召し使い様の分際で

月齢

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第23章 白魔

出陣の前に

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 双子が攻撃に移る少し前のこと。

 雪の礫に全身を打たれながら、青月は以前アーネストが白銅に聞かせていた話を思い出していた。


 ――虫の中には、特定の虫に毒針を刺して、幼虫を寄生させる種がいるんだよ。コウシンマダラバチなんかは、強い匂いを発して宿主となる虫を酩酊状態にさせ卵を産みつける。卵から孵った幼虫は、酩酊したままの宿主の体内に侵入して……哀れ宿主は生きたまま、内側からモグモグ食べられてしまうのでした……――


 皓月コウゲツがアーネストの処方を盗んで悪用したことが露見し、弓庭後ユバシリ兄妹が持ち掛けてきた和解の場で、アーネストにさらに宝石窃盗の罪を着せようとした、あのとき。

 アーネストは単に、泉果センカが強い香水で自分たち兄弟の鼻を利かなくさせた上で、悪事を遂行しようとしたと言ったのかもしれない。
 だが青月はあの話が鍵となって、長いあいだ閉ざされていた記憶の扉が、カチリとひらく音を聞いた。

「おい寒月」
「んああ?」

 石垣に座って雪まみれのリンゴを齧っていた寒月が、膝を揺すりながら睨みつけてきた。わかりやすく不機嫌だ。

「母親の匂いをおぼえてるか?」
「……んなわけねえだろ」
「俺もだ。忘れてた。だがアーネストが匂いで宿主を酩酊させるハチの話をしていたのを聞いたとき、思い出した。臭かったんだ」
「はああ!?」

 ブンッと飛んできたリンゴの芯を、青月はひょいと避けた。
 寒月が犬歯を剥き出して唸る。
 
「ぶっころ。いきなりお袋をくせえ呼ばわりしやがるとは」

 離れて待機中の部下たちが驚いてこちらを見たので、青月は目で制して話を続けた。

「だが臭かったんだ。そう感じていたのを思い出した」
「アホか。赤ん坊がおぼえてるわけねえだろ」
「お前とは記憶力が違うんだ」
「んだとコラ」
「とにかく気づくと母乳が臭くて、飲むと気持ち悪くなって吐いた。以前、歓宜から『お前たちはよくお乳を吐く赤ん坊で、母上を心配させてた』と聞いたことがあるが、たぶんそのせいだったんだ」

「そんなこと言ってたか? ひとり目の乳母に俺らを殺されそうになって以来、自分の手で育てたがったという話なら知ってるけど。その乳母は実は弓庭後側から大金をもらってたが、確たる証拠も無くて結局うやむやになったってやつ」

 そう。『第二妃の双子王子』は、生まれた瞬間から命を狙われていた。
 件の乳母は、昼寝中の自分たちに枕を押しつけ窒息させようとしていたところを、母に見つかった。
 母は怒りのあまり獣化して、その場で乳母を八つ裂きにしかねない勢いだったという。しかし実際には乳母の死因は獄死。食事に毒を盛られて死んだ。
 母も実家の九聶家も、『黒幕の弓庭後が証人を殺して証拠隠滅を謀ったのだ』と訴えたが、まさに死人に口なし。

「それがどうしたっつーんだ」

 アーネストを置いて弓庭後領地の根坤州まで来たのだから、一気に攻めてさっさと帰りたいのに、藍剛が通り道の一般人を避難させるまで待たねばならないというじれったさ。一刻も早くアーネストの無事を確かめたいというのに。
 だから青月とて寒月の苛立ちはよくわかるが、これは先に言っておくべきだろうと思った。

「お袋は毒を盛られてたんじゃないかと思う」
「毒う!?」

 またも部下たちがギョッとしてこちらを見たが、青月も目と手で制してから、寒月に視線を戻した。

「あの泉果クソ女は香水臭いことが多いだろう。あれは体臭をごまかすためらしい。昔から鼻の中が炎症を起こしやすくて薬が欠かせないが、その薬には体臭がきつくなるという副作用がある。だから気に入りの香水の香りを付けた丸薬にしているのだと、歓宜が言ってた。そうすると躰から香水の香りが発散されると」

「どのみちくせえじゃねえか」
「……俺がお袋の乳を臭いと感じてたのも、今にして思えば香水臭さだったんだ」
「お袋をクソ女と同類扱いすんじゃねえ!」
「聞け。これも歓宜から聞いた話だが、俺たちを産んだあと不眠や吐き気に悩まされてたお袋も、薬を服用してた」
「お前、歓宜と仲良しだな」
「お前が人の話を聞かないだけだろ。で、お袋も丸薬を飲んでた」

 青月はふう、とひとつ息を吐き出し、「その丸薬は」と続けた。

「母乳に影響しないものだったがひどく不味くて、飲みやすくするために、主治医が蜜を練り込ませた。花の香りの蜜だったそうだ。ちなみに当時、妃たちを診てたのはドーソンの師匠にあたる男で、丸薬の処方もそいつが担当してた」

 ピクッと寒月が片眉を上げる。
 青月は「ここからは単なる俺の考えだが」と続けながら、ブルッと頭を振って髪に積もった雪を払った。

「お袋の不眠や吐き気と薬の服用は、どっちが先だったんだろうな。――俺たちが繁殖期のとき頭痛で苦しんだのは、毒入りの催淫薬の副作用だった」

「お袋の体調不良も、薬を盛られてたってのか?」

「想像でしかない。だがどうして『花の香りの』蜜だったんだろう。ほかにいくらでも蜜はあるのに。その理由が、少しずつきつい匂いに慣れさせるためだったとしたら? 嗅覚を鈍らされたら、丸薬の味やにおいが少しずつ変わっても、気づけないかもしれない」

「……母乳に影響するほど強い薬になっても、周囲も気づかないかもな」
「おまけに赤ん坊に悪影響が出れば、弓庭後にとっては一石二鳥。お前が匂いをすっかり忘れているのも、鼻が利いてなかったせいかもしれないぞ?」

 寒月の瞳が緑色に光ったと同時、藍剛からの伝令が『前進』と伝えてきた。
 雪を払いながら立ち上がった寒月が部下たちに号令をかけると、勇ましい声が返る。
 青月はじっと寒月を見つめた。

「そういうわけだから。弓庭後をぶっ潰すのは当然だが、『死人に口なし』はまだ早い。訊きたいことが山ほどある」
「わーってるよ! 行くぞ野郎ども! 歯向かう奴は血祭りにあげる!」

 言うや否や、寒月はさっさと獣型になってしまった。予定より早い。
 うおお! と興奮に満ちた部下たちと寒月を見ながら、本当にわかっているのだろうかと青月は思ったが。
 とりあえず良しとしよう。
 とにかく暴れたい気持ちは、青月も同じだから。

 母の仇。
 赤ん坊だった自分たちをエルバータの奴隷商人に売った者たち。
 積年の憎しみと怒りに、今夜ようやく決着をつけられる。
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