金糸梅(きんしばい)

灰黒猫

文字の大きさ
上 下
1 / 1

金糸梅(きんしばい)

しおりを挟む
 少年が男の暮らすマンションで過ごすようになってから一週間が過ぎた。
 男は少年が思っていたよりも、細かいことにこだわりがないようだった。
 初日の夜、一人分の夕食を二回に分けて作っていた。二人分の分量がわからず、面倒になったらしい。少年は母親と二人暮らしだったから、分量はわかる。
 次からは、少年が食事を作るか、分量を説明しながら男と一緒に食事を作った。
 男の家には、二人で暮らすには足りないものが多かった。どうしても必要なものは買いに行った。
 たびたび二人で出かけた。
 男の暮らすは、全体的に道路の幅が広く作られていた。少年にとっては、呼吸がしやすかった。
 それでも、自宅や学校のことを考えると、胸の中心に力がぎゅっと集まるのを感じた。
 くるしい。呼吸が浅くなる。
 みんなとおなじになれない。
 ふと隣を見ると男が立ち止まって斜め下に顔を向けていた。
「なに見てるの?」
金糸梅きんしばいだ」
「キンシバイ?」
「金色の糸、に、梅。緑色の葉と一緒に、梅の花に似た黄色の花があふれるように次々と咲く。金色の波だ」
 男のそばに寄り、深い緑色の葉の群れの中に咲く黄色の花々に目を向ける。今まで、こんなにたくさんの黄色の花が咲いていることに気づかなかった。
 いつの間にか呼吸が楽になっている。
 男は黙って花を見ていた。
 少年も黙っていたが、もう苦しくはなかった。
 男が歩き出す。そのあとをついていきながら、尋ねる。
「あの花、好きなの?」
「美しいと思う」
 男は時折立ち止まり、道に咲く花を黙って眺めた。少年も花を見た。
 白い空木うつぎ、黄色のバラ、薄桃色の昼顔ひるがおの花。
 男が歩き出すと、先ほどと同じ言葉のやり取りをした。
 男の表情は特に変わらず、少年の表情は次第にやわらいでいった。

 一週間が穏やかに過ぎていく。明日には家に帰る。
 少年が使う部屋は、もともと物がない六畳の和室だった。男は「何もしない部屋だ」と言った。
 和室からはバルコニーに出ることができた。き出し窓を大きく開ければ涼しい風が入る。
 風を入れている間、男は窓の横に立ち、少年は両足を抱えて座っていた。二人で黙って窓の外を眺めた。空は薄曇りで、柔らかな陽の光が届く。
「なにもしない部屋におれがいるのって、なんだかおかしいね」
 ふと、少年の口の端から小さな笑みがこぼれた。
 男は、今ままで何もしなかった部屋にこの子どもがいるのだと思うと、足りなかった何かがほどよく埋まったような感覚になった。
「おまえがいるくらいでちょうどいい」
 男が微笑した。
 少年は唇を結んだ。男を見上げる。視線が迷うように一度下がり、再び上がった。
「今の中学を卒業したら、……あと一年、がんばるから……そしたら……ここに住んでもいい……?」
 不安から、声がだんだんと小さくなる。顔がうつむいていく。
 男は少年のかたわらにあぐらを組んで座った。
「住むのはかまわない」
 その迷いない言葉に、少年は顔を上げた。
「だが、俺にはよくわからない。公立中学ならすぐそこにもある。徒歩15分だ。一年待ちたいなら別だが、どこでもいいならそこに通えばいいんじゃないか」
 少年は呆けたような表情になった。理解が追いつかない。
「……いつから住んでいいの……?」
 かろうじてそれだけ口にできた。
「いつからでも」
 少年の抱える思いを男が知っているわけがなかった。男には本当にこだわりがないようだった。大したことではないという口ぶりだった。
「……大ざっぱだ」
 少年は泣き笑いになった。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

名を呼んで花を願う

灰黒猫
BL
「燠火(おきび)の眼」「首すじに花がふれる」の、「今までの話」的なものです。別物として見ても問題ありません。 男と少年の、出会いから一緒に暮らすようになるまで。少年の独白体。 「ふつう」になれなくて静かでいることを選んだ少年と、人の目を気にせずに生きている男が、大切にされたり大切にしたります。告白もします。 まだ男がヘタレになる少し手前くらいまで。 完全にBL。 2024.6.28.了

オメガの僕が運命の番と幸せを掴むまで

なの
BL
オメガで生まれなければよかった…そしたら人の人生が狂うことも、それに翻弄されて生きることもなかったのに…絶対に僕の人生も違っていただろう。やっぱりオメガになんて生まれなければよかった… 今度、生まれ変わったら、バース性のない世界に生まれたい。そして今度こそ、今度こそ幸せになりたい。  幸せになりたいと願ったオメガと辛い過去を引きずって生きてるアルファ…ある場所で出会い幸せを掴むまでのお話。 R18の場面には*を付けます。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

冷たい夜、星に出会う前

灰黒猫
BL
『夏の星』の続きです。 あまり人とかかわらないでいた男と、明るい世界にうまくなじめなかった少年の、5年後の再会です。 1と2に分かれていますが、2だけでもだいたいわかります。 BLに見えなくてもいいし、見えてもいいです。読む方におまかせします。 2024.5.20.了 (2024.7.15.「2」の再会部分を加筆修正済み)

Ωの不幸は蜜の味

grotta
BL
俺はΩだけどαとつがいになることが出来ない。うなじに火傷を負ってフェロモン受容機能が損なわれたから噛まれてもつがいになれないのだ――。 Ωの川西望はこれまで不幸な恋ばかりしてきた。 そんな自分でも良いと言ってくれた相手と結婚することになるも、直前で婚約は破棄される。 何もかも諦めかけた時、望に同居を持ちかけてきたのはマンションのオーナーである北条雪哉だった。 6千文字程度のショートショート。 思いついてダダっと書いたので設定ゆるいです。

振られた腹いせに別の男と付き合ったらそいつに本気になってしまった話

雨宮里玖
BL
「好きな人が出来たから別れたい」と恋人の翔に突然言われてしまった諒平。  諒平は別れたくないと引き止めようとするが翔は諒平に最初で最後のキスをした後、去ってしまった。  実は翔には諒平に隠している事実があり——。 諒平(20)攻め。大学生。 翔(20) 受け。大学生。 慶介(21)翔と同じサークルの友人。

告白ゲームの攻略対象にされたので面倒くさい奴になって嫌われることにした

雨宮里玖
BL
《あらすじ》 昼休みに乃木は、イケメン三人の話に聞き耳を立てていた。そこで「それぞれが最初にぶつかった奴を口説いて告白する。それで一番早く告白オッケーもらえた奴が勝ち」という告白ゲームをする話を聞いた。 その直後、乃木は三人のうちで一番のモテ男・早坂とぶつかってしまった。 その日の放課後から早坂は乃木にぐいぐい近づいてきて——。 早坂(18)モッテモテのイケメン帰国子女。勉強運動なんでもできる。物静か。 乃木(18)普通の高校三年生。 波田野(17)早坂の友人。 蓑島(17)早坂の友人。 石井(18)乃木の友人。

キミと2回目の恋をしよう

なの
BL
ある日、誤解から恋人とすれ違ってしまった。 彼は俺がいない間に荷物をまとめて出てってしまっていたが、俺はそれに気づかずにいつも通り家に帰ると彼はもうすでにいなかった。どこに行ったのか連絡をしたが連絡が取れなかった。 彼のお母さんから彼が病院に運ばれたと連絡があった。 「どこかに旅行だったの?」 傷だらけのスーツケースが彼の寝ている病室の隅に置いてあって俺はお母さんにその場しのぎの嘘をついた。 彼との誤解を解こうと思っていたのに目が覚めたら彼は今までの全ての記憶を失っていた。これは神さまがくれたチャンスだと思った。 彼の荷物を元通りにして共同生活を再開させたが… 彼の記憶は戻るのか?2人の共同生活の行方は?

処理中です...