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第一章 出会い
第二話 ここ、どこ?
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心地よい微睡み。そんなものを経験するのは、随分と久しぶりのように感じながら、私はそれを振り払うように、ゆっくり目を開ける。
「……っ」
いつもと同じ、暗い家の中。怒声と罵声が響く場所が待っていると思っていた私は、自分が見慣れない部屋で、豪華な天蓋付きのベッドに寝ているという状況に気づき、絶句する。
窓からの明かりに照らされた部屋の中は、いかにも女の子らしい桃色と白を基調とした世界だった。しかも、今まで縁のなかったアロマらしき甘い香りまで漂ってくる始末。床に敷かれている淡い桃色の絨毯は毛が長く、どことなく高級感があるようにも見える。
「…………?」
あまりにも自分の家と違いすぎる場所に、私は『ここ、どこ?』と呟いた、つもりだった。けれど、声が出ることはない。
「……っ、………………」
まさか声が出ないとは思いもしなかった私は、一生懸命『あー』だとか『うー』だとか発音してみる。けれど、やはり声は出ない。出るのは呼気だけ。声という声は全く出なかった。
(どうしよう?)
ここがどこかも分からない。声も出ない。そうなってくると、もはや絶望的だ。と、そこで、私は思い出す。
(あぁ、そうだった。ここは、死後の世界、なんだった)
脳裏に過るのは、道端でいじめっ子グループに遭遇し、突き飛ばされた記憶。そこに運悪く、大型トラックが通りかかり、急ブレーキの耳障りな音が聞こえて、強い衝撃を受けた記憶。どこにも居場所がなかった私の、最期の記憶。
(でも、あの狼は……?)
落ちた後、次に目を覚ました場所は、あの森だった。良く分からない事態に困惑し、宛もないままにさまよっている時に遭遇したのが、あの狼だ。それと……。
(あの、男の人は……?)
死後の世界だとするなら、この世界はあまりにもおかしかった。狼が襲ってくることも、それを追い払う存在が居ることも。天国でも地獄でも、極楽浄土とやらでもなさそうなこの世界。それに、私は恐怖を抱く。
(ここ、どこ?)
私は改めてその疑問を心に抱き、震える。もう、これ以上傷つきたくはなかった。
しばらくベッドの上で体を抱き締めるようにして震えていると、ふいに、コンコンコンと控えめなノック音が聞こえ、飛び上がる。
誰かが来た。正体不明の誰かが。
本当なら、声を出して入室の許可なり拒否なりを言うべきではあるのだけれど、いかんせん、声が出ない。恐らくは……いや、十中八九、今までの心労が祟って失声症とかいうものになってしまったのだろうけれど、それをノックした人間が知っているとは思えない。
(来ないでっ)
怖いから、出来れば心の準備をしたいからという意思の元、伝わるはずのない念を送ってみる。
「失礼します」
もちろん、その念が届くことはなく、無情にも扉は開けられる。そうして入って来たのは……。
(メイド、さん?)
入ってきたのは、二十代くらいの女性。ふんわりと微笑みを浮かべる彼女は、ブロンドのパーマがかったショートヘアで、瞳の色は美しい蒼だ。
明らかに外国人と分かる見た目の彼女は、お仕着せと呼ぶべき仕様のメイド服を着用して、そこに立っていた。
「まぁっ、目が覚めたのですねっ! ようございましたっ」
ポカンと口を開けながら、目の前のメイドさんがいったいどういった人物なのか測りかねていると、彼女は体を起こした私へと早足で迫ってきた。
(っ、うっわぁ、美人さん)
間近で見ると、彼女は優しそうな顔立ちの美人だった。今まで接して来た人の中で、これほどの人には会ったことがない。
「まぁっ、まぁっ、瞳の色も黒なんですねっ。随分と珍しいっ」
ぼんやりとメイドさんを眺めていると、ガシッと肩を掴まれて瞳を覗き込まれる。
(ち、近いっ、近いっ)
ともすれば口づけまでしてしまいそうな距離感に、私は頬を引きつらせて必死に後退しようとするものの、意外にも手に込められた力が強くて全く動けない。
「何て、神秘的な色なんでしょうっ」
興奮で頬を紅潮させるメイドさんを前に、私はもうなすがままだ。少なくとも、敵意の類いは感じないため、安全ではありそうだった。ただ、そこで予想外の事態が起こる。
クキュルルルー。
(っ!? ど、どうしようっ、今の絶対に聞かれたっ)
起きたばかりではあったものの、お腹は正直にその空腹を訴えた。声は出ないのに、お腹の音が出るという状態は、とても恥ずかしくて、私はメイドさんの視線から逃れるべくうつむく。
「はっ、わたくしとしたことがっ、申し訳ありませんっ。すぐに食事をお持ちしますねっ」
(やっぱり、聞かれてたーっ)
メイドさんが部屋を飛び出す様子を見送って、私は掛け布団に頭を埋める。
……恥ずかしい。穴があったら入りたい。
空気を読まないお腹の音に内心悶えた。
そして、しばらくの時間を過ごし少し落ち着いてきたところで私はハッと気がつく。
(そういえば、何も、聞けてない)
いや、そもそも声が出ない時点で何も聞けないのだけれど、せめて声が出ないことくらい伝えておけば良かったと思ってしまう。そうすれば、少しは状況の説明が聞けたかもしれない。
(でも、食事を持ってきてくれるみたいだったし、その時にでも……何で私はここに居るのかとか、ここはどこなのかとか、色々聞けば良い、かな?)
多分、あのメイドさんは悪い人ではない。ちょっと態度が大袈裟過ぎて怖かったものの、それは別にわざとというわけではなさそうだった。それに、メイドさんが来たおかげで、今は先程のような悲観的な感情はあまり湧いてこない。
ただ、引っ掛かるのは、私の容姿に関しての言葉だった。
(黒が神秘的って……日本人なら、ほとんど黒目黒髪だけどなぁ)
死後の世界と断言するにはちょっぴり不思議な世界。感覚はリアル過ぎるため、夢ということはまずないだろう。例え夢だったとしても、あんなに美人な人を私程度の頭で想像できる気がしない。
(あと、残るのは異世界に来ちゃったとか?)
さすがにないだろうと思いつつ、その案を思い浮かべるけれど、なぜかそれが一番しっくり来る気がした。
(…………死にかけて、異世界?)
ファンタジーな世界ではないのだから、それはない、と言いたいものの、否定しきれない何かがそこにある。
(私、多分、死にかけてた、はず)
少なくとも、車に轢かれたあの衝撃が、あの痛みが、全て夢だったということはあり得ない。そうなると、次に目が覚めるとしたら、病院辺りが妥当だけれど……。
(病院じゃない。痛みも、なくなってる)
トラックに轢かれて、目覚めたら森で、狼に襲われて、男の人に助けられて、意識を失って、豪華な部屋でまた目が覚める。流れとしては、違和感しかない。特に、最初のトラックに轢かれた後。
冷静になって考えれば考えるほど、状況のおかしさが目立つ。
(……でも、考えても、答えは出そうにない、かな?)
グルグルと考えても良く分からない事態に、私はひとまずその思考を放棄する。そうして……。
キュルルー。
再び鳴り響くお腹の音に、私はとにかくベッドの上で突っ伏した。
「……っ」
いつもと同じ、暗い家の中。怒声と罵声が響く場所が待っていると思っていた私は、自分が見慣れない部屋で、豪華な天蓋付きのベッドに寝ているという状況に気づき、絶句する。
窓からの明かりに照らされた部屋の中は、いかにも女の子らしい桃色と白を基調とした世界だった。しかも、今まで縁のなかったアロマらしき甘い香りまで漂ってくる始末。床に敷かれている淡い桃色の絨毯は毛が長く、どことなく高級感があるようにも見える。
「…………?」
あまりにも自分の家と違いすぎる場所に、私は『ここ、どこ?』と呟いた、つもりだった。けれど、声が出ることはない。
「……っ、………………」
まさか声が出ないとは思いもしなかった私は、一生懸命『あー』だとか『うー』だとか発音してみる。けれど、やはり声は出ない。出るのは呼気だけ。声という声は全く出なかった。
(どうしよう?)
ここがどこかも分からない。声も出ない。そうなってくると、もはや絶望的だ。と、そこで、私は思い出す。
(あぁ、そうだった。ここは、死後の世界、なんだった)
脳裏に過るのは、道端でいじめっ子グループに遭遇し、突き飛ばされた記憶。そこに運悪く、大型トラックが通りかかり、急ブレーキの耳障りな音が聞こえて、強い衝撃を受けた記憶。どこにも居場所がなかった私の、最期の記憶。
(でも、あの狼は……?)
落ちた後、次に目を覚ました場所は、あの森だった。良く分からない事態に困惑し、宛もないままにさまよっている時に遭遇したのが、あの狼だ。それと……。
(あの、男の人は……?)
死後の世界だとするなら、この世界はあまりにもおかしかった。狼が襲ってくることも、それを追い払う存在が居ることも。天国でも地獄でも、極楽浄土とやらでもなさそうなこの世界。それに、私は恐怖を抱く。
(ここ、どこ?)
私は改めてその疑問を心に抱き、震える。もう、これ以上傷つきたくはなかった。
しばらくベッドの上で体を抱き締めるようにして震えていると、ふいに、コンコンコンと控えめなノック音が聞こえ、飛び上がる。
誰かが来た。正体不明の誰かが。
本当なら、声を出して入室の許可なり拒否なりを言うべきではあるのだけれど、いかんせん、声が出ない。恐らくは……いや、十中八九、今までの心労が祟って失声症とかいうものになってしまったのだろうけれど、それをノックした人間が知っているとは思えない。
(来ないでっ)
怖いから、出来れば心の準備をしたいからという意思の元、伝わるはずのない念を送ってみる。
「失礼します」
もちろん、その念が届くことはなく、無情にも扉は開けられる。そうして入って来たのは……。
(メイド、さん?)
入ってきたのは、二十代くらいの女性。ふんわりと微笑みを浮かべる彼女は、ブロンドのパーマがかったショートヘアで、瞳の色は美しい蒼だ。
明らかに外国人と分かる見た目の彼女は、お仕着せと呼ぶべき仕様のメイド服を着用して、そこに立っていた。
「まぁっ、目が覚めたのですねっ! ようございましたっ」
ポカンと口を開けながら、目の前のメイドさんがいったいどういった人物なのか測りかねていると、彼女は体を起こした私へと早足で迫ってきた。
(っ、うっわぁ、美人さん)
間近で見ると、彼女は優しそうな顔立ちの美人だった。今まで接して来た人の中で、これほどの人には会ったことがない。
「まぁっ、まぁっ、瞳の色も黒なんですねっ。随分と珍しいっ」
ぼんやりとメイドさんを眺めていると、ガシッと肩を掴まれて瞳を覗き込まれる。
(ち、近いっ、近いっ)
ともすれば口づけまでしてしまいそうな距離感に、私は頬を引きつらせて必死に後退しようとするものの、意外にも手に込められた力が強くて全く動けない。
「何て、神秘的な色なんでしょうっ」
興奮で頬を紅潮させるメイドさんを前に、私はもうなすがままだ。少なくとも、敵意の類いは感じないため、安全ではありそうだった。ただ、そこで予想外の事態が起こる。
クキュルルルー。
(っ!? ど、どうしようっ、今の絶対に聞かれたっ)
起きたばかりではあったものの、お腹は正直にその空腹を訴えた。声は出ないのに、お腹の音が出るという状態は、とても恥ずかしくて、私はメイドさんの視線から逃れるべくうつむく。
「はっ、わたくしとしたことがっ、申し訳ありませんっ。すぐに食事をお持ちしますねっ」
(やっぱり、聞かれてたーっ)
メイドさんが部屋を飛び出す様子を見送って、私は掛け布団に頭を埋める。
……恥ずかしい。穴があったら入りたい。
空気を読まないお腹の音に内心悶えた。
そして、しばらくの時間を過ごし少し落ち着いてきたところで私はハッと気がつく。
(そういえば、何も、聞けてない)
いや、そもそも声が出ない時点で何も聞けないのだけれど、せめて声が出ないことくらい伝えておけば良かったと思ってしまう。そうすれば、少しは状況の説明が聞けたかもしれない。
(でも、食事を持ってきてくれるみたいだったし、その時にでも……何で私はここに居るのかとか、ここはどこなのかとか、色々聞けば良い、かな?)
多分、あのメイドさんは悪い人ではない。ちょっと態度が大袈裟過ぎて怖かったものの、それは別にわざとというわけではなさそうだった。それに、メイドさんが来たおかげで、今は先程のような悲観的な感情はあまり湧いてこない。
ただ、引っ掛かるのは、私の容姿に関しての言葉だった。
(黒が神秘的って……日本人なら、ほとんど黒目黒髪だけどなぁ)
死後の世界と断言するにはちょっぴり不思議な世界。感覚はリアル過ぎるため、夢ということはまずないだろう。例え夢だったとしても、あんなに美人な人を私程度の頭で想像できる気がしない。
(あと、残るのは異世界に来ちゃったとか?)
さすがにないだろうと思いつつ、その案を思い浮かべるけれど、なぜかそれが一番しっくり来る気がした。
(…………死にかけて、異世界?)
ファンタジーな世界ではないのだから、それはない、と言いたいものの、否定しきれない何かがそこにある。
(私、多分、死にかけてた、はず)
少なくとも、車に轢かれたあの衝撃が、あの痛みが、全て夢だったということはあり得ない。そうなると、次に目が覚めるとしたら、病院辺りが妥当だけれど……。
(病院じゃない。痛みも、なくなってる)
トラックに轢かれて、目覚めたら森で、狼に襲われて、男の人に助けられて、意識を失って、豪華な部屋でまた目が覚める。流れとしては、違和感しかない。特に、最初のトラックに轢かれた後。
冷静になって考えれば考えるほど、状況のおかしさが目立つ。
(……でも、考えても、答えは出そうにない、かな?)
グルグルと考えても良く分からない事態に、私はひとまずその思考を放棄する。そうして……。
キュルルー。
再び鳴り響くお腹の音に、私はとにかくベッドの上で突っ伏した。
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