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第69話「夏休みについて(35)」
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花火大会当日——
駅前の通りには不規則に行き来する人の群ができ、辺りからはいくつもの話し声が重なって聞こえてくる。
通りに設置されたラジカセからは祭りを盛り上げる民謡がエンドレスで流れ続け、遠くからはひぐらしの鳴き声が微かに聞こえる。
俺たちの目の前を通り過ぎて行く人々は皆、祭りの空気に当てられて顔に笑みを浮かべ、時折、俺たちと同じように浴衣を着て下駄を履いた男女がカランコロンと音を立てながら、立ち並ぶ屋台に向かって歩いて行く様子が目に映る。
俺も、そんな周りの様子を眺めながら徐々に祭りの雰囲気に呑まれていき、心なしか胸が踊り始めたような気がした。
ほたる駅前に集う人々の様子はまさに『賑やか』の一言に尽き、1年ぶりに夏祭りの感覚を取り戻していたところ、紺の浴衣に身を包み、俺の隣に立つ秀一が口を開いた。
「すげぇ賑わってんなぁ……! これぞ夏祭り! これぞ花火大会! って感じだな」
「ほたる市にもこれだけの人がいるんだな。……ところで、朝霧たちから連絡はあったか?」
「んー、今こっちに向かってるってさっき連絡あったからもうすぐ来ると思うけど」
駅前に設置された時計の短針はちょうど6を指し示し、集合時間に指定した18時を回った。
時間と共に少しずつ茜色に染まっていく空を見上げながら、周りの喧騒に耳を澄ませていると、
「おまたせー!」
と言う朝霧の声が耳に入ってきた。
「あっ! 悠。莉緒たち来たみたいだぜ」
「あぁ、知ってる」
そう言って声のする方を向くと、華やかなの浴衣に身を包んだ朝霧と榊原がこちらに向かって走って来た。
2人は小走りで俺と秀一の元までやってくると、息を深く吸って呼吸を整え、落ち着いたところで口を開く。
「ごめんねー! 久しぶりに浴衣なんて着たから歩きにくくてさー」
「羽島君、榎本君、待たせてしまってごめんなさいね。普段、着慣れないものを着てみたものだから……」
2人は申し訳なさそうに言葉を口にするが、俺も秀一も2人が遅れたことなど全く気にしてはいない。
と言うか、そもそもしっかり集合時間に到着しているのだから謝る必要などない。
「大丈夫大丈夫! 俺たちが少し早く着いたってだけだから」
「あぁ、そうだ。気にするな。2人とも集合時間ぴったりに到着したんだから何も謝る必要はない。……そんなことより、その浴衣買ったのか?」
そう言って俺は、2人が身に纏っている浴衣に視線を移す。
「えへへー。実はこれ、お母さんが前に使ってたのをもらったんだー!」
朝霧は白の布地にたくさんの金魚が描かれている浴衣を自慢げに見せびらかしながら、向日葵のような笑みを浮かべた。
普段は付けていないヘアピンのお陰で、いつもより表情が明るく、そして柔らかく見える。
「そうなのか。それじゃあ、榊原の浴衣はどうしたんだ?」
そう言って俺は朝霧から榊原の方に視線を向ける。
榊原は紺の布地に朝顔の柄が描かれている浴衣を着ており、いつもは腰まである長い黒髪を今日は後ろで団子状にまとめていた。
普段とは違う格好の榊原を見て、急に体温が上昇したような気がした。
「これは私のよ。一昨年に買ってもらったものなのだけれど、まだ着られるみたいで安心したわ」
「ほー、それ自分のなのか。自分の浴衣を持ってるってなかなか凄いことじゃないか?」
「実はこれ、母に無理を言って買ってもらった物なの。こう見えて私、結構わがままだから……」
榊原は少し恥ずかしがるように微笑む。
すると、榊原の横でニヤニヤと笑みを浮かべていた朝霧が口を開いた。
「……それで、どー? 似合う? ねぇ! 似合う!?」
「お、おう……結構……似合ってると思う」
期待に満ちた表情で尋ねる朝霧に対し、秀一は顔を近づけてくる朝霧から目を逸らし、ほんの少し頬と耳を赤く染めて答えた。
そして、その答えを聞いた朝霧は満足そうに、そして少し照れた様子で「そっか」と小さく呟いた。
そんな2人を見て、俺と榊原は互いに顔を見合わせて軽く微笑み合った。
「よぉーし! そんじゃあ、みんな集まったことだし、俺たちも夏祭り&花火大会スタートするか!」
「イェーイ!! 早く行こー行こー! あっ、私りんご飴食べたーい!」
秀一の宣言を合図に、俺たちは駅前から屋台が立ち並ぶほたる通りへ向かって人混みの中を歩き出した。
夏祭りのムードを全身で楽しんでいる様子の朝霧が、秀一の後を追うように歩き出し、俺もその後ろをついて行こうとした瞬間、俺の浴衣の袖が何かに引っ張られた。
後ろを振り返ると、浴衣姿の榊原が俯きながら俺の袖をギュッと掴んでいる。
「榊原……?」
「………………どう?」
「えっ?」
榊原の声は周りの喧騒に掻き消されてしまうほどに小さく、そして微かに震えている。
「……どう……かしら……」
「どう……って、何がだ?」
質問の意味が分からず改めて聞き返すと、榊原は耳まで真っ赤になった顔をゆっくりと上げ、黒く大きな瞳で俺をじっと見つめ、その小さな口で夏の夜の空気を目一杯吸い込んだ。
そして、それを吐き出すようにこう呟いた。
「浴衣……似合って……いるかしら……?」
言葉を言い終えると、榊原は俺から目を逸らし、モゴモゴと口を動かし始めた。
そんな榊原を見ながら、彼女の発した言葉の意味を理解した俺は「あぁ、そうか」と納得した。
そりゃ、そうだ。
他の誰もが分かっていることでも、口に出さなきゃ本人には伝わらない。
俺は榊原の方に体を向かせ、彼女の目を見て言った。
「……すごく似合ってる」
その言葉を口に出した瞬間、急に火がついたように顔が熱くなり、身体中から汗が噴き出した。
思っているだけなら何ともないのに、いざ口に出して伝えようとするとこんなにも恥ずかしいものなのか。
朝霧に迫られて頬を赤くしていた秀一の気持ちがよく分かった。
そんなことを考えながら恐る恐る榊原の方に目をやると、榊原は安堵と歓喜の表情を顔に浮かばせてニコリと微笑んでいた。
「ふふっ……ありがとう、羽島君。羽島君も似合っているわよ」
「どういたしまして。それと……ありがとう。…………さて、俺たちも行こう。秀一たちに置いていかれる」
「そうね」
そうして俺と榊原は互いに浴衣の感想を言い合い、ほんのりと耳を赤く染めながら、祭りで賑わう通りに向かって微かに太陽の熱が残るアスファルトの上をゆっくりと歩き出した——。
駅前の通りには不規則に行き来する人の群ができ、辺りからはいくつもの話し声が重なって聞こえてくる。
通りに設置されたラジカセからは祭りを盛り上げる民謡がエンドレスで流れ続け、遠くからはひぐらしの鳴き声が微かに聞こえる。
俺たちの目の前を通り過ぎて行く人々は皆、祭りの空気に当てられて顔に笑みを浮かべ、時折、俺たちと同じように浴衣を着て下駄を履いた男女がカランコロンと音を立てながら、立ち並ぶ屋台に向かって歩いて行く様子が目に映る。
俺も、そんな周りの様子を眺めながら徐々に祭りの雰囲気に呑まれていき、心なしか胸が踊り始めたような気がした。
ほたる駅前に集う人々の様子はまさに『賑やか』の一言に尽き、1年ぶりに夏祭りの感覚を取り戻していたところ、紺の浴衣に身を包み、俺の隣に立つ秀一が口を開いた。
「すげぇ賑わってんなぁ……! これぞ夏祭り! これぞ花火大会! って感じだな」
「ほたる市にもこれだけの人がいるんだな。……ところで、朝霧たちから連絡はあったか?」
「んー、今こっちに向かってるってさっき連絡あったからもうすぐ来ると思うけど」
駅前に設置された時計の短針はちょうど6を指し示し、集合時間に指定した18時を回った。
時間と共に少しずつ茜色に染まっていく空を見上げながら、周りの喧騒に耳を澄ませていると、
「おまたせー!」
と言う朝霧の声が耳に入ってきた。
「あっ! 悠。莉緒たち来たみたいだぜ」
「あぁ、知ってる」
そう言って声のする方を向くと、華やかなの浴衣に身を包んだ朝霧と榊原がこちらに向かって走って来た。
2人は小走りで俺と秀一の元までやってくると、息を深く吸って呼吸を整え、落ち着いたところで口を開く。
「ごめんねー! 久しぶりに浴衣なんて着たから歩きにくくてさー」
「羽島君、榎本君、待たせてしまってごめんなさいね。普段、着慣れないものを着てみたものだから……」
2人は申し訳なさそうに言葉を口にするが、俺も秀一も2人が遅れたことなど全く気にしてはいない。
と言うか、そもそもしっかり集合時間に到着しているのだから謝る必要などない。
「大丈夫大丈夫! 俺たちが少し早く着いたってだけだから」
「あぁ、そうだ。気にするな。2人とも集合時間ぴったりに到着したんだから何も謝る必要はない。……そんなことより、その浴衣買ったのか?」
そう言って俺は、2人が身に纏っている浴衣に視線を移す。
「えへへー。実はこれ、お母さんが前に使ってたのをもらったんだー!」
朝霧は白の布地にたくさんの金魚が描かれている浴衣を自慢げに見せびらかしながら、向日葵のような笑みを浮かべた。
普段は付けていないヘアピンのお陰で、いつもより表情が明るく、そして柔らかく見える。
「そうなのか。それじゃあ、榊原の浴衣はどうしたんだ?」
そう言って俺は朝霧から榊原の方に視線を向ける。
榊原は紺の布地に朝顔の柄が描かれている浴衣を着ており、いつもは腰まである長い黒髪を今日は後ろで団子状にまとめていた。
普段とは違う格好の榊原を見て、急に体温が上昇したような気がした。
「これは私のよ。一昨年に買ってもらったものなのだけれど、まだ着られるみたいで安心したわ」
「ほー、それ自分のなのか。自分の浴衣を持ってるってなかなか凄いことじゃないか?」
「実はこれ、母に無理を言って買ってもらった物なの。こう見えて私、結構わがままだから……」
榊原は少し恥ずかしがるように微笑む。
すると、榊原の横でニヤニヤと笑みを浮かべていた朝霧が口を開いた。
「……それで、どー? 似合う? ねぇ! 似合う!?」
「お、おう……結構……似合ってると思う」
期待に満ちた表情で尋ねる朝霧に対し、秀一は顔を近づけてくる朝霧から目を逸らし、ほんの少し頬と耳を赤く染めて答えた。
そして、その答えを聞いた朝霧は満足そうに、そして少し照れた様子で「そっか」と小さく呟いた。
そんな2人を見て、俺と榊原は互いに顔を見合わせて軽く微笑み合った。
「よぉーし! そんじゃあ、みんな集まったことだし、俺たちも夏祭り&花火大会スタートするか!」
「イェーイ!! 早く行こー行こー! あっ、私りんご飴食べたーい!」
秀一の宣言を合図に、俺たちは駅前から屋台が立ち並ぶほたる通りへ向かって人混みの中を歩き出した。
夏祭りのムードを全身で楽しんでいる様子の朝霧が、秀一の後を追うように歩き出し、俺もその後ろをついて行こうとした瞬間、俺の浴衣の袖が何かに引っ張られた。
後ろを振り返ると、浴衣姿の榊原が俯きながら俺の袖をギュッと掴んでいる。
「榊原……?」
「………………どう?」
「えっ?」
榊原の声は周りの喧騒に掻き消されてしまうほどに小さく、そして微かに震えている。
「……どう……かしら……」
「どう……って、何がだ?」
質問の意味が分からず改めて聞き返すと、榊原は耳まで真っ赤になった顔をゆっくりと上げ、黒く大きな瞳で俺をじっと見つめ、その小さな口で夏の夜の空気を目一杯吸い込んだ。
そして、それを吐き出すようにこう呟いた。
「浴衣……似合って……いるかしら……?」
言葉を言い終えると、榊原は俺から目を逸らし、モゴモゴと口を動かし始めた。
そんな榊原を見ながら、彼女の発した言葉の意味を理解した俺は「あぁ、そうか」と納得した。
そりゃ、そうだ。
他の誰もが分かっていることでも、口に出さなきゃ本人には伝わらない。
俺は榊原の方に体を向かせ、彼女の目を見て言った。
「……すごく似合ってる」
その言葉を口に出した瞬間、急に火がついたように顔が熱くなり、身体中から汗が噴き出した。
思っているだけなら何ともないのに、いざ口に出して伝えようとするとこんなにも恥ずかしいものなのか。
朝霧に迫られて頬を赤くしていた秀一の気持ちがよく分かった。
そんなことを考えながら恐る恐る榊原の方に目をやると、榊原は安堵と歓喜の表情を顔に浮かばせてニコリと微笑んでいた。
「ふふっ……ありがとう、羽島君。羽島君も似合っているわよ」
「どういたしまして。それと……ありがとう。…………さて、俺たちも行こう。秀一たちに置いていかれる」
「そうね」
そうして俺と榊原は互いに浴衣の感想を言い合い、ほんのりと耳を赤く染めながら、祭りで賑わう通りに向かって微かに太陽の熱が残るアスファルトの上をゆっくりと歩き出した——。
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