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第1章 ちびヨメ爆誕
さっぱりわからん
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「……なんてこった」
襲撃現場に駆け付けたフランツは、思わず土砂降りの空を仰いだ。
四方八方に逃げて行った賊を部下たちが追っているが、この雨と森では視界が悪すぎる。騎馬の機動力も活かせない。二、三人でも捕らえられれば御の字だろう。
「手ぶらではレオンハルト様に報告できんよなあ……」
目の前に広がるのは、手酷く斬りつけられた遺体。損傷が激しいが、おそらく三体。様相から二人は騎士、ひとりは下僕と推察される。
そして容赦なく破壊された馬車。斧で扉を打ち破られている。そんなことをしなくとも、この堅牢とは言い難い馬車なら力尽くで開けられただろうに……恐怖を煽るためにわざとこんな真似をしたのだ。中にいた者はどれほど恐ろしい思いをしたことか。
が、肝心のその、中にいたはずの者が見つからない。
馬車のそばに人が引きずられた痕跡と大量の血だまりがあるから、襲われたことは間違いない。そしてこの出血量では、生存の可能性も低い。
しかし遺体はない。
泥の中を辿っても、それらしき足跡はもちろん、這いずった跡もない。
大雨とはいえ、瀕死の人間の移動を追えないはずがないのだが。
「ユーシア様! ユーシア・クリプシナ様ー! 私はレオンハルト・イシュトファン様の使いの者です、ご無事であればどうか合図をください!」
答えは返らないだろうと思いつつ呼びかける。
フランツたちが到着したのは、まさに蹂躙直後だった。野盗たちもまだ残っていた。だからクリプシナ伯爵家令息ユーシアがすでに殺されていたとしても、遺体を隠す時間はなかったはず。そもそも野盗は遺体など打ち捨てるであろう。
「まいったな」
濡れて貼りつく髪が鬱陶しくて乱暴に掻き上げ、フランツは大きなため息を吐いた。
騎士フランツ・アーベライン。彼はレオンハルト・イシュトファン辺境伯の部下で、右腕的存在である。
そのフランツに先日レオンハルトから、「令息を迎えに行ってこい」と命令が下った。
あくどい手口で私腹を肥やしているという噂の絶えないクリプシナ伯爵を、レオンハルトは毛嫌いしている。ゆえに王の指図に渋々従ったこの縁談にうんざりしていることもよく知っていたので、連絡を受けた当時、ちょうどフランツがクリプシナ家寄りの道程にいたとはいえ、ちょっと驚いた。
だが両家とも最低限の事務的な連絡以外交わさぬまま、クリプシナ家の意向でやたら急な来訪が決まったためレオンハルトの警戒はいっそう強まっていたから、早めに自分と令息が接触することで、怪しい点や害意はないか探っておけと、そういう意味に解釈し行動に移したのだが……
「もう少し早く見つけていれば」
旅慣れない令息のことだから、安全優先で大きな街道を選ぶだろうと思っていたのに……近道とはいえ、山際の旧街道へ向かったようだと先行して令息を探していた部下から聞かされたときは驚いた。
野犬や狼が多い上に、盗賊が潜伏しやすいという理由で使われなくなった街道だと、従者は知らなかったのだろうか。
嫌な予感がして急行すれば、案の定だ。
いくら主と敵対する家門の令息でも、ことさら惨たらしく扱われた下僕たちの遺体を見れば、婚姻のため出てきた若者もこんなかたちで未来を絶たれたのかと、憐憫の情が湧きもする。
まして調査によれば、『引きこもり』で有名な令息らしい。そのまま家に籠っていれば、こんな目に遭わずに済んだものを。
「せめて遺体を見つけてやらんと」
未だ賊を追っている部下たちの声が雨の向こうから聞こえてくるが、捕縛は彼らに任せて、フランツは改めてユーシアを捜すべく歩を進めた。
――と、そのとき視界で何かが動いた。
ビチャッと泥を跳ね上げ立ち止まる。
ほんのわずかな油断が命取りという戦場を幾度もくぐり抜けてきたフランツには、平時であっても違和感を見過ごさない習性がついていた。
(殺気も敵の気配も感じなかったが)
剣の束頭をするりと撫でながら素早くそちらへ躰を向けると、ガサガサと低木の茂みが動いている。賊が身を隠せる大きさではない。
(ウサギか?)
そう思って少しだけ警戒を緩めつつ、茂みの奥を覗くと。
「んああっ!?」
敵よりずっとフランツを驚かせるものが、そこにいた。
✦ ✦ ✦
ユーシアが生家を出た日から三十日ほど経ったその日。
領地バイルシュミットの湖上に佇むアイレンベルク城の執務室で、レオンハルト・イシュトファンは、先日フランツから送られてきた手紙を読み返して呟いた。
「さっぱりわからん」
窓の外からは壁を補修している部下たちの騒がしい声がする。
アイレンベルク城は、この地域特産の白露石がふんだんに使われた美しい白亜の城である。少なくとも遠目には。
しかし武人が多いためか、しょっちゅう喧嘩だの力比べだの壁登りだので城の内外を破壊され、そのたび本人たちに責任を持って直させるということが日々繰り返されているので、常にどこかが工事中という城でもある。
喧騒に慣れているレオンハルトは、誰かの「誰だコラァ! 補修用の白露石に呪詛の魔物を描き込んだ奴ぁ!」という怒鳴り声に対し、別の者たちが「レオンハルト様だ」「黒滑石を見つけて『馬』と言いながら描いてたぞ」と答えると、最初の者が「そうか! 馬だな確かに! そう思えば怖かねえ!」と納得した様子の会話を聞き流し、繰り返し文面を目で辿った。
『現在、ヒルデ河を船で移動中です。災難に遭われた……ご令息? の心身の回復を最優先にした経路を取っておりますので、予定より日数がかかりそうです。ですが月の末にはバイルシュミットに到着できると思います。
ユーシア様? はご無事というか、とても無事とは言えないというか、そもそもえーと……。とにかく見ていただくほうが早いので、しばしお待ちください。フランツ・アーベライン』
……何かの暗号かと思い何度も読み返した手紙は、試しに炙ったり凍らせたりしてみたためにボロボロになっている。
レオンハルトは眉根を寄せて、これまた何度も繰り返したのと同じ言葉を呟いた。
「さっぱりわからん」
フランツは、ふざけた言動も多いが根は真面目で聡明な男だ。
よってこれまで、こんな『?』ばかりで要領を得ない報告など寄越したことはない。
ただ、ユーシア一行が野盗に襲われたことと、今日は月の末日なので、そろそろ帰ってくるのだなということはわかった。
「それ以外はわからん」
もう一度呟き、春霞の空を眺めながら手紙を卓に戻して、さて仕事を再開するかと思ったところへ、フランツたちが帰城したという知らせが入った。
襲撃現場に駆け付けたフランツは、思わず土砂降りの空を仰いだ。
四方八方に逃げて行った賊を部下たちが追っているが、この雨と森では視界が悪すぎる。騎馬の機動力も活かせない。二、三人でも捕らえられれば御の字だろう。
「手ぶらではレオンハルト様に報告できんよなあ……」
目の前に広がるのは、手酷く斬りつけられた遺体。損傷が激しいが、おそらく三体。様相から二人は騎士、ひとりは下僕と推察される。
そして容赦なく破壊された馬車。斧で扉を打ち破られている。そんなことをしなくとも、この堅牢とは言い難い馬車なら力尽くで開けられただろうに……恐怖を煽るためにわざとこんな真似をしたのだ。中にいた者はどれほど恐ろしい思いをしたことか。
が、肝心のその、中にいたはずの者が見つからない。
馬車のそばに人が引きずられた痕跡と大量の血だまりがあるから、襲われたことは間違いない。そしてこの出血量では、生存の可能性も低い。
しかし遺体はない。
泥の中を辿っても、それらしき足跡はもちろん、這いずった跡もない。
大雨とはいえ、瀕死の人間の移動を追えないはずがないのだが。
「ユーシア様! ユーシア・クリプシナ様ー! 私はレオンハルト・イシュトファン様の使いの者です、ご無事であればどうか合図をください!」
答えは返らないだろうと思いつつ呼びかける。
フランツたちが到着したのは、まさに蹂躙直後だった。野盗たちもまだ残っていた。だからクリプシナ伯爵家令息ユーシアがすでに殺されていたとしても、遺体を隠す時間はなかったはず。そもそも野盗は遺体など打ち捨てるであろう。
「まいったな」
濡れて貼りつく髪が鬱陶しくて乱暴に掻き上げ、フランツは大きなため息を吐いた。
騎士フランツ・アーベライン。彼はレオンハルト・イシュトファン辺境伯の部下で、右腕的存在である。
そのフランツに先日レオンハルトから、「令息を迎えに行ってこい」と命令が下った。
あくどい手口で私腹を肥やしているという噂の絶えないクリプシナ伯爵を、レオンハルトは毛嫌いしている。ゆえに王の指図に渋々従ったこの縁談にうんざりしていることもよく知っていたので、連絡を受けた当時、ちょうどフランツがクリプシナ家寄りの道程にいたとはいえ、ちょっと驚いた。
だが両家とも最低限の事務的な連絡以外交わさぬまま、クリプシナ家の意向でやたら急な来訪が決まったためレオンハルトの警戒はいっそう強まっていたから、早めに自分と令息が接触することで、怪しい点や害意はないか探っておけと、そういう意味に解釈し行動に移したのだが……
「もう少し早く見つけていれば」
旅慣れない令息のことだから、安全優先で大きな街道を選ぶだろうと思っていたのに……近道とはいえ、山際の旧街道へ向かったようだと先行して令息を探していた部下から聞かされたときは驚いた。
野犬や狼が多い上に、盗賊が潜伏しやすいという理由で使われなくなった街道だと、従者は知らなかったのだろうか。
嫌な予感がして急行すれば、案の定だ。
いくら主と敵対する家門の令息でも、ことさら惨たらしく扱われた下僕たちの遺体を見れば、婚姻のため出てきた若者もこんなかたちで未来を絶たれたのかと、憐憫の情が湧きもする。
まして調査によれば、『引きこもり』で有名な令息らしい。そのまま家に籠っていれば、こんな目に遭わずに済んだものを。
「せめて遺体を見つけてやらんと」
未だ賊を追っている部下たちの声が雨の向こうから聞こえてくるが、捕縛は彼らに任せて、フランツは改めてユーシアを捜すべく歩を進めた。
――と、そのとき視界で何かが動いた。
ビチャッと泥を跳ね上げ立ち止まる。
ほんのわずかな油断が命取りという戦場を幾度もくぐり抜けてきたフランツには、平時であっても違和感を見過ごさない習性がついていた。
(殺気も敵の気配も感じなかったが)
剣の束頭をするりと撫でながら素早くそちらへ躰を向けると、ガサガサと低木の茂みが動いている。賊が身を隠せる大きさではない。
(ウサギか?)
そう思って少しだけ警戒を緩めつつ、茂みの奥を覗くと。
「んああっ!?」
敵よりずっとフランツを驚かせるものが、そこにいた。
✦ ✦ ✦
ユーシアが生家を出た日から三十日ほど経ったその日。
領地バイルシュミットの湖上に佇むアイレンベルク城の執務室で、レオンハルト・イシュトファンは、先日フランツから送られてきた手紙を読み返して呟いた。
「さっぱりわからん」
窓の外からは壁を補修している部下たちの騒がしい声がする。
アイレンベルク城は、この地域特産の白露石がふんだんに使われた美しい白亜の城である。少なくとも遠目には。
しかし武人が多いためか、しょっちゅう喧嘩だの力比べだの壁登りだので城の内外を破壊され、そのたび本人たちに責任を持って直させるということが日々繰り返されているので、常にどこかが工事中という城でもある。
喧騒に慣れているレオンハルトは、誰かの「誰だコラァ! 補修用の白露石に呪詛の魔物を描き込んだ奴ぁ!」という怒鳴り声に対し、別の者たちが「レオンハルト様だ」「黒滑石を見つけて『馬』と言いながら描いてたぞ」と答えると、最初の者が「そうか! 馬だな確かに! そう思えば怖かねえ!」と納得した様子の会話を聞き流し、繰り返し文面を目で辿った。
『現在、ヒルデ河を船で移動中です。災難に遭われた……ご令息? の心身の回復を最優先にした経路を取っておりますので、予定より日数がかかりそうです。ですが月の末にはバイルシュミットに到着できると思います。
ユーシア様? はご無事というか、とても無事とは言えないというか、そもそもえーと……。とにかく見ていただくほうが早いので、しばしお待ちください。フランツ・アーベライン』
……何かの暗号かと思い何度も読み返した手紙は、試しに炙ったり凍らせたりしてみたためにボロボロになっている。
レオンハルトは眉根を寄せて、これまた何度も繰り返したのと同じ言葉を呟いた。
「さっぱりわからん」
フランツは、ふざけた言動も多いが根は真面目で聡明な男だ。
よってこれまで、こんな『?』ばかりで要領を得ない報告など寄越したことはない。
ただ、ユーシア一行が野盗に襲われたことと、今日は月の末日なので、そろそろ帰ってくるのだなということはわかった。
「それ以外はわからん」
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