忍びしのぶれど

裳下徹和

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第一章

十三 襲撃

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 跳が碑轍の家を訪れると、古今東西の本とにらめ合っていた。
 時々村から持ち帰った物品を眺めたりもする。
 急いで欲しいが、焦らせても仕方ない。どれくらい時間がかかるかなんて、碑轍自身にもわからないだろう。
 前島から碑轍の調査を助けるように言われているが、自分の出る幕がなくなってしまい、跳は手持無沙汰になってしまった。
 このまま碑轍のそばにいるべきなのか、別の業務に移るべきなのか迷っていると、碑轍が声をかけてくる。
「すまんが徳部朗助の家に行って、資料を借りてきてくれないか?」
 何かしていないと、迫りくる切支丹の処刑という現実に押し潰されそうになる。跳はすぐに家から駆け出た。
 碑轍の家がある本郷から、赤坂の徳部朗助の家まで走る。
本郷から小石川橋を抜け、皇居に沿って走り、赤坂に入って旧武家屋敷が建ち並ぶ街並みを進む。特に問題なく、徳部の家にたどり着いた。
 碑轍からの書状を見せると、徳部はすぐに要求に応じてくれた。
「貴重な本だ。大事に運んでくれよ郵便屋さん」
 跳は笑顔で返事をし、配達鞄に本を入れる。
 急げとは言われていないが、走らずにはいられなかった。
 碑轍の家に着き、頼まれていた書物を渡すと、碑轍は表情をほとんど変えないが、瞳孔が大きく広がっている。知識を増やすことにこの上ない快感を得ているようだ
 跳に気のこもらない礼を言い、碑轍は再び書物に耽り始めた。
 一息ついていると、すぐに碑轍に声をかけられる。今度は別の人に資料を借りてきてくれとのことだった。
 碑轍の家から片岸小弥太が住む神田へと向かう。
本郷の台地から根津へ降りる。上野戦争の時はこのあたりにも被害があったが、今は復興して賑わいを見せている。神社のまわりの遊郭も、夜になれば華やぐだろう。
 忍びの時代からいたるところに潜入していたので、町の地理には明るい。走りやすい道を選び、跳は軽快に東京の街を駆ける。
外神田の空き地にさしかかる。明治二年の大火で焼け野原となり、そこに火除けの神秋葉権現が祀られ、秋葉の野原で秋葉原と最近は呼ばれている。人気は少なく、昼間で野党が出ると言われる場所だが、ここを通れば時間の短縮にはなる。
 さらに南に走り、神田川にかかる橋を渡り、神田の片岸の家にたどり着いた。
 片岸から資料を借り受け、跳は本郷へ戻ろうと走る。
 再び秋葉原へ差しかかった時、風にそよぐ草の中から殺気を感じた。
 野盗か。
 身構えると同時に草原から二人の男が飛び出してきた。色の抜けた着物に、顔は頭巾で隠し、手には白刃をきらめかせている。
「邪教に与する者め。覚悟!」
 そう言いながら男達は跳に斬りかかってくる。
 すんでのところで一人目の攻撃をかわし、続けて襲ってきた二人目の凶刃も避ける。
 郵便配達夫が見せる予想外の素早い動きに驚く二人から距離をとりつつ、拳銃を引き抜き発砲する。
 不安定な体勢だったので弾は外れたが、轟く銃声は、敵をひるませるには充分だった。
「動いたらあの世に配達してやるぞ」
 そう言いながら拳銃を構え、跳は後ろに少しずつ下がる。
 暴漢達は刀を振り上げたまま動けずにいるが、二人同時に斬りかかられたら一人しか撃ち倒せない距離だ。間をあけなければない。
 邪教がどうとか言っていたので、明らかに物取りなんかではない。西洋化する時代に不満を持つ旧士族だろう。こういう輩は捨て身で襲ってくるかもしれないので、距離をとれても気は抜けない。
 襲撃者の一人が舌打ちして草むらの中に飛び込んだ。続けてもう一人も逃げ込む。
 撃つか追いかけるか寸時逡巡したが、跳は拳銃をしまい、逃げた男達とは別の方向へ走り出した。
 碑轍が危ない。
 人々の間をぬい、人力車を追い越し、風のように跳は街を駆け抜ける。
 忍びの修行で鍛え上げてはいたが、碑轍の家に着く頃には、さすがに息が上がっていた。
 無事であってくれと願っていたが、中から争う音が聞こえてくる。
 跳は拳銃を引き抜き、銃口を下に向け、土の地面に一発発砲。
「警察だ!」
 荒い呼吸をおさえ、大声で怒鳴り、草鞋も脱がずに家に突入した。
 跳が碑轍の書斎に駆け込むと、ちょうど窓から頭巾をかぶった男が逃げ出すところだった。手には匕首が握られている。
 弾丸を放つより速く、頭巾の男は窓から外へ飛び降り、素早く走り去っていった。
 追いかけたいのはやまやまだが、血を滲ませて畳の上に倒れる碑轍を放っておくことも出来ない。
「碑轍先生。しっかりして下さい」
 跳が呼びかけると、碑轍がうめき声を上げる。
 体を調べてみると、腕を何か所か斬られているが、どれも浅いものだ。腹や胸に傷はない。
 碑轍が傷ついた腕を動かし、何かを指し示す。指の先には書物が散乱していた。
「本に血をつけてしまった……」
 とても悲しそうに言う碑轍の横で、跳は胸をなで下ろした。

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