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第8章 それぞれの思惑

さらに夜更けのこと

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「で、ですね。監視担当から先ほど連絡が来ました。目的は掴めておりませんが、クリプシナ伯爵が各所に使いを出したとのこと。行き先はモートン侯爵邸、アルタウス伯爵邸、フーデマン伯爵邸です」
「こんな夜更けにか」
「はい。こんな夜更けに、です」

 イシュトファン家が王都に所有する屋敷トレンメル・ホールの執務室で、レオンハルトとフランツは、にやりと笑い合った。

「三人とも、以前ユーチアが『裏帳簿にイニシャルがあった』と教えてくれた名だな」
「その通りです。ユーチア様の読みは正しかったのでしょう。たいしたものですね」
「当然だ。ユーシアなのだから」
「わからないようでわかる褒め方だなあ。とにかくクリプシナ伯爵は、よほどレオンハルト様の脅迫にビビったのでしょう。夜更けだろうがなんだろうが、仲間と懸念を共有せねば気が済まないくらいに」
「脅迫したつもりはないぞ。宣言したのだ。『お前ぶっ潰す』と」
「それじゃ死刑宣告です。脅迫より怖いじゃないですか」
「ともかく、裏商売を牛耳る貴族の顔触れは大方把握できたわけだ。が、肝心の証拠がない。小細工で逃げおおせることのないよう、退路を断ってひと息で仕留めるには、決定打が必要だ」
「その決定打を今回、この王都で得たいものですね」
「そうだな」

 二人はしばし無言で、高級ワインをグビグビと水のように……香味だの味わいだのどうでもいいかのように、あっという間に一本飲み干し、最後に「「美味い」」と呟くと、「さて」とフランツが立ち上がった。

「俺もそろそろ引き上げます。レオンハルト様も……ユーシア様が待ちくたびれているのでは?」

 ムフッと意味深に笑うフランツに、レオンハルトは「先に休むよう言ってある」と、いつもの調子で答えたが。
 フランツはそれでは許さず、「やっぱアレですよね」と話を続けた。

「一緒に主寝室を使われるのでしょ? ドキドキじゃないですか」
「何を言ってるんだ。ユーシアには結婚するまで手は出さないと決めている」
「うそ。待てます!? ……いや、待つか」
「当たり前だ。あんな初心うぶで純粋な相手に性欲を暴走させるほど、俺はケダモノではない」
「いい男ですねえ、レオンハルト様。惚れちゃおうかちら」
「帰れ」

 笑いながらフランツが扉の向こうに去ったのち、レオンハルトは寝支度をしつつ、己に言い聞かせた。

 ――そうだ。結婚するまで、絶対に我慢だ。

 皆の祝福の中、正式に夫婦となって……なかなか自信を持てないユーシアに、彼だけがレオンハルト・イシュトファンの最愛の妻なのだと、実感してもらいたい。
 正真正銘、レオンハルトの心を掴んだのは、ユーシア(とユーチア)だけなのだから。
 そのためにも、軽々しく手を出すような不埒な真似は、自分にも許さない。
 傷つけぬよう、怖がらせぬよう、たいせつに、たいせつにするのだ。
 ……いくら以前に見た、ユーシアの白くなめらかな肌や、愛らしい胸の飾りが目に灼きついているとしても、だ。

「紳士。紳士。紳士」

 声に出して言い聞かせてから、よし、と寝室へ向かった。


✦ ✦ ✦


 一方、ユーシアは。
 湯浴みを済ませて案内された部屋が、当然のごとくレオンハルトと共寝する主寝室であったことで、ひとり頬を火照らせていた。
 一緒の寝台で眠るのは船旅のとき限定と、思い込んでいたのだ。

 ユーシアが三人いても余裕で寝れそうな天蓋付きベッドの端っこで、「ちょっと落ち着こう」と、ユーチアが荷物に入れた生首てるてる人形を引っ張り出してきて、ぎゅっと抱きしめる。

「そりゃあ、結婚すれば、一緒に寝るのが当たり前になる……の、だろうけど……」

 ……一応、性行為に関する知識はある。
 クリプシナ家で読んだものの中には、閨房の心得に関して書かれた本もあった。
 ハンナやレーネが侍女仲間たちと、下ネタで盛り上がっているのを聞いたこともあるし、実は、かなり過激な本も、あの家には秘蔵されていた。
 そこには男性同士の性交についても書かれていたので、ユーシアは知識だけは一人前以上に身に着けていた。

「結婚するという、ことは……アレをする、という、ことで……」

 レオンハルトがすぐにも子づくりを望むならば、魔抱卵まほうらんを用いることになる。魔抱卵はとても高価だが、レオンハルトは資金力に余裕があるようなので、金銭面では問題ないのだろう。
 となると、初夜からそれを、仕込まねばならない、わけだが……。

 ユーシアは火照る頬を持て余しつつ、人形に問いかけた。

「ま、魔抱卵って、いつ、お尻に入れるのかな……?」

 自分で入れておくものなのだろうか。
 それとも、相手に入れてもらう?
 
「あ、相手にー!?」

 自分の考えに自分であわてて、ユーシアは人形と共に枕に突っ伏した。
 相手に入れてもらうとなると、最も隠しておくべき箇所を……お尻のはざまをレオンハルトの目に晒して、『さ、どうぞ、ここに』とか言わねばならないのだろうか。

「そんなの恥ずかしすぎるー!」

 下手に耳年増になってしまったせいで、その他のいらぬ情報も次々思い出されてしまう。

「無理! それもこれも無理ーっ!」

 ユーシアは寝台の上を転げ回った。
 不埒な想像をする自分がまた恥ずかしいし、このあとレオンハルトが来るというのに、きっと真っ赤になっている顔を見られるのも、いたたまれない。なんと言いわけすればいいのか。

「ベッドの上で真っ赤になってるなんて……初夜について考えてたって、バレるに決まってる……!」

 ベッドでひとりでコーフンしているヨメ。これではまるで変態だ。
 どうしよう。こんな真っ赤な顔を見られたら、『なんてがっついたヨメだ』と呆れられてしまうかもしれない。
 今夜は久しぶりにマティスたちと再会して、『さぞ心身共に疲れただろう』と、レオンハルトは心配してくれていたのに……まさかこんなに元気に妄想していたとは思うまい。
 
「どうしよう。どうしよう……!」


✦ ✦ ✦


 寝室へと至る廊下を歩きながら、レオンハルトは改めて、最初に出会ったのがユーチアでよかったと考えていた。
 先に出会ったのが、あの信じられないほど綺麗なユーシアだったなら、レオンハルトの警戒心は頂点に達していたに違いない。
 あんなにも美しく、たおやかな青年が、わざわざ北の地まで嫁いでくるなんて不自然すぎる……クリプシナ伯爵の罠に違いない、と。そしておそらく、予定通り離縁していた。

 美しいだけで惚れるほど、甘い性質ではない。
 ユーチアがレオンハルトの氷塊のごとき警戒心を解かしてくれたから、あの純粋さや誠実さを、素直に受け入れることができたのだ。
 そしてユーシアは、ユーチアの愛らしさをそのままに、美しい青年の姿を取り戻した。
 
 初めてユーチアと出会ったときの、目に涙をいっぱいためて『ユーチアでちゅ』と挨拶してきた光景を思い出し、クスッと笑いながら寝室の扉をノックする。そして、 もう眠っているかもしれないと思い、返事を待たずに扉を開けると。

「うあぁぁん、レオちゃまーっ!」

 美しい青年の可憐さはそのままに、愛らしい幼児の姿を取り戻して、大泣きするユーチアがそこにいた。
 
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