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第9章 新たな季節

レオンハルトの葛藤

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「……はあ」

 薄暗い浴場で、レオンハルトは深くため息をついた。
 そして広々とした湯舟に浮かぶ薬草の束を掴み、意味もなくペシペシと肩を叩いてみたり、湯気の向こうの天井を見上げて「あー」と唸ってみたりもした。
 その鋭い眼光と、どこをとっても筋肉の鎧で覆われた傷だらけの躰は、他所から来た者が見たなら、飢えたヒグマが湯につかっていると錯覚したかもしれない。

 しかし、かなり凶悪な目つきになっている外見に反して、レオンハルトはとてもデリケートな問題に直面し、考え込んでいるのだった。

「うー」

 ……本当は、今夜はすでに湯浴みを済ませていた。カラスの行水というやつで、かなり手短に済ませはしたが。
 あとは寝るだけ。ユーチアはまた掛布を蹴っ飛ばしたり、ベッドから落ちそうになったりしているだろうから、それを直してやって、可愛い寝顔に癒されて寝るだけ。
 そのはずだったのに……。

「ヨハネスめ。なぜ俺でなくユーチアに魔抱卵を渡した?」

 決まっている。面白がっているのだ。あの従兄はそういうところがある。
 ユーチアが不思議そうに魔抱卵を見ながら、「これはなんなのでちょうか」と訊いてきたときのレオンハルトの驚きを、いつかあの従兄にも味わわせてやりたい。

 あの、本で得た知識しか持たない、初心うぶの中の初心、しかも見た目が幼児な初心王子ユーチアに、普通の魔抱卵はともかく、薄桃色のほうの魔抱卵について、いきなり説明する羽目になろうとは。

 おかげで、よりによって『使ってみればわかる』などと言ってしまったではないか……!

 胸の内で『ドスケベと思われるだろうが!』と絶叫していたことなど、決してユーチアには悟らせなかったが。 
 ユーチアが真っ赤になるのを見て、あまりに可愛らしかったおかげで、一瞬にして胸の内の大騒ぎも静まった。

 だが本当は、いきなり生々しい話をしてユーチアを怯えさせたり、いつかユーシアに戻ったときにも、その手の話題は慎重に扱おうと心掛けてきたのだ。
 なのにヨハネスのせいで、この始末。
 我ながらしっかりカバーできたと思うし、ユーチアも悪い意味での動揺はしていない様子だったので、助かったが……。

 しかし。
 実はレオンハルトのほうが、思春期の少年のごとく、魔抱卵に反応してしまった。

 可愛い愛しいユーシアに、いつかはあの魔抱卵を用いるのか……と、ついつい考えてしまうのは、健全健康な男子として仕方あるまい。だって夫婦だもの。
 それでも本物の思春期の男子と違って、多少のことは意志の力で乗り切れるので、何ごともなかったようにユーチアに「おやすみ」をしてから私室に駆け込み、しかるべき処理をしたのち、二度目の湯浴みをしに来たのだった。

「ユーシアは……あんなに初心で、あんなに綺麗で、よく今まで無事でいられたな……」

 何げなく洩らした呟きに、ゾッとした。
 本当に、その通りだ。貴族には素行のよろしくない者もいる。クリプシナ家の者たちがユーシアを虐げたことは許せないが、結果として、邪な考えを持って近づこうとする者から遠ざけていたわけだ。……だからといって、やはり許せるものではないが。
 
「もう二度と、絶対に、日陰の存在になどさせない」

 イシュトファン辺境伯の最愛にして唯一の伴侶として、このバイルシュミットで挙式をする。
 神と領民たちの前で正式に誓えば、ユーシアも少しは自信を持てるだろうか。
 レオンハルトがこんなにも愛おしいと思う相手は、ユーシアとユーチアだけなのだから、彼自身にも、自分のことを愛しむ日が来るといいと思う。

 そのためにも……ユーチアが焦らないよう、気を配ってあげなければ。
 籍は入れたのだし、挙式はいつになってもいい。彼のペースで、いつかそのうちユーシアに戻ったら、そのとき式を挙げる。 
 自分の欲望や都合など、どうでもいいと思える相手に巡り会えた。それはなんて幸運なことだろう。

「――あ。忘れてた」

 バイルシュミットの隣の隣にある町で隠居生活中の両親からも、『お嫁さんに会わせろ』と催促の手紙が来ていたのだった。
 以前から言われていたが、嫁が幼児になっているという状況を説明するのが面倒で、『わかった。そのうち』と返事して、そのまま忘れていた。
 どうせ結婚式には呼ぶのだし、それまで放置しておいても問題あるまい。

 二度目の湯浴みを済ませたレオンハルトは、自分も従兄に礼状を書くべきかと考えながら、ユーチアと共用となった寝室へ向かった。
 
(ユーチアからの礼状で充分喜ぶだろうから、俺からは酒でも送ればいいか)

 それこそ、両親のワイナリーから、おすすめの赤ワインを送ってもらおうと、都合のよいことを考えるうちに寝室に着いた。
 
「……ん?」

 レオンハルトは、扉越しに人の気配に気づいた。長年戦場にいたので、無意識にそうした気配を探る癖がついている。
 殺気や物騒な気配ではないから、ユーチアがまだ起きているのだろう。夜中に動き回っていたから目が冴えてしまい、寝つけずいるのかもしれない。
 レオンハルトはノックを省略して扉を開けた。

「ユーチア、まだ起きているのか?」
「ほわーっ!」

 予想外の奇声が返ってきた。
 何ごとかと目を向けた先、薄暗がりの中に白く浮かび上がったのは――ユーシアの、裸体。

「……え?」

 今まさに下着を穿こうとしていたユーシアの、すらりと伸びた美しい脚と、息を呑むほどかたちよく可愛い尻と、そして薄暗い中でもわかるほど真っ赤になった顔とが、いっぺんに視界に飛び込んできた。

「え……ユーシア……え?」

 なぜ、ユーシア?
 ついさっき見たときはユーチアだったのに?
 いや、それはわかる。また突然変身したのだろう。
 そんなことより、なぜ裸?
 いやわかった。着替えようとしていたところだ。
 だがなぜ自分は今、ユーシアの尻を見ているのか。
 魔抱卵を見ただけでエロい想像をして抜いてきたばかりだというのに、またも目の前にこの美脚と美尻。

 驚きが渋滞して、どこから驚くべきなのかわからなくなった。
 頭の中だけは大騒ぎしていたが、下着を穿こうとした姿勢でプルプルしたまま固まっているユーシアを見て、ハッと我に返った。
 いそいで着ていたガウンを脱いでユーシアの躰を覆ってやり、「ユーシア」と努めて穏やかな声で語りかける。

「ユーシア? パンツを穿けるか?」

(年寄りの介護か)

 気の利かない言い方をした自分に胸中でツッコみながら微笑むと、涙目のユーシアが「は、はひっ!」と弾かれたように動いて、下着を穿いた。
 その間、レオンハルトはきちんと、できるだけ、嫁の裸体を見ないよう心掛けた。それが紳士というものだ。
 ……いや、そうではない。
 単に、これ以上ブツが凶暴なことになっては、顔で笑って股間は勃起という変態じみたことになるからだ。すでに遅しという気もするが。

「すまん。着替え中と知らず、驚かせた」

 ユーシアをベッドに座らせてから謝ると、ユーシアが「い、いえ!」と首を横に振る。

「僕のほうこそ、ごめんなさい。いきなりまた元に戻ったので、びっくりしちゃって……レオンハルト様のほうこそ、驚かれましたよね」

 レオンハルトのガウンを胸元で押さえて、潤んだ目で見上げてくる顔が、最高に可愛い。
 ガウンの裾からはみ出した白いくるぶしや、細い手首に至っては、なんだかもう自分と同じ男という人種とは思えない。それこそどこかの凄い魔法使いが、
『この世の可愛いと綺麗と美と可憐さをすべて併せ持つ男子になーれ!』
 と魔法をかけでもしなければ、こんなにも心身共に愛らしい人間が生まれようか。

(いやいやいやいや、何を考えているのだ。落ち着けレオンハルト。荒ぶるな股間。見るなー綺麗な足首も細い首筋も見るなー)

 本当に、どんだけユーシアにメロメロなのかと、自分に呆れる。
 滑稽な自分を自覚することで息子を落ち着かせてから、可哀相なほど恥ずかしがっているユーシアの頭を撫でた。

「びっくりしたろう。……今度はいったい、何がきっかけで戻ったんだろうな?」

 ピクリと震えたユーシアが、さらに頬を赤く染めて、「あの、あの」とレオンハルトを見つめた。

「魔抱卵を使うことを、考えてたら……あの、違うんです。早く使いたいと思ったわけでは、決して……」

 真っ赤になってうつむいた顔の、可憐に震える長い睫毛。
 
(……神よ。これはどういう試練ですか――!)

 せめてキスしたい。猛烈にキスしたい。それくらいは許されるだろう。
 しかしガウンをユーシアに貸したので、躰を寄せれば股間のテントがすぐにバレる。
 レオンハルトは胸の内でため息をつき、フランツやバルナバスが魔抱卵を使いたがっている姿を想像することで、息子を萎えさせた。
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