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第5章 王都に戻る?

お見苦しいものを

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「ど、どうしよう。どうしよう。どうしよう」

 ユーシアは混乱のあまり、あわあわと無意味に室内をうろついたり、燭台を灯してみたり、てるてる人形とヒグマのぬいぐるみを交互に抱いて「どうしよう」と相談してみたりした。もちろん答えは返らない。

「どうして? どうして?」

 ひとりでブツブツ呟いてしまうのは、ユーチアのダダ洩れがうつってしまったのだろうか。
 視線を彷徨わせた先、扉のそばに、ちんまりと置かれたレモンタルト号が目にとまった。
 朝になったらまた乗るはずだった、たいせつな愛車。

「……こんなに小さかったんだ……」

 何時間か前まで、この小さな乗り物に乗っていたなんて信じられない。
 そっと撫でれば、優しい木の感触が早くも懐かしく、じわっと涙が浮かんだ。
 レオンハルトがあの大きな手で、面取りをして、やすりをかけて、ユーチアにどんな小さな棘も刺さらぬよう気遣ってくれた、世界にひとつの三輪車。

「レオンハルト、様……」

 ユーシアはもう、舌足らずではない。
 その名を呼ぶことになんの不自由もない。
 なのにその響きだけで、切なくて胸が詰まって、涙がぽろりとこぼれ出た。

 彼やゲルダたちから、自分が元の姿に戻っていたと聞かされてはいた。だが記憶にないものだから、そうなのかと戸惑うしかなかった。
 けれどこうして本当に、元の姿に戻った自分を見れば、彼らがどれほど驚愕し困惑したかを、しみじみ気づかされる。本人ですらこんなに混乱しているのだから。

 そして、みんなの優しさに、改めて胸がいっぱいになった。
 こんなダンゴムシのように伸びたり縮んだりする、わけのわからない人間を、たいせつに守ってくれているなんて。

「レオンハルト様……」

 思わず三輪車に抱きついた。
 涙が次々あふれてくる。

 ユーチアならきっと、大声で泣いている。
 でもユーシアになった途端、昔の、声を殺して泣く習慣が戻ってきた。
 悲しいわけじゃない。
 ただ元の姿を取り戻した今、レオンハルトがどれほど寛大に自分を受け入れてくれたかを実感しただけ。
 自分はユーシアだと主張して泣くことしかできない幼児を信じて、小さな机や椅子や、三輪車まで作ってくれた。

「レオンハルト様……」

 しゃくり上げる声を押し殺し、愛しい名を呼んで胸を押さえた。
 切ない。苦しいほどに。

「……あ」

 そうだった。本当に寝衣が窮屈なのだった。苦しいはずだ。
 急に感傷的になったのも、そのせいだろうか。

「失敗」

 ひとりでポッと頬を火照らせ、上質な寝衣を破いてしまわぬよう苦心しながら腕を抜く。そうして「よいしょ」と両手でまくり上げ、頭をくぐらせて、どうにか無事に脱ぐことができた。
 それから、これまた窮屈な下着も脱いで……

「すっぽんぽん」

 わざわざ口にせずともいいのに、自分の現状について声出し確認してしまったのも、ユーチアの影響だろうか。
 しかしまだまだ冷え込む春の夜。
 ぶるりと全身震わせて、裸でボーッとしている場合ではない、とにかく着替えを、と思い至ったのだが。

 そこでまた、「あ」と気づく。
 ユーシア用の服がない。
 前回ユーシアになったあと、ゲルダが「ユーシア様用のお着替えも用意しておかねばなりませんね」と張り切っていたが、これほどすぐ必要になるとは思わなかったのだろう。注文はしていたようだが、まだ出来上がってきていないはず。
 
 ユーシアはとりあえず、衣装箱の中から毛布を取り出し、くるまった。
 朝になったら、ゲルダかイグナーツが来てくれる。そしたら、元に戻ったと報告しよう。……報告するまでもなく一目瞭然とは思うが。

「レオンハルト様、どんな顔されるかな……」

 そういえば前回ユーシアになったとき、レオンハルトは自分のことをどう思ったのだろう。気味が悪いとは思われず済んだようだけれど、その後すぐ三輪車をもらうという特大イベントがあったために、聞きそびれていた。
 
「やっぱりダンゴムシみたいと、思われたかな……」

 夜闇と静けさは、思考をうしろ向きにさせる。
 こんな状況では眠れそうもない。
 早く夜明けが来てほしいけれど、弓張月はまだ中天。窓外の闇も色濃い。
 心細い。早く誰かに、元に戻ったと打ち明けたい。
 でも……でも……。

 言葉にならない不安ともどかしさに襲われて、三輪車の隣に「ううー」と呻いてうずくまり、ミノムシのように縮こまった。

 ――そのとき。
 コンコンと、かすかなノックの音。

 それは応答を待つためのノックではなく、一応の礼儀としてのノックだった。
 その証拠に、息を詰めて見つめるユーシアの目の前で、音をたてぬよう、そーっと扉がひらく。

 そこに、ぬっと現れた長身。
 手にしたランタンに照らされた端整かつ精悍な顔は、ユーシアが愛してやまない、今一番会いたかった、そして会うのが怖かった、その人だった。
 
 ランタンを肩の高さに持ち上げベッドを照らし、紗幕の中を確かめるように目を細めたレオンハルトを見上げながら、ユーシアは小さくその名を呼んだ。

「レオンハルト様」

 ピクッと肩を揺らした彼が、すごい勢いでユーシアに明かりを向ける。
 さすが反応が早い。
 眩しさに目をつぶりながらも、感心していると……
 しばし間を置いてから、レオンハルトが膝をつき、うずくまるユーシアを覗き込んできた。

「……ユーシア? またユーシアになったのか……?」

 その、そっと探るような、優しい声。
 驚いているはずなのに、自分の動揺よりユーシアへの気遣いを優先してくれる、陽だまりのようなあたたかさ。
 
「うっ、ううぅ」

 涙がぽろぽろこぼれる。
 ユーシアは、突き刺さるようにレオンハルトの胸へと飛び込んだ。

「うああぁん、レオンハルトさまあぁぁ」
「うおっ!?」

 声を殺して泣く習慣は、ユーチア流の号泣に上書きされてしまったようだ。

「ううっ、目が、さめたら、お、おっきくなって、て、何がなん、だかっ、こ、怖いぃ、ダンゴムシぃ」
「なにっ、ダンゴムシ!?」
「僕、僕、ダンゴムシになっ、どうし、たら、うわあぁぁん」

 この人さえいれば大丈夫という安心感が、混乱と困惑と、わけのわからぬ変身への恐怖を押し流してくれた。
 だからユーシアはわんわん泣いた。無闇に泣きたくなったのだ。
 すると、フッと、レオンハルトが笑った気配。

「この泣き方、ユーチアと一緒だな。……落ち着け、大丈夫だ」
「うぅ」

 優しく抱きとめてくれる長い腕。
 抱きついたまま見上げると、深い青の瞳と目が合った。
 幼児のときも、今も、いついかなるときも、うっとりしてしまう男前。
 ぼーっと見惚れていると、レオンハルトが急にハッとしたように目を逸らし、不自然に咳払いをした。
 そうして目を逸らしたまま、ユーシアがまとっていた毛布を引き上げ、肩を覆ってくれる。

 素肌に触れるその感触で、ユーシアもようやく気がついた。
 勢いよく抱きついたせいで毛布が落ちて、かろうじて腰から下は隠れているものの、あとは剥き出し状態であることに。

「ほ、ほああ!」

 奇声を発して躰を離し、「ごめんなさい!」と頭を下げる。

「お、お見苦しいものをお見せして……」
「見苦しくなどない」

 途端、かぶせるように否定される。
 外されていたレオンハルトの視線が、今はまっすぐ、ユーシアを見つめている。

「綺麗だ」
「え」
「綺麗だ」

 重ねてそう言ってから、レオンハルトは照れたような笑みを浮かべて、それでも視線は外さぬまま、もう一度「綺麗だ」と言った。
 ユーシアはたっぷり時間をかけて、胸の内で『綺麗だ』の意味を確認し……カーッと、耳まで熱くなった。
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