忍びしのぶれど

裳下徹和

文字の大きさ
上 下
55 / 60
第四章

⑺ 敵は見下ろしている

しおりを挟む
 参謀局に着いた。衛兵が息を荒げて走ってきた跳を険しい表情で止める。
「これを西郷従道閣下にお渡し下さい。大至急お願いします」
 不審な顔はしていたものの、郵便配達夫の制服と、跳の気迫が効いたのだろう、衛兵の一人が建物の中へと書状を持って消えた。
 汗をぬぐい、息を整えつつ、衛兵達と共に従道の返事を待つ。
 参謀局の内部がにわかに騒がしくなった。この騒ぎは、石走の書状がもたらしたもので間違いないだろう。跳のそばにいる衛兵は不安を隠そうとして、わざと怒ったような顔をつくっている。
 騒々しかった建物内に動きが出てきた。跳が緊張の面持ちで待っていると、威勢良く正面扉が開かれ、鬼気迫った西郷従道が歩み出してきた。
「練兵場にいる兵を全員集めろ。皇居の守備に入る。電信で関東の軍に至急出動するように伝えろ!」
 葛淵と共謀して東京をおとすという選択はしなかったようだ。跳の圧迫された胸が少し緩む。
「書状を持ってきたのはお前か?」
 突然声をかけられ、跳に緊張が走る。
「はい。私です」
「石走はどうしている」
「警察隊の援軍を得る為、警視庁に向かいました。私も御一新の前は、武士の端くれとして戦いました。是非共に戦わせて下さい」
「うむ」
 内心は動揺しているのかもしれないが、従道はその部分は見せず、威厳を保っている。兄と比べられ過小評価されがちだが、なかなかに肝が据わった人物のようだ。
 従道の指示により、部下達が迅速に動いていく。
 部下達の表情や、従道の立ち振る舞いから察するに、葛淵達と共に反乱を企ててはいない。
 跳は、日比谷の練兵場から集められた兵と共に皇居へ向かう。徴兵制によって集められた農民や町人あがりの者が多い。実戦は未経験なのだろう。行軍する足は強張り、小銃をかつぐ手は震えている。
 跳にも小銃が支給された。前込めのミニエー銃だ。弾丸を前から込めるので、連射性には劣るが、射程も威力もそれなりにある。
 軍服に身を包んだ者の端に、郵便配達夫の制服を着ている跳がいるのは、明らかに異質ではある。だが、文句を言う者はいない。軍靴が土を踏みしめている音だけが響いていた。
 桜田門から皇居内へ入り、大手門から入ってきた石走率いる警察隊と合流する。集められた人数は少ない。
「届けたぞ」
 跳が言うと、石走はいつもの固い表情のままうなずいた。
 天皇陛下との談義を終え、従道が待機していた兵の前に立つ。
「陛下より勅令を賜った。これより反乱軍の鎮圧にあたる!」
 兵士達が上げた声は重なり合い、皇居の広い空に吸い込まれていった。
 これでこちらの軍が皇軍となった。自分達が正義だと思えるのは小さくない。当然負ければ賊軍ではあるが。
 戦意高揚に沸き立つ中、跳は横にいる石走に小声で話しかける。
「援軍は間に合うのか?」
 石走もまわりに悟られぬよう、目線も合わせずつぶやくように返してきた。
「ここがどれだけ持ち堪えられるかにかかっている。ただ、間に合ったとしても、向かっているのが永牟田惟義ながむたこれよし大佐率いる中隊だ。幕末最強の軍事力を誇りながら、ぎりぎりまで日和見を決め込んだ肥前藩出身の日和見野郎だ。奴は優勢な方につく」
 跳は舌打ちしたくなるのをこらえながら言う。
「もし、こちらが劣勢だったら?」
「反乱軍につくだろうな」
 肥前藩は、幕末に反射炉の建造に成功し、日本有数の軍事力を持つに至った。しかし、幕府と薩長の戦いは伍せず静観し、優勢だと確信してから薩長についた過去がある。その為、肥前出身の者は勝利者側にも関わらず、新政府では力を持てずにいるのだ。反乱軍に加担し、勢力図を塗りかえようとする動機は充分存在している。その上、肥前の傑物江藤新平が処刑され、永牟田大佐は新政府に恨みを持っているとも聞く。互角くらいなら反乱軍を選ぶ可能性もある。
「ただ援軍を待って、耐えるだけでは駄目ということか……」
 跳は皇居の中を見渡してみる。昔は江戸城だったので、石垣や多少の櫓は残っているが、城郭はもうない。豪華な御所も、美しく整備された木々も戦闘には役立たない。門を突破されたら、皇居は簡単に落とされる。
 そこに伝令兵が走り込んできて、西郷従道に報告を始めた。
「反乱軍は、二十八センチ榴弾砲を持って、神楽坂をのぼっているそうです」
 その場にいた全員が思考停止して固まった。遊興の街神楽坂と二十八センチ榴弾砲が結びつかなかったのだ。二十八センチ榴弾砲は、砲台に固定して、軍艦を攻撃する為に開発されたものだ。あんなもの奪ったとしても砲台がなければ、撃つことが出来ない。砲台に固定しないで撃ったりしたら、砲自体がひっくり返ってしまう。馬に鞭打って坂を上がったところで、ただの骨折り損だ。
 跳も、最初は反乱軍の謎の行動に疑問を覚えるだけだったが、すぐに恐ろしい考えにたどり着き、体を震わせた。
「砲台はある……」
 葛淵辰之助の妾が営む美紗門は、神楽坂の頂上付近にあり、東京の街、ひいては皇居を見下ろすことが出来る。
 将校だけではなく、下士官まで出入りしていたのは、砲台を秘かにつくる為。店を貸し切りにして、どんちゃん騒ぎをしていたのは、工事の音を隠す為だったのだ。
「遊んでいる振りをして、神楽坂の店の中に砲台をつくっていたんだ……」
 跳以外にもその考えに気付いた者はいたようだ。すぐに考えが全体に伝播し、ざわめきが起きる。
「二十八センチ榴弾砲の射程距離は、七千メートル。神楽坂からなら皇居北の田安門どころか、南の桜田門まで吹き飛ばせる」
 誰かが上げた声に、重い沈黙が降り、高揚した戦意が下がっていくのを感じる。無理もない。二十八センチ榴弾砲は、射程だけでなく威力にも速射性にも優れている。前時代には堅牢を誇った皇居の門扉も、たやすくぶち破り、兵士達を無慈悲に消し去っていくことだろう。
 もしかすると、明治六年の政変の時、葛淵親子が西郷と共に下野しなかったのも、西郷が無謀な戦いを始めたのも、ありもしない軍艦の噂を流し、二十八センチ榴弾砲を東京に配備させたのも、全て西郷の思惑通りだったのかもしれない。
 皇居に大砲を撃ち込んで、天皇を自分達側につけるつもりか。天皇を殺して新たな天皇をたてるのか。それとも、天皇の血筋を途絶えさせ、新たな世界をつくるつもりなのか。破壊と創造という言葉があるが、西郷隆盛は破壊の役割を持った者だろう。その力をいかんなく発揮し、徳川幕府を破壊した。しかし、新政府の創造には向いておらず下野。そのまま人生を終えるのかと思いきや、もう一度立った。今度は、天皇制という日本の根幹から徹底的に破壊するつもりだろうか。
 西郷隆盛の意図を考えていても戦況が好転するわけでもない。跳は、今自分が出来ることを思索した。
 二十八センチ榴弾砲を、馬と人力で神楽坂の頂上まで運ぶだけでも重労働だ。さらに砲台に設置するのも簡単な作業ではない。砲撃開始まで、今しばらくの時間はある。
「石走。俺が二十八センチ榴弾砲を破壊する。西郷従道閣下に伝えてくれないか?」
 跳が考えを小声で伝えると、石走は一つうなずき、短く答える。
「伝えよう」
 石走は従道のもとへ向かい。しばしの後、跳が従道のもとへ呼ばれた。
 皇居北寄りの櫓脇に、側近数名を従えて従道は立っていた。軍服姿の中に、警察官の制服を着た石走もいる。
 落ち着き払った口調で、従道が跳に問うてきた。
「川路と前島のところで動いている者か?」
 跳は肯定の返事をする。切支丹事件や、赤報隊の件で、派手に動き過ぎたようだ。しかし、御一新前に兄隆盛の下で暗躍していたことは知らない様子だ。この状況で言うべきことでもないだろう。
「二十八センチ榴弾砲を壊せるのか?」
「はい」
 側近達は、跳に疑わし気な視線を向けてくる。
「やってみろ」
 従道の言葉に、側近達がざわついた。
「別にこれが最後の切り札というわけでもない。失敗しても、次の次の策までは頭にある」
 皆を落ち着かせる為の従道のはったりにも思えたが、異を唱える者はいない。
 跳は深々と頭を下げる。側近達からは疑いの目を向けられ続けるが、気にはしない。
 西郷従道の命令により、兵は皇居内を北へ移動し始める。途中北桔橋きたはねばし門を通り、兵が通り過ぎた後は、堀にかかる橋をはね上げた。ゆっくりと上げられていく橋を見て、退路を断たれたことを実感する。さらに北に進み、田安門にたどり着いた。
 反乱軍は、政府軍がまだ気付いていないか、皇居で籠城戦を選ぶと思っているはず。先に攻撃を加えられるのは想定外だろう。
 田安門が開き、政府軍が行軍を開始する。反乱軍の二十八センチ榴弾砲が、皇居を射程にとらえる前に、押し止められなければならない。行軍は早目のものとなった。
 軍隊は街道を北へ向かい、飯田町付近にさしかかる。徳川時代は立派な武家屋敷が建ち並んでいたが、今は廃れて空き家も目立つ。一部は畑になっている場所もあった。
 飯田町の住人達は、行軍する姿を見て争乱の気配を察し、避難し始める。
 跳は支給された小銃を別の者に渡し、牛込橋へ進む軍と別れ、一人違う方向へ走り出した。
 行軍する兵達の方を振り返ると、石走と目が合った。力強い目をしている。
 逃げ惑い混乱する人々の中を、小石川橋に向けて駆ける。
跳は走りながら、鳥羽伏見の戦いを思い出していた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

蒼穹(そら)に紅~天翔る無敵皇女の冒険~ 四の巻

初音幾生
歴史・時代
日本がイギリスの位置にある、そんな架空戦記的な小説です。 1940年10月、帝都空襲の報復に、連合艦隊はアイスランド攻略を目指す。 霧深き北海で戦艦や空母が激突する! 「寒いのは苦手だよ」 「小説家になろう」と同時公開。 第四巻全23話

御庭番のくノ一ちゃん ~華のお江戸で花より団子~

裏耕記
歴史・時代
御庭番衆には有能なくノ一がいた。 彼女は気ままに江戸を探索。 なぜか甘味巡りをすると事件に巡り合う? 将軍を狙った陰謀を防ぎ、夫婦喧嘩を仲裁する。 忍術の無駄遣いで興味を満たすうちに事件が解決してしまう。 いつの間にやら江戸の闇を暴く捕物帳?が開幕する。 ※※ 将軍となった徳川吉宗と共に江戸へと出てきた御庭番衆の宮地家。 その長女 日向は女の子ながらに忍びの技術を修めていた。 日向は家事をそっちのけで江戸の街を探索する日々。 面白そうなことを見つけると本来の目的であるお団子屋さん巡りすら忘れて事件に首を突っ込んでしまう。 天真爛漫な彼女が首を突っ込むことで、事件はより複雑に? 周囲が思わず手を貸してしまいたくなる愛嬌を武器に事件を解決? 次第に吉宗の失脚を狙う陰謀に巻き込まれていく日向。 くノ一ちゃんは、恩人の吉宗を守る事が出来るのでしょうか。 そんなお話です。 一つ目のエピソード「風邪と豆腐」は12話で完結します。27,000字くらいです。 エピソードが終わるとネタバレ含む登場人物紹介を挟む予定です。 ミステリー成分は薄めにしております。   作品は、第9回歴史・時代小説大賞の参加作です。 投票やお気に入り追加をして頂けますと幸いです。

旅路ー元特攻隊員の願いと希望ー

ぽんた
歴史・時代
舞台は1940年代の日本。 軍人になる為に、学校に入学した 主人公の田中昴。 厳しい訓練、激しい戦闘、苦しい戦時中の暮らしの中で、色んな人々と出会い、別れ、彼は成長します。 そんな彼の人生を、年表を辿るように物語りにしました。 ※この作品は、残酷な描写があります。 ※直接的な表現は避けていますが、性的な表現があります。 ※「小説家になろう」「ノベルデイズ」でも連載しています。

小童、宮本武蔵

雨川 海(旧 つくね)
歴史・時代
兵法家の子供として生まれた弁助は、野山を活発に走る小童だった。ある日、庄屋の家へ客人として旅の武芸者、有馬喜兵衛が逗留している事を知り、見学に行く。庄屋の娘のお通と共に神社へ出向いた弁助は、境内で村人に稽古をつける喜兵衛に反感を覚える。実は、弁助の父の新免無二も武芸者なのだが、人気はさっぱりだった。つまり、弁助は喜兵衛に無意識の内に嫉妬していた。弁助が初仕合する顚末。 備考 井上雄彦氏の「バガボンド」や司馬遼太郎氏の「真説 宮本武蔵」では、武蔵の父を無二斎としていますが、無二の説もあるため、本作では無二としています。また、通説では、武蔵の父は幼少時に他界している事になっていますが、関ヶ原の合戦の時、黒田如水の元で九州での戦に親子で参戦した。との説もあります。また、佐々木小次郎との決闘の時にも記述があるそうです。 その他、諸説あり、作品をフィクションとして楽しんでいただけたら幸いです。物語を鵜呑みにしてはいけません。 宮本武蔵が弁助と呼ばれ、野山を駆け回る小僧だった頃、有馬喜兵衛と言う旅の武芸者を見物する。新当流の達人である喜兵衛は、派手な格好で神社の境内に現れ、門弟や村人に稽古をつけていた。弁助の父、新免無二も武芸者だった為、その盛況ぶりを比較し、弁助は嫉妬していた。とは言え、まだ子供の身、大人の武芸者に太刀打ちできる筈もなく、お通との掛け合いで憂さを晴らす。 だが、運命は弁助を有馬喜兵衛との対決へ導く。とある事情から仕合を受ける事になり、弁助は有馬喜兵衛を観察する。当然だが、心技体、全てに於いて喜兵衛が優っている。圧倒的に不利な中、弁助は幼馴染みのお通や又八に励まされながら仕合の準備を進めていた。果たして、弁助は勝利する事ができるのか? 宮本武蔵の初死闘を描く! 備考 宮本武蔵(幼名 弁助、弁之助) 父 新免無二(斎)、武蔵が幼い頃に他界説、親子で関ヶ原に参戦した説、巌流島の決闘まで存命説、など、諸説あり。 本作は歴史の検証を目的としたものではなく、脚色されたフィクションです。

朱元璋

片山洋一
歴史・時代
明を建国した太祖洪武帝・朱元璋と、その妻・馬皇后の物語。 紅巾の乱から始まる動乱の中、朱元璋と馬皇后・鈴陶の波乱に満ちた物語。全二十話。

本能のままに

揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください! ※更新は不定期になると思います。

鵺の哭く城

崎谷 和泉
歴史・時代
鵺に取り憑かれる竹田城主 赤松広秀は太刀 獅子王を継承し戦国の世に仁政を志していた。しかし時代は冷酷にその運命を翻弄していく。本作は竹田城下400年越しの悲願である赤松広秀公の名誉回復を目的に、その無二の友 儒学者 藤原惺窩の目を通して描く短編小説です。

処理中です...