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第二章
6 汚名回復と政争
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廃屋の前までたどり着くと、中から二人以上の気配がした。
嫌な想像が頭をよぎる。
戸口から中に入ると、床に座った栄雲の横に、棒をかかげた藤田五郎が立っていた。
「遅かったな郵便屋。おかしな真似したら、この坊さんの頭かち割るぞ」
跳は両手を上げ、敵意のないことを示す。
「藤田。お前警察官だろう。おかしなことはやめろ」
「うるせえ。拳銃をゆっくり床に置け」
跳は言う通り拳銃を抜いて床に置き、後ろに下がる。
藤田は用心深く近付き、床の拳銃を拾い腰に差した。
隠し持っている棒手裏剣を使うことも考えたが、跳は様子を見ることにする。
「郵便屋。お前はこの坊さんと勅書をどうするつもりだ?」
「海の向こうにいる川路邏卒総長から、仏像を保護するように言われただけだ。勅書が隠されていたことも先程知った。これからどうすれば良いか川路さんに電信を送ったが、返事はまだ先になるだろう」
正直に話した。吉と出るか凶と出るか。
「郵便屋さんは、嘘は言っていないと思います」
栄雲の言葉を聞いて、藤田は棒を下ろした。
「悪いが拳銃はもう少し預からせてもらう」
跳は怒りを伝える為にらみつけたが、藤田の気持ちは変わらぬようだ。
「軍も動いているぞ」
先程目にしたことを言ってみるが、藤田は驚く様子もない。
「知っている。坊さんが切支丹事件に巻き込まれて、世間の注目を浴びた。それで軍と赤報隊の残党が、勅書を持って隠れていた綾小路公房だと気付いた。警察ときたらお頭の川路が手元に勅書を置いていたのも知らず、後手後手に回る体たらく。肝心の川路はのんびり海外旅行で連絡も密にとれない。どう動くべきかわからねえんだ」
怒りにまかせてがなっているが、藤田の跳に対する警戒はゆるむことがない。
「警察内部では、どういう意見なんだ?」
「さっきも言っただろう。わかってねえんだ。川路が栄雲と勅書を手元に置いて何か企んでいたのに勘付いたのは、お前が川路の命令で動いていたことを知っている俺と石走くらいだろう。後は素直に勅書が残党の手に渡って、反政府組織が力を持つのも危惧している奴らばかりだ」
藤田も川路の企みには気付いていたのか。ただの時代に取り残された剣の達人ではなさそうだ。
「軍はどう動くと思う?」
跳が質問すると、藤田が少し考えてから答える。
「軍は勅書を手にしたらすぐに燃やして、坊さんも赤報隊の残党も皆殺しだ。軍は西郷の指揮下にあるし、西郷が失脚したらまずいからな。軍人達にとっては、西郷が失脚して韓国への武力路線が頓挫するのもまずいが、徴兵制が出来てしまうのはさらにまずい」
徴兵案は既に出され、今論議されている。徴兵制が採択されれば、農民、商人からも兵士が生まれ、戦いが士族だけの仕事ではなくなる。士族にとっては、おのれの尊厳が根底からくつがえるのだ。
「藤田個人はどう思っている」
「俺は…。農民と一緒に韓国へ戦争しに行けと言われれば行くさ。負け犬の飼い犬だからな。どちらかと言えば、韓国人よりも西郷を殺したいがな」
旧幕軍側の人間は、こういうものだろうか。
「お前はどうなんだ郵便屋」
「俺は行けと言われれば、韓国にでも手紙を届ける」
跳と藤田は、力なく息を吐く。結局二人共使われる側の思想で、自分から世界を動かそうとはしていない。流れを読み間違えれば、すぐに溺れてしまう。
そんな二人に、栄雲が声をかける。
「岩倉具視様のもとに、この勅書を持っていこうと思います」
岩倉具視は、ついこの間、海外視察から帰国したばかりだ。不平等条約の改正には失敗したが、明治天皇には近しい立場にあり、政府の中では力を握っている。
「しかし、岩倉卿は元公家です。この勅書が公けになれば、発行した側として、不利な立場になったりしませんか?」
「岩倉様は、赤報隊の処刑に反対の立場でした。そして今、岩倉様は、西郷閣下のとなえる征韓論には反対の立場です。政敵である西郷閣下が無実の志士に偽官軍の汚名を着せ虐殺したと公表すれば、大きな打撃を与えられるでしょう。岩倉様は、勅書を使わずにはいられないはず。この政治の流れを利用すれば、赤報隊の名誉は回復されます」
「大胆なこと考える坊さんだな」
藤田が呆れ顔で言う。
跳も、穏やかだと思っていた栄雲の豪胆な一面を見て、驚いてしまった。
「赤報隊の名誉を回復させたいお気持ちはわかりますが、政局を利用するのは危険です。焦らずに頃合いを見るのが得策です」
「残念ながら、赤報隊の残党が明治政府に反乱を企てています。もし、実行に移されたら、赤報隊は永遠に逆賊の名を冠せられるでしょう。その前に何とかしないとならないのです」
強い信念に突き動かされる栄雲の前で、跳と藤田は顔を見合わせる。
「西郷が失脚する分には俺は構わん。むしろ面白いと思う。ただ、巻き込まれて死ぬのはごめんだ。もう少し様子を見させてもらう」
藤田は跳に拳銃を返し、廃屋を出ていこうとした。
「何かわかったら教えてくれ」
跳が背に声をかけると、藤田は手を上げて答えた。
嫌な想像が頭をよぎる。
戸口から中に入ると、床に座った栄雲の横に、棒をかかげた藤田五郎が立っていた。
「遅かったな郵便屋。おかしな真似したら、この坊さんの頭かち割るぞ」
跳は両手を上げ、敵意のないことを示す。
「藤田。お前警察官だろう。おかしなことはやめろ」
「うるせえ。拳銃をゆっくり床に置け」
跳は言う通り拳銃を抜いて床に置き、後ろに下がる。
藤田は用心深く近付き、床の拳銃を拾い腰に差した。
隠し持っている棒手裏剣を使うことも考えたが、跳は様子を見ることにする。
「郵便屋。お前はこの坊さんと勅書をどうするつもりだ?」
「海の向こうにいる川路邏卒総長から、仏像を保護するように言われただけだ。勅書が隠されていたことも先程知った。これからどうすれば良いか川路さんに電信を送ったが、返事はまだ先になるだろう」
正直に話した。吉と出るか凶と出るか。
「郵便屋さんは、嘘は言っていないと思います」
栄雲の言葉を聞いて、藤田は棒を下ろした。
「悪いが拳銃はもう少し預からせてもらう」
跳は怒りを伝える為にらみつけたが、藤田の気持ちは変わらぬようだ。
「軍も動いているぞ」
先程目にしたことを言ってみるが、藤田は驚く様子もない。
「知っている。坊さんが切支丹事件に巻き込まれて、世間の注目を浴びた。それで軍と赤報隊の残党が、勅書を持って隠れていた綾小路公房だと気付いた。警察ときたらお頭の川路が手元に勅書を置いていたのも知らず、後手後手に回る体たらく。肝心の川路はのんびり海外旅行で連絡も密にとれない。どう動くべきかわからねえんだ」
怒りにまかせてがなっているが、藤田の跳に対する警戒はゆるむことがない。
「警察内部では、どういう意見なんだ?」
「さっきも言っただろう。わかってねえんだ。川路が栄雲と勅書を手元に置いて何か企んでいたのに勘付いたのは、お前が川路の命令で動いていたことを知っている俺と石走くらいだろう。後は素直に勅書が残党の手に渡って、反政府組織が力を持つのも危惧している奴らばかりだ」
藤田も川路の企みには気付いていたのか。ただの時代に取り残された剣の達人ではなさそうだ。
「軍はどう動くと思う?」
跳が質問すると、藤田が少し考えてから答える。
「軍は勅書を手にしたらすぐに燃やして、坊さんも赤報隊の残党も皆殺しだ。軍は西郷の指揮下にあるし、西郷が失脚したらまずいからな。軍人達にとっては、西郷が失脚して韓国への武力路線が頓挫するのもまずいが、徴兵制が出来てしまうのはさらにまずい」
徴兵案は既に出され、今論議されている。徴兵制が採択されれば、農民、商人からも兵士が生まれ、戦いが士族だけの仕事ではなくなる。士族にとっては、おのれの尊厳が根底からくつがえるのだ。
「藤田個人はどう思っている」
「俺は…。農民と一緒に韓国へ戦争しに行けと言われれば行くさ。負け犬の飼い犬だからな。どちらかと言えば、韓国人よりも西郷を殺したいがな」
旧幕軍側の人間は、こういうものだろうか。
「お前はどうなんだ郵便屋」
「俺は行けと言われれば、韓国にでも手紙を届ける」
跳と藤田は、力なく息を吐く。結局二人共使われる側の思想で、自分から世界を動かそうとはしていない。流れを読み間違えれば、すぐに溺れてしまう。
そんな二人に、栄雲が声をかける。
「岩倉具視様のもとに、この勅書を持っていこうと思います」
岩倉具視は、ついこの間、海外視察から帰国したばかりだ。不平等条約の改正には失敗したが、明治天皇には近しい立場にあり、政府の中では力を握っている。
「しかし、岩倉卿は元公家です。この勅書が公けになれば、発行した側として、不利な立場になったりしませんか?」
「岩倉様は、赤報隊の処刑に反対の立場でした。そして今、岩倉様は、西郷閣下のとなえる征韓論には反対の立場です。政敵である西郷閣下が無実の志士に偽官軍の汚名を着せ虐殺したと公表すれば、大きな打撃を与えられるでしょう。岩倉様は、勅書を使わずにはいられないはず。この政治の流れを利用すれば、赤報隊の名誉は回復されます」
「大胆なこと考える坊さんだな」
藤田が呆れ顔で言う。
跳も、穏やかだと思っていた栄雲の豪胆な一面を見て、驚いてしまった。
「赤報隊の名誉を回復させたいお気持ちはわかりますが、政局を利用するのは危険です。焦らずに頃合いを見るのが得策です」
「残念ながら、赤報隊の残党が明治政府に反乱を企てています。もし、実行に移されたら、赤報隊は永遠に逆賊の名を冠せられるでしょう。その前に何とかしないとならないのです」
強い信念に突き動かされる栄雲の前で、跳と藤田は顔を見合わせる。
「西郷が失脚する分には俺は構わん。むしろ面白いと思う。ただ、巻き込まれて死ぬのはごめんだ。もう少し様子を見させてもらう」
藤田は跳に拳銃を返し、廃屋を出ていこうとした。
「何かわかったら教えてくれ」
跳が背に声をかけると、藤田は手を上げて答えた。
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