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専属受付嬢の私、悪夢にうなされる
しおりを挟むグラントドラゴンを倒し、今後の方針について決まった夜が明け、朝が訪れる。
「レンさん、朝ですよ」
毎度のことのように朝になるとティエリナが起こしてくれるので、レンは重い瞼を擦り、あくびをしながら体を起こす。
その体はライネリアのおかげで驚くほど身軽で、筋肉が痛むだとかそういうものはなく、健やかな朝をレンは迎えていた。
「今日もありがとうな、ティエリナ」
「いえいえ、勝手にしてることなので、気にしないでください」
このようなやり取りは前にもしたはずなので、何回目だろうか。
どこかデジャヴを感じる流れに二人は笑みを浮かべながらも、足並みを揃えてティエリナ家の居間へと向かっていく。
襖を開くと既にレンとティエリナ以外の全員が決められた場所に座っており、レンとティエリナが座ってから各々合掌するなりし、リアーナお手製の朝食を頬張っていく。
ケルアではあまり食べることの少ない米を主食とし、あっさりとしたゴロゴロっとした野菜がたくさん入った味噌汁。
他にも鳥のたまごを焼いて丸めた料理や、魚の干物など、朝からレン達はバランスの良い食事を済ませていた。
そして食べ終わり片付けが終わると、レン達は人探しのためにギルドへと早朝から向かってしまう。
残されたティエリナは皿洗いを手伝いつつ、手が空いたら客室の清掃をするために着替え、布団などを綺麗に整え、ほうき等を使って掃き掃除をする。
だがそんな掃除も直ぐに終わってしまい、手持ち無沙汰になったティエリナは縁側に座り、ボーッとしながら庭にある池を眺めていた。
「ティエリナよ」
「あ、お父さん。どうかしたの?」
「いや……少し、な」
「……?」
湯呑みを持ちながら、ティエリナの父親であるグザンがやって来るが、グザンは基本居間や自室以外を出歩くことがあまりないので、ティエリナは珍しいものを見る目で隣に座るグザンを見る。
グザンは湯気が立ち上る湯呑みに口をつけて息を吐き出しつつも、そっと湯呑みを隅において池を眺めながら口を開いた。
「友人と一緒にギルドには行かないのか」
「……うん」
「やはり、まだあの事件を引きずっているのだな?」
「それは……」
答えを出さずにあやふやな返事をするティエリナだが、父親であるグザンにはなにが言いたいのかが分かるのか、ふぅむと鼻で大きく空気を吸って口で吐き出していた。
そして静寂が訪れ、風によって家を支える柱が揺れ、キシキシという小さな音が響く中、グザンは腰からあるものを取り出した。
「これは……?」
「木刀。といっても、かなり短いがな。どうだ、握れるか?」
その木刀は木刀と呼ぶにはあまりにも短く、刀身と柄の部分が同じ大きさであった。
そんな子供が遊ぶにも使えないような木刀を手渡されたティエリナは、恐る恐るその木刀の柄を握りしめる。
すると突然目の前が紅色に染まり、ディオマインが耳に劈く咆哮を轟かせる幻聴にティエリナは襲われてしまう。
そしてすぐに目の前で散っていく友達や、おぞましい造形をしたディオマインの姿が無数にフラッシュバックし、ティエリナは過呼吸を起こしながら握っている木刀を手放していた。
「はぁ……! はぁ…………! ごめんなさい……私、これ以上は……」
「いいんだ。いや、言葉が違うな。すまなかった」
「だ、大丈夫。でも、どうしていきなりこんなことを……?」
「……わたしには、ティエリナが迷っているように見えたのだ」
「迷ってるって、私が?」
ティエリナが言い返し、グザンは『うむ』と答えて湯呑みに残った残りのお茶を飲み干す。
そして自分の袖と袖に手を通し、その場で立ち上がって横に一歩移動し、グザンは雲ひとつない青空を見上げて瞼を閉じた。
「あの者……なんといったか、確かレンという名であった。ティエリナ、お前はあの男のために頑張ろうと思っているだろう?」
「そ、そんなこと思って……ないとは言えないけど…………」
「あのレンという男、あぁ見えて意外と無鉄砲だろう? それでいて責任感が強く、他人を巻き込まないで自分一人で解決する。どうだ?」
グザンがレンの性格をズバリと言い当てたので、ティエリナはどうしてと言わんばかりの表情でグザンの顔を見上げる。
だがグザンは難しい顔をしており、足元に置いておいた湯呑みを持ち上げたと思えば、そのままゆっくりと居間へと向かっていく。
「あのような者は、いつか自分の身を滅ぼすことになる。もしそうなった時、もしあのとき自分がいれば──と、後悔することのないようにな」
「それって、どういう──」
ティエリナが言葉を言い切る前に、グザンは曲がり角を曲がって姿を消してしまう。
そして一人残されたティエリナはグザンが言い放った言葉を頭の中で整理しつつも、なぜ当然あのようなことを言い出したのかが分からず、ため息を吐きながら頭を抱えていた。
「おっ、ティエリナじゃーん! ってあれれ、どうしたの?」
「……ううん、なんでもない。ちょっと疲れたから、休んでただけ」
「ふーん、あまり頑張りすぎちゃダメだよ? ボクに言ってくれれば、出来るかぎりなら手伝うしさ!」
「うん、ありがとう。それで、カラリアはそんな荷物を持ってどこに行くの?」
「ちょっとグレームさんの工房にね。挨拶を兼ねて、少し用事があるからさっ。あ、夕方に帰るからお昼ご飯はいらないからね~」
カラリアは用件だけ伝えると片手をフリフリと振りながら大きな荷物袋を背負って玄関へと向かって行ってしまう。
そしてまたまた一人になったティエリナは横に転がった短い木刀の柄を避けるようにそっと持ち上げ、そのまま自室へと戻り、机の上に木刀を置く。
「あの時……ネルはなんて言ったんだっけ」
ギルドで冒険者として活動していた頃、ネルが言った言葉。
『もし離れ離れになっても、冒険者を続けようね! 続けていれば、いつかまた会えるから!』
この言葉は例えパーティがとある事情で解散したとしても、冒険者を続けていればどこかで再会するかもしれないという意味が込められていた。
当時は『離れ離れなんてありえない』や『私達はいつまでも一緒だから、大丈夫』と皆で友情を確かめ合っていたが、意外にもすぐにパーティは解散することになる。
解散する。ではなく、解散せざるを得ない状況になったというべきかは不明だが、まさか離れ離れ──それも、永遠に再会を果たすことは叶わなくなってしまうなど、誰が想像出来ただろうか。
冒険者の世界は、優しくはない。
それは分かっているのだが、やはりどこか浮かれていたのだろう。
準備も万端だった。
緊急時の行動や、作戦も完璧だった。
だがティエリナ達を襲ったものがあまりにもイレギュラーだっただけで、ティエリナ達に非などはないのである。
「……私って弱いな。カラリアは冒険者を続けるべきだって誘ってくれたけど、私は諦めた。怖かった」
ディオマインに襲われて以来、武器を手にするとあの地獄の光景がフラッシュバックしてしまい、激しい動悸とともに呼吸が苦しくなる。
ネルの言葉を信じて、何度も武器を握った。
だが恐怖に支配されたティエリナには、その恐怖を跳ね除ける力は持たなかった。持てなかった。
「もしあのとき自分がいれば──か」
ディオマインが現れた時、作戦通り率先して動けていれば、もしかしたら全員で生還できたかもしれない。
だがそれが出来なくなるほど、ディオマインの威圧感は人を絶望のどん底へと叩きつけるものであるのだ。
「私が武器を握って率先して戦ったら、こんなことにはならなかったのかな」
もうあんなことは起きてはならない事件だ。
もし誰かが襲われた時──例えば、レンが不在の時に魔物が襲ってきたら。
リルネスタやライネリア、ローザが戦ってる中、自分は守られているだけなのか。そう考えたとき、ティエリナは首を横に振っていた。
「私が勇気を出せば助けることが出来たなんて、もう思いたくない。だから……!」
ティエリナは決心し、木刀の柄を握った。
思い出したくない過去がフラッシュバックし、周囲が紅色に染ったと思いきや今度はあのときの気持ちの悪い金色の世界へと変わる。
そんな不気味な世界に引きずり込まれながらも、ティエリナは恐怖を克服するために柄を握った。握り続けた。
だが──
「はぁ……! はぁ…………! やっぱり、私には……」
結局息が苦しくなり、涙を浮かべたままティエリナは倒れ込んでしまう。
久しぶりに精神を使ったからだろう。
ティエリナはまるで気絶したかのように意識を落とし、しばらくの間机に突っ伏していた。
────────
金色の世界に浮かぶ体。
まるでずっと落下しているかのような感覚を覚え、踠くがどうにもならない。
体の至るところから汗が流れるのが分かる。
カーン、カーンと鐘の音が喧しく響いているのが分かる。
その鐘の音の中には叫び声や雄叫びが混ざっており、ティエリナはしつこくうなされていた。
「…………んっ……?」
目を覚ますと見慣れた天井が目に入ってくる。
机に目をやるとそこには水が注がれたコップが置かれており、いつの間にか服が掃除着から普段着用している和服に変わっていた。
「……もしかして、お母さんがしてくれたのかな」
子供の頃からティエリナが風邪をひくとリアーナは着替えを手伝い、よく机に水が注がれたコップを置いていたので、ティエリナは懐かしさを思い出しつつも体を起こす。
若干汗のせいで和服が肌にくっつくので熱がこもった布団を捲ると、悪夢の中で響いていたカーン、カーンという音がまた耳に届いてくる。
その音を聞き、ティエリナは夢を思い出してしまい耳を塞いでしまう。
だがそれは耳鳴りではなく、どうやら家の外から聞こえてくるものであった。
そして、ティエリナはその音の正体を知っていた。
「──っ! この音って……!」
布団をぐちゃぐちゃにしながらも、ティエリナは部屋を飛び出す。
「うおっ!?」
「きゃっ!?」
障子を開けて飛び出た瞬間、ティエリナは横から歩いてきたとある人物とぶつかってしまう。
「うぅ……ぅっ!?」
ティエリナが目を開けると、そこには転びそうになったティエリナを抱きかかえるように支えるレンがいて、腕を回されたティエリナは目をグルグルと回して頭の上から湯気が立ち上っていた。
「す、すまんっ! それより、怪我はないか?」
「は、はい。おかげさまで怪我はありません。ではなく! 先程から鐘の音が!」
「あぁ。カーン、カーンって聞こえてくるな」
「……やっぱり。皆さん、ついてきてください!」
ティエリナ家に帰ってくるや否や、珍しくドタバタしているティエリナに振り回されつつも、レン達はティエリナの言う通りにして何も言わず着いていく。
そして案内された場所にはグザンとリアーナが座っており、どちらも表情はやけに固く、強ばっていた。
「皆さん! 無事でよかったです」
「あのー、リアーナさん? あの鐘の音ってどういう意味があるんですか? あ、ほら、今も……」
リルネスタが素朴な疑問を投げかけると、再び外からカーン、カーンという音が聞こえてくる。
その音が聞こえるとティエリナだけでなくリアーナやグザンまでもが焦った様子でどこか落ち着きがなかった。
「この鐘の音にはパターンがあります。1回だけ鳴りますと魔物が近くにいるかもしれないという警報。2回鳴りますと魔物が門の前までやって来たという警報。3回鳴りますと街の中に魔物が侵入してきたという警報。そして4回鳴りますと避難警告です」
「ということは、今は2回聞こえるから…………」
「……門の前まで魔物が来たということだろうな。だがきっと冒険者が倒してくれるはずだ。ところでティエリナよ。カラリアの姿が見えないのだが……」
「カラリアならグレームさんの工房に行ってるはず……でも、グレームさんの工房は門から遠いから安全だと思う」
「そうか、ならとりあえずは一安心だな」
カラリアの安否が分かり、グザンはホッと胸を撫で下ろしていた。
どうやらこのような事態は久しぶりらしく、きっと街中騒ぎになってるはずなので外には出ない方がいいと告げられたレン達は、身を守るためにあえて居間でまとまって過ごしていた。
「……お母さん、大丈夫かな」
「大丈夫。今頃どこかの冒険者さんが魔物を追い払って──」
ティエリナを安心させるためにリアーナが優しい口調で告げようとするが、そんなリアーナを裏切るように再び鐘の音が鳴る。
その鐘の音は先程よりも大きな音で、あまりの大きさにリアーナの顔からは余裕が消えかかっていた。
だが娘やその友人の前で慌ててはいけないと思っているのか、リアーナは少しばかりぎこちない笑顔を取り繕う。
しかし、そのぎこちない笑顔は今現在鳴り響いている鐘の音によってかき消されることになる。
カーン、カーン、カーン、カーンと、4回にも渡る鐘の音が響いた後に、更に追い打ちをするようにもう一度カーンと鐘の音が鳴り響く。
5回目の鐘の音が意味するもの。
それは冒険者の緊急招集、もといグランニール全体の危機に陥った時にしか鳴らないはずであった。
はずで、あった──
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