忍びしのぶれど

裳下徹和

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第三章

⑥ 違式詿違条例

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 三廻部焔膳や焼死体事件のことは頭に引っかかったままだったが、まずは簡単に終わりそうな彫師歌山我円の件に手をつけることにした。
梶田に貸しをつくったところで、大きな見返りなどないが、平穏な生活との接点の維持につながりそうな気もする。裏稼業を続けながらでも、表の世界とつながっていたいのだ。
 明治五年に違式詿違条例いしきかいいじょうれいが施行され、男女混浴。裸体をさらすこと。異性の服を着ること。住宅密集地で花火をすること。立小便なども禁止された。その中の一つに入墨を入れることも入っていた。
 入墨は、アイヌや琉球の人々が装飾的に入れていたこともあり、日本人にとっては古来より身近なものだった。否定的な意味合いが強くなったのは、徳川八代将軍吉宗が、懲罰に入墨を使い始めてからだと言われている。犯罪者の烙印として、手や顔に入墨を入れるようになったのだ。それ以前は、犯罪者の耳や鼻を削いだりしていたので、随分と人道的になったとも思われるが、これにより入墨は、犯罪者を想起させるものとなった。その頃から懲罰で入れられる入墨と、装飾で入れる彫物は、分けて考えられるようになっていく。そして、彫物は、町人文化と相まって、鳶や飛脚を中心に発展を遂げていった。
 しかし、明治に入り諸外国の目を気にした政府により、違式詿違条例が施行され、体に墨を入れることは禁止された。そこに入墨と彫物の違いなど考慮されはしない。彫物を体に入れることも、それを入れた彫師も罰せられるようになった。捕まった際の刑は両者共軽いものだが、彫師は、針や墨、硯など商売道具も軒並み破壊されるのだ。彫師を廃業する者も多く出た。それでも、一度根付いた習俗がたやすくなくなるわけもなく、隠れて営業する者が相次いでいる。彫師歌山我円はその一人だ。
 跳は、郵便配達の仕事がてらに聞き込みを続け、深川の看板屋が怪しいという情報をつかんだ。
 深川まで足をのばし、看板屋堀川を訪れる。裏通りにひっそりとたたずむ二階建ての木造家屋だ。一階部分を店にしていた。
 引き戸を開け、店の中に入ると、痩せて気難しそうな男が、跳に目を向けてくる。
「郵便屋さん。お手紙ですか? それとも看板がお入り用で?」
 見本で置かれている何点かの看板を見る限り、絵の技術はかなりの腕前だ。作り笑いすら浮かべない接客の方は、まるで駄目だが。
「友達の背中の虎が、早く顔が欲しいと泣くそうだ。どうにかしてくれ」
 店主の顔に、さらに険が出る。
「郵便屋さん……。もっと良いお報せ持ってきて下さいよ」
 反応から判断して、この男が歌山で間違いないようだ。看板屋の裏で、彫師もやっていると踏んでいたが、もう辞めてしまったのだろうか。本当に迷惑そうに見えた。
「やりかけの仕事を放り出すのは、本望ではないのでは?」
 歌山を説得してみようとして、そこで言葉を切った。外の様子がおかしい。
 跳が話を中断し、外の様子をさぐり始めたことに、歌山は怪訝な顔をしている。異変に気付いていないようだ。
 戸のすき間から外をうかがうと、黒い制服を着た警察官達の姿が垣間見えた。一人や二人でない。かなりの人数いる。
 彫物を彫って違式詿違条例に違反したところで、少額の罰金か短めの拘留程度の罪だ。いくら何でも大それている。
「囲まれている。あんた何やったんだ?」
 跳の言葉に、歌山の形相が一変する。机の上の物が落ちるのも構わずに動き、外に警察がいるのを確認すると、おもむろに短刀を取り出す。そして、切っ先を跳に向けながら言った。
「悪いな。人質になってもらう」
 跳が机の上の煙管をつかみ、歌山の手を打ちすえると、呆気なく短刀は床に転がった。
 驚きで目を丸くする歌山を、煙管で三発程叩き、逃げようと背中を見せたところを、後ろ手にひねり上げる。
「背中の虎は、泣き続けることになりそうだな……」
 跳のつぶやきなど聞こえぬ様子で、歌山は腕をねじられ、もがき続けていた。
 そこへ警官隊が入ってきた。先頭は石走だ。
 勢いよく乗り込んできた石走だったが、歌山を組み伏せている跳を見て、気の削がれた顔をしている。
「何をやっているのだ?」
「ちょっと看板をつくってもらおうと思ってな」
 石走は、跳の言葉には反応せず、黙って歌山の身柄を奪い取り、部下に縛り上げさせた。
「違式詿違条例違反は、こんなに重罪なのか?」
 部下に指示を与えつつ、店の中を調べる石走に跳が小声で尋ねると、不機嫌な返事がきた。
「彫師の裏営業の件ではない」
 二階を調べていた警官の一人が、跳と石走の会話をさえぎるように、声を出しながら駆け下りてくる。
「ありました!」
 警官の手には、彫物の下絵が数枚かかげられていた。
 石走が受け取った下絵を、跳ものぞき込んでみた。構図は違うが、全て龍の絵だ。普通の龍は手に玉を持っているが、ここに描かれている龍達は、手に髑髏を持っている。
「殺されて焼かれた三人の消防団員は、同じ彫物を入れていた。髑髏を持った龍だ。お前が彫ったものだろう」
 石走が下絵を持ちながら、歌山に詰め寄る。
「た、確かに龍の彫物を彫ったのは俺だ。でも、俺は殺していない。それに、彫ったのも条例が出来る前だ。悪いことはしていない」
 歌山の言う通り、条例施行前の彫物は、特にお咎めはない。しかし、はたから見ている跳にも、歌山の慌て振りはいささかおかしい。
「詳しい話は、署で聞かせてもらおう」
 石走が歌山を引きたてようとしたところへ、藤田五郎が家に入ってきた。
 応援に来たのかと思ったが、何やら様子がおかしい。石走や他の警官も、藤田の登場は想定外のようだ。
「藤田。何しにきた」
 怒気を帯びた石走の言葉に、藤田は歌山に目をやりながら答える。
「俺もこいつに用があってな」
 藤田は懐から一枚の二円札を取り出して、歌山の前でちらつかせた。
 二円札を見た歌山の顔色は、見る見るうちに土気色になっていく。
「お前がつくった偽札だ。なかなか良い腕前だな」
 一同息をのむ。偽金づくりは重罪だ。
 明治三年。明治政府は全国統一の貨幣として太政官札を発行したが、製造技術が低かった為、偽札が横行した。それを防ぐ目的もあり、明治六年最新技術を持つドイツのドンドルフ・ナウマン社に製造を依頼することにした。それが現在流通している貨幣明治通宝である。
 高度な技術で製造されているのだが、紙の質が日本の気候にあっていないのか、劣化が早く、変色したりもする。
 藤田が持っている二円札も、良く見てみると、違和感を覚えるのだが、劣化した貨幣に混ざれば、わからないかもしれない。
「反政府組織の軍資金を、偽金づくりでまかなおうなんて、随分と安直な考えだな」
 そう言いながら藤田が歌山を引ったてようとするが、石走が止める。
「後から来て何様のつもりだ」
 部下を持つ身になっても、仲の悪い二人だ。まわりの警官達も、険悪な空気に押し黙っていた。
「わかった。お前らが連れていけ。こいつらが偽金で武器買ったら、多くの死人が出る。早目に吐かせろよ」
 藤田が折れて、緊張が少し緩む。石走の部下達が、歌山を外へ連れ出そうとした。
「それにしても大した腕前じゃねえか。変な気起こさずに看板屋でも絵師でもやっていれば、暮らしていけただろう」
 縄で引かれていく歌山に、藤田が言葉をかけると、歌山は腹を立てて言葉を吐き出す。
「こっちは魂込めて彫物を彫っていたんだ。それを外国の目を気にして御法度扱い。ふざけんじゃねえ。どうせすぐ徳川の世に戻るんだろ。そうなったらお前らが逆賊だ。体中に罪人の証を彫り込んでやるから、せいぜい今のうちに粋がっておけ!」
 政府に不満を持っているのは、士族ばかりではない。歌山のように今までの生活を害され、道を踏み外す町人も少なからずいる。
 悪態をつきながら引きたてられていく歌山の姿を見て、跳は底知れぬ不安を感じていた。まるで世界がもう一度ひっくり返ってしまいそうな程に。

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