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第13章 温泉と薬草園
恩師と弟子
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コーネルには、心から尊敬する恩師がいた。
名薬師として知られ、腕と人柄の良さから薬師協会部長の座に就いていた、御形部長だ。
コーネルはもともと医師志望だった。
しかし医師学校の入学試験を五回受けてようやく合格したのちも、要領が悪く教師を怒らせたり、特別講師として招かれたドーソン医師の講義で何度も質問したあげく、
「何でもかんでも人に訊かねばわからないのか。きみは医師には向いていないんじゃないのか」
苛立ちも露わに言われて深く落ち込み、自分でも薄々そう思っていたものだから、せっかく苦労して入った大学なのに足が向かなくなり、休みがちになった。
自己嫌悪と焦燥に苛まれていた頃、腹を壊したけれど医師に会うのが嫌で、薬師の店を訪れた。
そのとき、ちょうど店頭にいたのが御形だった。
御形はコーネルの知るどの医師よりも丁寧に、そして快活に患者と面談し、処方する薬湯もよく効いた。人柄に惹かれて何度も通ううち、人生相談に乗ってもらう機会も増えた。
「きみは医師としてたくさんのことに対応するより、ひとつのことに集中して研究する仕事のほうが合うのかもしれないね」
その言葉が、すとんと腑に落ちた。
そしてコーネルは早速、御形に弟子入りを頼み込んだ。
彼の元で薬草研究に打ち込み、立派な薬師になって、いつか恩返しをするのだと心に誓って。
なのに――。
御形はドーソンらと結託して、他人の薬湯の処方を……それが盗まれたものだと知りながら、「皓月殿下の処方だ」と証言した。
しかもその処方の本来の持ち主は、巷で噂のウォルドグレイブ伯爵。
あの双子王子――『恐ろしく魅力的だが多情で、怒らせようものなら一片の情け容赦も無く消される』と言われる二人の王子が、初めて溺愛しているという相手。
その人の薬舗の品が大好評を得ていることは、コーネルも知っていた。
あまりによく効くので、伯爵の血筋にちなんで『妖精の薬』と呼ばれていることも。
が、御形以外の者の薬湯など必要ないとコーネルは思っていた。
……正直に言うと興味津々だったが、伯爵の薬舗の品は人気すぎて品薄ゆえ、こっそり入手することができなかったのだけれど。
どうせ、双子殿下の威光で実力以上に評価されているに違いない。
御形にもそう主張した。
師はいつものように快活に、「実力が無ければ淘汰される。それだけだ」と笑い、もっともだとコーネルも思っていた。
そんな師が、処方の盗用を許容するはずがない。
世間に嫌な噂が広まって、皓月王子やドーソンや、そして御形のせいで被害を被ったという患者たちの証言も飛び交って、これまで御形に感謝と敬意を捧げてきた者たちが一転、蔑みの目を向けてきても、コーネルは師を信じていた。
師は何か、悪事に巻き込まれただけだ。そうに決まっている。
しかし。
師やドーソンや、協力した協会員たちは、御前会議で罪を認め、慰謝料と賠償金の支払いのほか、伯爵本人と被害を受けた民たちへの謝罪を命じられた。
「嘘です! 濡れ衣だ! そうですよね、師匠! ぼくがもう一度訴えます、師匠はそんなことしないと訴えます!」
悔しくて涙目になりながら叫ぶと、御形に「やめなさい」と止められた。
快活に笑っていた顔に、苦悩と後悔を貼りつけて。
「……妻がいつのまにか、膨大な借金を……以前ドーソンたちに招待されて行った高級賭博場にハマって、こっそり通いつめていたんだ。わたしは留守にすることが多いから、すぐに気づけなかった」
「それでまさか……金をもらって、子供らに害になる薬湯を飲ませて、伯爵を陥れるための証言をしたのですか?」
信じ難くて震える声で尋ねると、御形の顔が醜く歪んだ。
「仕方ないだろう! 王子殿下たちに贔屓される伯爵のせいで、うちの薬舗の売り上げはガタ落ちだ! 何が『妖精の薬』だ、殿下たちが財力と権力で評判をつくり上げたに決まっている! お前だってそう言っていただろう!?
わたしの地位を危うくしたエルバータ人に、失ったものの償いをさせて何が悪い! わたしは悪くない……伯爵が、ドーソンが、妻が……みんなしてわたしを破滅させたんだ……!」
顔を覆って嘆き続ける師を見て、コーネルはようやく気づいた。
彼は、自分が思っていたような完璧な善人ではなかった。
ずるくて傲慢で、自分の罪の責任を他者に転嫁する弱い人だ。
でも、恩人なのだ。
医師になる目標を失い、自己評価は地に堕ちて、この先どうすればいいのか悩みすぎて胃も腹も壊していた自分に、希望を与えてくれた人なのだ。
そして自分はこの人に、恩返しをすると誓った。
後日、御形はドーソンらと共に孤児院や救貧院に出向き、自分たちの不正を認めて謝罪した。さらに王城にも出向き、そこに集められていた薬湯勝負の被害者たちにも頭を下げた。
各所には、噂を聞いた王都の民たちも野次馬根性で集まっていたものだから、非難の声が殺到し、瞬く間に広まった。
「弱者を苦しめて利用するなんて、恥を知れ!」
「医師と薬師が聞いて呆れるわ!」
「それに比べてウォルドグレイブ伯爵様は、被害者だというのに、施設に三千万キューズも寄付してくださったんだぞ!」
「俺は下痢続きで痔まで患ったんだ! あのお美しい伯爵様に痔を打ち明けるのがどれほど恥ずかしかったか、お前らにわかるか!」
顔を上げられぬ御形たちを見ていられなくて、コーネルはその場をあとにした。
そうして商店街の大通りをとぼとぼ歩いていたとき、軽やかな声をかけられた。
「コーネル?」
「あ……」
幼なじみの少女だった。
いや。今やもう、立派な令嬢。
彼女は昔から愛らしくて優しくて、少年たちの憧れの的だった。気遣い上手で、年下だというのにコーネルよりよほどしっかりしていた。
久し振りに美しく成長した彼女と会ったとき、コーネルはひそかに胸をときめかせた。その気持ちは今も変わらないけれど、自分など相手にされないこともわかっている。
なぜなら彼女は、すごい大物の婚約者になるはずだから。
……なれるのだろうか。
よくわからないけれど。
「なんだかぼうっと歩いていたけれど、どうかして?」
⁂ ⁂ ⁂
心身共に疲れ切って、霞がかかったような脳裏に、自分がここに来るきっかけをつくった女性の、綺麗な笑顔が浮かんでいたが。
たゆたっていた意識は、低い怒声で叩き起こされた。
「くせえ!」
「こらこら。失礼なこと言っちゃだめだよう」
名薬師として知られ、腕と人柄の良さから薬師協会部長の座に就いていた、御形部長だ。
コーネルはもともと医師志望だった。
しかし医師学校の入学試験を五回受けてようやく合格したのちも、要領が悪く教師を怒らせたり、特別講師として招かれたドーソン医師の講義で何度も質問したあげく、
「何でもかんでも人に訊かねばわからないのか。きみは医師には向いていないんじゃないのか」
苛立ちも露わに言われて深く落ち込み、自分でも薄々そう思っていたものだから、せっかく苦労して入った大学なのに足が向かなくなり、休みがちになった。
自己嫌悪と焦燥に苛まれていた頃、腹を壊したけれど医師に会うのが嫌で、薬師の店を訪れた。
そのとき、ちょうど店頭にいたのが御形だった。
御形はコーネルの知るどの医師よりも丁寧に、そして快活に患者と面談し、処方する薬湯もよく効いた。人柄に惹かれて何度も通ううち、人生相談に乗ってもらう機会も増えた。
「きみは医師としてたくさんのことに対応するより、ひとつのことに集中して研究する仕事のほうが合うのかもしれないね」
その言葉が、すとんと腑に落ちた。
そしてコーネルは早速、御形に弟子入りを頼み込んだ。
彼の元で薬草研究に打ち込み、立派な薬師になって、いつか恩返しをするのだと心に誓って。
なのに――。
御形はドーソンらと結託して、他人の薬湯の処方を……それが盗まれたものだと知りながら、「皓月殿下の処方だ」と証言した。
しかもその処方の本来の持ち主は、巷で噂のウォルドグレイブ伯爵。
あの双子王子――『恐ろしく魅力的だが多情で、怒らせようものなら一片の情け容赦も無く消される』と言われる二人の王子が、初めて溺愛しているという相手。
その人の薬舗の品が大好評を得ていることは、コーネルも知っていた。
あまりによく効くので、伯爵の血筋にちなんで『妖精の薬』と呼ばれていることも。
が、御形以外の者の薬湯など必要ないとコーネルは思っていた。
……正直に言うと興味津々だったが、伯爵の薬舗の品は人気すぎて品薄ゆえ、こっそり入手することができなかったのだけれど。
どうせ、双子殿下の威光で実力以上に評価されているに違いない。
御形にもそう主張した。
師はいつものように快活に、「実力が無ければ淘汰される。それだけだ」と笑い、もっともだとコーネルも思っていた。
そんな師が、処方の盗用を許容するはずがない。
世間に嫌な噂が広まって、皓月王子やドーソンや、そして御形のせいで被害を被ったという患者たちの証言も飛び交って、これまで御形に感謝と敬意を捧げてきた者たちが一転、蔑みの目を向けてきても、コーネルは師を信じていた。
師は何か、悪事に巻き込まれただけだ。そうに決まっている。
しかし。
師やドーソンや、協力した協会員たちは、御前会議で罪を認め、慰謝料と賠償金の支払いのほか、伯爵本人と被害を受けた民たちへの謝罪を命じられた。
「嘘です! 濡れ衣だ! そうですよね、師匠! ぼくがもう一度訴えます、師匠はそんなことしないと訴えます!」
悔しくて涙目になりながら叫ぶと、御形に「やめなさい」と止められた。
快活に笑っていた顔に、苦悩と後悔を貼りつけて。
「……妻がいつのまにか、膨大な借金を……以前ドーソンたちに招待されて行った高級賭博場にハマって、こっそり通いつめていたんだ。わたしは留守にすることが多いから、すぐに気づけなかった」
「それでまさか……金をもらって、子供らに害になる薬湯を飲ませて、伯爵を陥れるための証言をしたのですか?」
信じ難くて震える声で尋ねると、御形の顔が醜く歪んだ。
「仕方ないだろう! 王子殿下たちに贔屓される伯爵のせいで、うちの薬舗の売り上げはガタ落ちだ! 何が『妖精の薬』だ、殿下たちが財力と権力で評判をつくり上げたに決まっている! お前だってそう言っていただろう!?
わたしの地位を危うくしたエルバータ人に、失ったものの償いをさせて何が悪い! わたしは悪くない……伯爵が、ドーソンが、妻が……みんなしてわたしを破滅させたんだ……!」
顔を覆って嘆き続ける師を見て、コーネルはようやく気づいた。
彼は、自分が思っていたような完璧な善人ではなかった。
ずるくて傲慢で、自分の罪の責任を他者に転嫁する弱い人だ。
でも、恩人なのだ。
医師になる目標を失い、自己評価は地に堕ちて、この先どうすればいいのか悩みすぎて胃も腹も壊していた自分に、希望を与えてくれた人なのだ。
そして自分はこの人に、恩返しをすると誓った。
後日、御形はドーソンらと共に孤児院や救貧院に出向き、自分たちの不正を認めて謝罪した。さらに王城にも出向き、そこに集められていた薬湯勝負の被害者たちにも頭を下げた。
各所には、噂を聞いた王都の民たちも野次馬根性で集まっていたものだから、非難の声が殺到し、瞬く間に広まった。
「弱者を苦しめて利用するなんて、恥を知れ!」
「医師と薬師が聞いて呆れるわ!」
「それに比べてウォルドグレイブ伯爵様は、被害者だというのに、施設に三千万キューズも寄付してくださったんだぞ!」
「俺は下痢続きで痔まで患ったんだ! あのお美しい伯爵様に痔を打ち明けるのがどれほど恥ずかしかったか、お前らにわかるか!」
顔を上げられぬ御形たちを見ていられなくて、コーネルはその場をあとにした。
そうして商店街の大通りをとぼとぼ歩いていたとき、軽やかな声をかけられた。
「コーネル?」
「あ……」
幼なじみの少女だった。
いや。今やもう、立派な令嬢。
彼女は昔から愛らしくて優しくて、少年たちの憧れの的だった。気遣い上手で、年下だというのにコーネルよりよほどしっかりしていた。
久し振りに美しく成長した彼女と会ったとき、コーネルはひそかに胸をときめかせた。その気持ちは今も変わらないけれど、自分など相手にされないこともわかっている。
なぜなら彼女は、すごい大物の婚約者になるはずだから。
……なれるのだろうか。
よくわからないけれど。
「なんだかぼうっと歩いていたけれど、どうかして?」
⁂ ⁂ ⁂
心身共に疲れ切って、霞がかかったような脳裏に、自分がここに来るきっかけをつくった女性の、綺麗な笑顔が浮かんでいたが。
たゆたっていた意識は、低い怒声で叩き起こされた。
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