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第一章 アルトルム王国の病

第三話 我輩と声

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《あー、もしもし? 聞こえるかい? 猫さん?》


 壁にぶつかり、磔状態を一瞬保ったタイミングで、その声は聞こえた。ただ、状況から分かるように、我輩は全く答えられる状況にない。


《え? 何? この状況?》


 一瞬の停止の直後に待っていたのは、もちろん垂直落下。我輩は妙な声に反応することも、悲鳴を上げることもできずに落ちていく。


《えっ、えぇっ!?》


 強い衝撃を覚悟して、目をギュッと瞑った我輩。受け身は取れそうもないため、きっとかなり痛い思いをすることになるだろう。

 そんな予感を抱いてからは、長かった。体感で、十秒……いや、二十秒くらい経っている気がするのに、未だに衝撃は来ない。


《おーい、猫さん、もう大丈夫だよー?》

「………………にゃ? ( ………………うむ? )」


 あまりに何もない状態と、どこからか聞こえる声の大丈夫という言葉に、我輩はそっと目を開け…………なぜか落ちている時の体勢のまま、宙に浮いているという事実を知ってしまった。


「にゃっ!? (い、いったい何がっ!?)」

《あー、うん、とりあえず、猫さんが落ちないよう助けただけだから、今から降ろすよー》

「に、にゃ(あ、うむ、お願いするのだ)」


 わけの分からない状況が続き、回りに回って冷静になった我輩は正体不明の声の主に普通に返事をしてしまう。しかし、それは間違いではなかったらしく、我輩はゆっくりと、足から地面に下りられるよう空中で体勢を変えさせられながら、地面に下ろしてもらうのだった。


 ……はっ、これはもしや、飼い主が言っていた『マジック』というものなのだろうかっ!


 人が起こす不思議なできごとを『マジック』というらしいことは、飼い主から教えてもらっている。そして、その中には、翼を持たない人間が宙を浮くというものもあったはずなのだ。
 そう、今、まさに我輩が体験したことだ。我輩、マジックを体験するのは初めてで、かなり嬉しいのだ。


《あー、目をキラキラさせてるところ悪いんだけど、残念ながら、これはマジックじゃなくて魔法だよ》

「にゃ…(そ、そんな…)」


 完全にマジックだと思って、ウキウキワクワクしていた我輩の心が、この瞬間、ショボーンとなって尻尾が垂れる。


《えっ、そんなに落ち込むほどのことっ!?》

「にゃっ。にゃあっ! にゃにゃっ!! (何を言うかっ。マジックは種も仕掛けもないのだぞっ! 魔法は、しっかりと発動の原理があるではないかっ!!)」


 未だに姿の見えない声の主へと盛大に反論した我輩は、その直後、項垂れて、飼い主に落ち込んだ時に書くものだと教えてもらった『のの字』とやらを書いてみる。


《いやいや、マジックは、種も仕掛けもあるからね? って、何してるの?》

「にゃ、ふにゃっ、にゃ? にゃあ(このっ、このっ、ん? これは、ただ、のの字を書いているだけなのだ)」

《……あぁ、なるほど、猫さんの思考回路は、ちょっとばかし天然系なんだね》


 何かに納得したような声の主に、我輩は違和感を覚えるが、しばらく『の』を書くことに奮闘したおかげで、落ち込んだ気持ちも消えていた。
 そうして落ち着きを取り戻した我輩は、今更ながら、一つの重大なことに気づく。


「にゃにゃ? (ところで、先ほどから聞こえる声はいったいどこから聞こえているのだ?)」


 壁に激突した瞬間から聞こえていた不可思議な声。落ちていく我輩を助けてくれたその声の主の姿は、未だに見つからない。


《ん、あぁ、僕はそこには居ないよ。ただ、猫さんの姿は観察できるし、干渉も少しならできるけどね》


 キョロキョロとその姿を確認しようとしていると、そんな不思議な説明をされて、我輩、少々混乱気味である。


《まっ、僕のことは良いとして、とりあえず、猫さんに頼みがあるんだけど、良いかな?》

「にゃ? にゃあ(頼み、とな? しかし、我輩、今はレディを助けるために奮闘中なのだ)」

《うん、そのことにも関係ある頼みだから、お願いできないかなって》


 姿が見えない理由は分からないが、今までもよく分からないことは多かった。
 例えば、人間達が手にケータイと呼ばれる物を持って、誰も居ないのに会話をしている姿だって見てきているし、どんなに寒い日でも暖かいコタツなるものもあった。それに比べれば、今更姿が見えないだけで取り乱すのもおかしなことだろう。

 分からないことは、教えてもらえない限り分からないままで良い。それが、我輩の猫としての処世術だ。

 …ただ、猫である我輩が、この声の主と会話できていることの理由は知りたいところだが……。


《あっ、でも、まずは謝罪させてほしい。本来は召喚されるはずじゃなかった猫さんを召喚してしまって、申し訳ありませんでした》

「…にゃ? (…どういうことなのだ?)」

《そうだね。そのことも含めて、今から説明させてもらうよ》


 そう言うと、声の主は、ゆっくりと我輩が召喚に至るまでに何が起こったのかを話し始めるのだった。


《まずは……そう、このナーガ世界で、一つの事件が起こったことがきっかけだったんだ》


 とある日、神様に仕える天使が『豊穣の神珠』と呼ばれる大切な宝を運んでいた。それは極秘任務であり、一部の神と天使しか『豊穣の神珠』を運んでいることなど知らなかったはずだった。
 しかし、突如として『豊穣の神珠』を運んでいた天使の前に悪神の部下と思われる堕天使の軍勢が現れ、長い戦いの末、『豊穣の神珠』は砕け散ってしまったのだ。
 粉々になった『豊穣の神珠』の破片は、元の『豊穣』という言葉とは程遠い『不幸を呼び込む欠片』となって、ナーガ世界へと降り注ぎ、人々の中に吸い込まれていく。そうして、各地において……特に力を持つ者には顕著に、その不幸は訪れた。
 戦争、内乱、大飢饉、病……それこそ、様々な形で、不幸が蔓延し、一気に世界崩壊の危機となった。

 思わぬ出来事によって引き起こされかかっている世界の崩壊に、神々は一つの対策に打って出た。その方法こそが、勇者召喚。ただしこれに関しても、また別の悪戯好きの神らしき者によって魔方陣が書き換えられてしまい、結果、『勇者としての素質がある人間』ではなく、『勇者としての素質がある生き物』が召喚されてしまったのだった。


「にゃあにゃ(なるほど、本来なら人間が召喚されるはずなのに、猫の我輩だったため、あの場に居た人間は取り乱していたのだな)」

《そうだろうね。そして本来なら、召喚の直前に勇者を確認するのは、ロムではなく僕自身だったんだ。けど、ちょうど仕事が忙しくて、手が離せなくて、代わりにロムを向かわせた……》


 淀みなく話していた声の主は、ここに来て、声を詰まらせる。
 姿は見えずとも、その様子は、随分と後悔しているように感じられ、我輩は何も言えずそのまま沈黙を通す。


《僕が、僕さえ確認していれば、猫さんは召喚されなかった。だから、本当に申し訳ありませんでしたっ》


 再び謝罪を行う声の主。その声が震えているのは、きっと、責任を強く感じているからだろう。
 我輩は、一つ、大きくうなずいて、どこに居るか分からない声の主のため、しっかりと声を出す。


「にゃにゃあ。にゃ(うむ、謝罪は受け取った。だから、あまり自分を責めてはいけないのだ)」

《…猫さん……でも、ここに召喚したからには、二度と、元の世界には帰れないんだよ?》

「にゃ、にゃあっ(それもまた一興。我輩は、この地にて一流の紳士になると決めたのだっ)」

《……そうか、猫さんがそれで納得してるなら、僕からはもう何も言わないよ。そして、元凶はちゃんとぶちのめしてくるね》

「に、にゃ。にゃあ? (う、うむ、それで良いのだ。それで、頼みというのは?)」


 声の主がどうにか納得し、何やら不穏な発言をしたところで、我輩は話を元に戻す。まだ、肝心の頼みごとについて何も聞いていないのだ。


《あぁ、そうだね。えーっと、ぶっちゃけて言えば、この世界を救って欲しいんだ》

「……にゃ? (……は?)」
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