忍びしのぶれど

裳下徹和

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第四章

⑸ 消えた二十八センチ榴弾砲

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 跳の全身から力が抜け、歩くのもやっとの状態だった。
 二十八センチ榴弾砲を見物する気持ちなど完全に消し飛び、小石川の自宅へ帰宅する。
 戸を開けようとしていると、警官の制服と着た男が、こちらに向かって駆けてくるのが見えた。石走だ。
 石走は跳の前に到着すると、息を荒げたまま声を絞り出す。
「外では出来ん話だ。中に入れてくれ」
 表情の乏しい石走が、険しい顔をしている。何かが起きている。跳は家に招き入れた。
 家の中に入り戸を閉めると、石走は、土間に立ったまま声を殺して話し出す。
「葛淵辰之助中佐率いる軍隊が、反乱を起こした。板橋の軍事工場で武器弾薬を奪い取り、皇居へ向かって進軍している」
 予想外かつあまりに深刻な話に、跳は事態を把握できない。
「ちょっと待てよ。気は確かか石走」
「信じられん気持ちもわかるが本当だ。不穏な動きを感じ、従軍せずに調べていた。怖れていたことが起きてしまった」
 葛淵辰之助中佐といえば、性悪軍人葛淵武次郎の父親で、戊辰戦争で多大な功績を残した英雄だ。そんな武力と人望を兼ね備えた男が、九州の戦争で手薄になった東京を襲ったら、大変なことになる。
 石走は追い打ちをかけるように、衝撃的な話をぶつけてくる。
「移送中の二十八センチ榴弾砲も消えた。これも葛淵達の仕業だろう」
「単に経路を変えて進んでいるだけではないのか?」
「反乱と符丁を合わせたように砲が消えた。無関係のわけがない。死体となってみつかった運搬兵は、反乱を知らされておらず、消されたのだろう」
「奪ったとしても、どう使うつもりなのだ? 二十八センチ榴弾砲は砲台に固定して撃つのだろう。アームストロング砲のように車輪がついてないから、自走させて撃つことも出来ない。東京湾沿いの砲台も、まだ完成していない。奪ったところで使いようがないのではないのか?」
 跳の質問に、石走も首をひねる。
「確かに無用の長物になりかねん」
 二十八センチ榴弾砲については、二人共首をひねるばかりだった。
 砲の問題はさておき、跳は更なる疑問を石走にぶつける。
「この反乱は、西郷隆盛の描いた絵なのか?」
「そうかもしれん。訪韓の政変の時、葛淵は西郷閣下と共に下野するかと思ったが、軍人として政府に残った。あれは西郷閣下が、明治政府内に自分の駒を残す策略だったのかもしれない」
 中原尚雄以下二十四名を鹿児島に送り込んだ時は、開戦のきっかけを無理矢理つくり、不平士族の旗頭を潰そうという川路大警視の恐ろしさを感じたが、それも西郷の手の中だったということか。それとも…
「川路大警視も、西郷隆盛の仲間なのか?」
 もしそうだとしたら、川路は政府軍少将として九州におもむいている。戦争する振りをして、注意を引きつけているだけかもしれない。新聞記者を支配下に置いていれば、東京への情報などどうにでもなる。もう一度時代がひっくり返るかもしれない。
 石走は眉間に皺を寄せつつ、跳の推測を否定する。
「さすがにそれはないだろう。警察内部におかしな動きは見られない。西郷隆盛の恐ろしさを本当に知っているのは、弟の西郷従道中将くらいだろう。俺が残ったのは、あの人の命令でもある」
 川路は西郷に上手く転がされ、九州で真面目に戦争しているということか。
「葛淵達反乱軍の狙いは、皇居を占拠して、天皇を自分達のもとへ引き入れることだろう。留崎。お前は三宅坂の参謀局に行って、西郷従道中将に反乱軍の蜂起を報告してこい」
 石走は跳に書状を手渡してくる。
「俺からだ。届けてくれ」
 石走も西郷従道も薩摩出身だ。強いつながりはあるのかもしれない。しかし……
「もし、西郷従道が、兄隆盛と通じていたらどうなる? むしろ通じていない方が不自然だ」
「あの二人は肉親だが、考え方は違う」
 石走は力強く言うが、迷いが少しだけ垣間見えてしまっている。
 この書状を届けても、西郷従道が兄と通じていたら、跳は殺される。返答次第では、この場で石走に殺される。
「石走は、葛淵についたりしないのか?」
 石走は、目線を落とし、苦々しい表情で答えた。
「今の政治に誤りがないとは思わん。やたらと西洋化を進める方針も気に食わん。だが、葛淵達が天下を獲ったら、嫌われている俺は、家族もろとも皆殺しだ」
 日本の政局よりも、家族のことを考える。小さくて情けない考えだが、仕方のない選択だ。
「わかった。届けよう」
「頼む」
 跳は書状を郵便鞄に入れ、走り出した。

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