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第9章 新たな季節
婚姻届
しおりを挟む明日はバイルシュミットに向けて出発というその日。
ユーチアはレオンハルトと共に、大神殿へと向かった。
大捕物と、それに関わる事後処理に追われて、延び延びになっていた婚姻届を、受理してもらうためである。
この国の貴族は、神殿に婚姻の報告をする伝統がある。
普通に役所に書類を提出するだけでも不都合はないのだが、魔素を授かるという『ご利益』が身近にあるためか、節目節目で礼拝する者が多い。
この日は、レオンハルトが久々に訪れると知った大神官が、祈祷を買って出てくれた。
御年九十三歳という、国中の神官の長である大神官ニコラウスは、少々腰は曲がっているけれど杖なしでしっかりと歩き、誰もが心をひらかずにおれないような笑顔で、二人を出迎えてくれた。
ユーチアはレオンハルトの腕の中から降ろされ、共にニコラウスに挨拶をした。
「猊下。彼が私の妻となるユーシア・クリプシナです。今はこの姿ですが、正真正銘、二十歳です」
「ユーチア・クリプチナと申ちまちゅ。ほんじちゅは、猊下の貴重なお時間をいただき、きょ、きょうえちゅちごくに、じょんじまちゅ」
ユーチアは神殿で『魔素なし』と判定されたことをきっかけに、家族からの風当たりがいっそう厳しくなったという経験がある。だから神殿の、しかも最高位の聖職者の前に出るというだけで、また何か言われるのではと身構えてしまった。
おまけに自分は今、ちびっ子である。
そしてレオンハルトは、そのちびっ子を妻にすると言っているのである。
ここにフランツがいたらまた、「説明が適当すぎる」と指摘されていただろう。
ニコラウスのつつみ込むような笑顔がいつ怒りの形相に変わるかと、ユーチアは内心ハラハラしていたのだが。
大神官は笑みを絶やさず、むしろ興味津々という顔でユーチアを見つめて、なぜか「ほう」と感心したような声を出した。そして何ひとつ問うてくることなく、離れて控えていた神官たちを下がらせると、「さあ、おいで」と二人を祭壇の前へと導いた。
「私ももう、いつ神の御元へ召されてもおかしくないけれど。あなたたちの幸を祈る機会に恵まれたのだから、長く生きてきた甲斐があるというものだよ」
その言葉に何やら含みを感じ、ユーチアは戸惑ったけれど、質問している隙はなく。
レオンハルトの隣に跪き、高齢ゆえ祈祷は引き受けなくなったという大神官からの特別な、祝福の祝詞を受けた。
その声量も肺活量も、とても九十三歳とは思えず、朗々と響き渡った祈祷を終えて顔を上げると、滅多に聴かれぬ大神官の祈祷に立ち会えた参拝者たちから、拍手と祝福の声が次々上がった。
……残念ながらその祝福の声は、『父が子の健やかな成長を願う目的での祈祷』と勘違いした内容だったが。
それでもユーチアにとっては感無量の、素晴らしい経験だった。
その気分のまま、なんと大神官を立会人として二人で婚姻届にサインをし、大神殿経由で届け出た。
「これで正式に、俺たちは夫婦だ」
そう言って、ユーチアを抱っこして大神殿の階段を下りながら、レオンハルトが明るく笑う。
「ふうふ……夫婦!」
「そうだ」
「僕、本当に、レオちゃまのおヨメちゃんになれた……?」
「そうだ。本当に、ユーチアはもう、俺のお嫁ちゃんだ」
「ひゃ……ひゃああぁ!」
婚姻届にサインをしたときも、ただでさえ不器用な小さい手がいっそう震えて大変だった。でも今の胸の震えと高鳴りは、それ以上だ。
レオンハルトの口から『夫婦』と言われて、ユーチアのドキドキは頂点に達した。
「どうちよう! どうちようー!」
きゃー! と両手で顔を覆うと、レオンハルトが笑いながら「どうした?」と訊いてくる。
「何か問題があるか?」
「問題なち! なんにも問題なち! もう取り消ちぇまちぇんよー!」
レオンハルトが声を上げて笑う。
すれ違う人々や、レオンハルトを見知っているのであろう神殿の警護兵たちが、目を丸くしてこちらを見ている。
でも今のユーチアには、人目を気にする余裕はない。なぜなら……
「取り消すつもりはないから大丈夫だ」
そう言ったレオンハルトに、チュッと、ほっぺにキスされたから。
だだでさえドキドキしているところに、人前でのキス攻撃。
「ぴきゃあぁーっ!」
思わず奇声を発してジタバタすると、「暴れると落ちるぞー」と、また笑われる。
「はじゅかちー! はじゅかちー!」
「キスは嫌?」
甘い声で訊かれて、思わず即答した。
「むちろ、ちゅき! はっ!」
本音がダダ洩れた。ユーチアはまた顔を覆って「ちっぱい!」とジタバタした。
「ドキドキちちゅぎ問題! レオちゃまがイケメンちゅぎるからいけないのでちゅ!」
「問題か? 俺がイケメンなのは変えようがないからなあ」
「ちょこは問題なち! うあぁどうちよう、ほんとに僕、結婚ちた。ほんとにレオちゃまのおヨメちゃんになれたー!」
「最初に戻ったな」
クスクス笑うレオンハルトが、「ん」と顔を傾けた。
急にどうしたのかと、つられて首をかしげたユーチアに、レオンハルトはもう一度「ん」と言ってウィンクする。
「俺の嫁ちゃんは、キスしてくれないのかな?」
「……きゃー……」
照れくささと、レオンハルトのあまりの格好よさに、ボッ! と顔が熱くなる。
「こ、このイケメンときたらー!」
ユーチアはレオンハルトの首に抱きついた。
そうして、ぎゅっと目をつぶり、レオンハルトの頬にプニッと唇をくっつけた。
「ちゅ、ちゅう、できた……?」
真っ赤になっているであろう顔で訊くと、レオンハルトは「うーん」と首をかしげる。
「どうだろう。確かめるために、もう一回」
「わ、わかりまちた……!」
ドキドキしながら、もう一度、ぷちゅっとキスをした。
今度は大丈夫なはず。
「できまちた!」
しかしレオンハルトはまた、「んー?」と眉根を寄せた。
「もしかすると、できてなかったんじゃないか?」
「ええっ!?」
「確実にするために、もう一回」
「う、うちょでちゅー! ちゃんとできてまちたっ」
「バレたか」
笑い合いながら大神殿の長い階段を下り終えた先、馬の面倒を見ながら待機していたフランツが、「おめでとうございます」と笑顔で迎えてくれた。
「ユーチア様。これからは、ユーチア・イシュトファンだね」
「……イチュトファン!? ちょ、ちょうでちた……僕もう、イチュトファン! きゃっ」
また新たに照れながら幸せを噛みしめていると、レオンハルトが「そういえば」とユーチアを見た。
「どうかちまちたか? レオちゃま」
「先の捕物の一件はユーチアの貢献が大きかったとして、陛下から褒美の品を賜ったぞ。帰ってから開けるように、とのことだ」
「ちょうなのでちゅか!?」
「おー! すごいなユーチア様! 何をくださったんだろうねえ」
フランツも興味津々だ。
何かは知らないが、みんなと分け合えるものだといいなとユーチアは思った。
ほかにもお土産をたくさん買って、土産話と共にみんなに渡そう。たくさん話そう。
王都はすでに夏を思わせる陽気だけれど、バイルシュミットはどうだろう。
早くゲルダたちに会いたい。アイレンベルク城での生活が恋しい。
ユーチアにとっての故郷はすでに、バイルシュミットになっているのだと、しみじみ実感した。
――そうして翌日、ユーチアたち一行は、ようやく帰途についたのだった。
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