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番外編
🍑の節句🍑感謝企画1 ローズマリーの願い
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「ローズマリー様。とりあえず屋根裏部屋に隠しておきました」
「ありがとう、ジェームズ。さすが仕事が早いわね」
忠実で勤勉な執事ジェームズに、ローズマリーは心から賛辞を送った。
「アーネストったら、あの虎の敷物を見るたび号泣するんですもの」
「先代様の少年時代に、某貴族から贈られたものだと聞いております。リンゴのお礼にいただいたものの、先代様は『お返しはリンゴでよかったのに』と困っておられました」
「お父様ときたら、どれだけリンゴがお好きだったのかしら」
長く応接間の床に横たわっていた哀れな虎皮が片付けられると、室内がすっきり明るくなった。
質素なこの屋敷に不似合いだという以前に、『死』を思わせる物が記念碑のごとく居座っている、装飾品として扱われている、そういう感性にローズマリーは共感できなかった。
父もその考えは一緒だったが、それゆえ『死』を売り払うのも捨て去るのも気が引けて、ねんごろに供養してくれるところはあるまいかと言っていたのに、自分が先に弔われてしまった。
「あの敷物はわたくしも好きではないけれど、泣きすぎて呼吸困難になるこの子ほどではないわ……」
ローズマリーは苦笑しながら、膝枕ですやすやと可愛らしい寝息をたてる我が子を見つめた。
瓜二つの母子だとよく言われる。
でもアーネストのサラサラした黒髪は父――アーネストにとっては祖父ゆずりで、自分の栗色の髪よりずっと綺麗だし、目も鼻も唇も耳も手足も、どこをとっても、自分などとは比較にならぬほど、息子のほうが美しいとローズマリーは思う。
「ね、見てちょうだいジェームズ。アーネストったら、今朝見たときより可愛くなってない?」
「む。ローズマリー様。たった今ジェームズも、そう思っていたところです」
「まあ、やっぱり! この子ときたら、毎日毎日、見るたび愛らしさを増しているものね」
「アーネスト様は『可愛いの天才』ですからな!」
「まあ、なんて的確なの! その通りよジェームズ! さすがだわ!」
これを親バカと執事バカと言うのだろう。
傍から笑われようが、ローズマリーはかまわない。
自分はおそらく、世の大半の親より我が子と過ごす時間が短いし、寂しい想いもたくさんさせてしまう。
だから生きているあいだは精いっぱい、注げる限りの愛情でアーネストをつつみ込み、愛された子だという記憶を置き土産にしていくのだと心に誓っている。自分が父に、そうしてもらったように。
「ねえ、ジェームズ。アーネストが呼吸困難で死にかけるほどあの敷物を厭うようになったのは、やっぱり……あのせいだと思う?」
「どうでしょう。もうすっかりお忘れのようですが」
「そうよね。でも……」
ローズマリーは、ボロボロの毛玉のようだったモフモフっ子たちを想った。
ダースティンに逃げ込む以前、各地を転々と移り住んで正妃から逃げ回っていた頃に、よちよち歩きのアーネストが見つけた虎の子たちを。
躰が弱いせいか、アーネストはほかの子たちより成長が遅く、立ち上がるのも伝い歩きも、言葉を発するのも遅かった。
周囲の子育て経験のある者たちからはかなり心配されたし、いろいろ助言もされたけれど、ローズマリーは「おっとりのんびりさんなのよね。きっと大物になるわ」と前向きに考えていた。
「想い出すわ……。この子を産んだとき、わたくしほぼ『約束の地』に足を踏み入れていた。『ああ、もう死ぬのね』と美しいお花畑を歩きながら思ったの」
「大量出血されていましたからね。ジェームズも心配で心臓が破裂しかけました」
「でもアーネストのほうが先に死にかけてたのよねえ。産声が聞こえないし、医師と女官と産婆たちが大騒ぎしているし、あら? とぼんやり思っていたら、お花畑の向こうにお父様が現れて……リンゴを次々ぶつけられたの。痛いと叫んだ拍子に寝台の上に戻っていたわ」
「先代様……なんて愛情深いお方でしょう。ローズマリー様を守ってくださったのですね」
「それはありがたいけれど、なにも笑いながらリンゴをぶつけてこなくても。アーネストにもぶつけたのかしらねえ。直後に『ひぇっ』とかそけき悲鳴が聞こえたと思ったら、あれがアーネストの産声だった。個性的な産声だわ。素晴らしいわよね」
「まったくもってその通りでございます!」
何につけても発達の遅い息子だったが、そんなアーネストが目覚ましい進歩を遂げたのは、あのモフっ子たちとの出会いがきっかけだった。
痩せて、目やにだらけで目も開かず、全身血だらけ、傷だらけだった虎の子たち。
庭に迷い込んだその子たちに最初に気づいたのはアーネストで、よちよち歩きで発見してからというもの、急速にしっかり立てるようになった。
そしてローズマリーの言葉を真似て「もふもふ赤ちゃん」と上手に言葉を発し、小さな手で優しく撫で続けていた。
その子たちが去ったあの日、アーネストは泣きすぎて高熱を出し、何日も寝込んだ。そしてようやく回復したと思ったら、虎の子たちのことはすっかり忘れていた。
それでいい、恋しがるだけ可哀想だと、思っていたのだが。
アーネストのサラサラした黒髪を梳きながら、ローズマリーは微笑んだ。
「この子もいつか、恋をするのかしら」
「……まだまだずっと先のお話でございましょうね」
「ふふっ。もふっ子たちへのあの思い入れの強さからして、この子はかなり一途よ。そしてけっこうなヤキモチ焼きと見た」
「アーネスト様がヤキモチを焼かねばならない相手など、この世にいるでしょうか!」
ローズマリーはくすくす声を出して笑った。
ほのかな初恋のみしか知らずに、人生を終えていく自分。
できないこと、知らないことだらけのまま、きっともうすぐ命が尽きる。
でもアーネストには、できることならもっと自由に生きてほしい。
広い世界を見て、いろんな人と知り合って、心から愛し愛されて。
愛らしい寝顔を見つめながら、ローズマリーが願うことはいつも同じ。
「ジェームズ」
「はい」
「アーネストをお願いね」
「……お任せください。命に代えましても、お守りいたします」
アーネスト。
幸せになってね。
幸せになってね。
「ありがとう、ジェームズ。さすが仕事が早いわね」
忠実で勤勉な執事ジェームズに、ローズマリーは心から賛辞を送った。
「アーネストったら、あの虎の敷物を見るたび号泣するんですもの」
「先代様の少年時代に、某貴族から贈られたものだと聞いております。リンゴのお礼にいただいたものの、先代様は『お返しはリンゴでよかったのに』と困っておられました」
「お父様ときたら、どれだけリンゴがお好きだったのかしら」
長く応接間の床に横たわっていた哀れな虎皮が片付けられると、室内がすっきり明るくなった。
質素なこの屋敷に不似合いだという以前に、『死』を思わせる物が記念碑のごとく居座っている、装飾品として扱われている、そういう感性にローズマリーは共感できなかった。
父もその考えは一緒だったが、それゆえ『死』を売り払うのも捨て去るのも気が引けて、ねんごろに供養してくれるところはあるまいかと言っていたのに、自分が先に弔われてしまった。
「あの敷物はわたくしも好きではないけれど、泣きすぎて呼吸困難になるこの子ほどではないわ……」
ローズマリーは苦笑しながら、膝枕ですやすやと可愛らしい寝息をたてる我が子を見つめた。
瓜二つの母子だとよく言われる。
でもアーネストのサラサラした黒髪は父――アーネストにとっては祖父ゆずりで、自分の栗色の髪よりずっと綺麗だし、目も鼻も唇も耳も手足も、どこをとっても、自分などとは比較にならぬほど、息子のほうが美しいとローズマリーは思う。
「ね、見てちょうだいジェームズ。アーネストったら、今朝見たときより可愛くなってない?」
「む。ローズマリー様。たった今ジェームズも、そう思っていたところです」
「まあ、やっぱり! この子ときたら、毎日毎日、見るたび愛らしさを増しているものね」
「アーネスト様は『可愛いの天才』ですからな!」
「まあ、なんて的確なの! その通りよジェームズ! さすがだわ!」
これを親バカと執事バカと言うのだろう。
傍から笑われようが、ローズマリーはかまわない。
自分はおそらく、世の大半の親より我が子と過ごす時間が短いし、寂しい想いもたくさんさせてしまう。
だから生きているあいだは精いっぱい、注げる限りの愛情でアーネストをつつみ込み、愛された子だという記憶を置き土産にしていくのだと心に誓っている。自分が父に、そうしてもらったように。
「ねえ、ジェームズ。アーネストが呼吸困難で死にかけるほどあの敷物を厭うようになったのは、やっぱり……あのせいだと思う?」
「どうでしょう。もうすっかりお忘れのようですが」
「そうよね。でも……」
ローズマリーは、ボロボロの毛玉のようだったモフモフっ子たちを想った。
ダースティンに逃げ込む以前、各地を転々と移り住んで正妃から逃げ回っていた頃に、よちよち歩きのアーネストが見つけた虎の子たちを。
躰が弱いせいか、アーネストはほかの子たちより成長が遅く、立ち上がるのも伝い歩きも、言葉を発するのも遅かった。
周囲の子育て経験のある者たちからはかなり心配されたし、いろいろ助言もされたけれど、ローズマリーは「おっとりのんびりさんなのよね。きっと大物になるわ」と前向きに考えていた。
「想い出すわ……。この子を産んだとき、わたくしほぼ『約束の地』に足を踏み入れていた。『ああ、もう死ぬのね』と美しいお花畑を歩きながら思ったの」
「大量出血されていましたからね。ジェームズも心配で心臓が破裂しかけました」
「でもアーネストのほうが先に死にかけてたのよねえ。産声が聞こえないし、医師と女官と産婆たちが大騒ぎしているし、あら? とぼんやり思っていたら、お花畑の向こうにお父様が現れて……リンゴを次々ぶつけられたの。痛いと叫んだ拍子に寝台の上に戻っていたわ」
「先代様……なんて愛情深いお方でしょう。ローズマリー様を守ってくださったのですね」
「それはありがたいけれど、なにも笑いながらリンゴをぶつけてこなくても。アーネストにもぶつけたのかしらねえ。直後に『ひぇっ』とかそけき悲鳴が聞こえたと思ったら、あれがアーネストの産声だった。個性的な産声だわ。素晴らしいわよね」
「まったくもってその通りでございます!」
何につけても発達の遅い息子だったが、そんなアーネストが目覚ましい進歩を遂げたのは、あのモフっ子たちとの出会いがきっかけだった。
痩せて、目やにだらけで目も開かず、全身血だらけ、傷だらけだった虎の子たち。
庭に迷い込んだその子たちに最初に気づいたのはアーネストで、よちよち歩きで発見してからというもの、急速にしっかり立てるようになった。
そしてローズマリーの言葉を真似て「もふもふ赤ちゃん」と上手に言葉を発し、小さな手で優しく撫で続けていた。
その子たちが去ったあの日、アーネストは泣きすぎて高熱を出し、何日も寝込んだ。そしてようやく回復したと思ったら、虎の子たちのことはすっかり忘れていた。
それでいい、恋しがるだけ可哀想だと、思っていたのだが。
アーネストのサラサラした黒髪を梳きながら、ローズマリーは微笑んだ。
「この子もいつか、恋をするのかしら」
「……まだまだずっと先のお話でございましょうね」
「ふふっ。もふっ子たちへのあの思い入れの強さからして、この子はかなり一途よ。そしてけっこうなヤキモチ焼きと見た」
「アーネスト様がヤキモチを焼かねばならない相手など、この世にいるでしょうか!」
ローズマリーはくすくす声を出して笑った。
ほのかな初恋のみしか知らずに、人生を終えていく自分。
できないこと、知らないことだらけのまま、きっともうすぐ命が尽きる。
でもアーネストには、できることならもっと自由に生きてほしい。
広い世界を見て、いろんな人と知り合って、心から愛し愛されて。
愛らしい寝顔を見つめながら、ローズマリーが願うことはいつも同じ。
「ジェームズ」
「はい」
「アーネストをお願いね」
「……お任せください。命に代えましても、お守りいたします」
アーネスト。
幸せになってね。
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