忍びしのぶれど

裳下徹和

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第一章

九 軍と警察

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 まず馬車で八王子まで行き、そこから徒歩で田満村まで向かうことにした。
朝早く駅逓省の郵便馬車で出発し、荷台で郵便物と一緒に揺られ西を目指す。快適とは言えないが、徒歩に比べればはるかに楽だ。
馬を操る車夫が、時折話しかけてくる。
「隠れ切支丹の呪いを調べに行くんだろう。面白くなってきたじゃねえか」
 この男は同僚なのだが、跳が忍びであったことも、今もそれに関連した仕事をしていることも知らない。適当に話を合わせておいた。
「まあな。切支丹の妖術に鉄砲が効くと良いのだけどな」
 同僚は乾いた笑い声をあげ、呑気に口笛を吹き始めた。
一緒に荷台で揺られる碑轍は、押し黙って何かを考えている。
道が悪い場所では大きく揺れることもあったが、特に問題もなく馬車は八王子へと到着した。その時点で昼前になっていたが、碑轍が先を急ぐというので、人力車で行けるところまで行き、山道は徒歩で進み、日が暮れる前に田満村に入ることが出来た。

 村に着いた途端、休む間もなく調査を始める碑轍に、跳は舌を巻く。
田満村の庄屋は、避難してまだ戻ってきていない。
寺に放火した者達は逮捕され、別の場所へ移されている。その他の村人達はいるのだが、どうも様子がおかしい。村の人々は誰もかれも体調が悪そうで、苦しそうに働いていた。床に伏して起きられない者もいる。腹痛、吐き気、手足の痛みを訴え、血色も悪い。このような状態を見ていると、呪いという言葉もあながち嘘ではない気がしてくる。
「隣村の隠れ切支丹にやられたんです。あいつらは磔にして下さい」
 床に伏した者が、涙目で訴えかけてくるが、碑轍は冷静な目で相槌をうつのみだった。
碑轍は村人一人一人の様子を観察し、話を聞き取り、それを紙に記していく。医学の知識も持ち合わせているはずだが、村人を治療する様子はなかった。
二人きりになった時に跳は、文字を書きつけている碑轍に尋ねてみる。
「治療はされないのですか?」
 碑轍は手を止めず、紙に目を落としたまま答えてきた。
「私は調査しに来たのであって、治療しに来たのではない。神主でもないからお祓いも出来ない」
 優秀なのだろうが、冷淡な男だ。
 碑轍は田満村での調査を一通り終え、乍峰村へ行くと言い始めた。もう日が暮れるというのに、大した活力に感嘆する。
 跳は碑轍を案内し、隣の乍峰村へと向かう。
 村の入り口にたどり着くと、入り口では軍人が警護にあたっている。フランス軍に倣った制服に身を包み、厳めしい顔でこちらをにらみつけてきた。
 嫌な予感がしたが、跳は前島密に渡された書類を見せ、村の中に入れてもらおうとする。
 軍人の一人が、書類と跳と碑轍を交互に眺め、冷たい口調で言った。
「調査など聞いていない」
 嫌な予感が的中してしまった。前島の後ろにいるのは、邏卒総長の川路利良。軍にはあまり力を発揮出来ないのだ。
 碑轍は何ごともないように、兵の背後に広がる村へ目を向けている。
「何を見ている」
 軍人がすごんでくるが、碑轍は動じることもない。
 跳が村へ入れるよう粘っていると、別の人間が村の中から近付いてきた。饅頭笠に黒羅紗の上下を着て、手には三尺棒を持っている。軍の者ではなく警察だ。
 警官は跳の持ってきた書類に目を通し言う。
「話は聞いている。入れ」
 あっけなく入村を許可された。
「早く言えよ」
 軍人が放った怒気を含んだ言葉に、警官は何も反応せず、跳達を村の中へ案内する。
 機嫌を悪くした軍人に一礼して、村の入り口を通過した。
 明治になり警察制度が出来るまで、旧藩の士族「藩兵」が治安維持にあたっていた。藩兵は廃藩置県によりなくなり、警察と軍がつくられた。両者は性格を異にするものだが、治安維持という同じ役目を持つので、行動が重なってしまうこともある。出来たばかりで住み分けが上手くいっていないのだ。
 警官の後について入った村の中は、閑散としており、建ち並ぶ粗末な家の中からは人の気配がしない。
 警察官の一人が、押収した物の一部を見せてくれた。十字架やマリア像が見受けられる。これらの物がみつかった時点で、村人達は、切支丹であることは認めたそうだ。
 奥へ進んでいくと、不快な音が聞こえてくる。肉を打つ音、人の悲鳴。人が拷問を加えられているのだ。
 凄惨な音が漏れてくる小屋に近付いていくと、あともう少しのところで音がやんだ。拷問を受けていた者が死んだのかと思って見ていると、小屋の入り口から両脇を抱えられた男が出てきた。ぐったりしているが、生きてはいる。そのまま連れていかれ、一軒の大き目の家へと叩きこまれていた。その家の前には軍人が警備にあたっている。村人達が収容されているのだ。
 拷問が行われていた小屋から、一人の軍人が出てきた。跳も名を知っている男だ。葛淵武次郎くずぶちたけじろう。薩摩出身の軍人だ。父の葛淵辰之助くずぶちたつのすけは、軍の有力者で、息子の武次郎もそれなりの位置にいる。薩英戦争の時に兄を殺され、大の外国人嫌いになったという噂だ。外国人が信仰するキリスト教も、邪教だと嫌悪していることだろう。
 葛淵が跳と碑轍に気付き、不審な目を向けてくる。
 難癖をつけられそうで緊張が走ったが、走り寄った部下により説明がなされ、事無きを得た。
「はるばるご苦労なことだ。西洋かぶれの学者と飛脚のお手並みを拝見しよう。ここの切支丹共は強情で罪も認めないし、転びもせん。どうにかしてみせてくれ。まあ、でくのぼうの警察より役に立つかもしれんがな」
 葛淵は、わざと聞こえるように大声でわめく。
 耳にした警察官達は、不快そうに顔をしかめるが、何も発することはなかった。
 村人達は、何軒かの家に分けて収容されているようだ。それらの家からは不穏な気配が漂い、それを押し込めるかのように、軍人や警察が守りを固めている。
 それだけでも重苦しい空気なのに、警察と軍の仲がすこぶる悪く、押し潰されそうな圧迫感に村が覆われていた。
 そんな張りつめた空気を泡立てないよう静かに動き、警察が管理している家に入った。
 中に入ると、木の格子がたてつけられ、家全体が牢獄になっている。
 碑轍が声をかけると、格子の向こう側から、村人達の視線が集まった。
 苛烈な暴力を振るわれたのだろう。皆傷つき汚れていた。それなのに、目だけは力強く輝いている。
 そんな村人達の中に、るまの姿もあった。薄汚れていたが、目の力はなくなっていない。
 跳の視線に、るまも気付いたが、格子の向こうからみつめるだけで、話しかけてはこない。その瞳にとまどいの色はあるが、憎しみの色はなさそうなので、跳は少し安堵した。
 碑轍が村人達にいろいろと質問するが、田満村に害を為してはいないと口をそろえて言うばかりだった。
 跳も横で聞いていて、嘘を言っているようにも思えない。だが、新しい情報もない。ここにいる者の言葉から、新しい展開を望むことは難しそうだ。
 あらかた話を聞き終え、碑轍が帰ろうとする。
 自分を見続けるるまに向かって、跳は小声で語りかけた。
「改宗すれば生き残れる」
 それを耳にしたるまは、ささやくように返してくる。
「神を捨ててまで生きようとは思いません」
 純粋な美しい目をしていた。
 跳は何も言わず、退去しようとしている碑轍に続く。
 もう外は暗くなりかけていたが、碑轍は他の家に収容された村人達に聞き取りを行った。
 跳も碑轍の横に付き添っているが、有用な情報を得ているのかわからない。同じことを繰り返し訊いているだけに思える。
 全軒回り終えたころには、日が暮れていたので、村の空き家に泊まることにした。
 体を横たえ、明日に備えようとしていると、騒がしい声が聞こえてくる。
 耳を澄まさなくてもだいたいの状況は把握出来た。酔った葛淵が、部下をいびっているのだ。口汚く罵り、殴りつける音が、夜の村に響いていた。
 感情を表に出さない碑轍でさえ、体が怒りで熱を帯びているのがわかる。
 葛淵が切支丹に拷問していたのも、改宗や自白を迫っていたというより、そういう性質なのではないかとも思えてくる。
 るまが葛淵にいたぶられている姿を想像すると、跳は胸が締め付けられた。

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