子か……。何だか現実味がない。
ぼーっとセイゲツ王子を見上げていると、彼は無表情のまま、大きな手のひらを僕の額にあてた。そうして少し間をおいて、
「すげえ熱なんだが」
「マジか。目が覚めたから治ったもんだと思い込んでたぜ」
「俺らと一緒にすんな、馬鹿が。こんなひ弱い奴、そう簡単に治るか。ていうかてめえ、ちんこしまえ」
よく言ってくれた、セイゲツ王子。
しかし、セイゲツ王子は真っ当な発言をしただけなのに、なぜかカンゲツ王子は苛立たしげに舌打ちをした。
「はあ? なんでてめえに指図されなきゃいけねえんだよ」
対するセイゲツ王子のほうは、表情を変えずに一瞥し。
「親父が呼んでいると、何度言われれば通じるんだ? その空っぽの頭には」
「うるせえ。かったりぃ会議なんざ知ったことか。どうせこの交渉官サマが参加するまで、大したことはできねえじゃねえか」
「その死にかけの交渉官を、てめえがさらに瀕死状態に仕上げたら、いつまでたっても会議は進まないだろうが。いいからさっさと行け」
「指図すんなと言ってんだよ、クソ虎!」
「さっさと行けと言っている、クズ虎」
次の瞬間、双子は突然、虎の耳と尻尾とを出現させた。
わぁ、トラ耳可愛い♡ ……なんて和んでいる場合ではなかった。
互いに凶暴な牙を剥き、グァルルと唸り声を上げながら睨み合うそのさまは、実力の拮抗した猛獣が、相手の喉笛に喰らいつく隙を狙って睨み合うごとく。
空気が張り詰め、同じ空間にいるだけで息苦しくなってくる。
なぜにこの双子は、ちんこの話から、殺気立つほどの兄弟喧嘩に発展しているのだろう。兄弟ってこれが普通なの?
そしておそらく忘れられている僕。ここに病人がいます。ただでさえしんどいんだから、さらに心臓をドキドキさせないでほしい。
「うぅ」
弱々しく呻いたら、双子が同時に動きを止めて、綺麗に左右対称の動きで僕を見た。殺気も綺麗に引っ込めて、二人して覗き込んでくる。そうしてカンゲツ王子が、「ったく」と頭を掻いた。
「しゃーねえ、親父んとこ行くついでに、医師に声かけてくわ」
「ああ」
ぼんやり見上げる僕と目が合うと、カンゲツ王子はニッと笑って。セイゲツ王子が衝立に掛けてあったガウンを放ると、それを受け取って着る……のかと思ったら、肩に羽織っただけで肝心の部分は隠れていない。
「おい、抜け駆けは許さねえからな、青月」
カンゲツ王子はそう言い残し、大股で部屋を出て行った。抜け駆けってなに。
そしてそこでようやく僕は、この部屋の天井がものすごく高いことに気がついた。虎の姿になったときのため、だろうか。立ち上がったらかなりの高さになるはずだもんね。
目覚めてすぐカンゲツ王子に変態行為をされたおかげで、周囲を観察する余裕もなかったけど……今も体力的に余裕はないけど……とても興味を惹かれる建築様式だ。
エルバータの王侯貴族の城や屋敷は大概、大理石の床で壁には肖像画がズラリ、天井には宗教画が描かれ、隙間を埋め尽くすように金銀をあしらった緻密なレリーフが施されている――というのが基本らしい。
ウォルドグレイブ邸はもっと質素だったので、ジェームズが「このお屋敷は木目と空間の美しさを生かしているのです」と言いながら、他所の平均的な内装や建築様式などを教えてくれた。
正直に、「うちはそんなにお金ないから」と言ってくれてもよかったのに。
それはさておき、この部屋は天井に立派な木の梁が組んであったり、大きな丸窓があったり、衝立は緻密な透かし細工が施されていたりと、目新しいものがたくさんある。
異国に来たのだなあと改めて実感した。ほかはどうなっているのだろう。回復したら見学させてもらえないかな……
考えを巡らせていたら、セイゲツ王子もなにも喋らないので、束の間しんと静かになった。
そこへ遠くのほうから……
「もう! 寒月様ったら!」
あわてた様子の女性たちの声が響く。女官だろうか。
もしかして、股間丸出し状態で出くわしてしまったのでは。しかも勃ったままだったし。そりゃあ、女官たちが悲鳴を上げるのも当然だよ……気の毒に。
と、思っていたら、大きな笑い声が上がった。
「あっはっは、フラれちゃったのですか?」
「もったいない! 宝の持ち腐れもいいところ。よろしければソレ、私たちがお世話してさしあげましょうか」
賑やかな笑い声に続いて、カンゲツ王子の上機嫌な声。
「世話してほしいのはどっちだ、偉そうに。欲しけりゃ色っぽくお願いしな!」
再び笑い声が上がって、賑やかなやり取りが、歩く速度で遠ざかっていった。
……えっと……
興奮性器丸出しの王子が歩き回っていても、ここの女官は動じないんだな……
別の意味でクラクラしていると、セイゲツ王子と目が合った。
彼はカンゲツ王子などどうでもいいらしく、ずっと僕を観察していたのだ。無言で。無表情で。
カンゲツ王子ほど奔放ではないようだけど、この人はこの人で圧が強いな。青玉の瞳と銀の髪はとても綺麗で、海に降る雪みたいだけど。
「……セイゲツ王子……?」
あまりに無言なので、おちおち寝落ちもできず、名を呼んでみた。すると。
「青月」
「え?」
「発音が違う。セイゲツではない、青月だ」
おお……それ、今言う? いや、頑張ってみるけども。
「セイ、ゲツ」
「青月」
「セ、せいげつ……青月」
「そうだ」
ちゃんと言えたらしい。嬉しい。忘れないうちに繰り返してみた。
「青月、青月、青月。……カンゲツ王子は?」
「あいつはどうでもいい。馬鹿でもハゲでも好きなように呼べ」
それやったら、怪我するのは僕じゃないか。僕は浅く息をつきながら尋ねた。
「ダイガ文字には、ひとつひとつ意味があると習ったよ。『青月』には、どういう意味があるの?」
すると初めて、青月王子の表情が変化した。少し顔をしかめて、
「大した意味はない。じき医師が来るから、眠っていろ」
うん。ぜひそうさせてほしい。ぐったりと目を閉じると、まぶたの向こうで銀色の光が舞った。あわてて見れば、今度はそこに、銀色の虎。
「……わぁぁ!」
綺麗。綺麗! カンゲツ王子のときも感激したけど、銀色に輝く虎も最高にかっこいい! 向こうは華やかで、こちらは凛と気高い感じ!
僕は横たわったまま、震える手をモフモフへのばした。すると青月王子がドスンと寝台に跳び乗り、掛け布にくるまった僕に身を寄せ横たわる。
「モフモフ……」
顔を埋めたら、たちまち脱力。
「……なぜ虎の姿を見せてくれたの?」
ぼんやりしながら問うと、
『この姿のほうがあたたまるかと。ずっと寒月と交代であたためていたから』
「え。そうなの?」
そうだったのか。二人がかりで……
カンゲツ王子にはああ言ったけど、二人が僕の命の恩人であることは間違いない。あとでちゃんとお礼を言わなければ。
「……青月」
半ば寝ぼけて発音の練習をしたら、『なんだ』と返ってきた。
せっかくだから、もう一度尋ねてみる。
「ダイガ文字で、どういう意味?」
少し間をおいて、弦を弾くような声が答えた。
『青い月。青く光る月という意味だ』
「わあ、綺麗だねぇ……きみによく合ってる」
するとなぜか、息を呑む気配。
でももう目を開けられなくて、ふわふわと意識を手放しながら、もうひとつ訊いてみた。
「カンゲツ、は?」
『……完璧なケツ毛』
そこで僕は深い眠りに落下した。
◇
ダイガ王国に来た途端に死にかけるという予想外の事態に陥った僕だが、双子王子の手厚いモフモフを……もとい看病を受けたおかげで、命の危機は脱した。
とはいえ、生来の虚弱体質。回復しかけては倒れたり、熱がぶり返して急上昇したりするというのは、僕にとっては珍しいことではない。
しかし頑健な双子王子にとっては、驚愕の事態のようだった。
僕には一応、客間が用意されていた。だが僕のあまりの虚弱っぷりに、「マジかよ」と恐れをなした双子は、引き続き自分たちの寝台で一緒に眠るよう、僕に命じてきた。
意識不明だったときはまだしも……いくら僕がモフモフ好きでも、さすがにそれはおかしいだろうと指摘すると。
「俺らが呼びつけた交渉役が、交渉前に王女に殺されたなんて話になったら、いろいろ面倒なことになんだよ!」
「そう、その通り。だから完全に回復するまで、俺たちが見届ける」
寒月王子と青月王子は仲が悪そうなのに、こういうときは意見が合うらしい。
二人の目には僕が、今すぐ死んでもおかしくないほど重篤に映っているのだ。戦で大暴れしていたという二人を、ひ弱な僕が戦々恐々とさせているなんて、奇妙な話だよね。
「だとしても、王子殿下方と一緒の寝台で見届けられる必然性は、感じないのだけど……」
「お前になくても俺らは感じるんだから、いいんだよ」
寒月のその言い分に納得はいかずとも、世話になっている身であれこれ文句も言えず。だから二人が獣化した状態ならば、一緒に寝てもいいという条件付きで承諾した。
すると二人からも、ひとつ条件が出された。
「敬称はいらん。呼び捨てにしろ」
そんなわけで、改めて双子に添い寝されながらの療養生活が始まった。
いいのか、これで。という自問自答は常にありつつも……回復しないことには何も始まらないから、今できることをするしかない。病床でもできること。それは。
「醍牙王国の王都は、満皐。王城は黒牙城。……どう?」
『ああ。すごく上手くなった』
「やったあ!」
青月の寝台で、獣型になった彼にもたれながら、おぼえたばかりの発音を披露すると、銀の虎が満足そうに瞬きした。あ、小さくゴロゴロ鳴ってる。
昔から、寝込んでいるあいだでも比較的調子の良いときは、ジェームズから勉強を教わったり、領地に関する資料を読んだりしていた。
だから双子にも、なにか醍牙について教えてほしいとお願いした。
青月からは、特に醍牙語の発音を教えてもらっていて、だいぶコツをつかめてきた。
「国王様のお名前は、盈月陛下。青月たちの姓は、黒嶺領。王族が所有する領地の中で、最も重要な場所の地方名に、『領』をつけて呼ぶ習わし」
『そう。王族を外れた者は、母方などの好きな姓を名乗る』
青月の話にうなずきながら、室内を見回した。
彼の部屋は醍牙調。大きな寝台は黒胡桃の天蓋付きでエルバータ風だけど、そのほかの机や椅子、書棚に衣装箱などの家具は、飾り気よりも木そのものの風合いと実用性を重視した純醍牙製。
階段箪笥という物に言われるがまま乗ってみたら、本当にしっかり階段の強度があって驚いた。
面白い!
窓や壁面装飾に使われている障子も、凛とした佇まいで美しい。抄いた紙を貼られた行灯は、木枠が三日月のかたちになっていたり、細かな意匠が施されている。
「僕、醍牙のデザインすごく好き」
『気に入ったなら、部屋ごとやるぞ』
真面目な虎顔でなに言ってるんだか。
無表情なのにゴロゴロ音は大きくなっているというアンバランス。
少し疲れたのでモゾモゾと横になり、銀色の毛に顔を埋めた。そして当然吸い込んだ。
「ぷはー。いい匂い」
満足いくまでモフモフしてから顔を上げて笑うと、青い目がまん丸く見ひらかれて、大きな口もちょっとひらいていた。
『……お前は本当に変わっているな。ちっとも俺たちを怖がらないし、嫌がらない』
なんだか照れているように見えるのは、気のせいだろうか。
「変わっているのは、きみたちのほうだと思うよ? 敵国の元皇子を、こうして手間暇かけて面倒見てくれるなんて。どうしてそんなに親切にしてくれるの?」
交渉役を生かしておく必要があるとしても、僕は厚遇されすぎていると思う。
青月は答えあぐねたように口だけ動かしていたが、急に僕の首筋に鼻面をくっつけた。
「あはは! 冷たいっ」
くすぐったくて首をすくめると、青月はゴロゴロ喉を鳴らしながら『匂いが』と言った。
『やっぱり似てる』
「匂い? 香水とかはつけてないけど……何の匂い? もしかして汗くさい?」
『いや、すごく良い匂いだ。独特の。清々しい花みたいな』
「そ、そう? 自分ではまったくわからないけど」
『俺たちは鼻が利くから』
なるほど。でも匂いと厚遇の関連性は不明のままだ。
さらに尋ねようとしたとき、青月が舌打ちした。同時に継ぎの間の向こうで扉がひらく音がして、丸い洞門風の出入り口から寒月が入ってきた。
「おっ、起きてるな、アーネスト。じゃ、俺の部屋に移動しようぜ!」
金の髪をかき上げて、ニッと笑った寒月に、銀の虎が牙を剥いた。
『まだ寝ている。無理をさせるな』
「んだと? どう見ても起きてるじゃねえか。てめえはひとりで寂しく寝てろ」
人型の寒月まで、犬歯を伸ばして唸り出す。この二人、毎回この調子なのだ。思えば最初から、ちんこが元で喧嘩になっていたし。
そういえば、『寒月』の意味は『完璧なケツ毛』ではなく、『冴え渡る冬の月』だった。だいぶ違った。それが原因で双子はまた大喧嘩していた。
最近の兄弟喧嘩の主な原因は、僕だ。
二人の寝室で交互に世話になっている僕は、だいたい一日おきに部屋を移動させられているのだが、その都度彼らが迎えに来て、喧嘩して、それが終わるのを待ってから、だ、抱っこで……いわゆるお姫様抱っこというやつで、運ばれる。長い廊下をずーっと。
女官や警備兵たちに……
「これから寒月殿下のお部屋へお引っ越しですか、アーネスト様」
「早くお熱が下がりますように! おやすみなさいませ」
なんてニコニコ顔で挨拶されながら。
『私と弟たちは、貴様らの国で、もっと酷い目に遭った』
王女と王子たちがエルバータに来ていたなんて知らなかった。いつの話だろう。
……いや、待てよ。
妻を亡くした二番目の異母兄が、後添いに他国の王女を迎える話が出ていると、ジェームズが言っていたような。
でもド田舎にいたからか、それ以降その件については話題にのぼらなかった。なので、立ち消えになったものと思っていたのだけど。うーん。
思考は、強くなる一方の風に、しばしば遮られた。
雑木林の黒い枝が、一斉にギシギシと音をたてる中、世界が雪化粧を始める。木々も道路も、粉糖をかけたように白くなっていくのを、夢の世界にいる心地で見つめていた。
――本当に異母兄の再婚相手が、あのカンギ王女だったとして。
王女も王子たちも酷い目に遭ったとは、どういうことだろう。
『貴様は知らぬのだな』
そう言っていた。
本当にその通りだ。なにも知らない。世間知らずもいいところ。こんなことで、交渉役なんて務まるのだろうか。はあ、とため息で指先をあたためる。
耳が痛い。冷えるとこんなに痛くなるのだということも初めて知った。なにもかも知らないことだらけだ。
歩く。今できることはそれだけ。歩く。つま先の感覚がなくなってきた。でも歩く。せめて街の端っこでも見えれば、張り合いがあるのだけど。空。雪。森。黒い山並み。寒い。そればかり。
……さすがに疲れた。
足もとがおぼつかない。景色がゆらゆらして見える。
ああ……目眩か。これ目眩だ。
こういうときは座らなくちゃね。転倒して頭を打たないように。ジェームズから何度も言われた。でも道の真ん中は邪魔になるから、脇によけて……
ザザッ! と音がした。
どうやら僕は、笹薮に倒れ込んでしまったらしい。枯れていてもクッション性抜群。よかった~。
しかしこの寒さの中で倒れていては、まずいのじゃなかろうか。
……凍死。
縁起でもない言葉が頭を埋め尽くしてきたぞ。
でも、いかんともしがたい。指一本動かせない。
……。どうしたものやら……目の前が暗くなってきた。
あれ。これほんとにアレかな? 死ぬのかな?
このまま死んだら僕は、所持品がマルム茸のみという、謎の行き倒れになるのか。
……ダイガまで来てなにをしているのだろう……情けない。
そのとき、聞きおぼえのある音が耳を打った。
馬の蹄の音だ。もしかして、将軍が戻って来てくれた?
懸命に目をひらいて顔を傾けると、ぼやけた視界に、黒い影が映った。
二つ。馬、かな? 駆けてくる……二騎……?
腹に響く力強い足音が、僕の前で止まった。馬がいななく。
誰かがおりてきた、みたい。二人、僕を覗き込んでいる。
「こいつか」
舌打ちが聞こえた。
「手間かけさせやがる」
「俺が乗せる」
「うるせえ」
毛布ごと乱暴に躰を起こされた。そのとき、相手を間近で見つめたと思う。目が合うと、綺麗な翠玉の瞳を大きく見ひらいたその人が、息を呑んだのがわかった。
そうして、力強い腕に抱き上げられて。軽々と、僕には体重なんかないみたいに。
そこで、完全に意識が途切れた。
◇
寒い。寒い。寒い。
「寒い」という感覚に支配され、歯の根も合わないほど震えながら眠っていた。
――けれど気づくと、モフッとしたものにつつまれていて。
なんとも心地よいぬくもりを孕んだモフモフが、冷え切った躰を少しずつあたためてくれている。
……この感触、絶妙だ……。もっちりとして張りがあり、モッフリとしてモッフモフ。
ちょっぴり硬めの毛の下に、やわらかな毛が密集して。モコモコとフカフカが渾然一体となり、脱力を促すハーモニー。
僕はさらにモフモフに顔をうずめて、やわらかな毛の匂いを吸い込んだ。
……うーん……ちょっと埃っぽい匂い。土の上で転がり回ったあとの猫みたいだ。外にいたのかな。ということは、これ、猫? 大きいね。
『おい……』
なにか言われた気がする。
でも僕はひたすら、フカフカとぬくぬくを堪能しながら、もう一度深い眠りに落ちた。
――はずだったのに。
なにがどうして、こうなった?
次に目をさましたとき、僕は……素っ裸で男と抱き合っていた。というか抱え込まれていた。
僕だけじゃなく相手も一糸まとわぬ姿で。いわゆるすっぽんぽんで。素肌と素肌が密着する感触がひどく生々しい。
モフモフは? モフモフはどこ行った?
「……なぜに」
あまりに驚くと人は、思考能力が著しく低下するらしい。
見知らぬ男の腕枕で目を開けた僕を、相手もじっと見つめ返している。その翠玉の瞳が、意識を失う寸前に見た、あの目だと気づいた。
「ようやく起きたか」
低い声。太陽のような金髪に、真夏の森林を思わせる緑の瞳のその男は、彫像みたいに凛々しく整った目鼻立ちの、かなりの美男。
と、認識したと同時に、鋼のような腕にがっちりと抱きしめられた。
「むぐっ」
空気漏れみたいな声が出て、男が喉で笑う。
いったい僕は、なにをされているんだ?
ここに至ってようやく、離れなければという拒否反応が目覚めた。が、それを察したかのように、急に男の顔に獰猛さがにじむ。捕食寸前の獣のごとく、ニヤリと口角が引き上げられた。
「じゃ、ついでにヤっとくか」
「じゃ?」
相手の言葉を理解する前に、いきなり性器を押しつけられた。男の半ば勃ち上がったものを、僕の性器に、グリッと。
なんで!? なんなのこの人!?
驚きのあまり、躰が硬直してしまう。それをいいことに寝台に仰向けに押しつけられ、躰を重ねたままニヤニヤと見下ろされた。
……このところ、怒濤の勢いで変転している僕の人生。
けれどこの事態は、度肝を抜かれるという点において頂点に達したかもしれない。
知らない国で放置されて、死にかけて。目覚めてみれば、いきなりブツを押しつけてくる屈強な変質者に、素っ裸で抱きしめられている。
ほんと誰。どこから出てきたんだ、この男は。この男もこの男の股間も、礼儀知らずにもほどがある。いや、「こんにちは」と挨拶されても、この行為は許せないけども。
……ところで僕……これまで他人の性器を見たことがなかったのだけど……まして興奮状態にあるものなんか、初めて見たのだけど……
……これが普通なの?
みんな、こんな凶悪な大きさなの?
組み敷かれたまま呆然と男を見ると、翠玉の目が細められた。
「余裕だな、元皇子アーネスト」
名を呼ばれた。この凶悪股間男は僕を知っているのだ。
「藍剛は報告書でお前をベタ褒めしていたが、奴の審美眼なんぞあてにならんから、話半分に読んでいたら――話以上だったな。顔も躰も、どこもかしこも、冗談みたいに美しい。どこもかしこも、な」
そう言った男の硬い指が、僕の性器をゆるりと握った。
「なっ! なにすっ」
「ナニをするのさ。わかってんだろ」
「わかるか!」
驚愕と衝撃のあまり、躰の硬直が解けた。不埒な行いを止めるべく、すぐさま反撃に転じる。
が、悲しいほど非力な僕……。ポカポカと相手の肩を叩いても、鎧のような筋肉に覆われた躰はビクともしない。これではまるで、ジェームズの肩を叩いてあげたときみたいじゃないか。
あ……ダメだ。
なんだかまた、視界がぐらんぐらんと揺れてきた。お爺ちゃんの肩たたき程度の抵抗すら、もう無理。ぐったりと力を抜くと、男はさらに笑みを深めた。
「おう。さすが、動じねえな」
違う! 動じすぎて動けなくなったんだ!
「やっぱ相当に遊んでたんだろ? このお綺麗な顔と躰で、どんな奴も思いのままに。エルバータは性風俗産業もお盛んだったし、王族が率先して楽しんでたもんな。お前は買うほうだったのか? それとも、その美貌で貴族どもを手玉に取ってたか?」
……ごめん。なにを言ってるのか、ちょっとわからない。
「おいおい、無反応じゃ寂しいじゃねえか。ちょっとくらい愛想良くしろよ、俺はお前の命の恩人だぜ?」
……恩人、だと? この無礼な凶悪股間男が?
馬鹿を言うな。僕を救ってくれたのはお前なんかじゃない。
僕が眉根を寄せると、それをどう受け取ったのか、男は整った顔を歪めて笑った。
「お前も、俺たちのような『所詮ケダモノで毛むくじゃらの醜い大男』が相手じゃ、不服ってわけか」
ん? その台詞、どこかで聞いたぞ。えーと……。ダメだ。頭もぐわんぐわんする。
だが聞き捨てならない言葉があった。これだけは、どうしても抗議しておかねばならない。頑張れ僕、全体力と気力を振り絞れ。恩人のために。
「き、聞ケ、コノヤロウ!」
あう。勇ましく言おうとしたのに、乱暴な言葉を言い慣れないからカタコトになってしまった。男が眉をひそめている。
「なんだ?」
「毛むくじゃらを馬鹿にするな!」
「はあ?」
「ぼ、僕を救ったの、は、礼儀知らずの股間を持つきみなんかじゃない……モフモフだ!」
「……はああ?」
ううぅ、気持ち悪い。目眩と頭痛でつらい。
もうこのまま失神したいけど、言ってやる。言ってやるぞ。
「お、恩人……恩獣の、モッフモフを、ケダモノ呼ばわりする者は、市中引き回しに……そんなことしないけど……」
もう自分の言ってることさえもよくわからない。クラクラしている僕を、男は目を丸くして見ていたが、急にプッと吹き出した。
「モフモフって、お前」
「モッフモフだ!」
「どっちでもいいけど。それって、これだろ」
その瞬間、金色の光が舞った。蛍の群れが飛び出したみたいに。驚いて反射的に閉じた目を、おそるおそるひらくと。
「……ほえ!?」
変な声が出た。
僕を見下ろしているのは、あの男ではなく――巨大な金色の虎に、なっていた。
翠玉の瞳の。モッフモフの。
ぽかんと口を開けたまま、僕は金色の虎をまじまじと見つめた。今の今まで、凶悪股間男だったのに。キラキラしたと思ったら、巨大な虎に変わってしまった。
これは……これが……あれか。あれなのか。
耳や尻尾だけじゃなく、全身の獣化。獣人の、全身の変容。
すごい。すごい! 初めて見た……!
興奮のあまり、無意識に手をのばしていた。翠玉の瞳に見つめられながら首の横辺りに触れると、モッフリと手首まで埋まる。うわあ、うわあ!
「おおぉ……モフニャン再び……!」
あたためてもらっていたとき、モフモフを大きな猫と思い込んでいたので、ついそう漏らしてしまったのだが。
『ニャンってなんだ、コラ』
ビン、と弦を弾いたような響きの声に驚き、手を引っ込めた。
とっさに虎の顔を見ると、からかうように揺らした尾を、僕の胴に巻きつけてくる。
……なんてことだ。尻尾まで太い、長い、モフモフ……!
思わず毛並みに沿って撫でてしまい、おまけにポフッと掴んでしまったけれど、大目に見てくれたのか怒られなかった。
なので、調子に乗って匂いを吸う。モフモフって、どうして吸い込みたくなるのだろう。
「あれ。埃くさくない」
『吸うなコラ』
完全に獣化すると、独特の響きの声になるんだな。
僕は引き続き、虎の全身を眺めまわした。
本当に、大きい。信じられないくらい、大きい。体長はおそらく僕の身長の倍以上ある。ちょっとした岩が置かれたみたいな威圧感と存在感だ。
だから相対的に頭部も大きくて、元の顔の五つ分くらいありそう。僕を見据える目も、ときおりガルルと唸りながら牙を剥いてくる口も、鼻も、いちいち大きい。
それに毛並み。なんと言っても毛並み。
僕は生きた虎は見たことがなかったけど、ダースティンの屋敷には昔、年代物の虎の敷物があった。幼き日の僕がそれを見るたび泣いたとかで、屋根裏部屋にしまわれていた物を見たのだが。
あの気の毒な虎の毛は、オレンジ色だった。
でも目の前の虎は、蜂蜜みたいにつやつや輝く金色。
そして毛も長くて、長毛の猫みたい……と言ったらまた怒られそうだから、言わないけど。とにかく動くたびに金の毛並みの艶やかさが際立って、本当に、すごくすごく、
「綺麗だあ……!」
心からの感嘆の声が出た。きっと頬も紅潮している。もう大コーフン。
だってモッフリつやピカの巨大な虎だよ!? そんなのかっこいいに決まってる!
今度は僕のほうが変質者と化して、ハァハァしながら手をのばし、もう一度モフモフを堪能させてもらおうとしたのだけど……
『……不気味だと、思わないのか?』
困惑したように、金の虎が言った。
僕は目を見ひらいて彼を見る。
「なぜ? こんなに神秘的で美しくて、かっこいいのに?」
『だが……』
「それより、その声はどうなってるの? どうやって喋ってるの? それにそれに……」
コーフンし過ぎて身を乗り出し、そこでようやく、緑の目がジーッと僕の躰を見つめていることに気がついた。同時に自分が素っ裸であることも思い出す。
相手が虎になったから油断していた!
「その卑猥な視線やめ! 威厳も格好よさも台なしだぞ!」
あわてて躰に掛け布を巻きつけながら抗議すると、虎は楽しげに目を細めてから、再び人の姿に戻った。金髪の、腕もお腹も筋肉バキバキの屈強な青年の姿に。
人の姿になってもかなりの長身だ。そういえばカンギ王女も、僕より背が高かったし逞しかった。
「俺が格好よくて、威厳があるって?」
「きみじゃなく虎がね」
「フッ」
男は目を眇めて笑った。
認めたくないけど、やっぱりイケメン。眉はキリッとしているのにタレ目がちで、大きな口で笑うと愛嬌が増す。だが、しかし。
「どうして股間を隠さないんだ」
片膝を立てて座る相手に文句を言うと。
「いいじゃん、どうせこれから使うんだから」
「使わない! ……えっと、ところできみは、どちら?」
「は?」
「カンゲツ王子か、セイゲツ王子か。どちらかなんだろう?」
尋ねると、「ああ、そこまでは気づいてたのか」と意外そうな声。
そりゃあ、最初は混乱したけど……僕の身許を知る虎の獣人で、ランゴウ将軍を呼び捨てにして、彼から報告を受ける立場といえば。鈍くさい僕でも、さすがに気づ、く……
あ。いきなりボフッと躰が寝台に倒れた。
そうだった。コーフンのあまり体力が暴走していたけど、僕の躰は今、限界まで弱っていたのだった。いきなり体力が空っぽになって、寝台に貼りついたみたいに躰が動かない。
「なにやってんだ、お前」
男が不思議そうに訊いてくる。なにと言われても……
答えられずにいると、未だ股間を隠さぬ王子もようやく、僕の異変に気づいたようだった。
「待て待て、回復したんじゃなかったのか!? なんでそんな急に倒れて、おいっ!」
「なにをしている、寒月」
叩きつけるような声がした。
「おい青月! こいつ死ぬ!?」
そんな簡単に死んでたまるか――とは言えない自分が情けない。
重いまぶたを開けると、新たに覗き込んできた男と目が合った。
いつのまにか部屋に入ってきていたその男は、サラサラした銀の髪に切れ長の青い瞳。精緻で冷徹な印象の顔立ち。職人に隙なく彫られた氷像みたいで、こちらも迫力の美男だ。
そうか……金髪がカンゲツ王子で、この銀髪がセイゲツ王子。
この二人が、エルバータで暴れ回った双子王子か……。何だか現実味がない。
ぼーっとセイゲツ王子を見上げていると、彼は無表情のまま、大きな手のひらを僕の額にあてた。そうして少し間をおいて、
「すげえ熱なんだが」
「マジか。目が覚めたから治ったもんだと思い込んでたぜ」
「俺らと一緒にすんな、馬鹿が。こんなひ弱い奴、そう簡単に治るか。ていうかてめえ、ちんこしまえ」
よく言ってくれた、セイゲツ王子。
しかし、セイゲツ王子は真っ当な発言をしただけなのに、なぜかカンゲツ王子は苛立たしげに舌打ちをした。
「はあ? なんでてめえに指図されなきゃいけねえんだよ」
対するセイゲツ王子のほうは、表情を変えずに一瞥し。
「親父が呼んでいると、何度言われれば通じるんだ? その空っぽの頭には」
「うるせえ。かったりぃ会議なんざ知ったことか。どうせこの交渉官サマが参加するまで、大したことはできねえじゃねえか」
「その死にかけの交渉官を、てめえがさらに瀕死状態に仕上げたら、いつまでたっても会議は進まないだろうが。いいからさっさと行け」
「指図すんなと言ってんだよ、クソ虎!」
「さっさと行けと言っている、クズ虎」
次の瞬間、双子は突然、虎の耳と尻尾とを出現させた。
わぁ、トラ耳可愛い♡ ……なんて和んでいる場合ではなかった。
互いに凶暴な牙を剥き、グァルルと唸り声を上げながら睨み合うそのさまは、実力の拮抗した猛獣が、相手の喉笛に喰らいつく隙を狙って睨み合うごとく。
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弱々しく呻いたら、双子が同時に動きを止めて、綺麗に左右対称の動きで僕を見た。殺気も綺麗に引っ込めて、二人して覗き込んでくる。そうしてカンゲツ王子が、「ったく」と頭を掻いた。
「しゃーねえ、親父んとこ行くついでに、医師に声かけてくわ」
「ああ」
ぼんやり見上げる僕と目が合うと、カンゲツ王子はニッと笑って。セイゲツ王子が衝立に掛けてあったガウンを放ると、それを受け取って着る……のかと思ったら、肩に羽織っただけで肝心の部分は隠れていない。
「おい、抜け駆けは許さねえからな、青月」
カンゲツ王子はそう言い残し、大股で部屋を出て行った。抜け駆けってなに。
そしてそこでようやく僕は、この部屋の天井がものすごく高いことに気がついた。虎の姿になったときのため、だろうか。立ち上がったらかなりの高さになるはずだもんね。
目覚めてすぐカンゲツ王子に変態行為をされたおかげで、周囲を観察する余裕もなかったけど……今も体力的に余裕はないけど……とても興味を惹かれる建築様式だ。
エルバータの王侯貴族の城や屋敷は大概、大理石の床で壁には肖像画がズラリ、天井には宗教画が描かれ、隙間を埋め尽くすように金銀をあしらった緻密なレリーフが施されている――というのが基本らしい。
ウォルドグレイブ邸はもっと質素だったので、ジェームズが「このお屋敷は木目と空間の美しさを生かしているのです」と言いながら、他所の平均的な内装や建築様式などを教えてくれた。
正直に、「うちはそんなにお金ないから」と言ってくれてもよかったのに。
それはさておき、この部屋は天井に立派な木の梁が組んであったり、大きな丸窓があったり、衝立は緻密な透かし細工が施されていたりと、目新しいものがたくさんある。
異国に来たのだなあと改めて実感した。ほかはどうなっているのだろう。回復したら見学させてもらえないかな……
考えを巡らせていたら、セイゲツ王子もなにも喋らないので、束の間しんと静かになった。
そこへ遠くのほうから……
「もう! 寒月様ったら!」
あわてた様子の女性たちの声が響く。女官だろうか。
もしかして、股間丸出し状態で出くわしてしまったのでは。しかも勃ったままだったし。そりゃあ、女官たちが悲鳴を上げるのも当然だよ……気の毒に。
と、思っていたら、大きな笑い声が上がった。
「あっはっは、フラれちゃったのですか?」
「もったいない! 宝の持ち腐れもいいところ。よろしければソレ、私たちがお世話してさしあげましょうか」
賑やかな笑い声に続いて、カンゲツ王子の上機嫌な声。
「世話してほしいのはどっちだ、偉そうに。欲しけりゃ色っぽくお願いしな!」
再び笑い声が上がって、賑やかなやり取りが、歩く速度で遠ざかっていった。
……えっと……
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「青月」
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少し間をおいて、弦を弾くような声が答えた。
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「わあ、綺麗だねぇ……きみによく合ってる」
するとなぜか、息を呑む気配。
でももう目を開けられなくて、ふわふわと意識を手放しながら、もうひとつ訊いてみた。
「カンゲツ、は?」
『……完璧なケツ毛』
そこで僕は深い眠りに落下した。
◇
ダイガ王国に来た途端に死にかけるという予想外の事態に陥った僕だが、双子王子の手厚いモフモフを……もとい看病を受けたおかげで、命の危機は脱した。
とはいえ、生来の虚弱体質。回復しかけては倒れたり、熱がぶり返して急上昇したりするというのは、僕にとっては珍しいことではない。
しかし頑健な双子王子にとっては、驚愕の事態のようだった。
僕には一応、客間が用意されていた。だが僕のあまりの虚弱っぷりに、「マジかよ」と恐れをなした双子は、引き続き自分たちの寝台で一緒に眠るよう、僕に命じてきた。
意識不明だったときはまだしも……いくら僕がモフモフ好きでも、さすがにそれはおかしいだろうと指摘すると。
「俺らが呼びつけた交渉役が、交渉前に王女に殺されたなんて話になったら、いろいろ面倒なことになんだよ!」
「そう、その通り。だから完全に回復するまで、俺たちが見届ける」
寒月王子と青月王子は仲が悪そうなのに、こういうときは意見が合うらしい。
二人の目には僕が、今すぐ死んでもおかしくないほど重篤に映っているのだ。戦で大暴れしていたという二人を、ひ弱な僕が戦々恐々とさせているなんて、奇妙な話だよね。
「だとしても、王子殿下方と一緒の寝台で見届けられる必然性は、感じないのだけど……」
「お前になくても俺らは感じるんだから、いいんだよ」
寒月のその言い分に納得はいかずとも、世話になっている身であれこれ文句も言えず。だから二人が獣化した状態ならば、一緒に寝てもいいという条件付きで承諾した。
すると二人からも、ひとつ条件が出された。
「敬称はいらん。呼び捨てにしろ」
そんなわけで、改めて双子に添い寝されながらの療養生活が始まった。
いいのか、これで。という自問自答は常にありつつも……回復しないことには何も始まらないから、今できることをするしかない。病床でもできること。それは。
「醍牙王国の王都は、満皐。王城は黒牙城。……どう?」
『ああ。すごく上手くなった』
「やったあ!」
青月の寝台で、獣型になった彼にもたれながら、おぼえたばかりの発音を披露すると、銀の虎が満足そうに瞬きした。あ、小さくゴロゴロ鳴ってる。
昔から、寝込んでいるあいだでも比較的調子の良いときは、ジェームズから勉強を教わったり、領地に関する資料を読んだりしていた。
だから双子にも、なにか醍牙について教えてほしいとお願いした。
青月からは、特に醍牙語の発音を教えてもらっていて、だいぶコツをつかめてきた。
「国王様のお名前は、盈月陛下。青月たちの姓は、黒嶺領。王族が所有する領地の中で、最も重要な場所の地方名に、『領』をつけて呼ぶ習わし」
『そう。王族を外れた者は、母方などの好きな姓を名乗る』
青月の話にうなずきながら、室内を見回した。
彼の部屋は醍牙調。大きな寝台は黒胡桃の天蓋付きでエルバータ風だけど、そのほかの机や椅子、書棚に衣装箱などの家具は、飾り気よりも木そのものの風合いと実用性を重視した純醍牙製。
階段箪笥という物に言われるがまま乗ってみたら、本当にしっかり階段の強度があって驚いた。
面白い!
窓や壁面装飾に使われている障子も、凛とした佇まいで美しい。抄いた紙を貼られた行灯は、木枠が三日月のかたちになっていたり、細かな意匠が施されている。
「僕、醍牙のデザインすごく好き」
『気に入ったなら、部屋ごとやるぞ』
真面目な虎顔でなに言ってるんだか。
無表情なのにゴロゴロ音は大きくなっているというアンバランス。
少し疲れたのでモゾモゾと横になり、銀色の毛に顔を埋めた。そして当然吸い込んだ。
「ぷはー。いい匂い」
満足いくまでモフモフしてから顔を上げて笑うと、青い目がまん丸く見ひらかれて、大きな口もちょっとひらいていた。
『……お前は本当に変わっているな。ちっとも俺たちを怖がらないし、嫌がらない』
なんだか照れているように見えるのは、気のせいだろうか。
「変わっているのは、きみたちのほうだと思うよ? 敵国の元皇子を、こうして手間暇かけて面倒見てくれるなんて。どうしてそんなに親切にしてくれるの?」
交渉役を生かしておく必要があるとしても、僕は厚遇されすぎていると思う。
青月は答えあぐねたように口だけ動かしていたが、急に僕の首筋に鼻面をくっつけた。
「あはは! 冷たいっ」
くすぐったくて首をすくめると、青月はゴロゴロ喉を鳴らしながら『匂いが』と言った。
『やっぱり似てる』
「匂い? 香水とかはつけてないけど……何の匂い? もしかして汗くさい?」
『いや、すごく良い匂いだ。独特の。清々しい花みたいな』
「そ、そう? 自分ではまったくわからないけど」
『俺たちは鼻が利くから』
なるほど。でも匂いと厚遇の関連性は不明のままだ。
さらに尋ねようとしたとき、青月が舌打ちした。同時に継ぎの間の向こうで扉がひらく音がして、丸い洞門風の出入り口から寒月が入ってきた。
「おっ、起きてるな、アーネスト。じゃ、俺の部屋に移動しようぜ!」
金の髪をかき上げて、ニッと笑った寒月に、銀の虎が牙を剥いた。
『まだ寝ている。無理をさせるな』
「んだと? どう見ても起きてるじゃねえか。てめえはひとりで寂しく寝てろ」
人型の寒月まで、犬歯を伸ばして唸り出す。この二人、毎回この調子なのだ。思えば最初から、ちんこが元で喧嘩になっていたし。
そういえば、『寒月』の意味は『完璧なケツ毛』ではなく、『冴え渡る冬の月』だった。だいぶ違った。それが原因で双子はまた大喧嘩していた。
最近の兄弟喧嘩の主な原因は、僕だ。
二人の寝室で交互に世話になっている僕は、だいたい一日おきに部屋を移動させられているのだが、その都度彼らが迎えに来て、喧嘩して、それが終わるのを待ってから、だ、抱っこで……いわゆるお姫様抱っこというやつで、運ばれる。長い廊下をずーっと。
女官や警備兵たちに……
「これから寒月殿下のお部屋へお引っ越しですか、アーネスト様」
「早くお熱が下がりますように! おやすみなさいませ」
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「もうおまえたちに教えることは何もない――いや、マジで!」
特にこれといった功績を挙げず、ダラダラと冒険者生活を続けてきた無名冒険者兼テイマーのバーツ。今日も危険とは無縁の安全な採集クエストをこなして飯代を稼げたことを喜ぶ彼の前に、自分を「師匠」と呼ぶ若い女性・ノエリ―が現れる。弟子をとった記憶のないバーツだったが、十年ほど前に当時惚れていた女性にいいところを見せようと、彼女が運営する施設の子どもたちにテイマーとしての心得を説いたことを思い出す。ノエリ―はその時にいた子どものひとりだったのだ。彼女曰く、師匠であるバーツの教えを守って修行を続けた結果、あの時の弟子たちはみんな国にとって欠かせない重要な役職に就いて繁栄に貢献しているという。すべては師匠であるバーツのおかげだと信じるノエリ―は、彼に王都へと移り住んでもらい、その教えを広めてほしいとお願いに来たのだ。
しかし、自身をただのしがない無名の三流冒険者だと思っているバーツは、そんな指導力はないと語る――が、そう思っているのは本人のみで、実はバーツはテイマーとしてだけでなく、【育成者】としてもとんでもない資質を持っていた。
バーツはノエリ―に押し切られる形で王都へと出向くことになるのだが、そこで立派に成長した弟子たちと再会。さらに、かつてテイムしていたが、諸事情で契約を解除した魔獣たちも、いつかバーツに再会することを夢見て自主的に鍛錬を続けており、気がつけばSランクを越える神獣へと進化していて――
こうして、無名のテイマー・バーツは慕ってくれる可愛い弟子や懐いている神獣たちとともにさまざまな国家絡みのトラブルを解決していき、気づけば国家の重要ポストの候補にまで名を連ねるが、当人は「勘弁してくれ」と困惑気味。そんなバーツは今日も王都のはずれにある運河のほとりに建てられた小屋を拠点に畑をしたり釣りをしたり、今日ものんびり暮らしつつ、弟子たちからの依頼をこなすのだった。
国を救った英雄と一つ屋根の下とか聞いてない!
古森きり
BL
第8回BL小説大賞、奨励賞ありがとうございます!
7/15よりレンタル切り替えとなります。
紙書籍版もよろしくお願いします!
妾の子であり、『Ω型』として生まれてきて風当たりが強く、居心地の悪い思いをして生きてきた第五王子のシオン。
成人年齢である十八歳の誕生日に王位継承権を破棄して、王都で念願の冒険者酒場宿を開店させた!
これからはお城に呼び出されていびられる事もない、幸せな生活が待っている……はずだった。
「なんで国の英雄と一緒に酒場宿をやらなきゃいけないの!」
「それはもちろん『Ω型』のシオン様お一人で生活出来るはずもない、と国王陛下よりお世話を仰せつかったからです」
「んもおおおっ!」
どうなる、俺の一人暮らし!
いや、従業員もいるから元々一人暮らしじゃないけど!
※読み直しナッシング書き溜め。
※飛び飛びで書いてるから矛盾点とか出ても見逃して欲しい。
宰相閣下の執愛は、平民の俺だけに向いている
飛鷹
BL
旧題:平民のはずの俺が、規格外の獣人に絡め取られて番になるまでの話
アホな貴族の両親から生まれた『俺』。色々あって、俺の身分は平民だけど、まぁそんな人生も悪くない。
無事に成長して、仕事に就くこともできたのに。
ここ最近、夢に魘されている。もう一ヶ月もの間、毎晩毎晩………。
朝起きたときには忘れてしまっている夢に疲弊している平民『レイ』と、彼を手に入れたくてウズウズしている獣人のお話。
連載の形にしていますが、攻め視点もUPするためなので、多分全2〜3話で完結予定です。
※6/20追記。
少しレイの過去と気持ちを追加したくて、『連載中』に戻しました。
今迄のお話で完結はしています。なので以降はレイの心情深堀の形となりますので、章を分けて表示します。
1話目はちょっと暗めですが………。
宜しかったらお付き合い下さいませ。
多分、10話前後で終わる予定。軽く読めるように、私としては1話ずつを短めにしております。
ストックが切れるまで、毎日更新予定です。
ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。
役に立たないから出ていけ?
わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます!
さようなら!
5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

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