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第四章 竜騎士編
第127話 幕間 一方その頃 ピート編
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重い樫の木剣を狂ったように振り下ろす。
そうしていないと、どうにかなってしまいそうだった。
レティーお嬢様をいつ好きになったかなんて覚えていない。
物心ついた時には、既に目で追っていた。
レティーお嬢様は、自分と同じ人間とは思えないほど綺麗だった。
不遠慮に触れたら壊れてしまいそうな程、儚げな人だった。
子供ながら、この人を守っていこうと心に誓った。
父の手伝いとして、お屋敷の庭仕事をするようになった頃、レティーお嬢様はよくテラスで読書をしていた。
俺はそんなレティーお嬢様の視界に入るようにしながら、必死に仕事を頑張った。
レティーお嬢様がいる時といない時では、仕事の取り組み方が全然違った。
今にして思えば、下心ばかりで恥ずかしい。
それでも、たまに目があったレティーお嬢様が微笑んでくれると、俺はなんとも言えない気持ちになったのだ。
レティーお嬢様は父の雇い主の娘で、決して自分には手が届かない存在だと言うことは判っていた。
それでも、隣にいることくらいは許されるはずだ。
子供の頃の俺は、そんな甘い考えを持っていた。
俺が14歳で、レティーお嬢様が16歳になった頃。
子供の頃から一緒に育った俺とレティーお嬢様は、庭で良く話をするようになっていた。
多分、屋敷の中でレティーお嬢様と一番親しいのは俺だった。
親父や兄貴には、使用人としての分を弁えろと言われたけど、レティーお嬢様と話すのはやめられなかった。
普段めったに笑わないレティーお嬢様は、俺の前だところころとよく笑った。
俺はそんなレティーお嬢様の笑顔が見たくて、身振り手振りを大きくして必死に馬鹿話をした。
レティーお嬢様はいつも周囲の人間たちに気を使って、萎縮しているようだった。
使用人にさえ、気を使っていた。
そんなレティーお嬢様が、俺の前でだけは大口を開けて、歳相応の娘のように笑い転げるのが、俺には誇らしくて。
俺は、ずっとレティーお嬢様の側にいたいと願った。
レティーお嬢様の立場を考えれば、それが難しい事くらい簡単に判ったはずなのに。
あれは、暑い夏の日だった。
虫の鳴く声がやかましかったのを覚えている。
「……お嫁に行くことになりました」
突然、レティーお嬢様はそう言った。
いつものように庭で話をしている時だった。
心臓が握りつぶされたかのような気がした。
「……どこに?」
そんな事を聞いて何になるのかはわからなかった。
「北方に領地を持つ男爵様だそうです。由緒正しい家系の方だそうで」
「そうですか」
男爵。
自分なんかでは相手にならない。
それでも。
俺はレティーお嬢様に手を伸ばそうとした。
レティーお嬢様は、そんな俺の手を黙って見つめていた。
――伸ばしてどうする。
そんな考えが脳裏をよぎった。
俺なんかがレティーお嬢様を幸せにできるわけない。
ふとレティーお嬢様の格好が目についた。
今日のレティーお嬢様は、汚れ一つ無い真っ白な高級素材のワンピースを着ている。
継ぎ接ぎだらけで、汚れと日焼けで黄ばんだ俺のみすぼらしい服とは大違いだ。
レティーお嬢様に俺が触れるなんて、とんでもなく汚らわしい事のように感じられた。
本当にレティーお嬢様の為を思うのなら、金も権力もある男爵様に任せた方がいいんじゃないか。
そこまで考えた時、俺の伸ばした手は、力なく空を切っていた。
そのまま、俺もレティーお嬢様も一言も口を開かなかった。
虫の鳴く声だけが辺りに鳴り響いていた。
あの時、レティーお嬢様の手を掴んでいたらどうなっていただろう。
結局、あの男爵はレティーお嬢様を幸せにするどころか、不幸のどん底に叩き落とした。
もしも、俺だったら。
俺だったら、どうなっていただろう。
あの男爵よりは、幸せにすることが出来ただろうか。
いや、レティーお嬢様の父親であるフィンデル子爵に見つかって、適当な罪をでっち上げられて斬首刑が関の山だろう。
俺は無力な庭師の息子にすぎないのだから。
そんな事は昔から判っている。
判っていたのに。
じっとしていられない。
俺は無我夢中で木剣を振り下ろした。
今回の件が間違っていたとは思えない。
俺が心の底から従おうと思った男は、すごい男だ。
誰よりも強く、勇敢で。
それでいて、なんだかんだ言って優しい。
以前の男爵とは大違いの、頼れる男だ。
あいつなら、きっとレティーお嬢様を幸せにしてくれると思ったのに。
あいつは俺を殴った。
殴られるのなんて珍しくない。
事ある毎に殴られている気さえする。
でも、あの時は。
あいつは、俺を叱ったんだと判った。
同い年だと言うのに、あいつに叱られたという事実は、心を酷くざわつかせる。
俺は、一体、どうすればよかったんだ。
そりゃ、レティーお嬢様の事は大好きだけど。
仕方ないじゃないかっ!
ただ、ひたすら木剣を振り下ろし続けた。
「……貴様、まだやっておったのか。もう日が暮れるぞ」
ふいに近くで聞き慣れた老人の声が聞こえた。
かつて自分と同じくフィンデル家に仕えていた老人だった。
この辺では最強の剣の使い手だ。
老人に言われて気づいたが、西の彼方に日が沈もうとしている所だった。
朝、一番で老人に稽古をつけてもらったので、丸一日剣を振るっていたことになる。
そう言えば、体のあちこちがきしんで痛い。
手の皮もべろべろに剥けていた。
ここ最近は、いつもこうだった。
一日中、剣を振るっている。
「あの馬鹿に貴様の爪の垢でも煎じて、飲ませたいのう。気持ちは判るが、やりすぎると体に毒じゃぞ?」
あの馬鹿というのが誰を指しているのかはわかったが、あいつは俺よりもずっと強い。
こんな事をする必要はないだろう。
「ふむ。儂の若い頃を思い出すのう。今日の締めとして、儂が稽古をつけてやろうかの」
そう言って老人がその辺に落ちていた木の棒を拾い上げる。
願ってもない申し出だったので、勢い良く頷いた。
今はぐちゃぐちゃと考えがまとまらない。
ただ、一つだけわかっていることがある。
俺は強くなりたい。
そうしていないと、どうにかなってしまいそうだった。
レティーお嬢様をいつ好きになったかなんて覚えていない。
物心ついた時には、既に目で追っていた。
レティーお嬢様は、自分と同じ人間とは思えないほど綺麗だった。
不遠慮に触れたら壊れてしまいそうな程、儚げな人だった。
子供ながら、この人を守っていこうと心に誓った。
父の手伝いとして、お屋敷の庭仕事をするようになった頃、レティーお嬢様はよくテラスで読書をしていた。
俺はそんなレティーお嬢様の視界に入るようにしながら、必死に仕事を頑張った。
レティーお嬢様がいる時といない時では、仕事の取り組み方が全然違った。
今にして思えば、下心ばかりで恥ずかしい。
それでも、たまに目があったレティーお嬢様が微笑んでくれると、俺はなんとも言えない気持ちになったのだ。
レティーお嬢様は父の雇い主の娘で、決して自分には手が届かない存在だと言うことは判っていた。
それでも、隣にいることくらいは許されるはずだ。
子供の頃の俺は、そんな甘い考えを持っていた。
俺が14歳で、レティーお嬢様が16歳になった頃。
子供の頃から一緒に育った俺とレティーお嬢様は、庭で良く話をするようになっていた。
多分、屋敷の中でレティーお嬢様と一番親しいのは俺だった。
親父や兄貴には、使用人としての分を弁えろと言われたけど、レティーお嬢様と話すのはやめられなかった。
普段めったに笑わないレティーお嬢様は、俺の前だところころとよく笑った。
俺はそんなレティーお嬢様の笑顔が見たくて、身振り手振りを大きくして必死に馬鹿話をした。
レティーお嬢様はいつも周囲の人間たちに気を使って、萎縮しているようだった。
使用人にさえ、気を使っていた。
そんなレティーお嬢様が、俺の前でだけは大口を開けて、歳相応の娘のように笑い転げるのが、俺には誇らしくて。
俺は、ずっとレティーお嬢様の側にいたいと願った。
レティーお嬢様の立場を考えれば、それが難しい事くらい簡単に判ったはずなのに。
あれは、暑い夏の日だった。
虫の鳴く声がやかましかったのを覚えている。
「……お嫁に行くことになりました」
突然、レティーお嬢様はそう言った。
いつものように庭で話をしている時だった。
心臓が握りつぶされたかのような気がした。
「……どこに?」
そんな事を聞いて何になるのかはわからなかった。
「北方に領地を持つ男爵様だそうです。由緒正しい家系の方だそうで」
「そうですか」
男爵。
自分なんかでは相手にならない。
それでも。
俺はレティーお嬢様に手を伸ばそうとした。
レティーお嬢様は、そんな俺の手を黙って見つめていた。
――伸ばしてどうする。
そんな考えが脳裏をよぎった。
俺なんかがレティーお嬢様を幸せにできるわけない。
ふとレティーお嬢様の格好が目についた。
今日のレティーお嬢様は、汚れ一つ無い真っ白な高級素材のワンピースを着ている。
継ぎ接ぎだらけで、汚れと日焼けで黄ばんだ俺のみすぼらしい服とは大違いだ。
レティーお嬢様に俺が触れるなんて、とんでもなく汚らわしい事のように感じられた。
本当にレティーお嬢様の為を思うのなら、金も権力もある男爵様に任せた方がいいんじゃないか。
そこまで考えた時、俺の伸ばした手は、力なく空を切っていた。
そのまま、俺もレティーお嬢様も一言も口を開かなかった。
虫の鳴く声だけが辺りに鳴り響いていた。
あの時、レティーお嬢様の手を掴んでいたらどうなっていただろう。
結局、あの男爵はレティーお嬢様を幸せにするどころか、不幸のどん底に叩き落とした。
もしも、俺だったら。
俺だったら、どうなっていただろう。
あの男爵よりは、幸せにすることが出来ただろうか。
いや、レティーお嬢様の父親であるフィンデル子爵に見つかって、適当な罪をでっち上げられて斬首刑が関の山だろう。
俺は無力な庭師の息子にすぎないのだから。
そんな事は昔から判っている。
判っていたのに。
じっとしていられない。
俺は無我夢中で木剣を振り下ろした。
今回の件が間違っていたとは思えない。
俺が心の底から従おうと思った男は、すごい男だ。
誰よりも強く、勇敢で。
それでいて、なんだかんだ言って優しい。
以前の男爵とは大違いの、頼れる男だ。
あいつなら、きっとレティーお嬢様を幸せにしてくれると思ったのに。
あいつは俺を殴った。
殴られるのなんて珍しくない。
事ある毎に殴られている気さえする。
でも、あの時は。
あいつは、俺を叱ったんだと判った。
同い年だと言うのに、あいつに叱られたという事実は、心を酷くざわつかせる。
俺は、一体、どうすればよかったんだ。
そりゃ、レティーお嬢様の事は大好きだけど。
仕方ないじゃないかっ!
ただ、ひたすら木剣を振り下ろし続けた。
「……貴様、まだやっておったのか。もう日が暮れるぞ」
ふいに近くで聞き慣れた老人の声が聞こえた。
かつて自分と同じくフィンデル家に仕えていた老人だった。
この辺では最強の剣の使い手だ。
老人に言われて気づいたが、西の彼方に日が沈もうとしている所だった。
朝、一番で老人に稽古をつけてもらったので、丸一日剣を振るっていたことになる。
そう言えば、体のあちこちがきしんで痛い。
手の皮もべろべろに剥けていた。
ここ最近は、いつもこうだった。
一日中、剣を振るっている。
「あの馬鹿に貴様の爪の垢でも煎じて、飲ませたいのう。気持ちは判るが、やりすぎると体に毒じゃぞ?」
あの馬鹿というのが誰を指しているのかはわかったが、あいつは俺よりもずっと強い。
こんな事をする必要はないだろう。
「ふむ。儂の若い頃を思い出すのう。今日の締めとして、儂が稽古をつけてやろうかの」
そう言って老人がその辺に落ちていた木の棒を拾い上げる。
願ってもない申し出だったので、勢い良く頷いた。
今はぐちゃぐちゃと考えがまとまらない。
ただ、一つだけわかっていることがある。
俺は強くなりたい。
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