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第2章 The Reason for Tears

第22話 シグナル

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「キューブに適合しても、戦場には出せないって言われたのが……。せっかくスペランツァになったのに、役に立たないって言われてるみたいで……」

 床を見つめながら言葉を紡ぐツカサの隣で、アキトは黙って耳を傾けた。
 ツカサが適合者となったのは約二年前のこと。その日のことは、アキトもよく覚えていた。


 国のデータベースから選出された候補生が軒並み大した成果を出せない中、度重なる入隊の延期を経てようやくやって来た少女。
 エントランスに横づけされた車から降りた、否、降ろされた彼女の姿に、期待の声が落胆のため息へと変わる。

「こんな状態で、はたして使い物になるのか」と。

 少女は車イスに座ったまま、点滴につながれていた。
 だぼだぼのカーディガンの上からでもわかるほどに痩せ細った体。
 生まれてからのほとんどを病室で過ごしていたという少女に基礎体力はなく、身体機能も万全とは言えない。さらには余命宣告を受けているという。
 それほどまでに、少女の健康状態は芳しくなかった。
 事前に彼女の状況を聞いていたアキトでさえ、少女のありさまには悲観せざるを得なかった。

 それでも少女は生きるために、わずかな希望を胸にこの決断をしたのだ。
 うつろな瞳の奥に、まっすぐな光を瞳に宿して。
 とはいえそんな状態では、体が適合実験に耐えうるかもわからない。当然、最悪の事態も想定されていた。


「実験が危険だってこともたくさん言われました。こんなのやめようって。何度も何度も。だけど思ったんです」

 ツカサはうつむいていた顔を上げて、まっすぐに前を向いた。
 六階への到着を知らせるエレベーターのドアが、ゆっくりとひらく。

「どうせ死ぬなら、賭けてみようって」

 一歩を踏み出したツカサの顔には、笑みが浮かんでいた。
 小柄な体には似つかわしくないほどの大きな覚悟を、彼女は背負っているのだろう。日々の鍛練を欠かさないのは、その覚悟に見合う自分になるため。

「やっと戦場に立てるようになったんです。足手まといにはなりたくない。ホノカさんとハルさんの負担を減らすためにも、わたしは強くならなきゃいけないんです。そのための努力なら惜しまない」

 たった一年で自身への評価を前言撤回させた少女。
 彼女の瞳に宿る光は陰りを見せず、さらに輝きを増しているようにも思える。

「まぁ、ほどほどにね」

 意気込むツカサの頭を、アキトはぽんぽんと軽くなでる。

「あ! マリア先生には、トレーニングしてたってこと内緒にしてくださいね!」

 振り向いてそう言うツカサに、アキトは「どうせばれると思うけどなぁ」と思いつつも返事をして、たどり着いた検査室のドアロックを解除する。

「せんせー、遅くなってごめんなさい!」

 元気よく声を上げたツカサを見るなり、マリアは盛大にため息をついた。

「まったく、あなたって子は……」

 腰に手をあて仁王立ちになったマリアに、ツカサもアキトもおもわず苦笑する。
 一瞬で怒られることを悟ったツカサが、そそくさとアキトのうしろに身を隠した。

「またやったわね?」

 アキトを盾にして顔だけ覗かせたツカサは、ごまかすようにへらっと笑ってみせた。

「まったくもう……。いい? 時にはしっかり休むことも大切よ。それでなくても、あなたはもともと体が弱いんだから」
「はぁい、ごめんなさぁい」

 一応謝罪の言葉を口に出してはみるものの、行動を改める気がないのはマリアにもお見通しである。

「今日明日はトレーニングルームには出入り禁止! 瀬田せたさんにも伝えておきますからね!」
「えぇ~、そんなぁ!」

 ツカサにとっては、それこそ悪魔のひと言である。
 トレーニングを禁止されたら、あさってまでどうやって過ごせというのか。
 しかも組織にまでついてきてくれた、親代わりのような存在である専属の看護師にまで告げ口されては、部屋に軟禁されたあげくにあれやこれやと世話を焼かれるに決まっている。彼女はことツカサに関しては、心配性で過保護なのだ。

 なんとかマリアの許可を得ようと上目づかいでねだってみるが、どうやら彼女は聞く耳を持ってくれなさそうである。
 淡々と検査の準備をするアキトに助けを求めてみても、彼は笑顔で首を横に振るばかりだ。

「せんせぇ~、お願い~」
「そんな顔してもダメなものはダメ。ほら、始めるわよ」

 ツカサの気持ちもわからんでもないが、マリアも監督者として彼女に無茶はさせられない。
 子犬のように丸い目を潤ませて見上げてくるツカサをぴしゃりとさえぎって、マリアは検査用のヘッドギアを手渡した。

「せめて瀬田さんには黙っててください~。ぜったい怒られるもん!」

 泣きつかんばかりの勢いでそう言われ、マリアは「はいはい」と返事をする。
 ヘッドギアを受け取り「約束ですよ!」と念を押して、ツカサは医療用のリクライニングチェアに体を沈めた。
 ゆっくりと呼吸を整え、保管室で眠るキューブに意識を同調させていく。

――もっと、もっとがんばらなきゃ。

 閉ざしたまぶたの裏側で、七色の光がチカチカと不規則にきらめいていた。
 思考が精神の奥深くに引っぱられる。
 頭の上から飲み込まれるような感覚に身をゆだねる。
 チクリ、と痛んだ胸の違和感に、ツカサは気づかないふりをした。


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