君もいた春に

織子

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命の落とし物

「その命、僕にくれよ」

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 さあ、もうフライトだ、飛ぼう。
 私は心の中で力強くそう呟き、まずはフェンスから両手を離した。そして、上半身を前方へ傾け、重力に従って落ちていける体制をとった。少しずつ私の体は傾いていき、徐々に落下していく。はずだった。
 私は無意識のうちに硬く結ぶように閉ざしていた瞼を恐る恐る開くと、若干体は傾いているものの、落ちていく気配がない。ふと、襟が首に食い込んで息苦しいことに気づく、。まるで何者からか後ろから襟を引っ張られているような、そんな感覚だった。
 きっと襟がフェンスに引っかかっているのだろう、そう思って疑わなかった私は当たり前のように手を首に運んで、引っかかっている部分を解放しようとした。
 襟に引っかかっているそのところに触れた瞬間、勢いよく手を離してしまった。引っかかっているものが、予想していたものと違い、柔らかく、暖かいからだ。本当に驚くと、人は声が出なくなるというのは本当らしい。しばらくすると、襟は引っかかっているのではなく、誰かの手によって掴まれているのだと気づいたが、それでも何が起きているのかわからず、ただただ混乱と恐怖で沈黙していた。

 「捨てるくらいなら僕にくれよ」

 私の襟を掴む誰かがそう言った。この時、私はずっと首が締め付けられている状態ですでに酸素の薄さを感じ、再びフェンスに身を預けていた。それにもかかわらず、私の襟を掴む誰かは手を離すことはなく、さらにこう続けた。

 「その命、こっから落とすんだろ?落としものなら僕にくれ」

 何を言っているのかわからなかった。だけど新手の説得にしては少し面白いと思ってしまった。それと、死に向かうのを邪魔された腹立たしさもあったので「あげれるものならいくらでもどうぞ」と、挑発するように言った。
 その後私は自ら再びフェンスをよじ登り、靴を履いて、ずっと私の襟を掴んでいた人物と対峙した。
 それは同い年くらいの男の子だった。背丈も大体同じか、彼のほうがほんの少し高いくらいだった。しかし、体の線は私よりも細く、黒髪のマッシュで前髪が目を覆うように伸びている髪は、海風にあおられて顔全体を撫でるように乱れていた。全体的にか弱そうな印象を受けたが、向き合う私に「ありがとう」と一言だけ言った彼の声は力強く、笑顔も活気づいて見えた。
 彼は一枚の紙を差し出してきて、それに書かれている番号に明日連絡をくれ、とだけ言い残し去って行った。
 結局彼は何だったのかわからなかったが、その日はフライトを見送った。一度張りつめた緊張が解けたので、その日はどうしてももう一度このフェンスを乗り越える気にはなれなかった。私の死にたがりはここまでか、と、みじめで情けない気持ちになった。
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