上 下
52 / 97
第五章 異世界ですが、再就職をしたいです

6.人生至る所青山あり

しおりを挟む
「おれの父親ってのは、この街で代々続く大貴族でね。忙しくも次の選挙の候補者のひとりでもある」

 選挙。候補者。

 その言葉でようやく気づいた。この街、カラブフィサの広場でみんなが噂していた候補者のひとり。その息子がユーリオットさんなのか。
 しかも母親は父親と血がつながっている。有名人と言っていたのは、そういう意味?

 それにしたって、エッサラさんの様子はおかしかった。あれはどういうことなのだろう。

「ものごころついたときから、おれはここにひとりだ。いちばん古い記憶は、女中の表情。食事の皿を下げるとき、その指に嵌まっていた指輪があまりにもきれいで。それに手を伸ばしたら、火傷したかのように身を引かれた。その女の表情だ。よくないものを見る目。誰も彼もがそういう目でおれを見る。だったらおれは、よくないものなのだろう」

 机の上に置かれた書物。その紙の文字を右手のひとさし指でゆっくりと、左右になぞっている。ミミズがのたくったような青い文字。当然のことながら、ミミズたちはそこで悠然と座したままだ。

「何人目の女中かだったかはまったく覚えていない。髪の色を覚える前に、あいつらは替わっていくからな。あるとき、そのうちの誰かが教えてくれた。おれの出生について。絶大なる造物主ですら、きっとおれは救えない」

 それからちょっと考えるように宙を見て、だが父親が一度だけここへ来た、と呟いた。

「十年くらい前だったかな。突然ここにやってきた。母親がおれの存在を疎むあまりに気狂いになり果てたと。そしておれの顔も見たくないから、この邸から一歩も出るなと告げて去った」

 類まれなる美しい相貌と、口にするのも憚られる出生。
 どの女中もすぐに逃げ出す理由はそれか。
 街でその名を知らぬものはいない大貴族。その禁忌の子。人の口に戸は立てられない。噂は水があふれるように広がって、まるで移る病のように忌避された。

 どういう気持ちだろう? 物心ついたときからここでひとり。世話役は名前を覚える間もなく変わっていく。

 ここで一緒に生活していた間のことを思い出す。
 フォークやナイフのけして上手いとは言えない使い方。食事のときの野菜を避ける偏食。お風呂上りの、水がぼたぼた落ちる濡れた髪。
 どれもこれも、大人から顧みられない子どものそれではなかったか。
 
 外に出れば向けられるのはいわれのない悪意。
 唯一ゾエさんだけが淡々と接してきたのだろう。

かつえて死ぬこともない。望めばだいたいのものは与えられる。おまえを雇う金すらも。ほんとうに欲しいものはどうやっても与えられないけどな」

 ほんとうに欲しいもの。それって――ユーリオットさんが、とんと胸の辺りをさすった。

「鼓動を止めること。書物では、そうなると二度とものを考えなくなるとある。何も見ないし聞こえないんだ――」

 唯一なる造物主が、それさえ許してくれればな。

 そこには純粋な焦がれがあった。思春期にありがちな興味本位の死への憧憬ではない。現実的な手触りの希求。
 ユーリオットさんは残念そうに呟いて、そしてまた手元の書物へ視線を落としたのだった。







「たま! いいかげん、起きなさいよ!」

 一日の仕事を終えた夜。自室に戻った私は手持ちの燭台を机の上に置く。ゆらりと火が揺れて、暗闇と明るみを明確に分けた。それから私は置きっぱなしの頭輪たまをつまんで、かかかっと机にぶつける。

 ひどい! ひどすぎる。
 近親婚がこの世界でも禁止で、ましてやその子どもが疎まれ、忌まれてしまうのは仕方のないことかもしれない。

 でもユーリオットさんが何か悪いことをしたか? ひとつもしていない。

 それどころかすでに医師を志し、勉学に身を捧げているのだ。ものすごく立派なことではないか。

 もし私がいまスマホを持っていたら、「兄妹の子」で検索してしまっていたかもしれない。それくらい衝撃的だった。

(……なんだ、縁子。我輩はもう少し、眠りを必要としている)

「あんったね、ふてぶてしさに拍車かかってるよ。聞きたいことも言いたいことも山のようにあるけど――もうどうしたらいいのかわからないよ」

 天珠ラーラ・アモがどうのこうのは、どうでもよかった。それよりも目の前の少年をなんとかしたかった。あれでは死なないために生きているだけではないか。
 人生一度しかなく、楽しんだもの勝ちなのに。幸せになる権利は、ちゃんとユーリオットさんにもあるのに。
 けど、今それを言ってもきっと伝わらないのだろう。

「あんたが私を巻き込んだのよ。天珠ラーラ・アモどうこうに協力してるんだから、たまも力を貸しなさい」

(話が見えないが。縁子が思ったことをそのまま伝えてやればいい。その涙を、与えてやればいいのでは?)

 うぐっ、と思う。またも私は泣いていた。
 どうしてと思う。日本にいたころは、卒業式でもどんな映画でも泣いたことないのに。
 友達がすごく泣けたという小説を貸してくれて、でも私は泣けなかったと返したら「ありえない!」と言われたほどに、泣かない女だったのに。

 ああ、そうか。あれも私は私を守るために、無意識に深く考えないように、関わらないようにしていたせいなのだろうか。

 だとしたら、なんて傲慢。

(――最初はな。縁子のような、なにひとつ特徴も取り得もない小娘を、どうして我輩の力が選んだのか不思議に思ったが。縁子といるにつけ、納得してきたぞ)

 たまへの苛立ちメーターは、絶賛上昇中だ。ひとつも褒めていない。

(見てくれも、突出した技も、持ち合わせてはいないが。縁子の言葉はときどき、日常の言葉が散らばる場所、そこにある柵をふわりと越えて、相手のやわらかいところに着地するのだ。羽毛でくるまれるような心地よさを、相手はきっと覚えるのだろう)

 なんだか難しいことを言っている。そして私は、そんなたいそうなことを言えたことなどない。
 肝心な言葉は、いつだって届かない。

 ただ、あんなふうに目の前で諦めてほしくはない。そう。高校の国語の先生も言っていた。人生至る所青山あり。私はその意味を、いつだって今を最高に楽しまねばと受け取った!(違うかもしれないけど)

 目をこすって鼻をすすったところで、私はふと、嗅ぎなれない香りが部屋に満ちていることに気づいた。部屋を見回せば、蝋燭の橙色の明かりの中、枕元にあるぽち袋のような存在に気づいた。

 なんだろうと思いながら手を伸ばす。手のひらに乗るようなサイズの巾着だった。中を覗くと、乾いた葉っぱのようなものが詰まっている。
 鼻をくすぐるのは、心やすらぐ香草のにおい。カモミールか、ラベンダーか。無知な私にはよくわからないけど。
 
(ああ、縁子が買い物に行っている間に、あの小僧がこっそり置いていってたぞ。このあたりでは、知り合ったり親しくなった相手に、月が一周する周期で贈り物をするらしいな)

 かわいいところもあるじゃないか。たまはそう言って、再び眠そうに何事か呟いている。

 今日をいつだと思っている。

 彼のその言葉が頭の中で繰り返された。不機嫌そうな声。その奥に、照れくささや期待の色はなかったか。
 私はもう胸がいっぱいで、どうしようもなかった。冷えた身体にお湯を注がれたような心地。熱くなる目頭。

 そうだ。たまも言ったではないか。思ったことを、そのまま伝えよう!

 私はぎゅっと匂い袋を握り締め、ばーん、と扉を開けて、だだだっと廊下を走り、そのままばーん、とユーリオットさんの部屋に駆け込んだ。

 蝋燭を灯して机で書物を読んでいた彼は、びくっとこちらを見た。顔の半分だけが照らし出されて、普段とは別人のように見える。私は決死の覚悟だったので、きっとすごい形相だったに違いない。

 駆け込んだ勢いのまま、私は彼に思い切り抱きつく。飛びついたと言っていい。風圧で火が揺れて、部屋の壁に映る私たちの影もまた、ぐにゃりと揺れた。
 となりにあった立派なベッドに、二人で倒れこむ。ぎしりと弾む、質のいい寝台。しかし隣に腰掛けて彼に寝物語を語ってくれた人は、いままでだれもいなかった。

 呆気にとられたように私を見上げるユーリオットさん。びっくり顔が年相応で、新鮮だ。そして私は、彼にのしかかったまま、機関銃のように言い募った。

「ユーリオットさんはとてもきれいです」
「は」
「それに、見た目だけでなく優しい人です」
「なに」
「他の誰が忌み子と言おうと、ユーリオットさんは何一つ悪いことはありません。堂々と幸せになる権利があるんです」
「おい」
「言いたい人には!」

 いいかげんに、と言いかけたユーリオットさんの身体が硬直した。のしかかったままの私の涙が、彼の頬に落ちたせいだったかもしれない。理解できない、というように見開かれた麦穂の瞳。

「言いたい人には言わせておけばいいんです。そういう人はいつの時代のどこにでもいて、どうせ何かにつけてけちを付けてくるんです。万人に好まれる人間なんていないんです。だからあなたは堂々としていればいいんです」

 そういうような内容のことを、こんこんと伝え続けた。

 最初は呆然としたまま、それから真っ赤になって抵抗するユーリオットさんをぎゅうっと抱きしめて、(まだぎりぎり私のほうが力が強い!)私の伝えたいことは伝わりましたかと聞いて、諦めたように彼がわかったというまで、ずっと抱きしめて、伝え続けた。

 満足した私は、そのまま眠ってしまい――翌日、尋常じゃないくらい叱られるはめになる。 




しおりを挟む
感想 15

あなたにおすすめの小説

穏やかな日々の中で。

らむ音
恋愛
異世界転移した先で愛を見つけていく話。

異世界の美醜と私の認識について

佐藤 ちな
恋愛
 ある日気づくと、美玲は異世界に落ちた。  そこまでならラノベなら良くある話だが、更にその世界は女性が少ない上に、美醜感覚が美玲とは激しく異なるという不思議な世界だった。  そんな世界で稀人として特別扱いされる醜女(この世界では超美人)の美玲と、咎人として忌み嫌われる醜男(美玲がいた世界では超美青年)のルークが出会う。  不遇の扱いを受けるルークを、幸せにしてあげたい!そして出来ることなら、私も幸せに!  美醜逆転・一妻多夫の異世界で、美玲の迷走が始まる。 * 話の展開に伴い、あらすじを変更させて頂きました。

二度目の勇者の美醜逆転世界ハーレムルート

猫丸
恋愛
全人類の悲願である魔王討伐を果たした地球の勇者。 彼を待っていたのは富でも名誉でもなく、ただ使い捨てられたという現実と別の次元への強制転移だった。 地球でもなく、勇者として召喚された世界でもない世界。 そこは美醜の価値観が逆転した歪な世界だった。 そうして少年と少女は出会い―――物語は始まる。 他のサイトでも投稿しているものに手を加えたものになります。

私が美女??美醜逆転世界に転移した私

恋愛
私の名前は如月美夕。 27才入浴剤のメーカーの商品開発室に勤める会社員。 私は都内で独り暮らし。 風邪を拗らせ自宅で寝ていたら異世界転移したらしい。 転移した世界は美醜逆転?? こんな地味な丸顔が絶世の美女。 私の好みど真ん中のイケメンが、醜男らしい。 このお話は転生した女性が優秀な宰相補佐官(醜男/イケメン)に囲い込まれるお話です。 ※ゆるゆるな設定です ※ご都合主義 ※感想欄はほとんど公開してます。

もしかしてこの世界美醜逆転?………はっ、勝った!妹よ、そのブサメン第2王子は喜んで差し上げますわ!

結ノ葉
ファンタジー
目が冷めたらめ~っちゃくちゃ美少女!って言うわけではないけど色々ケアしまくってそこそこの美少女になった昨日と同じ顔の私が!(それどころか若返ってる分ほっぺ何て、ぷにっぷにだよぷにっぷに…)  でもちょっと小さい?ってことは…私の唯一自慢のわがままぼでぃーがない! 何てこと‼まぁ…成長を願いましょう…きっときっと大丈夫よ………… ……で何コレ……もしや転生?よっしゃこれテンプレで何回も見た、人生勝ち組!って思ってたら…何で周りの人たち布被ってんの!?宗教?宗教なの?え…親もお兄ちゃまも?この家で布被ってないのが私と妹だけ? え?イケメンは?新聞見ても外に出てもブサメンばっか……イヤ無理無理無理外出たく無い… え?何で俺イケメンだろみたいな顔して外歩いてんの?絶対にケア何もしてない…まじで無理清潔感皆無じゃん…清潔感…com…back… ってん?あれは………うちのバカ(妹)と第2王子? 無理…清潔感皆無×清潔感皆無…うぇ…せめて布してよ、布! って、こっち来ないでよ!マジで来ないで!恥ずかしいとかじゃないから!やだ!匂い移るじゃない! イヤー!!!!!助けてお兄ー様!

私は女神じゃありません!!〜この世界の美的感覚はおかしい〜

朝比奈
恋愛
年齢=彼氏いない歴な平凡かつ地味顔な私はある日突然美的感覚がおかしい異世界にトリップしてしまったようでして・・・。 (この世界で私はめっちゃ美人ってどゆこと??) これは主人公が美的感覚が違う世界で醜い男(私にとってイケメン)に恋に落ちる物語。 所々、意味が違うのに使っちゃってる言葉とかあれば教えて下さると幸いです。 暇つぶしにでも呼んでくれると嬉しいです。 ※休載中 (4月5日前後から投稿再開予定です)

婚約者は醜女だと噂で聞いたことのある令嬢でしたが、俺にとっては絶世の美女でした

朝比奈
恋愛
美醜逆転ものの短編です。 男主人公にチャレンジしてみたくで以前書いたものですが、楽しんでいただければ幸いです。

天使は女神を恋願う

紅子
恋愛
美醜が逆転した世界に召喚された私は、この不憫な傾国級の美青年を幸せにしてみせる!この世界でどれだけ醜いと言われていても、私にとっては麗しき天使様。手放してなるものか! 女神様の導きにより、心に深い傷を持つ男女が出会い、イチャイチャしながらお互いに心を暖めていく、という、どう頑張っても砂糖が量産されるお話し。 R15は、念のため。設定ゆるゆる、ご都合主義の自己満足な世界のため、合わない方は、読むのをお止めくださいm(__)m 20話完結済み 毎日00:00に更新予定

処理中です...