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本城咲希の贖罪②

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 ——Re:Re:八月三日。午前八時三十七分。
 第二学生寮 ダイニングルーム。

 二度目となるタイプリープ現象を経て、この世界の成り立ちと目的を知ったあの日からはや二日。未だこれといったアプローチも訪れぬまま、五人の少女たちはこれまで通り、延々と夏日が続く世界での生活を送っていた。
 相変わらず世界はどこまでも静かで、空の青さには似合わぬ寂寥感が漂っている。
 そんな相対的にはいたって平穏にも見える朝の静けさは、一人の少女の強い訴えによってかき消された。


「出たんスよっ!!」

「……出たって、何が?」

「幽霊っスよ!!」

「……そう。それは怖かったわね」

「いやいやいや! ホントのホント! マジで出たんですってば!!」

「トースト。早く食べないと冷めちゃうわよ?」

「もぉ――――!!」


 そう言って彼女——緒方茜音は、思うようにならないもどかしさから、小さな子供のように激しく足をばたつかせると、正面に座るポニーテールの少女にじっとり湿った視線を送る。それから、目の前の皿に載せられた焦げ目付きのトーストをその小さな両手で掴み上げると、勢いよく齧りついた。


「深月ちゃん、全っ然! 自分こと信じてないっスよね! ……こっちは真剣に話してるっていうのに!」

「……だって信じるも何も、ここって一応夢の世界なのよ? いくら幽霊でも、夢の中にまでは入ってこれないんじゃないかしら」

「ゆ、夢の中に入ってくる幽霊もいるんスよ……!! ほら……フレディ・クルーガーとか猿夢とか!!」

「ふーん、そうなのね」


 リスのように頬袋にトーストを詰め込みながら、身振り手振りを踏まえ感情的に話す茜音に対して、極めて冷静に、あくまで論理的にそう言葉を返すのは、長い手足に深海色のポニーテールが特徴的な長身の少女——水嶋深月だ。
 深月はマグカップに注がれたホットコーヒーを一口啜ると、付け加えて茜音に言葉を返す。


「——仮に夢の世界に幽霊や妖怪が入ってこれたとしても、ここは私たち自身が無意識に創りだした世界なのよ? つまり、私たちが強く望まない限り、この世界には幽霊も妖怪も宇宙人も現れない。そして、少なくても私はそんなこと望んでないわ。あなたはどうなの? 緒方さん」

「じ、自分だって、そんなこと望んだ覚えはないっスよ……。でも、あれは間違いなく幽霊だったんス! この目でちゃんと見たんスからっ!」


 茜音は小動物のようにクリクリとした両目を大きく開くと、それを深月に向けて見せつける。
 二人がそんなやり取りを続けていると、今しがた起床したばかりの由衣とましろが欠伸と眠気を引き下げてダイニングルームへとやってきた。


「……ふわぁ~、おはよ~」

「おは~」


 ダイニングルームへ着くなり由衣はキッチンの裏へと周り、ましろは朝の陽が差し込む窓際の席でテーブルにぺたりと頭をつけた。


「夢野さん……せめて、朝ごはん食べてから二度寝したら?」

「……ミズミズが~、先輩みたいなこと言ってるぅ~」

「先輩? ……どういう意味?」

「……んん~……お母さんみたいってことぉ~……」


 ましろは、頭上に疑問符を浮かべたままの深月を気にする様子もなく、まるでドロドロに溶けたマシュマロのように眠気を誘う甘ったるい声音でそう返す。それから、「ふわぁ~~」と大きな欠伸を一つこぼして、再びすやすやと寝息を立て始めた。


「それで、二人とも朝から何騒いでたの? 階段まで声聞こえてたけど……」


 ましろが眠りに堕ちていく様子をキッチンから眺めていた由衣は、背後のカウンターに設置されたコーヒーメーカーにマグカップをセットし、食パンをトースターに入れて出来上がるのを待つ間、徐に茜音と深月へ訊ねる。


「由衣さんも聞いてくださいっス~。出たんスよ~!」

「出たって何が? ……もしかして、ゴキブリ!?」


 由衣は大まじめでそう答えると、引きつった表情のまま足元を確認し始める。
 そんな彼女を見て、あまりのもどかしさに手足を激しくばたつかせながら、「違うんスよぉ~!」と嘆く茜音を、正面に座る深月が優しく宥めた。
 後方では、こぽこぽと静かにコーヒーメーカーが唸り声を上げ、香ばしい薫りが空間を支
 配していく。

 由衣は足元から視線を戻すと、常時とは明らかに異なる様子の茜音を訝しむように眺め、
 その理由を求めるかのようにそっと視線を深月にスライドさせた。
 その意図を察した深月は、困ったように小さく笑みを浮かべながら、由衣に向かって言う。


「……幽霊、だそうよ」

「幽霊?」


 予想の斜め上を行く答えに、由衣は分かりやすく首を傾げて繰り返す。


「……出たの? 幽霊が?」

「出たんスっ!」


 ほとんど声を荒げるようにして、強く訴える茜音。その瞳はまっすぐ、寝癖のついた由衣へと向けられている。

 ……あの時、自分が見たものは決して夢や幻覚なんかじゃない。由衣なら、きっと自分のことを信じてくれるに違いない。
 まるで期待にも似た感情をその大きな瞳に宿す茜音だったが、そんな彼女の想いとは裏腹に、由衣はただ、素直な感想を漏らした。


「——へぇ~……。それは何というかぁ……大変だったねぇ……」

「…………由衣さんも、やっぱり〝そう〟なんスね……」


 明らかに、自分の主張を事実として受け止めていない由衣の返答に、もはや自分を信じてくれる存在などこの世には存在しないのだと、半ば自暴自棄になりつつ、そっと瞳を伏せる小柄な少女。
 まるで、この世の全てに裏切られ絶望したようなその姿は、普段の何倍も小さく、そして、弱弱しく深月たちの目に映った。


「……べ、別に、緒方さんの言っていることが『嘘だ』って言ってるわけじゃないのよ? ただ、何というか、……いまいち現実味がない、というだけで……」

「そ、そうそう! わたしたちもその幽霊、ぜひ見てみたいなー! ……なんて」


 そんな茜音の様子を見て慌ててフォローする二人だったが、もはや彼女の耳には何も届いていないようで、爽やかな夏の朝には似つかわしくない、呪詛のような自己否定を延々と続けるネガティブマシーンと化してしまっていた。


「……いいっスよ、もう。……どうせ、何言ってもみんな信じてくれないんス……。自分は結局、オオカミ少年以下の妄想垂れ流し系キモオタ女子ってことっスよね……ははっ」

「さすがにそこまでは思ってないけれど……」


 それ以上フォローの言葉が見当たらず考えあぐねる深月だったが、その隙間を縫うように、キッチンカウンターのトースターとコーヒーメーカーが声を上げた。
 由衣はそそくさと焼きあがったトーストを皿に載せ、コーヒーの入ったマグカップを持ってダイニングテーブルへ移動すると、その場の空気をリセットするかのように話の舵を大きく切る。


「……ところで、咲希ちゃんは?」


 由衣はきょろきょろと辺りを見回し、この場にいない少女の名を口にする。
 そんな彼女の動作に釣られるように深月と茜音も周囲に目を向け、今になってようやくそのことに気が付いた。
 今まで茜音が持ち出した話題に夢中になっていたせいか、いつもなら深月の次に早く起床している彼女の不在に気づくことが出来なかったようだ。


「まだ寝てるんじゃないっスか?」


 先ほどの落胆ぶりが嘘のようにけろっと顔色を変え、残りのトーストを頬張りながら応える茜音。そんな茜音の言葉に、深月は怪訝な表情で呟きを返す。


「……珍しいこともあるのね。この時間になっても起きてこないなんて」

「きっと、夜遅くまで読書でもしてたんスよ」

「確かに、咲希ちゃんならあり得るかも」


 普段、自分たちに対してとことん不愛想に接しているあの咲希が、宝石箱を覗いた幼い少女のように興奮と喜びに満ち溢れた顔で次々と本のページをめくる姿を想像し、思わず笑みを浮かべる由衣。

 そんな突飛な妄想に埋め尽くされた朝の食卓は、窓の外に控える夏の朝日の動きに合わせて、徐々にその温もりを高めていった。
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