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第8章 それぞれの思惑
ユーチア、気づく
しおりを挟む『ある伯爵夫人の四十八夜』に書かれた内容が、性行為の常識ではなかったことを知り、大きく胸を撫でおろしたユーチアだったが。
レオンハルトが、そんな自分を優しく見つめていることに気づくと、一気に羞恥心が舞い戻ってきた。
結局、彼との初夜を想像していたことも、エロスを究めんとする物語で性の営みについて学んでいたことも、すっかり知られてしまった。
ユーチアは顔から湯気が出ているのではというくらい頬を火照らせながら、「あの、あの……」と、両手の人差し指をもじもじ擦り合わせた。
「いちゅも、エロチュなご本ばかりを、読んでいたわけでは、ないのでちゅよ?」
「……わかってるよ、ユーチア」
おでこにチュッとキスされて、ユーチアはさらに頬を熱くした。
大好きな人に優しくキスされて、ときめかないはずがない。
けれど小さく「きゃー……」と呟き、胸を高鳴らせるユーチアとは逆に、レオンハルトの深い青の瞳は、ちょっと切なげに見えた。
「……ユーシアはそうやって、いつも本を読んできたんだな。家族に否定されて、外の世界を自分では経験できなくて、貪るように本を読むことで、世界とつながっていたのだな」
ぷにぷにと頬をいじられながら見上げると、もう一度、額にふわりと唇の感触。
「ユーシアは……ユーチアも、本当に偉いな。強いな。閉じられた世界にいても、こんなに賢くて愛おしい人間になれると証明したんだものな。きみはある意味、俺よりずっと強い。心から尊敬する。……頑張ったな」
瞬きもせず見つめ返しながら、ユーチアは言われた言葉の意味を、胸の奥底に行き渡るまで反芻した。
クリプシナ家の屋敷の隅で本を読むことしか知らなかった自分。
陰気なお荷物だという言葉を受け入れていた自分。
閉じた世界から飛び出す気概も、勇気もなかった自分。
自分では褒めてやることのできない自分も含めて、すべての自分を、レオンハルトは「頑張った」と認めてくれている。
そうわかったら、またも涙がぽろぽろこぼれた。
「うえぇん、レオちゃまぁ……」
「な、なぜ泣く?」
あわててハンカチを取り出すレオンハルトに、「こんなの」と、泣きながら抗議した。
「泣くに、決まってまちゅー!」
「決まってるのか」
「ちょうでちゅ! れ、レオちゃまが、イケメンちゅぎるからぁ……うあぁぁん!」
「しかし俺がイケメンなのは変えられないからな。それを理由に泣いていたら、綺麗な目が溶けちゃうぞ?」
「うわぁん! また、ちょうやって、イケメンなことを言うぅぅ」
駄々っ子のように抱きついても、レオンハルトはいつだって、笑って抱き返してくれる。
これが『甘える』ということなんだと、広い胸に顔をうずめながら、ユーチアは思う。
世話をかけても、恥ずかしいところを見せても、レオンハルトは必ず受け止めてくれるから……彼と出会ってからは、声を殺して泣くことも忘れてしまった。
「レオちゃま、だいちゅき。だいだいだいちゅき」
「結婚するぞ」
「言われちゃいまちた!」
今度は一緒に笑い合う。
泣き笑いしながらユーチアは、自分はレオンハルトに何ができるだろうと考えた。何か、お返しできることがあればいいのに……と。
抱きついたまま、ぼんやりとそんなことを考えて、視線の先にある暖炉を眺める。
バイルシュミットはまだ朝晩が寒くて、暖炉にも火が入っていた。
だが王都はすでに春本番で、この部屋の暖炉も目隠し用の衝立が置かれている。薪置きのラックも空で、代わりに花を生けた花瓶が飾られていた。
「……んー……?」
ユーチアは、ふと、あることを思い出し、躰を起こした。
「どうした?」と訊かれて、「ちょっと、試ちてみたいことが、ありまちゅ」と前置きし。
「レオちゃま。あの割符、今持っていまちゅか? 北方地域の闇ルートの、元締めの人……えっと、ポッポマン? という人を、ちゅかまえたときに手に入れた」
「ボッホマンだな。ああ、実はそこにしまっておいたから、あるぞ」
「ちょこ?」
「ここ」
そう言いながらレオンハルトはベッドをおりると、もう一度ユーチア用の衣装箱を開けて、中からうさ耳付きの帽子を取り出した。完全な冬物で、この旅では使用していなかったものだ。
その折り返し部分をレオンハルトがひっくり返すと、挟んであった割符がポロッと落ちた。
「ちょんなとこに隠ちてたのでちゅか!?」
「しまっておいたんだ」
「ほひー」
不思議な収納方法に変な声を出しつつ、ユーチアは自分もベッドからおりた。正確にはレオンハルトが抱っこでおろしてくれたのだけれど。
そうしてトコトコ暖炉へと歩いていき、薪置き用ラックの前でしゃがみ込んで、中に敷かれている敷物をじっと観察する。
「……似てまちゅ。たぶん、おんなじ」
「何を見てるんだ?」
隣に来て膝をついたレオンハルトに、ユーチアは「これでちゅ」と敷物を指差した。
「クリプチナ家にいた頃、薪や果物などを運ぶとき、ちゅかわれていた袋を思い出ちたのでちゅ。ちょ、ちょじゃいが、」
「素材が?」
「でちゅ! よくわかりまちゅね、レオちゃま、ちゅごい!」
「そう、俺はすごい。……素材が同じなのか? この、ラックの中に敷いてある布と?」
「はい。これはモートン候ちゃくの領地でちゅくられている、生地だと思うのでちゅ」
「モートン」
レオンハルトの眼光が鋭くなった。
そのあまりの凛々しさを褒め称えたくなったユーチアだが、「今は我慢」と自分に言い聞かせる。と、レオンハルトが、「そういえば」と言いながら、その敷物を引っ張り出した。
「思い出した。奴の領地の、安くて丈夫で地味に売れ続けている生地。元は侯爵家の奴隷に作らせていたものだな」
「ちょうなのでちゅか!?」
「ああ。奴隷制が禁じられる前のことだから、今のモートン侯爵ではないが」
「悲ちい……」
「そうだな。……それはともかく、この敷物がどうしたんだ?」
ユーチアはそれを受け取り、燭台の炎にかざして見せた。
「独特な織目で、目が粗くて、変わった、ちゅ、ちゅけ方をちゅる」
「変わった透け方をする?」
「でちゅ! ちゅるのでちゅ。で、これで服をちゅくっても、着心地よくないに決まってるのに、モートン候ちゃくはコレで、召ちちゅかいの、ちぇい服を」
「召し使いの制服を? まさかコレで作ったのか? だって透けるんだよな?」
「でちゅよ! 気に入った召ちちゅかいに、着ちぇて楽ちむのでちゅ。チュケベ侯ちゃくでちゅ」
「確かにスケベ侯爵だな」
レオンハルトも嫌そうに顔をしかめている。
ユーチアはうなずきながら、「ちょれで、思い出ちたことがあるのでちゅけど」と続けた。
「このチュケベ布でちゅくった、ちおりが、」
「栞かな?」
「レオちゃま天ちゃい!」
「そう、俺は天才。で?」
「ちおりが、『ある伯ちゃく夫人の、ち十八夜』に、はちゃまってたのでちゅ」
レオンハルトの片眉がぴくりと上がる。
「そんな安物の生地で作った栞が、クリプシナ伯爵夫人の本に挟まってた?」
「でちゅ。ちょれで、もちかちゅると……」
ユーチアはスケベ布を、割符の上に重ねた。
すると――不規則な織目越しに、小さな文字が現われた。
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