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第19章 勝敗と守銭奴ごころ
亀裂と勝者
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壱香は困惑しきっていた。
大広間は明るく盛り上がっている。
演壇のアーネストが何か言うたび、聴衆にドッと笑いが起こったり、彼が開発した化粧品への質問が飛んだり、大いに感心したり。
なぜだ。
彼は元皇族とはいえ、帝都に入ったことすら無い、ただの片田舎の貧乏領主だったと聞いている。
なのにどうしてこんなに何もかも完璧にこなせる上、話術まで長けているのだろう。それこそ皇族が一流の教師を雇って、一流の技を身に着けたみたいに。
元皇后たちから嫌がらせをされていた田舎貴族に、いつそんな教育を受ける機会があったというのか。
今や醍牙の臣下やその細君たちも、敵国の元皇子アーネストの話に夢中になっていて、同じ醍牙の貴族であるというのに、自分たちの肩を持つ者は無い。
それこそ妖精の魔法のように、気づけばアーネストが主役になっている。
ちらりと久利緒の顔を窺えば、当然ながらひどくこわばっていた。
――まさか、彼女も負けるのだろうか。
刺繍と演奏の対決で完敗してからずっと、貼りつけたような笑みを浮かべている琅珠に続いて。
そうなったら……まさか、自分も?
ダンスだけは誰にも負けないと自負してきたのに?
急に血の気が引いたようになって、壱香は冷たくなった指先を、すがるように隣席の繻子那へとのばした。
この四人の中で壱香と一番気が合うのは繻子那だ。
最初に知り合ったのも彼女。
幼いながらもライバル関係なのだとわかってはいたが、何かと馬が合って今に至る。
そんな二人は、いつもならこんなとき、不安も愚痴もぶっちゃけ合って、ぺらぺらとアーネストの粗探しなどをする。そうするうちに少しずつ、気も収まるはずだから。
……なのに。
繻子那は少し前から黙り込んでいて、気のせいか、ときおり琅珠に鋭い視線を向けては、怖い顔で何か考えている。
「ね、ねえ、繻子那様?」
親しい友の異変に不安を煽られ、とにかくいつもの調子を取り戻したくて、強引に話しかけた。
「大公殿下たちは、向こうを贔屓し過ぎだと思わない? それに」
「壱香様。わたくしたち、いつからこうなってしまったのかしら」
「え?」
壱香の話を遮るように問い返されて、とっさにその意図がわからず、目を丸くして見つめると。
戸惑う壱香の気持ちを知ってか知らずか、繻子那は独り言のように淡々と話し続けた。
「昔はもっと純粋に、王子様の花嫁になることに憧れてた。成長するに従って、お妃候補は自分だけではないんだという厳しさも知って、『負けるものか』と競争意識も芽生えたけれど」
「そ、そうね。わたくしも同じよ?」
戸惑いながら首肯する。
王族との結婚は、一族の権勢を左右する。自分だけの問題では無い。
そうしたどろどろとした現実や、自身の意地とプライドなどが絡み合った結果、キラキラした子供時代の憧れなど、『とにかく王子妃にならねば』という欲求の前に消し飛んだ。
でも、誰だってそんなものだろう。
生きていくために見ないふりをする昏い部分が、きっとどんな人にもある。
それに王子妃になるという強い欲求は、己を磨く努力にもつながった。
意地も欲望も悪いことばかりじゃない。
そのくらい、繻子那だってわかっているはずなのに。
「ねえ繻子那様。いきなりどうしたの?」
「わたくし、自分の性格の悪さは自覚しているの」
「ええ!?」
また突然、何を言い出すのか。
二人の会話は久利緒と琅珠にも聞こえていたようで、彼女たちも怪訝そうに繻子那へ目を向けた。
壱香は片手で繻子那の手を握った。
「それは確かに、『そんなことないわよ』とは言えないけど」
「……そういうときは普通、『そんなことないわよ』と言うのよ」
「言えないわ。あなただってそうでしょう? だってわたくしたち、本当に性格が悪いもの」
ようやく繻子那の視線が壱香に向けられ、次の瞬間、そろってプッと吹き出した。
やっといつもの繻子那に戻ってくれたと、壱香は内心、胸を撫でおろしたのだが。
繻子那は、ぽんぽんと壱香の手の甲を叩いて、「でも」と続けた。
「わたくしたち、性格が悪いなりに、もう少しマシだったわ。少なくとも――いえ、全部言い訳にしかならないわね。……それでもね」
彼女が眼光鋭く見つめる先にいるのは、琅珠。
その視線に気づいた琅珠が小さく目を瞠ったが、繻子那はそこで視線をそらして、壱香にだけ聞こえる声で耳打ちしてきた。
「その性格の悪さを、いつから利用されていたのかと。いつから操られていたのかと。それが悔しくてならないの」
「あ、あや……!?」
「しっ」
人差し指で唇をふさがれたと同時に、嬉しそうなレイニア妃の声が耳に飛び込んできて、そうだ競い合いの真っ最中だったのだと、壱香はあわててそちらを見た。
「ああ……ほのかないい香り! ずーっと吸い込んでいたいわ。ほらあなた」
「……本当だ。この香り大好きだよ」
アーネストの化粧品を試用した大公夫妻が目を輝かせている。
憎たらしいほど愛らしく微笑んだアーネストが、「薬草の自然な芳香なんです」とうなずくと、ふっくらした手にクリームを塗り込んでいたレイニア妃が「ああもう、ほんと良い!」と感嘆の声を上げた。
「潤い感たっぷりなのに、サラッと仕上がるのが最高! こういうハンドクリームも欲しいわ」
「もちろん、ご用意してございます」
「ほんとに!?」
途端、またも臣下席から「わたくしも!」「我が家にも!」とそれこそ競い合うごとく予約希望の声が上がる。
アーネストは今度は彼らに向かって、
「明日から店舗にて予約を受け付ける予定です。おひとり様ごとに販売個数制限を設けますが、ご予約分は確実にご購入いただけます」
「この場で予約を受け付けてはもらえないのか?」
大臣のひとりが特別扱いを求めて不満を漏らすと、ほかにも同意の声が上がった。
馬鹿だな、と壱香は思う。自分なら彼らに恩を売る。
せっかく儲けと好印象を得る良い機会なのに、金持ちの客を一般客と同等に扱うなんて。
が、アーネストは動じることなく、
「残念ながら、ここは競い合いの場なので……皆様にご予約の優先権利をお贈りすると、賄賂と見なされるかもしれません。どうかご容赦くださいませ。
その代わり、可能な限り良質な品を、できる限り手に取りやすい価格にて、ご提供させていただく所存です。内と外から美しくなれるよう、薬湯についてもぜひご相談ください。
薬草の恩恵を、ひとりでも多くの悩める方々にお届けできますように。――薬草を活かすこと、それが僕なりの美容術です」
妖精そのものみたいに可憐に、それでいて女王のように堂々と、実に美しくドレスをつまんでお辞儀をすると、広間は喝采と拍手につつまれた。
――ああ、これは……久利緒の負けだ。
壱香は呆然と、そう予感してしまい。
はたしてその後、レイニア妃から語られた判定は、
「蓄えた美容術の知識を、より多くの醍牙の民に役立てているという点で――ウォルドグレイブ伯爵を勝者とさせてください。おめでとう、伯爵」
大広間は明るく盛り上がっている。
演壇のアーネストが何か言うたび、聴衆にドッと笑いが起こったり、彼が開発した化粧品への質問が飛んだり、大いに感心したり。
なぜだ。
彼は元皇族とはいえ、帝都に入ったことすら無い、ただの片田舎の貧乏領主だったと聞いている。
なのにどうしてこんなに何もかも完璧にこなせる上、話術まで長けているのだろう。それこそ皇族が一流の教師を雇って、一流の技を身に着けたみたいに。
元皇后たちから嫌がらせをされていた田舎貴族に、いつそんな教育を受ける機会があったというのか。
今や醍牙の臣下やその細君たちも、敵国の元皇子アーネストの話に夢中になっていて、同じ醍牙の貴族であるというのに、自分たちの肩を持つ者は無い。
それこそ妖精の魔法のように、気づけばアーネストが主役になっている。
ちらりと久利緒の顔を窺えば、当然ながらひどくこわばっていた。
――まさか、彼女も負けるのだろうか。
刺繍と演奏の対決で完敗してからずっと、貼りつけたような笑みを浮かべている琅珠に続いて。
そうなったら……まさか、自分も?
ダンスだけは誰にも負けないと自負してきたのに?
急に血の気が引いたようになって、壱香は冷たくなった指先を、すがるように隣席の繻子那へとのばした。
この四人の中で壱香と一番気が合うのは繻子那だ。
最初に知り合ったのも彼女。
幼いながらもライバル関係なのだとわかってはいたが、何かと馬が合って今に至る。
そんな二人は、いつもならこんなとき、不安も愚痴もぶっちゃけ合って、ぺらぺらとアーネストの粗探しなどをする。そうするうちに少しずつ、気も収まるはずだから。
……なのに。
繻子那は少し前から黙り込んでいて、気のせいか、ときおり琅珠に鋭い視線を向けては、怖い顔で何か考えている。
「ね、ねえ、繻子那様?」
親しい友の異変に不安を煽られ、とにかくいつもの調子を取り戻したくて、強引に話しかけた。
「大公殿下たちは、向こうを贔屓し過ぎだと思わない? それに」
「壱香様。わたくしたち、いつからこうなってしまったのかしら」
「え?」
壱香の話を遮るように問い返されて、とっさにその意図がわからず、目を丸くして見つめると。
戸惑う壱香の気持ちを知ってか知らずか、繻子那は独り言のように淡々と話し続けた。
「昔はもっと純粋に、王子様の花嫁になることに憧れてた。成長するに従って、お妃候補は自分だけではないんだという厳しさも知って、『負けるものか』と競争意識も芽生えたけれど」
「そ、そうね。わたくしも同じよ?」
戸惑いながら首肯する。
王族との結婚は、一族の権勢を左右する。自分だけの問題では無い。
そうしたどろどろとした現実や、自身の意地とプライドなどが絡み合った結果、キラキラした子供時代の憧れなど、『とにかく王子妃にならねば』という欲求の前に消し飛んだ。
でも、誰だってそんなものだろう。
生きていくために見ないふりをする昏い部分が、きっとどんな人にもある。
それに王子妃になるという強い欲求は、己を磨く努力にもつながった。
意地も欲望も悪いことばかりじゃない。
そのくらい、繻子那だってわかっているはずなのに。
「ねえ繻子那様。いきなりどうしたの?」
「わたくし、自分の性格の悪さは自覚しているの」
「ええ!?」
また突然、何を言い出すのか。
二人の会話は久利緒と琅珠にも聞こえていたようで、彼女たちも怪訝そうに繻子那へ目を向けた。
壱香は片手で繻子那の手を握った。
「それは確かに、『そんなことないわよ』とは言えないけど」
「……そういうときは普通、『そんなことないわよ』と言うのよ」
「言えないわ。あなただってそうでしょう? だってわたくしたち、本当に性格が悪いもの」
ようやく繻子那の視線が壱香に向けられ、次の瞬間、そろってプッと吹き出した。
やっといつもの繻子那に戻ってくれたと、壱香は内心、胸を撫でおろしたのだが。
繻子那は、ぽんぽんと壱香の手の甲を叩いて、「でも」と続けた。
「わたくしたち、性格が悪いなりに、もう少しマシだったわ。少なくとも――いえ、全部言い訳にしかならないわね。……それでもね」
彼女が眼光鋭く見つめる先にいるのは、琅珠。
その視線に気づいた琅珠が小さく目を瞠ったが、繻子那はそこで視線をそらして、壱香にだけ聞こえる声で耳打ちしてきた。
「その性格の悪さを、いつから利用されていたのかと。いつから操られていたのかと。それが悔しくてならないの」
「あ、あや……!?」
「しっ」
人差し指で唇をふさがれたと同時に、嬉しそうなレイニア妃の声が耳に飛び込んできて、そうだ競い合いの真っ最中だったのだと、壱香はあわててそちらを見た。
「ああ……ほのかないい香り! ずーっと吸い込んでいたいわ。ほらあなた」
「……本当だ。この香り大好きだよ」
アーネストの化粧品を試用した大公夫妻が目を輝かせている。
憎たらしいほど愛らしく微笑んだアーネストが、「薬草の自然な芳香なんです」とうなずくと、ふっくらした手にクリームを塗り込んでいたレイニア妃が「ああもう、ほんと良い!」と感嘆の声を上げた。
「潤い感たっぷりなのに、サラッと仕上がるのが最高! こういうハンドクリームも欲しいわ」
「もちろん、ご用意してございます」
「ほんとに!?」
途端、またも臣下席から「わたくしも!」「我が家にも!」とそれこそ競い合うごとく予約希望の声が上がる。
アーネストは今度は彼らに向かって、
「明日から店舗にて予約を受け付ける予定です。おひとり様ごとに販売個数制限を設けますが、ご予約分は確実にご購入いただけます」
「この場で予約を受け付けてはもらえないのか?」
大臣のひとりが特別扱いを求めて不満を漏らすと、ほかにも同意の声が上がった。
馬鹿だな、と壱香は思う。自分なら彼らに恩を売る。
せっかく儲けと好印象を得る良い機会なのに、金持ちの客を一般客と同等に扱うなんて。
が、アーネストは動じることなく、
「残念ながら、ここは競い合いの場なので……皆様にご予約の優先権利をお贈りすると、賄賂と見なされるかもしれません。どうかご容赦くださいませ。
その代わり、可能な限り良質な品を、できる限り手に取りやすい価格にて、ご提供させていただく所存です。内と外から美しくなれるよう、薬湯についてもぜひご相談ください。
薬草の恩恵を、ひとりでも多くの悩める方々にお届けできますように。――薬草を活かすこと、それが僕なりの美容術です」
妖精そのものみたいに可憐に、それでいて女王のように堂々と、実に美しくドレスをつまんでお辞儀をすると、広間は喝采と拍手につつまれた。
――ああ、これは……久利緒の負けだ。
壱香は呆然と、そう予感してしまい。
はたしてその後、レイニア妃から語られた判定は、
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