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美咲が死んだ。
最初は悪い夢かと思った。それなら早く覚めてくれと、何度も何度も心の中で祈った。
……けれど、俺の見ている世界は夢でも何でもない変えようのない現実で、この残酷な事実を受け入れるしか前へ進む道は残っていなかった。
***
美咲が死んで1週間が経過した頃、遺品の整理も兼ねて美咲の部屋を訪れた。
部屋の中は美咲が生きていた頃と何ら変わりはなく、美咲が死んでからここだけ時が止まったままであることが窺い知れた。まるで、すぐ近くに美咲がいて、こちらをジッと見ているような気配すらも感じ取ることができた。
壁に、床に、積まれた本に染み付いている美咲の匂いが、共に過ごした14年間の記憶を呼び起こす。その度に、鼻の奥がツンと痛んで視界が歪む。
あと何度だって、「お兄ちゃん」と呼んでもらいたかった。
春に咲く花のような眩しい笑顔を、もっと沢山見ていたかった。
けれど、それももう叶うことは決してない。
例え天地がひっくり返ろうとも、空から槍が降ろうとも、美咲が戻ってくることはもう決してない。それが現実。
認めざるを得ない非情な現実を目の当たりにして、堪え切れない悲しみとどこにもぶつけることのできない怒りがふつふつと湧き上がる。
「……何でだよ……美咲……」
いくつもの感情が暴走する中、宙を彷徨う俺の目はあるものを捉えた。それは、美咲が愛用していたノートパソコン。美咲の机の上にひっそりと、けれど確かな存在感を放って置かれている。
そういえば、美咲の自殺に関して重要なものが未だに見つかっていなかった。
遺書だ。
美咲が死んだあとすぐに、母さんと2人で一度この部屋を訪れ、美咲の書いた遺書がないか手分けして捜索した。
クローゼットや机の引き出し、美咲が好きだった小説の間など隈なく探してはみたものの、それらしいものが見つかることはなかった。ひょっとしたら、俺たちが思い当たらない場所や、俺たち家族以外の誰かに遺書を託したのかもしれない。そもそも、美咲は遺書なんて残していないんじゃないか。
そんなことも考えて、その日は遺書探しを諦めることにした。
けれど、よくよく考えてみれば、これから死のうとしているやつが誰にも何も残さないなんてことは考えにくい。自殺する奴の気持ちなんて正直想像もできないが、それでも生きている誰かに自分がこれから死ぬ理由を伝えたいと、そう思うのが普通なんじゃないか。
そして、それは決して形として残るものとは限らない。
俺はずっと『遺書=紙に書かれたもの』と考えていたが、ようは自分の最期の想いを誰かにメッセージとして伝えられればいいんだ。
と、なると、メールで遺書を残したということも十分に考えられる。
俺は喉を鳴らして恐る恐る美咲のノートパソコンを開くと、震える指先で電源ボタンを軽く押す。すると、しばらくしてモニターに光が宿り、美咲が好きだった画家の作品を背景にパスワード入力の画面が表示された。
試しに美咲の誕生日を入力してみると、案外あっさりとロックは解除された。
ホーム画面にはいくつかのアイコンが表示されていて、俺はその中から一番可能性が高そうなメールボックスをクリックする。すると、画面にはメールの受信履歴がずらりと表示され出した。
それを1つ1つ目で追っていくと、それらが全て同じ相手から送信されたものであることに気がついた。送り主の名前は『白月蒼子』。かつて、俺や美咲と同じ学校に通っていた女子生徒の名前だった。
思い返してみれば、このノートパソコンはあいつが転校する少し前に「蒼子ちゃんとメールがしたいから」と美咲が珍しく母さんにわがままを言って購入してもらったものだった。
「……転校した後も、あいつとは仲が良かったんだな」
不意に口から零れたその一言で、ほんの少しだけ心が軽くなった気がした。
俺は画面に表示される受信履歴をスクロールして眺めた後で、今度は美咲の送信履歴を確認することにした。こちらの方も全て同じアドレスにメールが送信されてあり、ひょっとしてと思い開いた美咲の最後の送信メールには、なんの変哲も無い白月蒼子との会話文が書かれてあるだけだった。
……やっぱり、俺の思い違いだったのかもしれない。
美咲は誰にも何も残さず、たった1人で孤独に死んでいった。それが事実なのかもしれない。
と、そんなことを考えていた時、画面左側のサイドバーに『下書き : 1』という文字を見つけた。
もしかすると……。
俺はそう考えて、今のところ最後の可能性である『下書き』の欄を静かにクリックする。
そうして、その画面がモニターに表示されたところで、俺は思わず目を見開いた。
「ッ……! これって……」
それは、美咲が死ぬ前に誰かに当てて残した “遺書” で間違いはなかった。
それが保存されたのは8月3日。美咲が亡くなる2日前に書かれたものだった。
宛先には美咲本人の名前が記載されていて、自分宛に送ろうとしたメールであることが分かった。件名の部分は空欄で、わざわざ『これは遺書ですので、見つけ次第読んでください』なんてことは書かれていなかったが、その下の本文を読んで、これは紛れも無く遺書であると、俺は確信した。
美咲が最後に残したその遺書には、こう記してあった。
最初は悪い夢かと思った。それなら早く覚めてくれと、何度も何度も心の中で祈った。
……けれど、俺の見ている世界は夢でも何でもない変えようのない現実で、この残酷な事実を受け入れるしか前へ進む道は残っていなかった。
***
美咲が死んで1週間が経過した頃、遺品の整理も兼ねて美咲の部屋を訪れた。
部屋の中は美咲が生きていた頃と何ら変わりはなく、美咲が死んでからここだけ時が止まったままであることが窺い知れた。まるで、すぐ近くに美咲がいて、こちらをジッと見ているような気配すらも感じ取ることができた。
壁に、床に、積まれた本に染み付いている美咲の匂いが、共に過ごした14年間の記憶を呼び起こす。その度に、鼻の奥がツンと痛んで視界が歪む。
あと何度だって、「お兄ちゃん」と呼んでもらいたかった。
春に咲く花のような眩しい笑顔を、もっと沢山見ていたかった。
けれど、それももう叶うことは決してない。
例え天地がひっくり返ろうとも、空から槍が降ろうとも、美咲が戻ってくることはもう決してない。それが現実。
認めざるを得ない非情な現実を目の当たりにして、堪え切れない悲しみとどこにもぶつけることのできない怒りがふつふつと湧き上がる。
「……何でだよ……美咲……」
いくつもの感情が暴走する中、宙を彷徨う俺の目はあるものを捉えた。それは、美咲が愛用していたノートパソコン。美咲の机の上にひっそりと、けれど確かな存在感を放って置かれている。
そういえば、美咲の自殺に関して重要なものが未だに見つかっていなかった。
遺書だ。
美咲が死んだあとすぐに、母さんと2人で一度この部屋を訪れ、美咲の書いた遺書がないか手分けして捜索した。
クローゼットや机の引き出し、美咲が好きだった小説の間など隈なく探してはみたものの、それらしいものが見つかることはなかった。ひょっとしたら、俺たちが思い当たらない場所や、俺たち家族以外の誰かに遺書を託したのかもしれない。そもそも、美咲は遺書なんて残していないんじゃないか。
そんなことも考えて、その日は遺書探しを諦めることにした。
けれど、よくよく考えてみれば、これから死のうとしているやつが誰にも何も残さないなんてことは考えにくい。自殺する奴の気持ちなんて正直想像もできないが、それでも生きている誰かに自分がこれから死ぬ理由を伝えたいと、そう思うのが普通なんじゃないか。
そして、それは決して形として残るものとは限らない。
俺はずっと『遺書=紙に書かれたもの』と考えていたが、ようは自分の最期の想いを誰かにメッセージとして伝えられればいいんだ。
と、なると、メールで遺書を残したということも十分に考えられる。
俺は喉を鳴らして恐る恐る美咲のノートパソコンを開くと、震える指先で電源ボタンを軽く押す。すると、しばらくしてモニターに光が宿り、美咲が好きだった画家の作品を背景にパスワード入力の画面が表示された。
試しに美咲の誕生日を入力してみると、案外あっさりとロックは解除された。
ホーム画面にはいくつかのアイコンが表示されていて、俺はその中から一番可能性が高そうなメールボックスをクリックする。すると、画面にはメールの受信履歴がずらりと表示され出した。
それを1つ1つ目で追っていくと、それらが全て同じ相手から送信されたものであることに気がついた。送り主の名前は『白月蒼子』。かつて、俺や美咲と同じ学校に通っていた女子生徒の名前だった。
思い返してみれば、このノートパソコンはあいつが転校する少し前に「蒼子ちゃんとメールがしたいから」と美咲が珍しく母さんにわがままを言って購入してもらったものだった。
「……転校した後も、あいつとは仲が良かったんだな」
不意に口から零れたその一言で、ほんの少しだけ心が軽くなった気がした。
俺は画面に表示される受信履歴をスクロールして眺めた後で、今度は美咲の送信履歴を確認することにした。こちらの方も全て同じアドレスにメールが送信されてあり、ひょっとしてと思い開いた美咲の最後の送信メールには、なんの変哲も無い白月蒼子との会話文が書かれてあるだけだった。
……やっぱり、俺の思い違いだったのかもしれない。
美咲は誰にも何も残さず、たった1人で孤独に死んでいった。それが事実なのかもしれない。
と、そんなことを考えていた時、画面左側のサイドバーに『下書き : 1』という文字を見つけた。
もしかすると……。
俺はそう考えて、今のところ最後の可能性である『下書き』の欄を静かにクリックする。
そうして、その画面がモニターに表示されたところで、俺は思わず目を見開いた。
「ッ……! これって……」
それは、美咲が死ぬ前に誰かに当てて残した “遺書” で間違いはなかった。
それが保存されたのは8月3日。美咲が亡くなる2日前に書かれたものだった。
宛先には美咲本人の名前が記載されていて、自分宛に送ろうとしたメールであることが分かった。件名の部分は空欄で、わざわざ『これは遺書ですので、見つけ次第読んでください』なんてことは書かれていなかったが、その下の本文を読んで、これは紛れも無く遺書であると、俺は確信した。
美咲が最後に残したその遺書には、こう記してあった。
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