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第19話「テスト勉強と蛍について(1)」
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6限終了のチャイムが鳴り、教室内からはそれまでの張り詰めた空気が消え、安堵の声があちこちから漏れ出した。
6月中旬——。
期末テストまで残り2週間となった。
今はテスト準備期間中で、全ての部活動が活動禁止になっている。
教室ではいつものようにユニフォームや学校指定のジャージに着替える者はおらず、早々と帰宅するか、居残ってテスト勉強に励む者しかいない。
俺は雑音のあるところでは集中して学習に取り組むことができないため、6限が終わるとすぐに鞄を持ち、校舎を出て帰路に着いた。
時々太陽が雲の切れ間から顔を出すものの、まだ梅雨は明けないらしく、今日もシトシトと雨が降り頻っていた。
俺は紺色の大きな傘を差しながら、雨のカーテンの中を慎重に進んだ。
開いた傘に当たるパラパラとした雨の音がとても心地よく、俺は耳を澄ませる。
リズミカルにテンポよく、曲を奏でるように音が響く。
すると、そんな雨音の中に聞き慣れた声が混ざった。
「やっと追いついたわ。羽島君、歩くの早いのね」
振り返ると、鮮やかな赤色の傘を差す榊原の姿があった。
早歩きで来たのか、榊原の紺色のハイソックスが少し濡れていた。
「おぉ、榊原か。てっきり俺より先に帰ったのかと思ったよ」
教室を出るとき、榊原の姿が見当たらなかったため勘違いをしていた。
「6限目の授業が終わった後、職員室まで行って授業で分からなかったところを先生に質問していたのよ」
榊原は少し困ったような表情をして言った。
授業後、すぐに質問に行くなんて真面目だな……。
俺の場合、わからないところがあっても人に聞くということはあまりしない。
大抵、自分で調べてなんとかする。
どうやら昔から人から頼られるのは得意でも、人に頼ることは苦手らしい。
そんなことを思いながら、「偉いな。榊原は」と賞賛の言葉を送る。
榊原は少し照れたような表情をして、「褒められるようなことではないわ」と言った。
雨の中を2人で歩いていると、榊原が唐突に質問してきた。
「ところで、羽島君の得意教科は何?」
「得意な教科か……。胸を張って『これが得意です』とは言えないが、強いて言うなら現代文かな。ちなみに苦手な教科はその他すべてだ」
そう答えると、榊原はフフッと軽く笑い、ふむふむと頷き出した。
「榊原の得意教科と苦手教科は、何なんだ?」
今度はこちらから聞き返す。
すると、榊原は「そうね……」と少し悩んでから、「得意教科は数学。苦手教科は現代文かしらね」と答えた。
数学が得意というのは何だか分かる気がした。
しかし、現代文が苦手というのは意外だった。
俺は少し気になったため、榊原に聞いてみた。
「どうして現代文が苦手なんだ?」
すると榊原はバツが悪そうな表情をした。
「私、人の心をうまく理解することができないみたいなの。作家になりたいなんて言っておいて、おかしいわよね」
榊原は弱々しい笑顔でそう言った。
俺も現代文が得意だとは言ったが、筆者や主人公の心情を答える問題は苦手だ。
ああいう問題が出題されるたびに、この問題に明確な答えはあるのか?と思う。
筆者や主人公の心情なんてものは、書いた本人にしかわからないのではなかろうか。
しかし、そんなことは教師陣からしてみればただの戯言でしかなく、誰が考えたかもわからない模範解答に近しい答えを書いた者にのみ、点数が与えられる。
そういった点では、榊原が現代文が苦手だというのもわかる気がする。
榊原は自分のことを「人の心がうまく理解できない」と言ったが、本当にそうだろうか。
少なくとも俺には、榊原は人の心を充分に理解できているように思える。
少しでも自分が悪いと思えばすぐに謝るし、周りが楽しんでいれば自分も楽しもうとする。そして何より、優しくて温かい笑顔を人に向けることができる。
それは相手のことを想っていないとできないことだ。
それを踏まえて考えると、人の心を理解できていないのは、むしろ俺の方なのではないか?と思えてくる。
俺には榊原のような優しさに溢れた微笑みはできない。
単に笑顔を作るのが下手くそなだけかもしれないが。
そんなことを考えながら歩いていると、いつもの横断歩道まで来た。
榊原はまるで、雨の中を踊っているかのようにくるりと回ると、俺の前に立って言った。
「それじゃあ羽島君、お互いテストに向けて勉強頑張りましょうね」
俺は「おう」と軽く相槌を打つと、「また明日」と言って横断歩道を渡る榊原に対し、右手を上げた。
榊原の後ろ姿は赤色の傘に隠れてよく見えなかったが、腰の辺りまである長い黒髪が左右に揺れているのが見えた。
降り頻る雨と同じようにリズミカルに揺れる髪を見て、俺は尻尾を振っている犬みたいだなと思った。
榊原の姿が完全消えて見えなくなるまで、俺は赤色の傘と左右に揺れる長い髪をボーッと眺めていた。
家に帰ると、俺は雨に濡れた傘を傘立てにしまい、靴を脱ぐと自室へ向かった。
いつも通り鞄をベッドの上に投げ捨て、制服から部屋着に着替えると、教科書とノート、それと筆記用具を鞄から机の上に出し、嫌々ながらテスト勉強を開始した。
現代文、歴史、英語……
比較的得意なものから勉強していく。
そして数学の教科書を開き、問題を解き始めようとした瞬間あることを思い出した。
「そういえば、まだ榊原に蛍を見せてやれてなかったな……」
ちょうど梅雨のこの時期になると、夜の川や田んぼで無数の蛍が飛び交う。
いつだったか、「榊原にも夜の街を飛び交う、無数の蛍を見せてやりたい」と思ったことがあった。
テストが終わってからでは、おそらく蛍の見頃は過ぎているだろう。
今週末あたりに、榊原を誘ってみるか……
そんなことを考えながら、俺は右手に持ったシャープペンシルをくるくると指の間で回し始めた——。
6月中旬——。
期末テストまで残り2週間となった。
今はテスト準備期間中で、全ての部活動が活動禁止になっている。
教室ではいつものようにユニフォームや学校指定のジャージに着替える者はおらず、早々と帰宅するか、居残ってテスト勉強に励む者しかいない。
俺は雑音のあるところでは集中して学習に取り組むことができないため、6限が終わるとすぐに鞄を持ち、校舎を出て帰路に着いた。
時々太陽が雲の切れ間から顔を出すものの、まだ梅雨は明けないらしく、今日もシトシトと雨が降り頻っていた。
俺は紺色の大きな傘を差しながら、雨のカーテンの中を慎重に進んだ。
開いた傘に当たるパラパラとした雨の音がとても心地よく、俺は耳を澄ませる。
リズミカルにテンポよく、曲を奏でるように音が響く。
すると、そんな雨音の中に聞き慣れた声が混ざった。
「やっと追いついたわ。羽島君、歩くの早いのね」
振り返ると、鮮やかな赤色の傘を差す榊原の姿があった。
早歩きで来たのか、榊原の紺色のハイソックスが少し濡れていた。
「おぉ、榊原か。てっきり俺より先に帰ったのかと思ったよ」
教室を出るとき、榊原の姿が見当たらなかったため勘違いをしていた。
「6限目の授業が終わった後、職員室まで行って授業で分からなかったところを先生に質問していたのよ」
榊原は少し困ったような表情をして言った。
授業後、すぐに質問に行くなんて真面目だな……。
俺の場合、わからないところがあっても人に聞くということはあまりしない。
大抵、自分で調べてなんとかする。
どうやら昔から人から頼られるのは得意でも、人に頼ることは苦手らしい。
そんなことを思いながら、「偉いな。榊原は」と賞賛の言葉を送る。
榊原は少し照れたような表情をして、「褒められるようなことではないわ」と言った。
雨の中を2人で歩いていると、榊原が唐突に質問してきた。
「ところで、羽島君の得意教科は何?」
「得意な教科か……。胸を張って『これが得意です』とは言えないが、強いて言うなら現代文かな。ちなみに苦手な教科はその他すべてだ」
そう答えると、榊原はフフッと軽く笑い、ふむふむと頷き出した。
「榊原の得意教科と苦手教科は、何なんだ?」
今度はこちらから聞き返す。
すると、榊原は「そうね……」と少し悩んでから、「得意教科は数学。苦手教科は現代文かしらね」と答えた。
数学が得意というのは何だか分かる気がした。
しかし、現代文が苦手というのは意外だった。
俺は少し気になったため、榊原に聞いてみた。
「どうして現代文が苦手なんだ?」
すると榊原はバツが悪そうな表情をした。
「私、人の心をうまく理解することができないみたいなの。作家になりたいなんて言っておいて、おかしいわよね」
榊原は弱々しい笑顔でそう言った。
俺も現代文が得意だとは言ったが、筆者や主人公の心情を答える問題は苦手だ。
ああいう問題が出題されるたびに、この問題に明確な答えはあるのか?と思う。
筆者や主人公の心情なんてものは、書いた本人にしかわからないのではなかろうか。
しかし、そんなことは教師陣からしてみればただの戯言でしかなく、誰が考えたかもわからない模範解答に近しい答えを書いた者にのみ、点数が与えられる。
そういった点では、榊原が現代文が苦手だというのもわかる気がする。
榊原は自分のことを「人の心がうまく理解できない」と言ったが、本当にそうだろうか。
少なくとも俺には、榊原は人の心を充分に理解できているように思える。
少しでも自分が悪いと思えばすぐに謝るし、周りが楽しんでいれば自分も楽しもうとする。そして何より、優しくて温かい笑顔を人に向けることができる。
それは相手のことを想っていないとできないことだ。
それを踏まえて考えると、人の心を理解できていないのは、むしろ俺の方なのではないか?と思えてくる。
俺には榊原のような優しさに溢れた微笑みはできない。
単に笑顔を作るのが下手くそなだけかもしれないが。
そんなことを考えながら歩いていると、いつもの横断歩道まで来た。
榊原はまるで、雨の中を踊っているかのようにくるりと回ると、俺の前に立って言った。
「それじゃあ羽島君、お互いテストに向けて勉強頑張りましょうね」
俺は「おう」と軽く相槌を打つと、「また明日」と言って横断歩道を渡る榊原に対し、右手を上げた。
榊原の後ろ姿は赤色の傘に隠れてよく見えなかったが、腰の辺りまである長い黒髪が左右に揺れているのが見えた。
降り頻る雨と同じようにリズミカルに揺れる髪を見て、俺は尻尾を振っている犬みたいだなと思った。
榊原の姿が完全消えて見えなくなるまで、俺は赤色の傘と左右に揺れる長い髪をボーッと眺めていた。
家に帰ると、俺は雨に濡れた傘を傘立てにしまい、靴を脱ぐと自室へ向かった。
いつも通り鞄をベッドの上に投げ捨て、制服から部屋着に着替えると、教科書とノート、それと筆記用具を鞄から机の上に出し、嫌々ながらテスト勉強を開始した。
現代文、歴史、英語……
比較的得意なものから勉強していく。
そして数学の教科書を開き、問題を解き始めようとした瞬間あることを思い出した。
「そういえば、まだ榊原に蛍を見せてやれてなかったな……」
ちょうど梅雨のこの時期になると、夜の川や田んぼで無数の蛍が飛び交う。
いつだったか、「榊原にも夜の街を飛び交う、無数の蛍を見せてやりたい」と思ったことがあった。
テストが終わってからでは、おそらく蛍の見頃は過ぎているだろう。
今週末あたりに、榊原を誘ってみるか……
そんなことを考えながら、俺は右手に持ったシャープペンシルをくるくると指の間で回し始めた——。
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