君もいた春に

織子

文字の大きさ
上 下
2 / 8
命の落とし物

命の落し物

しおりを挟む
「桜の花びらが風に舞うように、君たちひとりひとりも今、この瞬間からそれぞれの目的地を目指す旅が始まるのです。人生とは、命が燃え尽きる最期の時までが旅なのです。すべて冒険なのです。偉くなんてならなくていい。人間らしく自分の心が満たされる世界を目指して、その長い長い旅を楽しんでほしいと思う。本当に卒業おめでとう」
 黒板の前で目の周りを赤く腫らした担任はこの日の為に何日もかけて考えたであろうその言葉をすべて出し切ると、今度はクラスの生徒の名前を次々に呼び上げていった。
 自分の意志とは無関係に付けられた、私にとって機械のシリアルナンバーを連想させる「名前」という名の記号で呼ばれ、次々と起立していくクラスメイトをまるで映画を観るかのように客観的に眺めているとなんだか眠たくなって、私は視線を窓の外の誰もいない校庭のまだその奥の街並みに移して、このくだらない一瞬の儀式をやり過ごした。

 そんな日があったことなんてもう随分昔に感じるほど頭がとろける季節がやってきた。夏だ。
 まだ七月に入って間もないというのに、近所の海水浴場は早々と遠方から泳ぎに来ている人たちで賑わっている。屋台やステージも設けられていて、今日も朝から騒がしい程に賑わっている。
そんな今日、私は死ぬことを決意していた。理由は特にない。ただ、誰かの言う事に一々左右されるだけの毎日がとてつもなく面倒で、ダルくて、そして何よりもそんな毎日に逆らうことなく生きる平凡な人たちの波のもっと奥で自分というものを消している私自身が一番の恐怖であり、これ以上生きていても何の希望も感じられなかった。だから死ぬことでせめてもの自己表現として、最後くらい派手なことをしたいと思った。その場に居合わせてしまった人たちにとってはこの上なく迷惑な話だと言うのは百も承知の上。
 アパートの屋上へと続く階段を驚くほど無心で上がり、遺書なんて気の利いたものは準備していなかったから、とりあえず立ち入り禁止のフェンスの前に靴を〝それらしく〟並べてみた。こうして見ると、改めて自分はこれから死に向かうのだという気になってくる。しかしながら寂しさも切なさもない。というか、そんなものは人の波に揉まれている間に摩擦で感じなくなっていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます

おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」 そう書き残してエアリーはいなくなった…… 緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。 そう思っていたのに。 エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて…… ※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。

完結 そんなにその方が大切ならば身を引きます、さようなら。

音爽(ネソウ)
恋愛
相思相愛で結ばれたクリステルとジョルジュ。 だが、新婚初夜は泥酔してお預けに、その後も余所余所しい態度で一向に寝室に現れない。不審に思った彼女は眠れない日々を送る。 そして、ある晩に玄関ドアが開く音に気が付いた。使われていない離れに彼は通っていたのだ。 そこには匿われていた美少年が棲んでいて……

【完結】不貞された私を責めるこの国はおかしい

春風由実
恋愛
婚約者が不貞をしたあげく、婚約破棄だと言ってきた。 そんな私がどうして議会に呼び出され糾弾される側なのでしょうか? 婚約者が不貞をしたのは私のせいで、 婚約破棄を命じられたのも私のせいですって? うふふ。面白いことを仰いますわね。 ※最終話まで毎日一話更新予定です。→3/27完結しました。 ※カクヨムにも投稿しています。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

(完結)貴方から解放してくださいー私はもう疲れました(全4話)

青空一夏
恋愛
私はローワン伯爵家の一人娘クララ。私には大好きな男性がいるの。それはイーサン・ドミニク。侯爵家の子息である彼と私は相思相愛だと信じていた。 だって、私のお誕生日には私の瞳色のジャボ(今のネクタイのようなもの)をして参加してくれて、別れ際にキスまでしてくれたから。 けれど、翌日「僕の手紙を君の親友ダーシィに渡してくれないか?」と、唐突に言われた。意味がわからない。愛されていると信じていたからだ。 「なぜですか?」 「うん、実のところ私が本当に愛しているのはダーシィなんだ」 イーサン様は私の心をかき乱す。なぜ、私はこれほどにふりまわすの? これは大好きな男性に心をかき乱された女性が悩んで・・・・・・結果、幸せになったお話しです。(元さやではない) 因果応報的ざまぁ。主人公がなにかを仕掛けるわけではありません。中世ヨーロッパ風世界で、現代的表現や機器がでてくるかもしれない異世界のお話しです。ご都合主義です。タグ修正、追加の可能性あり。

処理中です...