古狼と獣憑き

ヒノ

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第一章『旅立ちの朝』

匂い

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 ハガの森中央部、イーシャの縄張りから少し外れた位置で二人は遅めの昼食を準備していた。といってもイーシャが起こした炎でイーシャが見つけてきたキノコを炙り、焼き上がりを待っているに過ぎない。
 クローヴィアと人間の姿を取ったイーシャは焚火を囲う形で少し離れ、石の上に座っている。話題はイーシャが不在の間の一連の出来事だ。

「そうか。目の前で殺されたか……」

 二人はパチパチと音を立て燃える炎を見つめる。クローヴィアの表情は暗かった。

「そいつは子供の狼だろうな。私とは違う種だが、十頭ぐらいの群れで行動しているのはたまに見かける。大きさからして、そうだな……生後三十から五十日といったところか。まだ自力で狩りもできないし、当然群れから離れるということもありえない」

 イーシャはキノコを刺した枝を一本取り、火の通りを確認する。見つけてきたのは黄色い傘が三十センチにもなる種類で、さすがに大きいので一部切り落として分けている。イーシャ曰く、毒性はないらしい。

「じゃあ……親に、捨てられたの?」
「そんな獣は…………あー、そうだな。それは考えにくい。あり得るとすれば群れとはぐれたか……」

 大きなキノコに火が通るにはまだ時間が掛かるらしく、イーシャは手に取った枝をもう一度置き直した。

「群れ自体が壊滅、あるいは散り散りになった、といったところだろう。正直こちらの方が可能性は高そうだな」
「……そうなんだ」
「ああ。おそらくさっきの大猿がその犯人、仕留め損ねた獲物を匂いを頼りに辿った結果、お前と遭遇することになった……そんなところじゃないか」

 クローヴィアは曲げた両脚に顎をうずめる。膝の前で組んだ腕に力が入った。

 イーシャは片足を曲げ、同じ方の手で白髪をいじっている。いつも通りの座り方だが、内心は意外なほどに傷心した様子のクローヴィアを持て余していた。
 森において命の奪い合いは日常だ。身内が死ねば当然悲しむが、他の種族にまで情を移す獣はそういない。しかも獣を嫌っていたはずのクローヴィアがそうなっているのだから、さてどう言葉をかけたか困ったものである。

(しかし……それとは別に、どうしたものか)

 イーシャがクローヴィアを持て余す理由はもうひとつある。クローヴィアの纏う獣の匂いが濃くなったことだ。
 匂いといっても物理的な香りではなく気配のような曖昧なものだ。イーシャが初めてクローヴィアを見た時、彼が獣の神に祝福されているとわかったのも匂いを感じたのが理由だった。
 そして今、それは僅かだが濃くなっている。イーシャ不在の間にクローヴィアの身に何か変化が起きたことは間違いない。

(クローヴィアは気づいているだろうか。あの猿の拳を一度とはいえ躱した、それが本来のお前にできた動きだとは思えないのだが……)

 大猿に襲われるクローヴィアを見たとき、イーシャは間に合わないと思った。拳の一発をもらい、最悪そのまま即死する、そんな未来も見えていた。
 しかし結果は違った。ギリギリではあったが、クローヴィアは大猿の攻撃を躱したのだ。

 無力、それがクローヴィアに対するイーシャの評価だった。人の社会ではどうか知らないが、少なくとも森で生き抜く力は一切持っていない、そう思っていた。今でもそれが間違っているとは思わないが、あの動きだけはその評価に反するものだ。

(獣の匂いが濃くなったことと、クローヴィアの受けた獣の神の祝福の効果が関係している? しかし、私も人間のことはよくわからんからな。これがクローヴィアに特有の現象なのかすらはっきりとはしない)

 推測はできる、しかしそれだけだ。確信に至るには根拠が足りない。

 保留、それがイーシャの選択だった。
 断定はできない。そしてクローヴィアに推測を語るのも、あまり賢明ではないように思える。クローヴィアは獣を嫌っている。そんな相手に獣の匂いが濃くなった、などど言えばどう思うかは明らかだ。いたずらに不安を煽って不快にさせるぐらいなら、知らないままの方がお互いのためだろう。

 イーシャは一旦、このことは忘れることにした。

「ご飯のあとはどうするの?」

 顔を上げたクローヴィアが問う。まだ表情は明るくはない。

「夜まで待機する」
「待機?」
「ああ。奴らの巣を見つけたんだ」

 イーシャは自慢げに語った。

「元々何か所か目星は付けていたが、そのうちのひとつ、地下洞窟から奴らが出てくるのを確認した。奴らは夜には巣に戻る。そこを叩くつもりだ」
「それって大丈夫なの? たくさんいるかもしれないんでしょ?」

 クローヴィアの表情に心配の色が加わる。

「複数はいるだろうがたくさんではないな。元が十数匹程度、何匹か減らした今は十もいないんじゃないか。連携して狩りをするタイプでもなさそうだから、下手を打たなければ大丈夫さ」 
「そう……かな」

 イーシャは努めて明るく返したが、それでもクローヴィアの顔は晴れない。
 イーシャが大猿を圧倒する様は目の前で見た。それでもクローヴィアが不安を覚えるのは、あの子供の狼の死を目の当たりにした影響が大きい。

「なに……いざとなったら、洞窟中火の海にしてでも相打ちにはするさ」

 そう言ってキノコを刺した枝を手に取る。冗談めかしたが、内心半分は本気だった。

「駄目だよ」

 イーシャの手が止まる。
 クローヴィアは小さく、しかしはっきりと言葉にした。

「死んだら、駄目だよ」

 イーシャは目を点にしたまま停止していたが、やがて薄く笑みをこぼした。

「そうだな。まだ死んでは駄目だ」

 手に取った枝を指で回す。キノコはしっかりと焼き目が付き、香ばしい匂いを漂わせていた。

「食べようか。お互い、生き残るために」
「うん」

 クローヴィアも枝を手に取り、少し甘味のある傘にかじりついた。
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