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第4章 緊急の知らせ

キリリと頑張るユーチア

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 ユーチアはコクンと唾を飲み込んだ。
 過酷な現場を幾度も目にしてきたであろうレオンハルトの忠告に、怯える気持ちがないと言えば嘘になるけれど。

「だいじょぶ、でちゅ。こう見えて中身は二十歳でちゅから」
「それはそうだろうが……」

 ユーチアはレオンハルトの腕の中で、できる限り躰をねじって彼を見上げた。

「お邪魔ちないように、ちゅみっこにいまちゅ。だからお願いちまちゅ。レオちゃまたちがどんな苦労をちゃれているのか、ちゅこちでも、ちりたいのでちゅ」
「……妻として?」

 精悍な顔立ちに、からかうような笑みが浮かぶのを見て、ユーチアの頬がポッポッと火照った。からかわれてるだけ。なのに、おなかの中がくすぐったくなるくらい嬉しい。
「えへへ」と笑って見上げると、レオンハルトの笑みも深くなった。
「しんどいと思ったら無理せず、すぐに別室に移動するんだぞ?」
「はい!」

 うららかな空の下、乱れぬ足取りで進む馬の揺れ。
 小鳥さえずる森の小径の、若葉色した梢のアーチを抜けると、白緑色の石壁が美しい立派な病院が見えてきた。


✦ ✦ ✦


「ぐがあああーっ! 薬! 薬をくれ、早く寄こせ! 死ぬー死んじまううぅぅぅ……いてえよお、いてぇ……ちくしょう、殺してやる! クソが、てめえらみんなぶっ殺す! ひゃははははははははははっ」

 ユーチアたちが到着すると、診察室は修羅場と化していた。
 寝台の上で暴れる大男の患者を、医師や騎士たちが五人がかりで押さえつけている。傷がひらいたのか、患者の腹と脚に巻かれた包帯に血が滲んでいるが、怪我人とは思えぬ怪力で抵抗しては、騎士を蹴りつけ、医師にこぶしを繰り出していた。

 しかも患者はその男ひとりではなく、五つ並んだ寝台すべてが、例の『痛み止め』を服用した患者で埋まっており、レオンハルトが「ひとり、とは」と呟くのをユーチアは聞いた。
 フランツが「すみません」と頭を掻く。

「ひとりと聞いていたのですが……いま看護師に確認したところ、痛みのひどい者同士で薬を分け合ってしまったようです」

 フランツの説明のあいだにも男が吠え、その向こうの患者は泣きわめき、ほかの患者は夢見るように微笑んでいるという混沌の図。
 さらにもれなく、お漏らしした大小便で寝台も本人たちも汚れていて、患者から大便を投げつけられた付き添いの騎士が、「クソが!」と叫んだ。
 それを聞いたフランツが、「やれやれ」と外套を脱ぎながらぼやく。

「あれはクソを投げた患者に向かって言ってるのでしょうかね? それともクソに向かって? クソに向かってクソが! と言っても、クソからすると『はい、そうですが何か?』という話ですよね」
「『クソが飛んできた!』という意味の場合は、誰に向かって言ったことになるんだ?」

 レオンハルトが質問に質問で返すと、フランツは「そんな難しいことを訊かないでください」と眉尻を下げた。

「では、まずは手伝ってきます」
「ああ」

 大暴れしている男のもとへ、空を横切る大便を避けながら向かうフランツを、レオンハルトが見送る。
 その間、ユーチアは仁王立ちしたまま固まっていた。
 大変なことになっているであろうと覚悟はしていた。
 しかし飛び交う大便を避けながら治療する現場は想像できなかった。

「大丈夫か? ユーチア」

 硬直しているユーチアを庇いながら立っているレオンハルトが、膝を折って訊いてくる。ユーチアは飛翔する大便からレオンハルトへ視線を移し、「だいじょぶでちゅ」としっかりうなずいた。

「でも……僕は本当に、ちぇけんちらじゅだと、改めて学びまちた」
「世間知らず? ……屋敷から出られなかったのだから、仕方ないと思うが……どうしたんだ? 突然」
「うんちはちょらを飛ぶ。初めて見まちた」
「いや、普通うんちは空を飛ばない。それは世間知らずとは関係ない」
「ちょうなのでちゅか?」
「……思ったより怖がっていないな? ユーチア」

 少し安心したようなレオンハルトの表情を見て、そういえばとユーチアも気づいた。
 思えば野盗に襲われ死にかけたという、これ以上ないほど過酷な現場を経験してきたのだから。世間知らずのわりに、度胸はついたのかもしれない。

 それよりも今ユーチアの胸の内に沸き起こっているのは、(自分にも何かできないだろうか)という切望だ。
 こんなちびっ子だから、手伝いどころか足手まといにしかならないことは、よくわかっているけれど……

『国や家族を守るため、命懸けで戦った者たちが、ひどい薬のために人間性と尊厳を奪われる』

 静かな口調の中に強い憤りが込められた、あのレオンハルトの言葉の意味が、今ならよくわかる。
 この場で泣いたり暴れたりしている患者たちは、悪質な薬に毒されさえしなければ、フランツや今日行動を共にした騎士たちのように、主君に忠誠を誓い民を守る立派な人たちだったはず。

 どんな経緯で粗悪な薬に手を出してしまったのか、ユーチアにはわからないけれど……。
 どれほど鍛えられた人間でも、耐え切れない痛みはあるのだろう。躰でも、心でも。

「レオちゃま。悪い痛み止めの出所を、ちゅきとめなければなりまちぇんね!」
「うん? あ、ああ、そうだな。その通りだ」
「手がかりはあるのでちゅか?」

 キリリと尋ねたユーチアに、ちょっと驚いた様子のレオンハルトだったが、すぐに真剣に答えてくれた。

「いや。下っ端の売人は何度も捕らえているが、そいつらは使い捨ての駒でしかないから、元締めの情報など持っていないんだ。……まあ、よくあることだが」
「僕、幼児でちゅけど、レオちゃまのお役に立ちたいでちゅ。僕にできることがあったら、なんでも言ってくだちゃい! このヨメに!」
「お、おお……頼りになるな」

 目を丸くしてから破顔した、その顔がまた格好いい。
 おまけに頭を撫でてもらったものだから、キリリとした表情を保てなくなった。
 いつもの通り、ほにゃりと緩んだ顔でイケメンに見惚れていたら、「レオンハルト様!」と、新たにやって来た医師や騎士たちが駆け寄ってきた。
 彼らは「ご足労をおかけして……」と挨拶もそこそこに、「今回の薬なのですが」と何やら報告しかけたところで、ようやく視界に入ったらしきユーチアを二度見した。

 彼らは戸惑った様子で、「おや、これは……」と、レオンハルトとユーチアを交互に見る。それから医師のひとりが代表して口をひらいた。

「失礼いたしました。レオンハルト様のお連れ様ですね?」
「ああ、そうだ。彼は――」
「レオちゃまのヨメでちゅ!」

 高らかに宣言したのち、降りた沈黙。
 言葉を失った面々を見てユーチアは、またまたやらかしたことに気がついた。
 普通に名乗るつもりだったのに、心のウキウキがダダ洩れて、堂々ヨメ宣言してしまった。幼児が。なんの事情も知らない人たちに。
 レオンハルトの妻として役に立ちたいという、気負いと気合が先走ってしまった。

「ち、ちっぱい……!」

 あわあわするユーチアからレオンハルトへと視線を移した医師たちが、「え、えーと?」と説明を求める目を向けると。
 レオンハルトは愉快そうに、にやりと笑った。

「ああ、俺のヨメさんだ。こう見えて二十歳だ。話を続けてくれ」
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