忍びしのぶれど

裳下徹和

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第一章

八 碑轍片実

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 前島がしたためた捜査協力要請の手紙を持ち、跳は碑轍片実ひわだちかたざねのもとを訪れた。
 碑轍は旧幕臣の中でも秀才で知られ、幕命で海外留学も経験している。明治に変わった今でもその博識さで多方面に影響を与えていた。田満村の者達がおかしくなったのは、毒なのか病気なのか、はたまた呪いなのかはわからないが、この男なら事件の真相に導いてくれるかもしれない。
 碑轍は、跳が渡した手紙を読み始めた。さして長い文でもないのですぐに読み終える。
「前島さんの要請がなくとも、切支丹の処刑は止めなければならないと思っていた」
 拍子抜けするほど話がすんなり通った。
「キリスト教の弾圧を大々的に宣伝し、祭政一致を推し進めようとしているのか、時代遅れの攘夷に酔っているのか知らんが、こんなことをしていたら西欧諸国とまともな国交など結ぶことは出来ん。事件を調べ直すことに協力しよう。そうしないと、外国の知識が日本に入ってこなくなるからな」
 人道的立場からではなく、知識欲が動機となっているところから、碑轍の変人さが読み取れた。跳の心に、期待と不安が入り混じった気持ちがわき出してくる。
 そんな跳の気持ちなどお構いなしに、碑轍は跳をみつめる。一通り眺めてから再び口を開いた。
「隠れ切支丹の事件では、郵便配達夫が巻き込まれたと聞いたが、君のことか?」
 碑轍に問いかけられ、跳は礼儀正しく答える。
「はい。郵便配達で村を訪れ、日が暮れてしまったので、田満村の実相寺に泊めて頂きました。一宿一飯の義理がありながら寺を守ることが出来ず、ただ逃げ惑うだけでした。事件の解決のお役に立てるのであれば、何でもいたす所存でございます」
 碑轍は跳が忍びであったことは知らない。純朴な郵便配達夫を装う。
 郵便配達夫は飛脚上がりの荒っぽい者も多い。丁寧な言葉遣いをすれば好感を持たれるかと思ったのだが、碑轍の表情に変化はない。
「事件の起きた村に案内してくれ。現地を調べたい」
 平坦な口調で言われ、丁寧な口調は、効果がなかったことを悟った。
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