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第五章 領地発展編
第163話 幕間 エレインの述懐
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私の名前はエレイン。
平民の出だが、幼い頃から勉強して、なんとか官吏の道に進むことが出来た。
女で官吏というのは珍しく、女性官吏は私を含めて数人しかいない。
それでも、この職業についたのは、貧困に苦しむ民を救いたかったからだ。
それは十分に私の人生を賭けるに足る目的だった。
いつの日か政治の中枢である大臣になって、貧窮する民を救いたい。
ところで、私は男が嫌いだ。
男というものは本当に下劣で仕方がない。
私が王宮に務めるようになった頃から、ほぼ毎日、同僚である男性官吏の性的な嫌がらせに悩まされてきた。
こっちが真剣に仕事をしているというのに、男どもは私の胸や尻にいやらしい目つきを向けてくる。
中には触ろうとする輩までいた。
そう言った輩には、容赦なく顔を張り倒してやっている。
本当に男とはなんなのだろう。
吐く息は臭いし、不潔だし、下品だし。
私の直属の上司に当たる男は、日々の報告の際、不必要にその脂ぎった顔を近づけてきて、臭い息を吐きかけてくる。
正直に言って、生理的に無理だった。
上司に限らず、先輩や後輩、同僚などでも男は皆、生理的に無理だった。
汚らわしい。
そんなわけで、25歳になっても結婚をせずに日々職務に明け暮れている。
その甲斐があってか、順調に出世を重ねてきた。
でも、最近、限界を感じるようになった。
私がこれ以上、出世する為には、平民出身というのが足かせになってくるのだ。
今、私の上の地位は皆、名門貴族出身者で埋められいる。
どんなに上手く仕事をこなしても、そこに食い込むのは無理だろう。
ましてや大臣なんて夢のまた夢だ。
そう考えると、なんだか身体の力が抜けてきて。
最近の私は、言葉にできない徒労感に包まれていた。
「……セラン荒野ですか?」
「ああ。是非そなたにはそこの内政官になってもらいたいと思ってな」
突然、陛下の執務室に呼び出されたと思ったら、セラン荒野へ行けと言われた。
セラン荒野。
確か、新興の貴族の領地になった場所だ。
王都から遠く離れた……僻地だった。
いわゆる左遷という奴だろうか。
自分でも気づかないうちに、私は何かとんでもない失敗をやらかしてしまっていたらしい。
「いや、誤解しないでくれ。そなたを島流しにしたいわけではないのだ」
陛下はそう言ってくれたのだが。
それ以外に何があるというのだろう。
「陛下。彼女は乗り気ではないようですので、ここは代わりに私が行こうと思うのですが?」
「……ゼービア。以前も言ったが、なぜ近衛騎士団長のそなたが行く? 今、あそこに必要なのは内政官だ。そなたは武官であろう?」
「……まあ、そうですけど」
陛下の横に立つ近衛騎士団長は、不満そうに唇を尖らせていた。
職務に忠実な彼女にしては珍しく、どこか可愛らしい表情だった。
「エレイン。私はそなたの政治力を買っておる。出来ることならこのまま王都に留まって、その辣腕を振るって貰いたいと思っている。……だが、貴族のしがらみに縛られた王宮では、それが難しいことはそなたも判っているだろう?」
それは嫌というほど判っているので、黙って頷いた。
「だからこそのセラン荒野なのだ。あそこの領主になったアサギリは貴族になったばかりだ。あそこにはしがらみなど存在しない。そこでしばらく力を振るって欲しい。辺境とは言え、セラン荒野は広大だ。あそこの領地経営に成功したとなれば、王宮の風当たりも変わってこよう。実績を積むためだと思って、しばらく我慢してくれないだろうか?」
この国の権力の頂点だと言うのに、陛下の物言いは丁寧だった。
そのせいか、その言葉にお世辞や方便は含まれていないように感じられた。
地方での実績。
その程度であの貴族連中の中に食い込めるとは思えないが。
でも。
今、王宮にいたって先が見えないのだ。
それならば、辺境に赴いてみるのもいいかもしれない。
どっちにしても、これは陛下の勅命だ。
一介の役人にすぎない私に拒否権なんてない。
前向きになれるよう、気を遣って下さった陛下に感謝して、私は承知した。
陛下の執務室を後にした時には、不思議と気持ちの切り替えが出来ていた。
こうなったら、その辺境をうんと栄えさせてみせようと思った。
目の飛び出るような税収を上げて、私の上に居座る貴族たちに吠え面をかかせてやろう。
そう思うと、胸がすっと軽くなった。
「エレイン!」
突然、名前を呼ばれたので振り返ると、そこには紺色の髪をした美しい近衛騎士団長が立っていた。
私に続いて、執務室から出てきたらしい。
「これは閣下。ご機嫌麗しゅう」
そう言って、仰々しく頭を下げると近衛騎士団長は頬をふくらませる。
「もう! 二人きりの時はゼービアで良いって言っているじゃない。からかわないで!」
そう言って可愛らしく拗ねるゼービアに思わず吹き出してしまった。
陛下の執務室に続くこの廊下に他の人間がいないのは確認済みだった。
「ごめんなさい、ゼービア。今度、おごるわ」
ゼービアは王宮にいる唯一と言っていい友人だった。
年下ではあるが、同じ女で、平民出身で、爵位まで得た尊敬できる女性だ。
立場が違うので、公では取り繕っているが、よく仕事帰りに夕食を食べながら、男どものグチを言い合っている。
「それで? どうかしたの?」
そう尋ねると、ゼービアは頬を染めながら視線を反らせた。
それは初めて見る表情だった。
文官以上に男社会である武官の中にあって、頂点の一つである近衛騎士団長にまで上り詰めた女傑の表情とは思えない。
まるで歳相応の恋する乙女のような……。
「か、カレに渡して欲しいものがあるの」
照れた表情で目をきょろきょろと彷徨わせながら言うゼービアに愕然とした。
「カレって何!? ゼービア、あんた男が出来たの!?」
思わずゼービアの肩を掴んでがくがくと揺さぶってしまう。
王国一の剣の使い手とは思えないほど、か細い肩だった。
「ち、違うって! まだそんなのじゃないの! き、キスもしてないし……」
その言葉にほっと胸を撫でおろした。
まだと言っているのが気になるが。
友人の純潔はまだ保たれているようだ。
夜中に酔っ払いながら男はロクデナシだと叫びあった友人はまだ堕ちていない。
「………………む、胸は触られちゃったけど」
「ゼービア!?」
何をまんざらでも無さそうな顔で言っているのだろうか。
というよりも、なんでそっちが先なの!?
キスはしてないのに、胸は触るって……。
相手はクズ野郎に違いない。
「……相手はどこのどいつよ?」
自分でも驚くくらい殺気の篭った声が出た。
それでも仕方がない。
この可愛い友人を誑かすクズ野郎を問い詰めて、一発ぶん殴ってやらなければ気がすまなかった。
「えー? そんなの聞かないでよ。……恥ずかしいわ」
こっちの気も知らないで、恋する乙女を続けるゼービア。
女の私から見ても可愛かった。
手遅れになる前に、クズ野郎をくびり殺さねばならない。
「いいから言いなさい」
「えー? ………………アサギリ卿」
真っ赤になりながら、ゼービアが小さな声でこそっと呟いた。
アサギリ。
それが敵の名前か!!
許すまじ、アサギリ!!
……あれ? アサギリ?
「そう。あなたがこれから行くセラン荒野の領主よ」
丁度いい。
現地についたらまずはビンタしよう。
ただ、アサギリ卿って確か……。
「……妻帯者じゃなかった?」
アサギリ夫人が美人だと、同僚の卑しい男どもが噂していたのを思い出す。
この国の綺麗所が多く集まる晩餐会でも、群を抜いて綺麗だったとか。
「そうなんだけど……どうも、上手く行ってないらしいのよね。それで、どうも私のことが気になってるみたいで……えへ」
照れながらも嬉しそうにするゼービア。
どうしよう。
友人が弄ばれる様しか思い浮かばない。
「騙されてるわよ! 絶対にあんたの身体だけが目当てよ!? もしくは金か……ほら、あんたってすっごい貯金してるじゃない?」
再びゼービアの肩を掴みながら説得を試みる。
この娘は、要職である近衛騎士団長なのだ。
その俸禄は凄まじい額になっている。
以前、老後の為に南の島を買うのだと言って、貯金していることを教えてくれた。
「大丈夫よ。私を誰だと思っているの? そんなつまらない男に引っかかる女じゃないわ」
照れていたゼービアは、突然、キッと顔を引き締めていった。
その言葉には説得力があった。
若くして近衛騎士団長にまで上り詰めたゼービアだ。
たしかに、並の男では彼女を騙すことなんて出来ないだろう。
「ご、ごめんなさい。私が間違ってたわ。あなたの事は信じて――」
「それでね? カレに渡して貰いたいものがあるのだけれど。カーマイン産の白いスレイプニルを買ったの。きっとカレに似合うと思って」
謝罪しようとしたら、遮るように言われた言葉にギョッとした。
カーマイン産のスレイプニル。
はるか北方のカーマイン国の特産品だった。
スレイプニルとは8本足の神獣とも言われる馬で、めったにお目にかかれる代物ではない。
王族が乗るような超高級品だ。
しかも、基本的に青色のスレイプニルには先天的に白い個体が生まれるらしい。
その希少さは伝説と言ってもいいほどで……。
「……ごめん、一応聞くけど、それっていくらしたの?」
「えー? そんなに高くないわよ。私の貯金全部でなんとか払えるくらいよ?」
「南の島は!?」
再び友人をガクガクと揺さぶってしまった。
ダメだわ、この娘。
早くなんとかしないと!!
「……そりゃ、南の島は残念だったけれど……でも、白いスレイプニルに跨ったカレの姿を想像したらつい……えへ」
ガクガクされながらも、嬉しそうに頬を染めるゼービア。
そこにかつての誇り高い友人の面影はなかった。
「ゼービア! 帰ってきて、ゼービアアアアア!!!」
人気のない廊下に私の声が木霊した。
そして、王都を発つ日はあっという間に来た。
迎えの馬車には、大層な荷台が接続されていて、そこに白い馬体がチラチラ見えたが、見て見ぬふりをした。
「あ、そうだ。……カレってすごく素敵だけど…………私のだから、盗っちゃ嫌だからね?」
見送りに来てくれた友人は最後にそんな事を言って、可愛らしく照れていた。
誰が盗るか!!!
心の底から思った。
それよりもぶん殴って、ゼービアのことを諦めさせなければ。
一刻も早く。
そんな決意を固めながら馬車に乗り込むと。
「あ、どうもー。これからよろしくでーす」
向かいの席に、物凄く頭の悪そうな女が座っていた。
そういえば、直前になって魔術師協会から魔術師も派遣することになったと聞いていた。
この女がその魔術師だろうか。
なるほど、たしかに女は魔術師のローブを身にまとっている。
しかし、ローブから除く白いシャツが思い切り着崩れていた。
胸元が見えてしまっているほどである。
なんと汚らわしい。
この女は男に媚を売って生きる種類の人間だ。
私とは絶対に相容れない。
そんなわけで、道中、私はその女とは一言も口を聞かなかった。
「……つまり、経済が回っていないという事ですね」
村に着くなり、村人たちと生産性の低い会話をしていた領主にそう言い放ってやった。
この村は想像以上に末期的だった。
村人たちは皆、働きもせずに遊び呆けている。
腕の振るい甲斐があるというものだ。
ビシバシと財政改革、労働改革をして、税収を上げてやろう。
「……あの、どちら様で?」
年の若い少年のような領主が私を見て言った。
この男がアサギリなのだろうか。
ここに来るまでに、何やら抜き身の剣をぶら下げた老人に聞いたので、間違いは無いと思うが……。
しかし、あの老人はなんなのだろう。
抜き身の剣を持ち歩くとは尋常ではない。
どう見ても危険分子なので、職務についたら真っ先に取り締まろうと思う。
ゼービアは素敵とか言っていたが、アサギリは何の変哲もない普通の少年に見えた。
魅力なんてこれっぽっちも感じなかった。
一体、ゼービアはこの少年に何を飲まされたのだろう。
そう考えると、少年に対しての殺意が湧いた。
この外道め……!
「まあ、立ち話も何なので、とりあえずうちにでもどうぞ?」
そう言いながらアサギリは人の良さそうな笑顔を浮かべて――。
――じろじろと私の胸と尻を舐め回すように見つめた。
あ、これクズな男だ。
直感的にそう思った。
やっぱりゼービアは騙されていたのだ。
アサギリは想像したとおりのクズ野郎だった。
さて、いつぶん殴ってやろうかしら。
私はそんな物騒な事を考えながら、とりあえずアサギリについていった。
「な、なんだその女たちは!?」
アサギリの家の中に通されると、可愛らしいエプロンをつけたエルフがいた。
エルフは私と魔女を見て、わなわなと震えていた。
今まで見たことのないような美しいエルフだった。
きっとこの女が同僚たちを騒がせていたアサギリ夫人だろう。
ゼービアはこの夫婦が上手く行っていないと言っていたが。
「もー! なんで次から次へと女を連れてくるんだ!? お前は私だけを見てないとダメじゃないか! コウのばかー!」
エルフはそう言いながらアサギリに抱きついていた。
「さっき初めて会ったんだよ」
そんなエルフをアサギリはいやらしい顔で抱きしめていた。
どうしよう。
物凄く仲良さそうだ。
ゼービアは騙されるにも程がある。
アサギリは絵に描いたようなク――。
「ふへへ」
その時、私は見てしまった。
アサギリがだらし無く笑いながら、エルフの尻を揉んでいるのを。
――アサギリは絵に描いた以上のクズだった。
平民の出だが、幼い頃から勉強して、なんとか官吏の道に進むことが出来た。
女で官吏というのは珍しく、女性官吏は私を含めて数人しかいない。
それでも、この職業についたのは、貧困に苦しむ民を救いたかったからだ。
それは十分に私の人生を賭けるに足る目的だった。
いつの日か政治の中枢である大臣になって、貧窮する民を救いたい。
ところで、私は男が嫌いだ。
男というものは本当に下劣で仕方がない。
私が王宮に務めるようになった頃から、ほぼ毎日、同僚である男性官吏の性的な嫌がらせに悩まされてきた。
こっちが真剣に仕事をしているというのに、男どもは私の胸や尻にいやらしい目つきを向けてくる。
中には触ろうとする輩までいた。
そう言った輩には、容赦なく顔を張り倒してやっている。
本当に男とはなんなのだろう。
吐く息は臭いし、不潔だし、下品だし。
私の直属の上司に当たる男は、日々の報告の際、不必要にその脂ぎった顔を近づけてきて、臭い息を吐きかけてくる。
正直に言って、生理的に無理だった。
上司に限らず、先輩や後輩、同僚などでも男は皆、生理的に無理だった。
汚らわしい。
そんなわけで、25歳になっても結婚をせずに日々職務に明け暮れている。
その甲斐があってか、順調に出世を重ねてきた。
でも、最近、限界を感じるようになった。
私がこれ以上、出世する為には、平民出身というのが足かせになってくるのだ。
今、私の上の地位は皆、名門貴族出身者で埋められいる。
どんなに上手く仕事をこなしても、そこに食い込むのは無理だろう。
ましてや大臣なんて夢のまた夢だ。
そう考えると、なんだか身体の力が抜けてきて。
最近の私は、言葉にできない徒労感に包まれていた。
「……セラン荒野ですか?」
「ああ。是非そなたにはそこの内政官になってもらいたいと思ってな」
突然、陛下の執務室に呼び出されたと思ったら、セラン荒野へ行けと言われた。
セラン荒野。
確か、新興の貴族の領地になった場所だ。
王都から遠く離れた……僻地だった。
いわゆる左遷という奴だろうか。
自分でも気づかないうちに、私は何かとんでもない失敗をやらかしてしまっていたらしい。
「いや、誤解しないでくれ。そなたを島流しにしたいわけではないのだ」
陛下はそう言ってくれたのだが。
それ以外に何があるというのだろう。
「陛下。彼女は乗り気ではないようですので、ここは代わりに私が行こうと思うのですが?」
「……ゼービア。以前も言ったが、なぜ近衛騎士団長のそなたが行く? 今、あそこに必要なのは内政官だ。そなたは武官であろう?」
「……まあ、そうですけど」
陛下の横に立つ近衛騎士団長は、不満そうに唇を尖らせていた。
職務に忠実な彼女にしては珍しく、どこか可愛らしい表情だった。
「エレイン。私はそなたの政治力を買っておる。出来ることならこのまま王都に留まって、その辣腕を振るって貰いたいと思っている。……だが、貴族のしがらみに縛られた王宮では、それが難しいことはそなたも判っているだろう?」
それは嫌というほど判っているので、黙って頷いた。
「だからこそのセラン荒野なのだ。あそこの領主になったアサギリは貴族になったばかりだ。あそこにはしがらみなど存在しない。そこでしばらく力を振るって欲しい。辺境とは言え、セラン荒野は広大だ。あそこの領地経営に成功したとなれば、王宮の風当たりも変わってこよう。実績を積むためだと思って、しばらく我慢してくれないだろうか?」
この国の権力の頂点だと言うのに、陛下の物言いは丁寧だった。
そのせいか、その言葉にお世辞や方便は含まれていないように感じられた。
地方での実績。
その程度であの貴族連中の中に食い込めるとは思えないが。
でも。
今、王宮にいたって先が見えないのだ。
それならば、辺境に赴いてみるのもいいかもしれない。
どっちにしても、これは陛下の勅命だ。
一介の役人にすぎない私に拒否権なんてない。
前向きになれるよう、気を遣って下さった陛下に感謝して、私は承知した。
陛下の執務室を後にした時には、不思議と気持ちの切り替えが出来ていた。
こうなったら、その辺境をうんと栄えさせてみせようと思った。
目の飛び出るような税収を上げて、私の上に居座る貴族たちに吠え面をかかせてやろう。
そう思うと、胸がすっと軽くなった。
「エレイン!」
突然、名前を呼ばれたので振り返ると、そこには紺色の髪をした美しい近衛騎士団長が立っていた。
私に続いて、執務室から出てきたらしい。
「これは閣下。ご機嫌麗しゅう」
そう言って、仰々しく頭を下げると近衛騎士団長は頬をふくらませる。
「もう! 二人きりの時はゼービアで良いって言っているじゃない。からかわないで!」
そう言って可愛らしく拗ねるゼービアに思わず吹き出してしまった。
陛下の執務室に続くこの廊下に他の人間がいないのは確認済みだった。
「ごめんなさい、ゼービア。今度、おごるわ」
ゼービアは王宮にいる唯一と言っていい友人だった。
年下ではあるが、同じ女で、平民出身で、爵位まで得た尊敬できる女性だ。
立場が違うので、公では取り繕っているが、よく仕事帰りに夕食を食べながら、男どものグチを言い合っている。
「それで? どうかしたの?」
そう尋ねると、ゼービアは頬を染めながら視線を反らせた。
それは初めて見る表情だった。
文官以上に男社会である武官の中にあって、頂点の一つである近衛騎士団長にまで上り詰めた女傑の表情とは思えない。
まるで歳相応の恋する乙女のような……。
「か、カレに渡して欲しいものがあるの」
照れた表情で目をきょろきょろと彷徨わせながら言うゼービアに愕然とした。
「カレって何!? ゼービア、あんた男が出来たの!?」
思わずゼービアの肩を掴んでがくがくと揺さぶってしまう。
王国一の剣の使い手とは思えないほど、か細い肩だった。
「ち、違うって! まだそんなのじゃないの! き、キスもしてないし……」
その言葉にほっと胸を撫でおろした。
まだと言っているのが気になるが。
友人の純潔はまだ保たれているようだ。
夜中に酔っ払いながら男はロクデナシだと叫びあった友人はまだ堕ちていない。
「………………む、胸は触られちゃったけど」
「ゼービア!?」
何をまんざらでも無さそうな顔で言っているのだろうか。
というよりも、なんでそっちが先なの!?
キスはしてないのに、胸は触るって……。
相手はクズ野郎に違いない。
「……相手はどこのどいつよ?」
自分でも驚くくらい殺気の篭った声が出た。
それでも仕方がない。
この可愛い友人を誑かすクズ野郎を問い詰めて、一発ぶん殴ってやらなければ気がすまなかった。
「えー? そんなの聞かないでよ。……恥ずかしいわ」
こっちの気も知らないで、恋する乙女を続けるゼービア。
女の私から見ても可愛かった。
手遅れになる前に、クズ野郎をくびり殺さねばならない。
「いいから言いなさい」
「えー? ………………アサギリ卿」
真っ赤になりながら、ゼービアが小さな声でこそっと呟いた。
アサギリ。
それが敵の名前か!!
許すまじ、アサギリ!!
……あれ? アサギリ?
「そう。あなたがこれから行くセラン荒野の領主よ」
丁度いい。
現地についたらまずはビンタしよう。
ただ、アサギリ卿って確か……。
「……妻帯者じゃなかった?」
アサギリ夫人が美人だと、同僚の卑しい男どもが噂していたのを思い出す。
この国の綺麗所が多く集まる晩餐会でも、群を抜いて綺麗だったとか。
「そうなんだけど……どうも、上手く行ってないらしいのよね。それで、どうも私のことが気になってるみたいで……えへ」
照れながらも嬉しそうにするゼービア。
どうしよう。
友人が弄ばれる様しか思い浮かばない。
「騙されてるわよ! 絶対にあんたの身体だけが目当てよ!? もしくは金か……ほら、あんたってすっごい貯金してるじゃない?」
再びゼービアの肩を掴みながら説得を試みる。
この娘は、要職である近衛騎士団長なのだ。
その俸禄は凄まじい額になっている。
以前、老後の為に南の島を買うのだと言って、貯金していることを教えてくれた。
「大丈夫よ。私を誰だと思っているの? そんなつまらない男に引っかかる女じゃないわ」
照れていたゼービアは、突然、キッと顔を引き締めていった。
その言葉には説得力があった。
若くして近衛騎士団長にまで上り詰めたゼービアだ。
たしかに、並の男では彼女を騙すことなんて出来ないだろう。
「ご、ごめんなさい。私が間違ってたわ。あなたの事は信じて――」
「それでね? カレに渡して貰いたいものがあるのだけれど。カーマイン産の白いスレイプニルを買ったの。きっとカレに似合うと思って」
謝罪しようとしたら、遮るように言われた言葉にギョッとした。
カーマイン産のスレイプニル。
はるか北方のカーマイン国の特産品だった。
スレイプニルとは8本足の神獣とも言われる馬で、めったにお目にかかれる代物ではない。
王族が乗るような超高級品だ。
しかも、基本的に青色のスレイプニルには先天的に白い個体が生まれるらしい。
その希少さは伝説と言ってもいいほどで……。
「……ごめん、一応聞くけど、それっていくらしたの?」
「えー? そんなに高くないわよ。私の貯金全部でなんとか払えるくらいよ?」
「南の島は!?」
再び友人をガクガクと揺さぶってしまった。
ダメだわ、この娘。
早くなんとかしないと!!
「……そりゃ、南の島は残念だったけれど……でも、白いスレイプニルに跨ったカレの姿を想像したらつい……えへ」
ガクガクされながらも、嬉しそうに頬を染めるゼービア。
そこにかつての誇り高い友人の面影はなかった。
「ゼービア! 帰ってきて、ゼービアアアアア!!!」
人気のない廊下に私の声が木霊した。
そして、王都を発つ日はあっという間に来た。
迎えの馬車には、大層な荷台が接続されていて、そこに白い馬体がチラチラ見えたが、見て見ぬふりをした。
「あ、そうだ。……カレってすごく素敵だけど…………私のだから、盗っちゃ嫌だからね?」
見送りに来てくれた友人は最後にそんな事を言って、可愛らしく照れていた。
誰が盗るか!!!
心の底から思った。
それよりもぶん殴って、ゼービアのことを諦めさせなければ。
一刻も早く。
そんな決意を固めながら馬車に乗り込むと。
「あ、どうもー。これからよろしくでーす」
向かいの席に、物凄く頭の悪そうな女が座っていた。
そういえば、直前になって魔術師協会から魔術師も派遣することになったと聞いていた。
この女がその魔術師だろうか。
なるほど、たしかに女は魔術師のローブを身にまとっている。
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そんなわけで、道中、私はその女とは一言も口を聞かなかった。
「……つまり、経済が回っていないという事ですね」
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この村は想像以上に末期的だった。
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腕の振るい甲斐があるというものだ。
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「……あの、どちら様で?」
年の若い少年のような領主が私を見て言った。
この男がアサギリなのだろうか。
ここに来るまでに、何やら抜き身の剣をぶら下げた老人に聞いたので、間違いは無いと思うが……。
しかし、あの老人はなんなのだろう。
抜き身の剣を持ち歩くとは尋常ではない。
どう見ても危険分子なので、職務についたら真っ先に取り締まろうと思う。
ゼービアは素敵とか言っていたが、アサギリは何の変哲もない普通の少年に見えた。
魅力なんてこれっぽっちも感じなかった。
一体、ゼービアはこの少年に何を飲まされたのだろう。
そう考えると、少年に対しての殺意が湧いた。
この外道め……!
「まあ、立ち話も何なので、とりあえずうちにでもどうぞ?」
そう言いながらアサギリは人の良さそうな笑顔を浮かべて――。
――じろじろと私の胸と尻を舐め回すように見つめた。
あ、これクズな男だ。
直感的にそう思った。
やっぱりゼービアは騙されていたのだ。
アサギリは想像したとおりのクズ野郎だった。
さて、いつぶん殴ってやろうかしら。
私はそんな物騒な事を考えながら、とりあえずアサギリについていった。
「な、なんだその女たちは!?」
アサギリの家の中に通されると、可愛らしいエプロンをつけたエルフがいた。
エルフは私と魔女を見て、わなわなと震えていた。
今まで見たことのないような美しいエルフだった。
きっとこの女が同僚たちを騒がせていたアサギリ夫人だろう。
ゼービアはこの夫婦が上手く行っていないと言っていたが。
「もー! なんで次から次へと女を連れてくるんだ!? お前は私だけを見てないとダメじゃないか! コウのばかー!」
エルフはそう言いながらアサギリに抱きついていた。
「さっき初めて会ったんだよ」
そんなエルフをアサギリはいやらしい顔で抱きしめていた。
どうしよう。
物凄く仲良さそうだ。
ゼービアは騙されるにも程がある。
アサギリは絵に描いたようなク――。
「ふへへ」
その時、私は見てしまった。
アサギリがだらし無く笑いながら、エルフの尻を揉んでいるのを。
――アサギリは絵に描いた以上のクズだった。
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