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第18章 勝敗と乙女ごころ
美容術と存在価値
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久利緒は内心、腸が煮えくりかえっていた。
どうしてこの歓宜という王女は、こんなに憎たらしいのだろう。
競い合いの相手はアーネストだが、実際、久利緒を最もイライラさせるのは歓宜だと思う。
歓宜にとっては外戚だろうが、久利緒は正妃の姪であり、名門弓庭後家の令嬢である。
なのに歓宜はいつだって、自分たちをずっと格下の貧乏貴族のように扱う。恥をかかせて楽しんでいるのだ。
――昔はそうではなかった。
あんな根性の悪い女ではなかったのに、いつからあれほどひねくれてしまったのだろう。
久利緒が初めて歓宜や双子王子と対面した頃は、優しかったのに。
『今のうちにあの双子と仲良くなっておきなさい。お前は王の妻になるのだから、誰であれ王になる可能性のある者と縁を深めねばならない』
そう刷り込まれて育った久利緒は、幼いうちから『自分は将来、王妃になるのだ』という誇りと優越感を持っていた。
父が第三王子の皓月を娘の婚姻の対象と見なしていなかったのも、久利緒には幸いだった。
何もできないくせに王子であるからと威張り散らす、短気で乱暴な皓月には、従兄弟ながら好きになれる要素が皆無だ。
ずーっと見ていたくなるくらい整った容姿をしている双子と違って、皓月なんて、ひと目見ただけでうんざりする。
――誰もが憧れるであろう素敵な王子の妻になり、いつかは王妃となって、この国で最も尊い女性になる。
親からも教師からも侍女たちからもそう言われて育ってきたのだから、間違いない。自分は特別な女の子なのだ。
……そう考えるのは、とても気分がよかったけれど。
でも、『この国で最も尊い』正妃である叔母を、双子は蛇蝎のごとく嫌っている。
だからいくら父が久利緒と双子王子を親しくさせようと画策しても、双子のほうから拒まれた。
ガーデンパーティーなどで一緒になっても、二人に話しかけると無視されたり、面倒そうに睨まれたりして、泣きたくなるのをこらえていた。
すると何度目かのパーティーで、予想外の救いの手が差し伸べられた。
歓宜だった。
彼女も正妃を嫌っているはずなのに、久利緒が双子から邪険にされていると仲を取り持ってくれて。それを繰り返すうち、双子も普通に接してくれるようになった。
だから……正直に言えば、あの頃の久利緒は、双子より歓宜に会うのが楽しみだった。
活発で堂々として、そこらの男の子より頼りになる歓宜と一緒にいると、本当に楽しかった。
――いや、そんなことはどうでもいい。
なぜ今、この大事なときに、歓宜なんかのせいで気を散らさねばならないのか。
久利緒は内心で自分を叱咤し、大公夫妻に……特にレイニア妃に向かって、とびきり愛想よく笑いかけた。
「麗しい妃殿下にも、自慢の泥炭パックを贈らせていただきたく存じます。お許し願えますか?」
レイニア妃は夫と顔を見合わせ、鷹揚に微笑んだ。
「あなたのお薦めの美容術は、その泥炭パックということね?」
この質問を待っていた。
「いいえ。畏れながら、そうではないのです。パックは一例ですわ」
「というと?」
久利緒はちらりと、何やら子猫に話しかけているアーネストへ視線を走らせた。子猫は身軽く円卓から跳び下りて、どこかへ走っていく。
確かに、彼は文句のつけようもなく美しい。
だが負けてなるものか。
父や正妃、皓月たちの失態で、弓庭後家門の権勢が揺らいでいる。
これで自分までこのまま王子妃候補脱落となれば、これまで見下してきた家門の者たちから、どれほど嘲弄されることか。
今だって充分、「妖精に敵うわけがない」などと陰口を叩かれているのに。
「一番たいせつな美容術は、『継続する』ということです。美は毎日の努力の積み重ね。それは別の見方をすれば、努力さえしていれば、どんな方も美しくなれるということですわ。
何の努力もせずとも生まれながらに美しい、幸運な方もいらっしゃるでしょう。けれど残念ながら多くの場合、人は美点も欠点も併せて生まれるゆえ、『もっと美しくなりたい』と希求せずにはいられないのです。
ならば、わたくしと同じ思いを持つ方たちに、『こんな方法もあります』とお手伝いしてさしあげたい。そうして共に楽しく努力を継続できたなら、とても素敵なことですもの」
その言葉に、レイニア妃も、そして大臣の妻たちも、共感を浮かべてうなずいた。
望み通りの反応を引き出せたことで、久利緒は思わず安堵の息を漏らす。
これで、アーネストが『単に』見た目が美しいというだけでは勝てなくなった。
この場にいる殆どの者は、アーネストより自分に共感するはずだから。
美容術について話す機会を得たかったのは、このためだ。
苦も無く美しいアーネストを称賛するだけの勝負なんて不公平だと、皆に印象づけるため。
認めたくないが……見た目だけでは、勝てないだろうから。
だからこそ。
女性としての意地と誇りのためにも、家門のためにも。
いきなり現れて簡単に双子の心を奪ったアーネストなんかに、ぜったい負けたくない。
いつからか、双子からの愛は諦めた。
彼らが自分を恋愛対象として見てくれないことは、出会いの日から重ねた年月に嫌というほど思い知らされていた。
成長して女性としての魅力が増せば、双子の気持ちも変わるかもと期待していたけれど。
繁殖期の彼らに裸で迫ってすら相手にされなかったという屈辱に、淡い期待も塵となって吹き飛んだ。
愛情を得られないのなら、かたちだけでも妃になりたい。
子供の頃から、自分の存在価値はそれだけだったのだから。
たまたま妖精の血筋で、信じられないほど美しく生まれて、それゆえ何の苦労もなく双子の愛情を独り占めしたアーネストが、王子妃の地位すら手にするなんて……そんなの不公平すぎる。
大きな拍手と共に演壇を降りると、当主席の父が満足そうにうなずくのが見えた。
アーネストと入れ替わりで席に戻ると、壱香たちが「完璧だったわ」と出迎えてくれる。
「当然よ」
手応えは抜群だった。
凍りついたような笑みを浮かべている琅珠には悪いが、自分は敗者にはならない。
紅茶でカラカラの喉を潤しながら目を向けた先、アーネストが花で飾られた演壇に近づいていく。が、
「……あ……」
不意にか細い声を漏らして額に手をあてたと思うと、そのままフラリとよろめいた。
――倒れる!
誰かが「危ない!」と叫んだと同時、凄い音をたてて椅子を蹴倒し跳躍した双子王子が、力強く、それでいてガラス細工を扱うみたいにたいせつに、ドレス姿の妖精を抱きとめた。
久利緒の心臓がドクンと大きく波打つ。
瞳がじわりと熱を持った。
双子があんな表情をするなんて、知らなかった。
どうしてあそこで、二人から切なく見つめられているのが、自分ではいけなかったのだろう。
どうしてこの歓宜という王女は、こんなに憎たらしいのだろう。
競い合いの相手はアーネストだが、実際、久利緒を最もイライラさせるのは歓宜だと思う。
歓宜にとっては外戚だろうが、久利緒は正妃の姪であり、名門弓庭後家の令嬢である。
なのに歓宜はいつだって、自分たちをずっと格下の貧乏貴族のように扱う。恥をかかせて楽しんでいるのだ。
――昔はそうではなかった。
あんな根性の悪い女ではなかったのに、いつからあれほどひねくれてしまったのだろう。
久利緒が初めて歓宜や双子王子と対面した頃は、優しかったのに。
『今のうちにあの双子と仲良くなっておきなさい。お前は王の妻になるのだから、誰であれ王になる可能性のある者と縁を深めねばならない』
そう刷り込まれて育った久利緒は、幼いうちから『自分は将来、王妃になるのだ』という誇りと優越感を持っていた。
父が第三王子の皓月を娘の婚姻の対象と見なしていなかったのも、久利緒には幸いだった。
何もできないくせに王子であるからと威張り散らす、短気で乱暴な皓月には、従兄弟ながら好きになれる要素が皆無だ。
ずーっと見ていたくなるくらい整った容姿をしている双子と違って、皓月なんて、ひと目見ただけでうんざりする。
――誰もが憧れるであろう素敵な王子の妻になり、いつかは王妃となって、この国で最も尊い女性になる。
親からも教師からも侍女たちからもそう言われて育ってきたのだから、間違いない。自分は特別な女の子なのだ。
……そう考えるのは、とても気分がよかったけれど。
でも、『この国で最も尊い』正妃である叔母を、双子は蛇蝎のごとく嫌っている。
だからいくら父が久利緒と双子王子を親しくさせようと画策しても、双子のほうから拒まれた。
ガーデンパーティーなどで一緒になっても、二人に話しかけると無視されたり、面倒そうに睨まれたりして、泣きたくなるのをこらえていた。
すると何度目かのパーティーで、予想外の救いの手が差し伸べられた。
歓宜だった。
彼女も正妃を嫌っているはずなのに、久利緒が双子から邪険にされていると仲を取り持ってくれて。それを繰り返すうち、双子も普通に接してくれるようになった。
だから……正直に言えば、あの頃の久利緒は、双子より歓宜に会うのが楽しみだった。
活発で堂々として、そこらの男の子より頼りになる歓宜と一緒にいると、本当に楽しかった。
――いや、そんなことはどうでもいい。
なぜ今、この大事なときに、歓宜なんかのせいで気を散らさねばならないのか。
久利緒は内心で自分を叱咤し、大公夫妻に……特にレイニア妃に向かって、とびきり愛想よく笑いかけた。
「麗しい妃殿下にも、自慢の泥炭パックを贈らせていただきたく存じます。お許し願えますか?」
レイニア妃は夫と顔を見合わせ、鷹揚に微笑んだ。
「あなたのお薦めの美容術は、その泥炭パックということね?」
この質問を待っていた。
「いいえ。畏れながら、そうではないのです。パックは一例ですわ」
「というと?」
久利緒はちらりと、何やら子猫に話しかけているアーネストへ視線を走らせた。子猫は身軽く円卓から跳び下りて、どこかへ走っていく。
確かに、彼は文句のつけようもなく美しい。
だが負けてなるものか。
父や正妃、皓月たちの失態で、弓庭後家門の権勢が揺らいでいる。
これで自分までこのまま王子妃候補脱落となれば、これまで見下してきた家門の者たちから、どれほど嘲弄されることか。
今だって充分、「妖精に敵うわけがない」などと陰口を叩かれているのに。
「一番たいせつな美容術は、『継続する』ということです。美は毎日の努力の積み重ね。それは別の見方をすれば、努力さえしていれば、どんな方も美しくなれるということですわ。
何の努力もせずとも生まれながらに美しい、幸運な方もいらっしゃるでしょう。けれど残念ながら多くの場合、人は美点も欠点も併せて生まれるゆえ、『もっと美しくなりたい』と希求せずにはいられないのです。
ならば、わたくしと同じ思いを持つ方たちに、『こんな方法もあります』とお手伝いしてさしあげたい。そうして共に楽しく努力を継続できたなら、とても素敵なことですもの」
その言葉に、レイニア妃も、そして大臣の妻たちも、共感を浮かべてうなずいた。
望み通りの反応を引き出せたことで、久利緒は思わず安堵の息を漏らす。
これで、アーネストが『単に』見た目が美しいというだけでは勝てなくなった。
この場にいる殆どの者は、アーネストより自分に共感するはずだから。
美容術について話す機会を得たかったのは、このためだ。
苦も無く美しいアーネストを称賛するだけの勝負なんて不公平だと、皆に印象づけるため。
認めたくないが……見た目だけでは、勝てないだろうから。
だからこそ。
女性としての意地と誇りのためにも、家門のためにも。
いきなり現れて簡単に双子の心を奪ったアーネストなんかに、ぜったい負けたくない。
いつからか、双子からの愛は諦めた。
彼らが自分を恋愛対象として見てくれないことは、出会いの日から重ねた年月に嫌というほど思い知らされていた。
成長して女性としての魅力が増せば、双子の気持ちも変わるかもと期待していたけれど。
繁殖期の彼らに裸で迫ってすら相手にされなかったという屈辱に、淡い期待も塵となって吹き飛んだ。
愛情を得られないのなら、かたちだけでも妃になりたい。
子供の頃から、自分の存在価値はそれだけだったのだから。
たまたま妖精の血筋で、信じられないほど美しく生まれて、それゆえ何の苦労もなく双子の愛情を独り占めしたアーネストが、王子妃の地位すら手にするなんて……そんなの不公平すぎる。
大きな拍手と共に演壇を降りると、当主席の父が満足そうにうなずくのが見えた。
アーネストと入れ替わりで席に戻ると、壱香たちが「完璧だったわ」と出迎えてくれる。
「当然よ」
手応えは抜群だった。
凍りついたような笑みを浮かべている琅珠には悪いが、自分は敗者にはならない。
紅茶でカラカラの喉を潤しながら目を向けた先、アーネストが花で飾られた演壇に近づいていく。が、
「……あ……」
不意にか細い声を漏らして額に手をあてたと思うと、そのままフラリとよろめいた。
――倒れる!
誰かが「危ない!」と叫んだと同時、凄い音をたてて椅子を蹴倒し跳躍した双子王子が、力強く、それでいてガラス細工を扱うみたいにたいせつに、ドレス姿の妖精を抱きとめた。
久利緒の心臓がドクンと大きく波打つ。
瞳がじわりと熱を持った。
双子があんな表情をするなんて、知らなかった。
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