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第7章 再会

おかえり

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 最初の船には三泊した。
 下船後は、先行していたイシュトファン家門の騎士が用意した、馬と馬車に乗り換えて、次の港街でまた乗船し。
 そんなふうに、王都への移動は、船と騎馬(ユーチアは馬車だが)を交互に利用した。
 船移動はラクだし速いけれど、場所によってはかなり遠回りになる。それでもレオンハルトは、ユーチアの躰に負担が少ないことを最優先にしてくれた。

 しかし……
 どこで乗り換えようとも、その都度、立派な馬車や一等船室が用意されていて、ユーチアは恐縮せずにいられなかった。

「ぼ、僕には立派ちゅぎると思うのでちゅ……」
「まさか。ユーチアはイシュトファン辺境伯の妻だぞ? このくらい当たり前だ」
「ちゅま!」

 慣れることなくドキーン! と反応して跳び上がったユーチアに、フランツも「そうそう」と首肯する。

「貴族派が待ち受ける王都に乗り込むわけだからね。ユーチア様はイシュトファン辺境伯のたいせつな伴侶だということを、大々的に見せつけてやらないと」
「貴じょく派……」

 その筆頭は、クリプシナ家と、異母妹ケイトリンが嫁ぐモートン侯爵家だ。
 今はまだ、ユーシアが生きていることは、父マティスらの耳に届いていないだろう。しかしユーチアが王都入りするのに、隠しておけることではない。
 いや、むしろ生存を知らせなければ、クリプシナ家に行って絵本を取り戻すことができない。
 
 だがマティスは、裏商売の発覚を恐れてユーシアを殺そうとしたのだから、生きているとわかれば、また命を狙われるかもしれない。
 だからこそレオンハルトは、ユーチアには……そしてユーシアには自分がついていると、知らしめようとしてくれているのだろう。

 改めてその気遣いに触れて、ユーチアはまたも涙ぐんだ。
 守ろうとしてくれる人がいる。それはなんて幸せなことだろう。
 そしてその人の妻になれる。
 ずっと引きこもっていた自分に起きた、信じられない奇跡。
 その幸福を実感するたび涙腺が緩むのも、仕方ないことだと思う。

「でも、いちいち泣いてたら、レオちゃまが、ちんぱいちゅる」
「ん? なんだって?」
「いえ、なんでもありまちぇん!」

 てへへと笑うと、優しく微笑んでくれる。
 そんなレオンハルトが、大好きでたまらない。

「今日はまた船に乗って二泊。下船後に宿で一泊して躰を休めてから移動して……五日後には、王都に着く予定だ」
「はいっ!」

 ユーチアは、ビシッ! と手を上げて返事をした。


✦ ✦ ✦


 穏やかに揺れる船の甲板に立って、ユーチアは星空を見上げた。
 墨染の空を埋め尽くす、光の粒。
 あまりに美しいので、キラキラと歌うような瞬きが、ユーチアのちっちゃな胸の中まで照らしてくれるみたいに感じた。

 クリプシナ家にいた頃見上げた星空は、希望を見出せない将来や、自己嫌悪から来るやるせなさで、もの悲しい光景に映っていた。なのに今は。

「同じ、おほちちゃまなのに」

 状況が変わると、同じものを見てもこんなに感じ方が変わるのだということも、レオンハルトが教えてくれた。

「……お部屋に戻らなきゃ」

 独り言ちて、出てきたばかりの扉をあけ船室にもどる。
 この旅は天候に恵まれて、波も穏やかだけれど、甲板は危険だからひとりで出てはいけないと、レオンハルトから何度も言われていた。

 そのレオンハルトは、隣室で仕事の真っ最中。旅先に持ち込んだ書類仕事が長引いているようだ。
 ユーチアたちの部屋は、寝室と主室が大きな衝立で仕切られており、主室の隣に小さな書斎まである。
 その書斎で、こちらに背を向け、フランツと何か話し合いながら机に向かうレオンハルトに、小さく「おやちゅみなちゃい」と口の中で声をかけてから、ユーチアはごそごそと寝床に入った。

「ふー……」

 ぼんやりと天井を眺めてから、隣の枕に視線を移す。一等客室だけあってベッドも大きく、上等な羽根枕が四つも置いてあった。
 実はユーチアは、この船旅で、レオンハルトと、初めての経験をした。
 何を経験したかというと……
 床を共にしてしまったのである。
 ……一緒のベッドで睡眠をとるという意味だが。

 初めて一緒に寝ると知ったときは、口から心臓が飛び出すかと思った。
 夫婦なのだから同じ部屋に泊まって当然だし、ベッドがひとつしかなくても不思議はない。
 だが、しかし。レオンハルトの隣で眠るなんて、そんなの絶対無理だと思った。ドキドキして、眠れるはずがないと。
 ……そう、思ったのだが。

「――でも、いちゅも、ちゅぐに眠ってちまっている僕」

 幼児だから、ナニが起こるわけでもなし。結局いつだって熟睡している。
 レオンハルトも当然、ユーチアと眠ることに、なんの気兼ねもない。
 ……いや、最初の日は、「潰してしまわないか心配だな」なんて笑っていたけれど……
 遠慮して端っこで眠っていたはずのユーチアが、睡眠中に大移動して、レオンハルトの腹の上にヘソ天で横たわっていたり、レオンハルトの太腿を抱き枕にしたりした結果、以降はなんの心配もされなくなった。
 明らかに、潰されているのはレオンハルトのほうだからだ。

「おかちい。おっきいときは、ちょんなに寝じょう悪くなかった、はじゅなのに」

 今ではユーチアも、レオンハルトと共に眠ることに恥じらってドキドキするのではなく、この寝相の悪さで彼に怪我を負わせるようなことだけはありませんように、という意味でドキドキハラハラするようになった。

「幼児って本当に、何をちでかちゅか、わからないでちゅね……」

 ウトウトしながら呟いた。
 ぼんやりとし始めた頭の中に、ユーチアを連れたレオンハルトが、マティスやモートン侯爵や、大勢の貴族たちに笑われる……という光景が浮かび上がる。「ちょんなのダメッ!」と叫んだつもりが、むにゃむにゃとした呟きになった。
 
「……大人に、もどれたら……」

 絵本があれば、もしかしたら、もっと自在に姿を変えられるようになるのだろうか。……それはそれで、恐ろしい気もするが。
 しかしこの姿のままでは、クリプシナ家を訪れることもできない。

「どうやって、取りもどちょう……」

 
✦ ✦ ✦


 ようやく仕事が片付いて、フランツも自室に戻ると、レオンハルトはランプを手に持ち、衝立で仕切られた寝室へと歩いた。
 船内は火気の使用を制限されているので寝室に明かりはないが、満天の星のおかげか、思いのほか明るい。
 
「今夜はどんな寝相やら」

 ユーチアはいつも大胆な寝相を披露してくれるので、思い出すだけで笑ってしまう。が、寝床に入ろうとしたところで、「んっ!?」と驚いて目を瞠った。
 ――ユーチアが、床で寝ている。

「ユーチア!?」

 とうとうベッドから落ちてしまったかと思い、あわてて駆け寄り膝をつくと。
 それはユーチアではなく、ユーチアの着ぐるみだった。
 白い着ぐるみ。
 確かに、湯浴みのあとこれを着ていたはず。
 そこまで考えて――次の瞬間、ある予感が走った。

「……!」

 ガバッと立ち上がったレオンハルトが、ベッドの上に目を凝らすと――

「ユーシア……!」

 予感的中。
 白い花の化身のような、彼がいる。
 すやすやと気持ち良さげな寝息をたてて、初めて彼を見た夜と同じように、裸の肩が見えていた。

 レオンハルトは着ぐるみを手に歩み寄ると、掛布を引き上げて細い肩を覆った。
 そうして、この世で一番綺麗な寝顔に見入る。

「ユーシア……」

 そっと頬を撫でると、ユーチアを思わせるなめらかな感触。

「……おかえり、ユーシア」

 レオンハルトは、ひどく緩んでいるであろう表情を自覚しつつ、ユーシアの白い額に口づけた。
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