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第3章 Distance of Mind
第50話 シュクフク
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◇◇◇◇◇
「ぎぃやあぁぁああぁぁあ!!」
人だかりのできた保管室の奥から、耳をつんざくような叫び声がこだまする。
悲鳴などという生易しいものではない。人間のものとは思えぬ叫びは、まるで断末魔のように鋭く室内の空気を震わせていた。
だが目の前で展開される状況に対して、その場に集まった誰もどうすることもできずにいる。否、なんとかしてやりたいのはやまやまだったが、とても手が出せるような状況ではない。
「あぁああぁぁ!! あついっ…! あついよぉっ!!」
キューブが保管されているガラス張りの空間は、一面真っ赤な炎に包まれていた。
しかしだからといって、実際になにかが燃えている様子は見受けられない。濃淡の混ざりあった半透明な赤い光の帯が、なにかを拒絶するようにうごめいているだけである。
それは特有の高温を放ち、大蛇のようにエリカの体にまとわりついていた。
獣のような叫び声を上げながら床をのたうち回るエリカは、我を忘れて自身の体をがむしゃらに掻きむしっている。
長く伸ばした爪が仇となって、白い肌にはいくつもの線がくっきりと血をにじませていた。彼女にとっては、まるで本物の炎に身を焼かれているような感覚なのだろう。
「……拒絶反応、か……?」
目の前で繰り広げられる惨劇に、ユキノリはぽつりと言葉をこぼした。
この炎を模した半透明な光が、キューブから発せられたものであるのは明白だ。過去の調書にも、同様の事象が記録されている。
――まさか、再びこの目で見ることになるとは……。
久しく記録のない光景に、ユキノリは静かに生唾を飲みこんだ。
しかしだからこそ、不用意に手が出せないのも事実である。
暴走を始めたキューブに生身の人間が近づけばなにが起こるか。その危険性がわからない者はこの場にはいないだろう。
キューブの光は非適合者を容赦なく拒絶し、想像を絶するほどの苦痛を与えるのである。
現に保管室の中心にいるエリカは、狂ったように床を這いずりまわり叫びつづけている。
「収まるのを、待つしかないのか……」
眉間にしわを寄せるユキノリの声をさえぎるように音が響いた。
現場に駆けつけたハルとキョウヤ、ホノカとアキトの姿に、みながおのずと道を開ける。
「っ……!?」
人だかりをかき分けた先の光景に息を飲んだ。
ガラス越しの室内は、まさに地獄絵図のようだった。
「……ハル」
「うん。呼ばれてるのは、わたしだ」
ホノカのつぶやきに、ハルは小さくうなづく。
キューブが放出しているのが炎であるなら、おそらく同じ属性のハルにしか手が出せない。
一歩踏み出したハルの手を、キョウヤが反射的につかむ。
スペランツァといえど、暴走するキューブに近づけばなにが起こるかわからない。懸念される最悪の事態に、言葉よりも気持ちが先行していた。
「大丈夫。わたしを信じて」
そう言って小さく笑みをこぼすハルに、キョウヤは彼女の瞳をまっすぐに見つめてうなづいた。
握った手の力をゆるめると、ハルの腕が遠のいていく。
「ちょっと待ちなさい、ハル!」
マリアの呼びかけに答えることなく、ハルは落ち着いた足取りでゆっくりと炎に身を投じた。
炎の勢いが増す。しかし熱はない。
体にまとわりつく光を払うことはせず、ハルは暴れ狂うエリカの横をなに食わぬ顔で通りすぎた。
助けを求めるように伸ばされたエリカの手は、ハルには届かない。
「キューブ……」
無造作に床に転がるキューブは、いつもの輝きを失っていた。
結晶の中は不安定にゆらゆらと揺れ、艶のあるなめらかな表面は見る影もなく曇ってしまっている。
刺々しくざらついた宝石は、まるで憎しみや悲しみといった負の感情をそのまま凝縮させたようだった。
ハルは黒くにごってしまったその宝石を、すくうように優しく両手で包みこむ。
「っ!? てっ……!」
人だかりの中、キョウヤは小さく声を上げた。彼は右手で自身のひたいを押さえたまま下を向く。
頭が締めつけられるように痛い。肌を焦がすような熱に、キョウヤは無意識に眉間にしわを寄せて、くしゃりと前髪をつかんだ。
「っ、……」
痛みが、徐々に収まっていく。
それと同時に、不思議な感覚がキョウヤの体中をめぐっていた。
まるで、誰かと意識を共有しているような。
「キョウヤ……!? あんた、それっ……」
「あなた、まさか……!?」
ホノカの上げた驚愕の声に、みなの視線がキョウヤに集まる。
おもむろに上げられたキョウヤのひたいには、まるで輪をえがくように血がにじんでいた。
「聖痕……!」
自分のものではない鼓動を感じ、キョウヤはおもわずハルを見た。こちらを見つめながら優しく微笑む彼女と視線が交差する。
キューブの光でふわりと髪を浮かせたハルのひたいにも、血の色をした聖痕が浮かび上がっていた。
「ハルっ……!」
次の瞬間には、キョウヤは無意識のうちに保管室へ飛びこんでいた。
周囲を取り巻く炎の熱は感じない。赤い光が揺れる中、いまだ安定しないキューブを手にするハルを引き寄せる。そうしてキューブごと、彼女をその腕に包みこんだ。
一陣の風が舞う。
瞬く間に、赤く染まった部屋は見慣れた様相を取り戻し、静寂が辺りを支配していた。
よどんだ色合いが嘘のように消え去り、美しく透きとおるキューブは再び淡い光を放ちはじめる。
「鎮まっ、た……?」
ハルの手の中にある宝石に、もはや禍々しさは感じられない。
目の前のキョウヤを見上げたハルに、彼ははにかむように笑って、彼女の頭をなでた。こつんとひたいを合わせれば、二人のひたいに浮かんだ聖痕が吸いこまれるように消えていく。
ハルは落ち着いた様子で、手にしたキューブを保管装置に戻した。
いつもどおりにふわふわと浮かぶ宝石に、みなの安堵の息が漏れる。
「アハハッ! キャハハハハッ」
目の前で起きた一瞬の奇跡のようなできごとに静まり返った空気を、突如として甲高い笑い声が切り裂いた。強制的に現実に引き戻されたユキノリたちは、慌ただしく指示を出し事態の対処に動きだす。
引きずられるようにして保管室から担ぎ出されるエリカは、終始狂ったように笑いつづけていた。焦点の合わぬ揺れる瞳はなにを映すでもなく、ただただ天を仰いでいる。
「ハル、キョウヤ。二人とも、検査を受けておいで」
ユキノリは、ひどく優しくそう言った。
保管室の隅で、男はクツクツと喉を鳴らす。
みなとともに部屋を出ていくハルを、男はただ視線だけで追っていた。
「もうすぐ、迎えにいくよ、ハル」
慌ただしい室内で誰にも気づかれぬまま、男は闇に消えていった。
「ぎぃやあぁぁああぁぁあ!!」
人だかりのできた保管室の奥から、耳をつんざくような叫び声がこだまする。
悲鳴などという生易しいものではない。人間のものとは思えぬ叫びは、まるで断末魔のように鋭く室内の空気を震わせていた。
だが目の前で展開される状況に対して、その場に集まった誰もどうすることもできずにいる。否、なんとかしてやりたいのはやまやまだったが、とても手が出せるような状況ではない。
「あぁああぁぁ!! あついっ…! あついよぉっ!!」
キューブが保管されているガラス張りの空間は、一面真っ赤な炎に包まれていた。
しかしだからといって、実際になにかが燃えている様子は見受けられない。濃淡の混ざりあった半透明な赤い光の帯が、なにかを拒絶するようにうごめいているだけである。
それは特有の高温を放ち、大蛇のようにエリカの体にまとわりついていた。
獣のような叫び声を上げながら床をのたうち回るエリカは、我を忘れて自身の体をがむしゃらに掻きむしっている。
長く伸ばした爪が仇となって、白い肌にはいくつもの線がくっきりと血をにじませていた。彼女にとっては、まるで本物の炎に身を焼かれているような感覚なのだろう。
「……拒絶反応、か……?」
目の前で繰り広げられる惨劇に、ユキノリはぽつりと言葉をこぼした。
この炎を模した半透明な光が、キューブから発せられたものであるのは明白だ。過去の調書にも、同様の事象が記録されている。
――まさか、再びこの目で見ることになるとは……。
久しく記録のない光景に、ユキノリは静かに生唾を飲みこんだ。
しかしだからこそ、不用意に手が出せないのも事実である。
暴走を始めたキューブに生身の人間が近づけばなにが起こるか。その危険性がわからない者はこの場にはいないだろう。
キューブの光は非適合者を容赦なく拒絶し、想像を絶するほどの苦痛を与えるのである。
現に保管室の中心にいるエリカは、狂ったように床を這いずりまわり叫びつづけている。
「収まるのを、待つしかないのか……」
眉間にしわを寄せるユキノリの声をさえぎるように音が響いた。
現場に駆けつけたハルとキョウヤ、ホノカとアキトの姿に、みながおのずと道を開ける。
「っ……!?」
人だかりをかき分けた先の光景に息を飲んだ。
ガラス越しの室内は、まさに地獄絵図のようだった。
「……ハル」
「うん。呼ばれてるのは、わたしだ」
ホノカのつぶやきに、ハルは小さくうなづく。
キューブが放出しているのが炎であるなら、おそらく同じ属性のハルにしか手が出せない。
一歩踏み出したハルの手を、キョウヤが反射的につかむ。
スペランツァといえど、暴走するキューブに近づけばなにが起こるかわからない。懸念される最悪の事態に、言葉よりも気持ちが先行していた。
「大丈夫。わたしを信じて」
そう言って小さく笑みをこぼすハルに、キョウヤは彼女の瞳をまっすぐに見つめてうなづいた。
握った手の力をゆるめると、ハルの腕が遠のいていく。
「ちょっと待ちなさい、ハル!」
マリアの呼びかけに答えることなく、ハルは落ち着いた足取りでゆっくりと炎に身を投じた。
炎の勢いが増す。しかし熱はない。
体にまとわりつく光を払うことはせず、ハルは暴れ狂うエリカの横をなに食わぬ顔で通りすぎた。
助けを求めるように伸ばされたエリカの手は、ハルには届かない。
「キューブ……」
無造作に床に転がるキューブは、いつもの輝きを失っていた。
結晶の中は不安定にゆらゆらと揺れ、艶のあるなめらかな表面は見る影もなく曇ってしまっている。
刺々しくざらついた宝石は、まるで憎しみや悲しみといった負の感情をそのまま凝縮させたようだった。
ハルは黒くにごってしまったその宝石を、すくうように優しく両手で包みこむ。
「っ!? てっ……!」
人だかりの中、キョウヤは小さく声を上げた。彼は右手で自身のひたいを押さえたまま下を向く。
頭が締めつけられるように痛い。肌を焦がすような熱に、キョウヤは無意識に眉間にしわを寄せて、くしゃりと前髪をつかんだ。
「っ、……」
痛みが、徐々に収まっていく。
それと同時に、不思議な感覚がキョウヤの体中をめぐっていた。
まるで、誰かと意識を共有しているような。
「キョウヤ……!? あんた、それっ……」
「あなた、まさか……!?」
ホノカの上げた驚愕の声に、みなの視線がキョウヤに集まる。
おもむろに上げられたキョウヤのひたいには、まるで輪をえがくように血がにじんでいた。
「聖痕……!」
自分のものではない鼓動を感じ、キョウヤはおもわずハルを見た。こちらを見つめながら優しく微笑む彼女と視線が交差する。
キューブの光でふわりと髪を浮かせたハルのひたいにも、血の色をした聖痕が浮かび上がっていた。
「ハルっ……!」
次の瞬間には、キョウヤは無意識のうちに保管室へ飛びこんでいた。
周囲を取り巻く炎の熱は感じない。赤い光が揺れる中、いまだ安定しないキューブを手にするハルを引き寄せる。そうしてキューブごと、彼女をその腕に包みこんだ。
一陣の風が舞う。
瞬く間に、赤く染まった部屋は見慣れた様相を取り戻し、静寂が辺りを支配していた。
よどんだ色合いが嘘のように消え去り、美しく透きとおるキューブは再び淡い光を放ちはじめる。
「鎮まっ、た……?」
ハルの手の中にある宝石に、もはや禍々しさは感じられない。
目の前のキョウヤを見上げたハルに、彼ははにかむように笑って、彼女の頭をなでた。こつんとひたいを合わせれば、二人のひたいに浮かんだ聖痕が吸いこまれるように消えていく。
ハルは落ち着いた様子で、手にしたキューブを保管装置に戻した。
いつもどおりにふわふわと浮かぶ宝石に、みなの安堵の息が漏れる。
「アハハッ! キャハハハハッ」
目の前で起きた一瞬の奇跡のようなできごとに静まり返った空気を、突如として甲高い笑い声が切り裂いた。強制的に現実に引き戻されたユキノリたちは、慌ただしく指示を出し事態の対処に動きだす。
引きずられるようにして保管室から担ぎ出されるエリカは、終始狂ったように笑いつづけていた。焦点の合わぬ揺れる瞳はなにを映すでもなく、ただただ天を仰いでいる。
「ハル、キョウヤ。二人とも、検査を受けておいで」
ユキノリは、ひどく優しくそう言った。
保管室の隅で、男はクツクツと喉を鳴らす。
みなとともに部屋を出ていくハルを、男はただ視線だけで追っていた。
「もうすぐ、迎えにいくよ、ハル」
慌ただしい室内で誰にも気づかれぬまま、男は闇に消えていった。
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