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第四章
⑵ 終わらない戦い
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前島の命令を受け、跳は川路を密かに調べ始めた。
川路は勤勉な男だった。寝る間も惜しみ仕事に打ち込んでいる。冷酷な一面もあるが、警察機構を確立させ、日本の治安を守るという意気込みは、本物のようだ。
だが、その意気込みが、西郷との戦闘という短絡的な方向へと進む怖れはある。前島はそこを心配しているのだ。
調べ始めて数日後、跳は、警視庁鍛冶橋第一庁舎の前に来ていた。徳川時代は津山藩の江戸藩邸として使われていた日本建築だ。門の前には警官が見張りに立って、あたりを威圧している。
夕暮れ時、少し離れたところから、跳が様子をさぐっていると、大勢の人間が建物の中から出てくるのを目撃した。二十人以上いる。顔に見覚えがある者もいた。制服は着ていないが警察官だ。
その集団は庁舎を出ると、南の方へ歩き始めた。
前島の命令に関係することなのかはわからないが、跳は後をつけることにする。
銀座の煉瓦街を南に進む集団は、和服に身を包み、佩刀はしていないが、体から緊張感がにじみ出ていた。寒風が吹き荒んでいるのに、集団からは熱気を感じる程だ。道を歩く一般人からは浮いていた。
つかず離れずついていくと、集団は新橋停車場に向かっていく。鉄道を使うのだろうか。
アメリカ人建築家が造った豪壮な西洋建築の停車場に、集団は迷うことなく入っていき、汽車へと乗り込んでいく。
跳も乗車券を買い求め、集団の動向がわかる位置に乗り込んだ。
汽車は跳が乗り込んですぐに発車し、横浜から東京まで走った昔の苦労を嘲笑うかのように、呆気なく新橋横浜間を踏破、終点の横浜停車場に到着した。
警察の集団は、汽車を降り、新橋停車場とそっくりな横浜停車場を出ると、雪がちらつく中を、横浜港へと進んでいく。
港にさしかかろうという時、一人の制服警官が近付いてきた。藤田五郎だ。
「こんなところで奇遇だな。あいすくりんでも食べにきたのか」
「あまりに暑いから、腹の中から冷やそうと思ってな」
跳の答えに藤田は口角を上げるが、目は笑っていない。やはり何かが起こっていると跳は確信した。
跳が集団を追って港へと進むと、藤田も一緒についてくる。
日が沈んだ横浜港は、誰もおらず、係留された何艘もの漁船が、風と波に揺られ、寂し気な音を立てていた。
沖を見ると、大きな蒸気船が煙を吹きながら停泊している。
「あの集団は何だ? 制服は着ていないが、警官だろう。船に乗ってどこに行くつもりだ?」
小舟に乗り込み、沖に浮かぶ大型の蒸気船へ向かおうとしている警官達に目をやり、藤田は無理におどけた様子で言う。
「ああ、あれか。あれは里帰りだ」
「里帰り? どこに里帰りだ」
「鹿児島だとさ」
この状況下で、堂々と偵察隊を送るつもりなのか。
「そんなことをしたら、火に油を注ぐようなものだ。川路大警視は、戦争をしたいのか?」
「したいのだろうな」
何年か前の赤報隊の勅書に絡んだ騒動を思い出す。川路は西郷が不利なる可能性がある赤報隊勅書を破棄することもなく手元に置いていた。あの頃から西郷に対し腹に一物持っていたのか。
前島に連絡している時間などない。とにかく船の出航を止めねばならない。
跳が動き出そうとすると、藤田がにらみをきかせてきた。
「余計なことするな」
おどけている時の目ではない。人を斬る時の目をしていた。下に目をやれば、いつの間にか、刀の鯉口が切られており、跳の拳も蹴りも、強くはあたらない位置にいる。警察官達が、無事に出航するのを見届けにきたのだ。
「あの九州に送られる警官達は、捨て駒として使われる。あいつらが死んだら、次に使い捨てにされるのは、俺達だ。ここで止めた方が良い」
跳は背中に汗をかきながらも、努めて冷静に語った。
「西郷を殺すのは嫌か?」
背中にかいた汗が冷たくなる。
「何のことだ?」
「とぼけなくていい。調べさせてもらった。幕府の忍びだったことは本当のようだが、御一新の前から薩長とつながっていたのだろう。そうでなければ、明治になって、すんなり川路の密偵になれるわけがない」
跳は言い逃れようかとも思うが、余計な嘘は命を縮めそうで、言葉が出てこなかった。
「鳥羽伏見の時も、幕軍を内部からかく乱していたのか?」
跳の沈黙を肯定ととらえ、藤田は話を続ける。
「そうか。してやられた。あの時の戦いは、さすがにおかしいと思った。おかげで随分と仲間が死んだ」
新撰組も、鳥羽伏見の戦いに幕軍として参戦。近代兵器の前に大きな被害を出している。
「お前。会津戦争にも参戦したのか?」
会津戦争は、会津藩が降伏の意を示しているのにもかかわらず、薩長が理不尽な要求を突きつけ開戦。むごい殺戮を行った戦いだ。藤田は、会津兵として薩長軍と戦っている。
「いや。会津には行っていいない。俺の戦争は、上野で忍びの首領を殺して終わった」
藤田は、眉一つ動かさず跳を観察し、静かに口を開いた。
「そうか……」
そうこうしているうちに、出発の汽笛が鳴り、蒸気船が動き始める。ここで止めなければ、大きな災厄へと突き進んでいく。しかし、藤田がいて跳は動けない。
跳が、腰の拳銃や懐の手裏剣を抜くより、この距離なら藤田の刀の方が速い。逃げる動作をしても結果は同じだろう。藤田がその気になれば、跳は死ぬ。
「藤田。お前は何故戦をしたい」
藤田は、跳の動きに警戒を怠らぬまま言った。
「俺の戦争は、まだ終わっていない」
戊辰戦争、斗南藩での屈辱は十年経っても消えることはない。もう死ぬまで変わらないだろう。
跳は何も出来ぬまま、遠ざかっていく蒸気船を、目で追うだけだった。
蒸気船が黒い影となり、それも視界から消え、音も聞こえなくなった頃、藤田はようやく刀から手を離し、戦闘態勢を解いた。そして、何も言わずに跳に背を向け、歩き始める。
跳は拳銃を抜き、藤田の背に狙いを定めた。
藤田は気付いているだろうに、そのまま歩を進めていく。
空に銃口を向け、一発弾丸を放つ。銃声が鳴り響くが、藤田は振り返りもせず、変わらぬ歩調で進んでいく。
跳は銃を下げ、遠ざかる藤田の背を見送っていた。
川路は勤勉な男だった。寝る間も惜しみ仕事に打ち込んでいる。冷酷な一面もあるが、警察機構を確立させ、日本の治安を守るという意気込みは、本物のようだ。
だが、その意気込みが、西郷との戦闘という短絡的な方向へと進む怖れはある。前島はそこを心配しているのだ。
調べ始めて数日後、跳は、警視庁鍛冶橋第一庁舎の前に来ていた。徳川時代は津山藩の江戸藩邸として使われていた日本建築だ。門の前には警官が見張りに立って、あたりを威圧している。
夕暮れ時、少し離れたところから、跳が様子をさぐっていると、大勢の人間が建物の中から出てくるのを目撃した。二十人以上いる。顔に見覚えがある者もいた。制服は着ていないが警察官だ。
その集団は庁舎を出ると、南の方へ歩き始めた。
前島の命令に関係することなのかはわからないが、跳は後をつけることにする。
銀座の煉瓦街を南に進む集団は、和服に身を包み、佩刀はしていないが、体から緊張感がにじみ出ていた。寒風が吹き荒んでいるのに、集団からは熱気を感じる程だ。道を歩く一般人からは浮いていた。
つかず離れずついていくと、集団は新橋停車場に向かっていく。鉄道を使うのだろうか。
アメリカ人建築家が造った豪壮な西洋建築の停車場に、集団は迷うことなく入っていき、汽車へと乗り込んでいく。
跳も乗車券を買い求め、集団の動向がわかる位置に乗り込んだ。
汽車は跳が乗り込んですぐに発車し、横浜から東京まで走った昔の苦労を嘲笑うかのように、呆気なく新橋横浜間を踏破、終点の横浜停車場に到着した。
警察の集団は、汽車を降り、新橋停車場とそっくりな横浜停車場を出ると、雪がちらつく中を、横浜港へと進んでいく。
港にさしかかろうという時、一人の制服警官が近付いてきた。藤田五郎だ。
「こんなところで奇遇だな。あいすくりんでも食べにきたのか」
「あまりに暑いから、腹の中から冷やそうと思ってな」
跳の答えに藤田は口角を上げるが、目は笑っていない。やはり何かが起こっていると跳は確信した。
跳が集団を追って港へと進むと、藤田も一緒についてくる。
日が沈んだ横浜港は、誰もおらず、係留された何艘もの漁船が、風と波に揺られ、寂し気な音を立てていた。
沖を見ると、大きな蒸気船が煙を吹きながら停泊している。
「あの集団は何だ? 制服は着ていないが、警官だろう。船に乗ってどこに行くつもりだ?」
小舟に乗り込み、沖に浮かぶ大型の蒸気船へ向かおうとしている警官達に目をやり、藤田は無理におどけた様子で言う。
「ああ、あれか。あれは里帰りだ」
「里帰り? どこに里帰りだ」
「鹿児島だとさ」
この状況下で、堂々と偵察隊を送るつもりなのか。
「そんなことをしたら、火に油を注ぐようなものだ。川路大警視は、戦争をしたいのか?」
「したいのだろうな」
何年か前の赤報隊の勅書に絡んだ騒動を思い出す。川路は西郷が不利なる可能性がある赤報隊勅書を破棄することもなく手元に置いていた。あの頃から西郷に対し腹に一物持っていたのか。
前島に連絡している時間などない。とにかく船の出航を止めねばならない。
跳が動き出そうとすると、藤田がにらみをきかせてきた。
「余計なことするな」
おどけている時の目ではない。人を斬る時の目をしていた。下に目をやれば、いつの間にか、刀の鯉口が切られており、跳の拳も蹴りも、強くはあたらない位置にいる。警察官達が、無事に出航するのを見届けにきたのだ。
「あの九州に送られる警官達は、捨て駒として使われる。あいつらが死んだら、次に使い捨てにされるのは、俺達だ。ここで止めた方が良い」
跳は背中に汗をかきながらも、努めて冷静に語った。
「西郷を殺すのは嫌か?」
背中にかいた汗が冷たくなる。
「何のことだ?」
「とぼけなくていい。調べさせてもらった。幕府の忍びだったことは本当のようだが、御一新の前から薩長とつながっていたのだろう。そうでなければ、明治になって、すんなり川路の密偵になれるわけがない」
跳は言い逃れようかとも思うが、余計な嘘は命を縮めそうで、言葉が出てこなかった。
「鳥羽伏見の時も、幕軍を内部からかく乱していたのか?」
跳の沈黙を肯定ととらえ、藤田は話を続ける。
「そうか。してやられた。あの時の戦いは、さすがにおかしいと思った。おかげで随分と仲間が死んだ」
新撰組も、鳥羽伏見の戦いに幕軍として参戦。近代兵器の前に大きな被害を出している。
「お前。会津戦争にも参戦したのか?」
会津戦争は、会津藩が降伏の意を示しているのにもかかわらず、薩長が理不尽な要求を突きつけ開戦。むごい殺戮を行った戦いだ。藤田は、会津兵として薩長軍と戦っている。
「いや。会津には行っていいない。俺の戦争は、上野で忍びの首領を殺して終わった」
藤田は、眉一つ動かさず跳を観察し、静かに口を開いた。
「そうか……」
そうこうしているうちに、出発の汽笛が鳴り、蒸気船が動き始める。ここで止めなければ、大きな災厄へと突き進んでいく。しかし、藤田がいて跳は動けない。
跳が、腰の拳銃や懐の手裏剣を抜くより、この距離なら藤田の刀の方が速い。逃げる動作をしても結果は同じだろう。藤田がその気になれば、跳は死ぬ。
「藤田。お前は何故戦をしたい」
藤田は、跳の動きに警戒を怠らぬまま言った。
「俺の戦争は、まだ終わっていない」
戊辰戦争、斗南藩での屈辱は十年経っても消えることはない。もう死ぬまで変わらないだろう。
跳は何も出来ぬまま、遠ざかっていく蒸気船を、目で追うだけだった。
蒸気船が黒い影となり、それも視界から消え、音も聞こえなくなった頃、藤田はようやく刀から手を離し、戦闘態勢を解いた。そして、何も言わずに跳に背を向け、歩き始める。
跳は拳銃を抜き、藤田の背に狙いを定めた。
藤田は気付いているだろうに、そのまま歩を進めていく。
空に銃口を向け、一発弾丸を放つ。銃声が鳴り響くが、藤田は振り返りもせず、変わらぬ歩調で進んでいく。
跳は銃を下げ、遠ざかる藤田の背を見送っていた。
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