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第10章 ちびヨメは氷血の辺境伯に溺愛される

新婚旅行

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「本当に、こんなところでよかったのか?」
「はい! とっても気に入りました!」

 遠くに蛇行するヒルデ河を見渡す丘の上、ユーシアは笑顔でうなずいた。
 新婚旅行はどこに行きたいかと問われたとき、真っ先にユーシアの頭に浮かんだのが、バイルシュミット以外の領地だった。

 イシュトファン家が、義父母が住む隣の隣の町を含む広大な領地を経営していることは、知識として知っていた。が、それがどれほどの広さで、どんな気候で、どんな長所と短所があって……などの具体的なことを、ユーシアはまったく知らない。

 領主の妻として、これから何を担うべきなのか。まずはそこから学ぶ立場だけれど。
 レオンハルトが守る領地と領民についての知識を深めることは、絶対に無駄にならないと思うのだ。
 でも正直に言うと、領主の妻云々がなくとも単純に、レオンハルトがたいせつにするものを共有したいというのが本音だった。

「バイルシュミットの隣町まで行くだけでも、けっこうな距離があるのですね」
「どこも似たような景色だろう? 飽きないか?」
「似てますけど、でもやっぱり違います。全然飽きません」
「……そうか」

 レオンハルトの微笑みは、心なしか嬉しそうだ。
 飽きないかと言いつつ、彼にとっても愛着のある景色なのだろう。
 二人が立つ草原を、緑の香の風が優しく揺らす。
 丘の周囲は新緑の森。さらにその向こうには、綺麗な稜線を描く山並み。
 さまざまに鳴き交わす小鳥たちの声。幹を駆け上るキタリス。のんびりと草を食むレオンハルトの愛馬が顔を上げた先、ぴょこんと野ウサギが顔を出した。

 旅にはフランツら騎士数名も護衛として同行してくれているが、新婚旅行だからと気を遣って、今もかなり離れた場所で馬たちの世話をしている。

(……新婚旅行)

 レオンハルトに肩を抱かれながら、改めてその言葉の意味を考えて、ユーシアはひとりで赤面した。
 バレないようにうつむき、手でパタパタ顔を扇ぎながら「ふひー」と息を洩らすと、「暑いのか?」と不思議そうな声が降ってくる。北の地だけあって、王都ならとうに夏の暑さの時期なのだがカラリと過ごしやすいので、いきなり暑がれば不審に思われて当然だ。
 しかも気を遣ったのか、肩を抱く手を離そうとしたので、ユーシアは思わずその手を追いかけガシッと握った。

「ん?」

 不思議そうなレオンハルトに、「……離しては嫌です」と正直にねだって、大きな手にすりっと頬ずりする。傷だらけの硬い手のひらなのに、うっとりするほど心地いい。

「……そんなに可愛いことをするな」
「え?」

 顔を上げると、レオンハルトの顔が近づいてきて……あ、と思ったときには唇が重なった。レオンハルトの唇がユーシアの下唇を挟んで、チュッと音をたてて離れる。

「あ……」

 冷めかけていたユーシアの顔の火照りが、一気に舞い戻った。
 フランツたちに見られたかもとチラリと見れば、彼らは彼らで楽しそうに話していて、こちらを気にする様子はない。……そのように気を遣ってくれているのかもしれないが。

「まだ慣れない?」

 小さく笑った気配がして、ユーシアはコクコクうなずいた。
 初めての唇と唇のキスは、結婚式の誓いのキスだった。
 それまではユーチアでいることが多かったせいか、ユーシアに戻ってからも、レオンハルトのキスは額や頬ばかりだったから、誓いのキスはいろんな意味で想い出に残るものとなった。

 二度目のキスは、挙式の日の夜。
 二人きりの寝室で、いよいよ初夜か! と、これまで読んだ閨房関連の本の内容を片っ端から思い出し――ただし『ある伯爵夫人の四十八夜』は間違っているらしいので除外したが――飛び出しそうな心臓をなだめながら待つユーシアの元へ、レオンハルトがやってきた。
 いつもと同じ寝室の、いつもと同じベッドなのに、そのときは別の世界にいるみたいに緊張しながら、そっと口づけられる感触に震えた。

 ――が、レオンハルトに、急な応援要請が入った。
 領境で問題が発生したとかで、レオンハルトは「ちくしょう!」と珍しく感情を露わにしながら出かけて行った。
 もともと仕事の合間に挙式をねじ込んだような日程だったから、仕方ない。

 数日後に帰ってきたレオンハルトは、開口一番「新婚旅行に行こう」と言った。
「この城にいたら、邪魔される気しかしない」と。
 実際、かなり忙しそうにしていたので、初夜は新婚旅行までお預けという流れになってしまったのだが……
 ちょっとガッカリしている自分を恥ずかしく思いながらも、ハンナとレーネをもてなし、見送ることができて、ちょうどよくもあった。

 ハンナとレーネは、場合によってはバイルシュミットに骨を埋める覚悟で来てくれていたらしい。
 けれどゲルダやイグナーツやベティーナたちと意気投合し、『私たちがいなくても坊ちゃまは大丈夫ですね』と、どこか寂しげに安堵して、王都に戻ると言った。
 ユーシアも二人がいてくれたら本当に心強く名残惜しかったけれど、戻ると決めた二人の気持ちを尊重し、それならばと、ケイトリンのことを頼んだ。

 レオンハルトがユーシアに黙って、クリプシナ家とモートン家の財産管理や支援をしてくれていることを、ユーシアは知っている。
 クリプシナ家の面倒など見たくないだろうに、実家が問題を起こせばユーシアが非難されかねないと思って、あれこれ手を回してくれているのだ。
 だからケイトリンとアルバートにも、いっそう真剣に義務を果たすよう努めてほしい。でも、あのケイトリンのことだから……またいつ癇癪を起こしたり、短絡的な行動に走ったりするかわからない。

 二人はすぐにユーシアの気持ちを汲んで、『お任せください!』と受け合ってくれた。
『もう邪魔な旦那様たちはいませんし! ケイトリン様が暴走しそうになったら、首根っこつかまえて説教してさし上げますから!』 

 そんなこんなで……
 今日に至るまで、何度も唇のキスをしてもらったけれど。
 イケメンの顔が接近してくるだけで心臓がバクバクして、とても平常心で待っていられず、ギュッと目をつぶってしまって笑われたり。
 キスされる! と待ちかまえて目を閉じたら、鼻先にチョンとキスされてかわされたり。
「僕にあまりに色気がないので、からかっているのですね」としょんぼりしたら、レオンハルトは「その反対だ」と苦笑していた。

「あまりにお預けを食らい過ぎて、今ユーシアに手を出したら暴走しそうだから、新婚旅行まで我慢と自分に言い聞かせているのに……そんな顔をして、俺の限界を試しているのか?」

 そんなつもりはないと焦って答えたけれど。
 ……そうした経緯で、新婚旅行にやってきたので。
 今夜はもう、絶対に、初夜を迎えるはず。
 だからもう……気づけば脳裏に『おう、いえーす』などと伯爵夫人の描写が甦ってきて、余計な知識を仕込むんじゃなかったと、余計に落ち着かない。

 と、レオンハルトが、「実は」と声の調子を変えた。

「結婚式の夜に、邪魔が入っただろう? あれは、ユーシアたちを襲った賊を捕らえたという知らせだったのだ」
「えっ! ……クサヒゲオもですか!?」
「そういえばユーチアがそう名付けていたな。そう、そのクチャ……クサヒゲオもだ。まあ、今となっては、奴らにマティスとキーラの非道を証言させる必要性は低いが。だがユーシアにしたことは、絶対に償わせる」
「はい……」

 ユーシアはあの日のことを思い出したくなくて、震える指でレオンハルトの腕につかまった。するとすぐに逞しい腕が、ユーシアの躰をつつみ込んでくれる。
 なだめるように頭に何度もキスしてくれながら、優しい声が言った。

「安心しろ。これでもうユーシアは、何も怖がる必要も思い出す必要もない。悪いこと、恐ろしいことは、すべて終わったんだ。これからは幸せになる一方だ。そうなるように、一緒にいよう」
「レオンハルト様……」

 滲む視界の向こうに、イケメンのとびきりの笑顔。
 そして重ねた口づけは、今までで一番、自然にできたとユーシアは思った。
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