忍びしのぶれど

裳下徹和

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第三章

⓹ 射撃訓練

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 郵便配達夫達が横に並び、的に向かって銃弾を放つ。乾いた銃声が鳴り響き、硝煙がたちこめる。
 危険地域への配達の際は、特例として拳銃の携帯が認められていたが、強盗被害が多発した為、明治六年に短銃取扱規則が通達され、全郵便配達夫に拳銃の装備が認められた。
 所持の許可と共に射撃訓練も義務付けられ、跳は仲間と共に、日比谷練兵場の射撃訓練場を訪れていた。
的の中心部分に命中させた跳の腕前に、仲間達が声をかけてくる。
「やるじゃねえか留崎。郵便配達辞めて、軍人になった方がいいんじゃねえか」
 いつもはわざと外していたのだが、溜まっていたうっ憤のせいもあり、ついつい精度の高い射撃を見せてしまった。
「西郷閣下が下野してから、西の方で戦いばかり起きている。本当に俺達の出番がくるかもな」
 跳は冗談めかして言い、同僚達は笑ったが、きな臭い空気は、東京にまで漂ってきている。
 隠れ切支丹事件の時、乍峰村の住人に無罪を言い渡した江藤新平は、西郷隆盛と共に下野し、明治七年に佐賀で反乱を起こして鎮圧された。近代的司法制度を目指した江藤は、弁解の余地も与えられず、処刑された。
 そして、廃刀令と秩禄処分が実施され、士族は精神的、経済的に大打撃を受けることになる。では一般庶民が潤ったかというと、そんなこともなく、一部の者ばかりが富み、貧しき者はさらに貧しくなっていった。
 大乱の予感は、誰しもが感じているものだった。
 訓練を終え帰途につこうとすると、同僚の一人梶田権左に声をかけられた。梶田は飛脚上がりの荒っぽい男だが、今日はしおらしい顔をしている。
「ちょっと頼みがあるんだ。ほら何とかいう条例が出来て彫物が禁止になっただろう。それのせいで、俺の背中の彫物がまだ途中なのに、彫師が消えちまったんだ」
 梶田は服をはだけさせ、背中を見せてくる。虎の彫物で、胴体や前足後ろ足はあるのだが、尾と肝心の顔がない。
「先に目を入れると彫物が命を持って逃げ出すとか言って、顔は後回しにされたんだ」
 先に目を入れると、客が他の彫師のところへ行ってしまうことがあるので、客をつなぎ止める為の方便として良く聞く話だ。
 それにしてもこのやりかけはひどい。この状態から他の彫師に頼んだら、全体の均整が崩れ、おかしなものになるだろう。
「これじゃあ痛みに負けて途中で彫物を投げ出した半端者だと思われる。風呂屋にも行けねえ。これを彫った彫師歌山我円の情報をつかんだら教えてくれ。街中をくまなく歩く郵便配達夫なら、どこかで行き当たるだろう。特に留崎は、何かみつけそうな気がするし」
 梶田に恩などないが、これはいささか可哀想なので、協力出来ることは協力しよう。居場所を教えるくらいなら、条例違反にもならないだろう。
「少しさぐってみるよ。風呂に入らなくて臭いのは嫌だからな」
 郵便配達夫の仲間といると、劣等感に苛まれることもなく、平穏な気持ちでいられる。自分の居場所はここなのだろうか。ここにいて小さな幸せをみつけていくのが人生なのかもしれない。
 跳がそんな思いを浮かべながら出口に向かって練兵場を歩いていると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。葛淵武次郎の声だ。
「百姓ふぜいが侍気取りか。お前らには銃も剣も似合わん。鍬でも持っていろ!」
 演習場に部下達を並ばせ、罵声と共に殴りつけている。
 徴兵制が正式に開始され、士族以外の者も軍に入隊することになった。戦争は士族だけのものではなくなったのだ。農民や町人と肩を並べて戦うことに、尊厳を踏みにじられたと感じている士族も存在している。葛淵もその一人だ。
 征韓論の政変の後、西郷と共に下野する旧薩摩藩士族は多かったが、葛淵辰之助と武次郎親子は明治政府の軍に残った。葛淵は親子そろって西郷隆盛の信奉者であったので、残留には皆驚いたものだった。部下となる者には、本当にいい迷惑だっただろう。
「なんだその反抗的な目は。お前が逆らったら、田舎の田畑は全て燃やして、親族郎党皆殺しにしてやるぞ!」
 葛淵は、部下を怒鳴りつけながら、さらに殴りつける。
 軍事教練とは名ばかりの暴行を見て、跳は小さくつぶやいた。
「郵便配達夫のままでいいな」

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