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第四章
⑷ 近場への永遠の別れ
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跳は、いつもにも増して素早く郵便配達をこなしていた。
今日は二十八センチ榴弾砲が、東京にやってくる日だった。まずは船で横浜まで運ばれ、そこから板橋の軍事工場までは陸路の予定らしい。最終的には東京湾に配備され、海からの敵に対する防衛を行うのだが、まだ東京湾の砲台が出来ていないのと、量産化に向け調査する為、板橋の軍事工場に送られるのだ。
一応軍事機密扱いらしいが、駅逓頭の前島ですら知っているのだから、随分と緩い機密だ。むしろ、わざと情報を流して、二十八センチ榴弾砲を誇示したいのではないかとさえ思えてくる。
そういう跳も、二十八センチ榴弾砲を見てみたいと思っていた。横浜からの経路は不明だが、板橋付近で待ち構えていれば、その姿を拝めるはずだ。それでいつもより急いで仕事を片付けていたのだ。
跳は機敏な動きで配達を終わらせ、板橋の軍事工場へ向かい始めた。
道の途中、三十間掘女学校の前を通りかかると、外にるまが立っており、跳に笑顔を向けてくる。
「会えると思っていました」
るまにうながされ、連れ立って歩き始める。女学校はまだ授業中だ。こんなに堂々とさぼって大丈夫なのだろうか。
「るまさん仕事は……?」
るまは歩きながら跳の質問に答える。
「辞めました。先程最後の挨拶を済ませたところです。私は村に帰ります」
うつむき気味にるまは言う。薄い笑顔は消していないが、思いつめているのは感じられた。
「何故ですか?」
理由を尋ねる跳に、るまは寂しそうに微笑みながら、想いを絞り出していった。
「四民平等とはいっても、隠れ切支丹の百姓の娘として生まれた私には、未来などなかったのです。何世代耐え忍んでみても、わかったことは、間違えた教えを信仰していたことだけ……。身分不相応に学問に通じたいと思いましたが、皆と並んで席に着くことさえかないません。土台無理な話だったのです」
とうとう悲しい現実に行き着いてしまったのだ。
跳は相槌をうつことも出来ず、儚くも美しいるまのそばに立ちつくす。
「先程も言った通り、来栖村へ帰ります。結局何もないあの村で生き、子を産み、ただ死んでいくのです」
足立郡にある来栖村なんて、跳の足で走れば一時間もかからず到着する。だが、このまま離れたら、るまには一生手が届かなくなるのだ。
いかないでくれ、とのどまで出ているが、声にすることが出来ない。自分といても、幸せな生活など約束出来ないから。
「時代が変わらなければ良かった。そうすれば、ずっと神を信じ、死んで天国にいけたのに……」
るまの目に、初めて会った時のような純粋さは、もうない。自分と同じくかすれてしまった姿に、跳は一抹の悲しみを覚える。
「跳さん。郵便鞄を貸してくれませんか? 一度持ってみたかったのです」
規則違反ではあるが、跳は肩から鞄を外し、るまに渡した。
るまは鞄を肩にかけ、微笑んでみせる。
「結構重いですね。跳さんは、これを持って走っているのですね」
その場で少し飛び跳ねてから、るまは駆け出す。
るまは美しい。だが、大人の女性が悲しみをおさえて無邪気を装う姿は、痛々しく思える。跳は走るるまから目を逸らした。
遠ざかっていた足音が、再び近付いてきたので、跳が目を上げると、るまが少女のような笑みで立っていた。そして、跳をみつめながら鞄を返してくる。
昔より透明度の落ちたるまの瞳に、跳の顔がぼんやりとうつっていた。
跳が鞄を受け取ると、るまは偽りの笑顔をつくったまま別れを告げる。
「さようなら」
ここで引きとめねば、るまは来栖村へと戻り、どこかの男と婚姻し、子供を産み、育て、死んでいくだろう。走ればすぐに着く距離でも、永遠に埋まることのない隔たりが出来てしまう。
跳は、るまに手を伸ばそうとしたが、途中で降ろした。そして、理性で感情を押し殺し、言葉を絞り出す。
「さようなら」
今日は二十八センチ榴弾砲が、東京にやってくる日だった。まずは船で横浜まで運ばれ、そこから板橋の軍事工場までは陸路の予定らしい。最終的には東京湾に配備され、海からの敵に対する防衛を行うのだが、まだ東京湾の砲台が出来ていないのと、量産化に向け調査する為、板橋の軍事工場に送られるのだ。
一応軍事機密扱いらしいが、駅逓頭の前島ですら知っているのだから、随分と緩い機密だ。むしろ、わざと情報を流して、二十八センチ榴弾砲を誇示したいのではないかとさえ思えてくる。
そういう跳も、二十八センチ榴弾砲を見てみたいと思っていた。横浜からの経路は不明だが、板橋付近で待ち構えていれば、その姿を拝めるはずだ。それでいつもより急いで仕事を片付けていたのだ。
跳は機敏な動きで配達を終わらせ、板橋の軍事工場へ向かい始めた。
道の途中、三十間掘女学校の前を通りかかると、外にるまが立っており、跳に笑顔を向けてくる。
「会えると思っていました」
るまにうながされ、連れ立って歩き始める。女学校はまだ授業中だ。こんなに堂々とさぼって大丈夫なのだろうか。
「るまさん仕事は……?」
るまは歩きながら跳の質問に答える。
「辞めました。先程最後の挨拶を済ませたところです。私は村に帰ります」
うつむき気味にるまは言う。薄い笑顔は消していないが、思いつめているのは感じられた。
「何故ですか?」
理由を尋ねる跳に、るまは寂しそうに微笑みながら、想いを絞り出していった。
「四民平等とはいっても、隠れ切支丹の百姓の娘として生まれた私には、未来などなかったのです。何世代耐え忍んでみても、わかったことは、間違えた教えを信仰していたことだけ……。身分不相応に学問に通じたいと思いましたが、皆と並んで席に着くことさえかないません。土台無理な話だったのです」
とうとう悲しい現実に行き着いてしまったのだ。
跳は相槌をうつことも出来ず、儚くも美しいるまのそばに立ちつくす。
「先程も言った通り、来栖村へ帰ります。結局何もないあの村で生き、子を産み、ただ死んでいくのです」
足立郡にある来栖村なんて、跳の足で走れば一時間もかからず到着する。だが、このまま離れたら、るまには一生手が届かなくなるのだ。
いかないでくれ、とのどまで出ているが、声にすることが出来ない。自分といても、幸せな生活など約束出来ないから。
「時代が変わらなければ良かった。そうすれば、ずっと神を信じ、死んで天国にいけたのに……」
るまの目に、初めて会った時のような純粋さは、もうない。自分と同じくかすれてしまった姿に、跳は一抹の悲しみを覚える。
「跳さん。郵便鞄を貸してくれませんか? 一度持ってみたかったのです」
規則違反ではあるが、跳は肩から鞄を外し、るまに渡した。
るまは鞄を肩にかけ、微笑んでみせる。
「結構重いですね。跳さんは、これを持って走っているのですね」
その場で少し飛び跳ねてから、るまは駆け出す。
るまは美しい。だが、大人の女性が悲しみをおさえて無邪気を装う姿は、痛々しく思える。跳は走るるまから目を逸らした。
遠ざかっていた足音が、再び近付いてきたので、跳が目を上げると、るまが少女のような笑みで立っていた。そして、跳をみつめながら鞄を返してくる。
昔より透明度の落ちたるまの瞳に、跳の顔がぼんやりとうつっていた。
跳が鞄を受け取ると、るまは偽りの笑顔をつくったまま別れを告げる。
「さようなら」
ここで引きとめねば、るまは来栖村へと戻り、どこかの男と婚姻し、子供を産み、育て、死んでいくだろう。走ればすぐに着く距離でも、永遠に埋まることのない隔たりが出来てしまう。
跳は、るまに手を伸ばそうとしたが、途中で降ろした。そして、理性で感情を押し殺し、言葉を絞り出す。
「さようなら」
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