古狼と獣憑き

ヒノ

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第一章『旅立ちの朝』

傷深く

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 一団が三方向に分かれて行く。
 クローヴィアは彼らの具体的な会話内容までは聞き取れていない。だから何故彼らが三方向に分かれたかもわからなかった。わかっているのは、彼らが何らかの獣を討伐するためここに来たこと、そして会話の中に出てきた地下洞窟という単語だ。

(もし地下洞窟に向かっているのなら、そこにはイーシャがいる……)

 獣のイーシャと獣を倒す聖伐部隊、遭遇すれば戦闘になる可能性は充分にある。
 彼らがどれほどの実力者かはわからない。そしてイーシャも、強いのは確かだが人間の部隊と比べてどの程度かはクローヴィアにはわからなかった。だから戦ってどちらが勝つかは定かではない。ただ、そのときどちらかが傷を負うのは間違いないのだ。

(止めなきゃ……)

 胸の鼓動が驚くほど早かった。先ほどまでは巨木のように重かった身体が、今は急き立てられるようにざわついている。追って戦いになるのを止めるべきだ、身も心もそう訴えていた。
 ならば問題はどの方向へ向かった者達を追うかだ。一番イーシャと接触する可能性の高いのはどれか。シンプルに考えるなら、イーシャが向かった方向へ向かう者達だろう。

 クローヴィアは女が一人、男が二人の三人組を追った。イーシャの向かった方向に一番近いのは彼女らだ。 
 先ほどと同様、極力足音を殺して追った。ばれないよう尾行する形を取ったのは、まだどうやって戦闘を回避させるか考えがまとまっていないからだ。というのも三人のうちの一人、黒髪の女が気にかかっていた。

 彼女は手に、紫の宝玉が嵌まった杖を持っていた。魔導士の装備だ。
 あの一団にいた魔導士、つまり逃げる狼の背中に容赦なく魔法を飛ばしていたのは彼女である可能性が高い。一団の中でも特に獣に対し強い敵意を持っていることが窺えた。
 そんな相手に対し、この先に獣がいると教えればどうなるか。クローヴィアの思惑通りにことを運べるとは思えない。だから、もっと婉曲的に戦闘を回避させなければならないだろう。

(あの人たちよりも先にイーシャに接触できれば、イーシャを説得すればなんとかなるはず)

 イーシャは無用な戦いを好む性格ではないはずだ。だから彼女に迫り来る敵を教えれば戦闘を回避できる可能性が高い。

 木の裏に隠れ、三人の様子を窺う。
 黒髪の女と白い外套の男が二人、その行く先にイーシャのいる地下洞窟の入口があったとして、どうやって先回りするか。それが問題だ。

 見失わない距離を保ちながら後を追い、イーシャと接触する方法を思案する。がしかし、クローヴィアの計算は甘かった。

「ヘタクソね」
「えっ……うわっ」
 
 見上げればあの女が目の前で宙に浮かんでいる。飛行の魔法か。いつから飛んだのか、思考に気を取られているうちに完全に見逃していた。
 女は紫の下地が覗くコートの上に光沢の艶やかな軽鎧を纏っており、全体が髪色も含め黒で統一されている。紺のロンググローブに包まれた指にはリングが嵌められており、手に持った杖と合わせていかにも魔導士といった出で立ちだった。

「尾行なんて何者かと思ったけど、子供?」

 女は訝し気にクローヴィアを観察している。クローヴィアも、一度頭が真っ白になったが、それでも何とか落ち着いて彼女を観察した。

(名前は確かリンネって呼ばれてたはず……――っ!)

 クローヴィアはリンネの白い顔に目を向け、驚愕した。彼女の左目の周りには紋様が施されている。聖伐同盟に所属する聖伐部隊である証だ。そこまでは予想通り、何ら意外なものはない。
 しかし問題はその色だ。紋様の色は橙、それは彼女が七段階ある階級のうち上から二つ目の実力を持つこと、いや、最上位ランクに登録される部隊がいない今、実質的な最上位の実力を持つことを意味している。

 よもやここまでとは思っていなかった。仮に彼女ら聖伐部隊とイーシャが遭遇したとして、イーシャの実力を警戒した彼女らが撤退する可能性も考えてはいたのだ。むしろ並の聖伐部隊ならそうなる確率が高いとすら思っていた。
 が、最上位クラスなら話が変わる。

 クローヴィアの鼓動は早さを増していた。
 なぜだろうか。橙級聖伐部隊、それは人類にとって強大な獣の脅威すらも取り除く頼もしい存在のはずだ。なのに、それが今はこんなにも恐ろしい。

 どうする――。クローヴィアは言葉を探した。自分をどう説明し、その先で何と言うのが正解だ。わからない。何も見つからなかった。
 そして先に動いたのは、クローヴィアではなくリンネだった。

 リンネは急にくるりと後退し地に降りた。その後ろから白い外套の男たちが走り寄ってきている。

「いかがされましたか。この子供は?」

 彼らからすれば当然の疑問だ。が、リンネはそれを無視した。

「確認だけど」

 先ほどまでよりも鋭い、冷え切った声がクローヴィアに問いかける。彼女の視線に滲む嫌悪の色を、向けられたクローヴィアだけでなく、隣にいた男たちまでもが感じ取っていた。

「あなた、獣の神に魅入られてるんじゃないでしょうね」
「っ………………」

 想像通りの問いに対し、クローヴィアは返事に窮した。否、というより喉が絞まったように苦しく、声を出すこともできなかったのだ。
 
 わかっていた。もし彼女らと接触すれば、事情を説明するうえでそこに触れざるを得ないことは理解していた。覚悟も、少なくともしていたつもりではあったのだ。

 しかし現実は酷薄だ。
 あの朝の神官の姿が目の前の女と重なる。拒絶を露わにした相形が容易くクローヴィアの心を砕く。もはやその目を向けられるだけで一切の思考が働かない。突き飛ばされたまま立ち上がることができないのだ。

「答えなさい……いえ、答えられない時点で答えは出ているようなもの、チッ、厄介な」

 リンネは忌々し気に舌打ちを漏らすと、両脇の男たちに問いかける。

「そいつは獣の神に穢されているようですが、扱いはどうしますか。私としては見なかったことにするのが最善だと思いますが、あなたたちの意見は?」

 見殺しにすべき、それがリンネの提案だった。冷酷な意見を堂々と言い切る態度には男たちも狼狽えたが、幸か不幸か、クローヴィアには彼女の言葉を即座に理解する余裕はなかった。

「い、いくら魅入られた者とはいえ、見殺しにするのはいかがなものかと」
「私も同意見です。神々は魅入られた者への救済も説かれています。保護するべきかと」
「はあ、わかりました。ではそいつはあなたたちが面倒を見なさい。私の視界には入れないで、仕事の邪魔もさせないように」 

 反対されることはわかっていたのか、リンネはため息ひとつでそれ以上は言い合わず、一方的にクローヴィアを白い外套の男たちに押し付けた。

「子供をゴグラの巣まで連れていくのですか!?」
「そうするしかないでしょう。私の到着が遅れれば作戦の進行に支障をきたします。そして私が洞窟まで行くにはガイド、あなたたちが必要、であれば必然的にそいつも連れて行かざるを得ません。まあガイドは一人いれば十分ですので、あなたたちのどちらか一人がそいつを連れて森を抜けるというのなら問題ありませんが」

 リンネの言葉に男たちは何か言いかけたが、しかし飲み込み彼女に従った。彼らには単独で獣の群れと戦えるほどの戦闘力はないのだろう。

「では連れていくということで……お前」

 突き放すように呼ぶ声にクローヴィアは肩をびくつかせた。

「大人しく従えばこの森にいる間の命の保証はしましょう。ただし、邪魔をすれば獣の餌になろうと助けはしません。そのつもりでいるように」

 クローヴィアは唇が固く結ばれたまま首肯した。まだ、声は出せなかった。

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