王子殿下が恋した人は誰ですか

月齢

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3.グレイグ・リヒテル・ド・ドーシア

王子にも喧嘩を売る男

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 先日レダリオに噛みついていたというグレイグ。
 彼は今日もまた立腹しているようだ。

「侯爵家の者が使用人に服を汚されたというのに、王城では文句を言う権利も無いと言うのか!」

 よくよく見れば、グレイグの上着の裾がちょっぴり濡れている。

「わたしは文句を言うなとは言っていない。この者に手を上げて罰する権利は貴公には無いと言っている。理屈の通じぬ幼子のように、論点をすり替えるな」
「きっ、きさまぁ! 王子の腰巾着の分際で、この僕に向かって偉そうに! 自分まで王子になったつもりか!?」

 リーリウスは手摺りに頬杖をついたまま、改めてグレイグを観察した。
 つんと尖った鼻先。
 きつい目つきの水色の瞳と、小粋に分けた白金の髪。
 すらりとした肢体は均整がとれて、いかにも「手入れの行き届いた」美青年という感じ。きっと足の爪までピカピカだろう。
 惜しむらくは、鎧のように纏った高慢さか。

 状況から察するに、侍女が花瓶を落としてグレイグの服を濡らし、そのことに怒った彼が手を上げようとしたのを、通りがかりのレダリオが制した(そしてその様子を面白がって見物しているシュナイゼ)というところだろう。
 レダリオが冷えた視線で反論した。

「『腰巾着』の例えは適当ではない。あのヤリチ……方々飛び回っている方の腰にぶら下がっているほど、私は暇ではない」

(レダリオよ……)

 本人がいてもいなくても常に裏表なく手厳しい親友は、言い返そうと口をひらいた相手に隙を与えず言葉を継ぐ。

「そしてもしもわたしが貴公の言う通り『腰巾着』だとしても、それはいま話していることに何ら影響しない。肝心なのは、貴公にこの者を痛めつける権利は無いということだ。論点をずらすなと、何度言わせるつもりか」
「なっ、なっ……って、おい! 何をしている、まだ話は終わってないぞ!」

 レダリオがやり込めているあいだに、シュナイゼが侍女を慰め、「もういいから、仕事にお戻り」と背を押している。
 それに気づいて呼び戻そうとするグレイグに笑顔で立ちはだかったところで、ふとこちらを見上げた。

「あれ、殿下! いつからそこにいらしたんですか」
「いま来たところだよ」

 頬杖を解きながら答えると、レダリオにギロリと睨まれた。
 高みの見物をしていたことがバレてしまった。

 階段をおりていくと、グレイグとも目が合った。
 わずかにきまり悪そうに視線を泳がせたものの、すぐにいつものツンツンっぷりを取り戻し、挑むように見上げてくる。
 遠巻きに見ていた使用人たちが「ご機嫌うるわしゅう、王子殿下」と腰を折り、レダリオたちも儀礼上お辞儀を寄こしたが、グレイグだけはいきなり「殿下!」とツカツカ歩み寄って来た。

「王城の使用人たちの管理は、どうなっているのです!?」
「んー? どうなっているとは?」
「僕は仕立てたばかりの服を、そこの使用人に汚されました! 我がドーシア家の使用人ならば罰されて当然の失態です! なのに殿下のご学友のアレクシス殿は、僕には使用人を叱る権利が無いと言うのですよ。ドーシア本家のこの僕が! そんな馬鹿なことがありますか!?」

 レダリオが「論点」と呟くのを目で制し、「見るだけで妊娠する」と評される笑顔でグレイグを見つめた。途端、「うっ」とグレイグの頬が紅く染まったけれど、それでごまかされてくれるほど甘くもなかった。

「ど、どうお考えなのです、殿下!」

 リーリウスは、避難しそこねた侍女を横目で見た。
 自分の失敗のせいで、侯・侯・伯爵家の嫡男たちが口論し、おまけに王子まで巻き込んでしまった彼女は、いたたまれない様子で身を縮めていたが、安心させるべく微笑みかけると、目を瞠って「はうぅ」と真っ赤になった。

「この者も充分反省しているようだから、許してやってくれまいか。お詫びに私からそなたに服を贈らせておくれ。何着でも、好きなように仕立てさせよう」
「そっ、そん、そんな話ではありません! 物で釣ろうなんて、僕をそんな浅ましい人間と思われているのですか!」

 それこそ論点をずらして収めるつもりが、これも上手くいかなかった。
 それどころか両こぶしを握りしめて、地団太を踏みそうな勢いで激怒している。

「失礼ながら、王子殿下がそのようにいい加減なお考えで下の者を甘やかすから、使用人から学友に至るまで、礼儀知らずの無作法者ぞろいになるのです! そうして笑って済ませるのは無責任です、躾を放棄しているだけです!」

「リーリウス様が無責任とは聞き捨てならん。礼儀知らずはどっちだ、このクソガキが」

 急にマジギレしたレダリオを、シュナイゼが「どうどう」となだめる。
 レダリオは昔から、自分はリーリウスをけなすくせに、他者にけなされると怒るのだ。
 それがおかしくてニヤけてしまったが、グレイグが

「く、クソガキだと!?」

 と、(血管切れるのでは)と危惧するほど額に青筋を浮かべて震え出したので、本腰を入れて事態を収拾することにした。

「グレイグ。そなたが求めているのは謝罪であろう」
「はい、そうですけど!?」
「ならばそれはすでに済んだはずだ。相手は涙ながらに謝罪しているのに、どこに『躾』の必要性がある?」
「そ、それは……っ」

 言葉に詰まっているのを見て、一気に畳みかける。

「さて、そなたの言うところの『管理』者の大元である私がこの侍女に求めるのは、反省と改善策だ。甘やかしているつもりは無いが、改善策を考えさせるのに体罰は必要なかろう。
 ……あ。もしやそなたは、打たれたほうが策が浮かぶのか? そういう性癖?」

 別に嫌味などではなく、そう思ったから訊いたのだが。

「そっ、そんなわけないでしょう!」

 怒鳴られてしまった。
 グレイグは、笑いをこらえて震えているシュナイゼと、しかめっ面のレダリオも睨みつけると、

「こんな非常識な者ばかりのところには、いられない!」

 肩を怒らせ去ってしまった。
 その後ろ姿を見送りながら、リーリウスは「あ~あ……」と苦笑する。

「これではこの先、二人きりになるのは難しいかもしれないねぇ」
「ほとぼりが冷めるまで放っといて、ほかの三人の候補者と先に会われては?」

 同じく苦笑いしているシュナイゼに、「そうだね」とうなずいていたのだが。

 ――まさか翌日、グレイグのほうから、「リーリウス殿下に拝謁したい」と申し出があるとは思わなかった。
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