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番外編
089.ラルスとの初夜(二)
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廊下に出ると、朝には置いてあった玩具がほとんど片付けられていた。子どもたちが父親の邸宅に持っていったのか、女官たちがしまってくれたのだろう。
ベールを頭の上に上げ、ドキドキしながら七色の扉の前に立つ。しばらくして、四つ時の鐘の音が鳴り響く。
あぁぁ、緊張してきた! わたし、おかしなところはないよね? ちょっと太ったかもしれないけど、別におかしいことじゃないよね? 十年もたてば、ちょっとくらい変わることは――。
紫色の扉が、ゆっくりと開かれる。鍵とランプを手に現れた、銀色の髪の男の人。彼はわたしを見つけて、微笑んだ。
「お久しぶりです、イズミ、様」
ちょっと痩せた? 目尻に皺が増えた? 少し髪が伸びたね。でも、声も、優しげな黒い瞳も、佇まいも、イケメンっぷりも、真っ赤な耳も、何も変わらない。十年たってもラルスはラルスで、変わらない。
手を伸ばし、広げられた腕の中に飛び込む。そして、ぎゅうと抱きしめる。視界がぼやけても構わない。あったかい。ラルスだ。本物だ。良かった、生きてる。生きて、戻ってきてくれた。ラルスだ……ラルスだ。
「……お帰り、ラルス」
「ただいま、イズミ様」
聞きたかった声だ。触れたかった腕だ。あぁ、ラルスだ。涙が止まらない。
しばらくお互いの熱を確認したあと、涙を拭って、わたしたちはゆっくりと歩き始める。手を繋ぎながら、十年分の想いを胸に。
「元気にしてた? あ、わたしは元気だったよ」
「私も、大病することなく過ごしておりました」
「そっか、良かった。ウィルフレドは優しい?」
「……充実した時間を過ごしております」
「ハハハ。厳しいんだぁ」
「王族のしきたりにはまだ慣れておりませんので……紫の君にはご迷惑をおかけしております」
あぁ、子どもと一緒に歩いているわけではないのに、嬉しくて手をブンブンと振ってしまいたくなる。めっちゃ抑えてる。頑張ってる、わたし。
ラルスはあたりを見回し、懐かしむように目を細めている。廊下や窓から見える景色は十年前とほとんど変わっていないと思う。だからこそ、記憶を思い起こしやすいのかも。
「……ここは変わりませんね」
「そうだね」
「イズミ様も、変わりませんね」
見上げると、優しげな瞳がこちらを向いていた。ちょっと待って。ラルス、こんなに優しい顔してた? いつもムスッとしてなかった? こんな柔らかく、笑う人だった?
「ラルスは……何だか、柔和な感じになったね」
「丸くなった、ということでしょうか?」
「あ、体型じゃないよ、雰囲気が。何ていうか、優しくなったのかなぁ」
「……そうですか」
居室の部屋を開けて近くにランプを置いた瞬間、ラルスにぐいと手を引かれ、腕の中に閉じ込められる。さっきのハグとは違う強さに抱きしめられる。「しばらく、このままで」と囁くラルスの声は、少し、つらそうだ。
ラルスの背に手を回し、彼を抱きしめる。十年、我慢したんだもの。暖かさとか、柔らかさとか、堪能したいだろうな……わ、わたしはそんなに太っていないと思うよ。オーウェンには稽古をつけてもらっているし、アールシュには踊りを教えてもらっているもの。たまに、だけど。
「イズミ様」
「うん?」
「その美しい格好は……婚礼衣装ですか?」
確かに寝間着にしては気合い入ってるよね、これ。装飾品も多いし。ウエディングドレスなのかと聞かれたら、そうなのかもしれない。
「わたしはそのつもりで着ているけど? 可愛い?」
「かわ、っ……とても、綺麗です」
「ふふ、ありがと」
耳元で聞こえるラルスの声が心地好い。いい匂い。すごくあったかい。ずっと抱き合っていたい。
やっぱり、わたし、ラルスが好きだなぁ。恋なのか、愛なのか、情なのか、考えるのも煩わしいほどに、彼のことが好きだ。
「はぁ……好き」
うっかり零れた言葉が、引き金になる。
「イズミ様」と誘うような声音に顔を上げると、不安そうな視線とぶつかる。たぶん、わたしも同じ目をしているんだろう。
そっと頬に触れ、背伸びをする。押し当てられた唇は、柔らかく、熱く、優しい。ラルスの唇を甘く食んで、ゆっくり、じっくり、堪能する。
侵入してきた舌を突き、吸って、絡める。唾液が伝い落ちても気にしない。むしろ、汚して欲しい。
「もっと、触れても、いいですか」
どこまで、触れたいの? キスだけ? 奥まで?
……無理。ラルスを前に、我慢ができるわけがない。もう、欲しくて堪らなくなってる。夫たちへの罪悪感が勝るような女なら、きっと、こんなことにはなっていない。わたしが我慢のできる女なら、ラルスにもう一度罪を犯させるようなことにはなっていない。
「……ラルス、抱いて」
十年たっても、わたしはバカなままだ。変わっていない。
「これが罪になるなら、今度はわたしも、一緒に罰を受けるから」
少しだけ変わったことがあるとしたら、その覚悟ができたことくらい、かな。
ラルスはきょとんとした表情を浮かべたあと、すぐにわたしを強く抱きしめた。
「大丈夫です、罪にはなりませんよ。私はご夫君方公認の……愛人ですから」
「あぁ、なるほど、愛人……ってことは、セックスしてもいいの? ええと、欲の解放!」
「久しぶりに聞きました、その単語」
ラルスの前でセックスセックスと連呼していたのは、遠い昔。さすがに、もう多少の恥じらいは持ち合わせていると思う。連呼はしない。たぶん。頭の中はそれでいっぱいだけど。
「ウィルは、その、してもいいって?」
ラルスはわたしを抱きしめたまま、「欲の解放ですか?」と尋ねる。ウィルフレドは、夫たちは、ラルスにセックスの許可を出したのだろうか。それだけが、気がかりなのだ。
「紫の君が私に禁じたことは……十五日と三十日以外の同衾、のみです」
「……それだけ?」
「それだけです」
月に二回の逢瀬だけ。それを守るならば、セックスしても構わない、と。それが夫たちの総意である、と。
皆、優しすぎでしょ。わたしに甘すぎでしょ。愛人を公認しちゃうなんて。……だから、わたしは皆が大好きなんだけど。
「そっ、か、公認……夫を裏切るわけではない、のね」
「あの、気づいていますか、イズミ様」
「うん?」
「禁じられているのは、休日以外の同衾だけです」
「うん」
それは聞いた。それ以外なら、何をしても構わない、ということよね? ……何をしても構わない?
「まさか」
「そのまさかです」
「いやいやいや……それはできないでしょ。無理でしょ。だって、そんなこと」
だって、そんなこと、望んじゃいけないでしょ。
「紫の君からの、伝言です。『食べるかどうかは、二人に一任します』と」
ラルスは、ちょっと膨らんだポケットから、それを取り出した。拳の大きさの、懐かしい白い果実。
「……どうしましょう」
「どうするの、これ」
「イズミ様は、どうしたいですか?」
「ら、ラルスこそ、どうしたいの?」
見つめ合って、キスをする。情欲を孕んだ、とろけてしまいそうなキスをする。
「あの日の続きを、しましょうか」
ラルスは命の実を持ったまま、微笑む。「あの日」がどの日かわからないままに、わたしは一も二もなく頷くのだった。
ベールを頭の上に上げ、ドキドキしながら七色の扉の前に立つ。しばらくして、四つ時の鐘の音が鳴り響く。
あぁぁ、緊張してきた! わたし、おかしなところはないよね? ちょっと太ったかもしれないけど、別におかしいことじゃないよね? 十年もたてば、ちょっとくらい変わることは――。
紫色の扉が、ゆっくりと開かれる。鍵とランプを手に現れた、銀色の髪の男の人。彼はわたしを見つけて、微笑んだ。
「お久しぶりです、イズミ、様」
ちょっと痩せた? 目尻に皺が増えた? 少し髪が伸びたね。でも、声も、優しげな黒い瞳も、佇まいも、イケメンっぷりも、真っ赤な耳も、何も変わらない。十年たってもラルスはラルスで、変わらない。
手を伸ばし、広げられた腕の中に飛び込む。そして、ぎゅうと抱きしめる。視界がぼやけても構わない。あったかい。ラルスだ。本物だ。良かった、生きてる。生きて、戻ってきてくれた。ラルスだ……ラルスだ。
「……お帰り、ラルス」
「ただいま、イズミ様」
聞きたかった声だ。触れたかった腕だ。あぁ、ラルスだ。涙が止まらない。
しばらくお互いの熱を確認したあと、涙を拭って、わたしたちはゆっくりと歩き始める。手を繋ぎながら、十年分の想いを胸に。
「元気にしてた? あ、わたしは元気だったよ」
「私も、大病することなく過ごしておりました」
「そっか、良かった。ウィルフレドは優しい?」
「……充実した時間を過ごしております」
「ハハハ。厳しいんだぁ」
「王族のしきたりにはまだ慣れておりませんので……紫の君にはご迷惑をおかけしております」
あぁ、子どもと一緒に歩いているわけではないのに、嬉しくて手をブンブンと振ってしまいたくなる。めっちゃ抑えてる。頑張ってる、わたし。
ラルスはあたりを見回し、懐かしむように目を細めている。廊下や窓から見える景色は十年前とほとんど変わっていないと思う。だからこそ、記憶を思い起こしやすいのかも。
「……ここは変わりませんね」
「そうだね」
「イズミ様も、変わりませんね」
見上げると、優しげな瞳がこちらを向いていた。ちょっと待って。ラルス、こんなに優しい顔してた? いつもムスッとしてなかった? こんな柔らかく、笑う人だった?
「ラルスは……何だか、柔和な感じになったね」
「丸くなった、ということでしょうか?」
「あ、体型じゃないよ、雰囲気が。何ていうか、優しくなったのかなぁ」
「……そうですか」
居室の部屋を開けて近くにランプを置いた瞬間、ラルスにぐいと手を引かれ、腕の中に閉じ込められる。さっきのハグとは違う強さに抱きしめられる。「しばらく、このままで」と囁くラルスの声は、少し、つらそうだ。
ラルスの背に手を回し、彼を抱きしめる。十年、我慢したんだもの。暖かさとか、柔らかさとか、堪能したいだろうな……わ、わたしはそんなに太っていないと思うよ。オーウェンには稽古をつけてもらっているし、アールシュには踊りを教えてもらっているもの。たまに、だけど。
「イズミ様」
「うん?」
「その美しい格好は……婚礼衣装ですか?」
確かに寝間着にしては気合い入ってるよね、これ。装飾品も多いし。ウエディングドレスなのかと聞かれたら、そうなのかもしれない。
「わたしはそのつもりで着ているけど? 可愛い?」
「かわ、っ……とても、綺麗です」
「ふふ、ありがと」
耳元で聞こえるラルスの声が心地好い。いい匂い。すごくあったかい。ずっと抱き合っていたい。
やっぱり、わたし、ラルスが好きだなぁ。恋なのか、愛なのか、情なのか、考えるのも煩わしいほどに、彼のことが好きだ。
「はぁ……好き」
うっかり零れた言葉が、引き金になる。
「イズミ様」と誘うような声音に顔を上げると、不安そうな視線とぶつかる。たぶん、わたしも同じ目をしているんだろう。
そっと頬に触れ、背伸びをする。押し当てられた唇は、柔らかく、熱く、優しい。ラルスの唇を甘く食んで、ゆっくり、じっくり、堪能する。
侵入してきた舌を突き、吸って、絡める。唾液が伝い落ちても気にしない。むしろ、汚して欲しい。
「もっと、触れても、いいですか」
どこまで、触れたいの? キスだけ? 奥まで?
……無理。ラルスを前に、我慢ができるわけがない。もう、欲しくて堪らなくなってる。夫たちへの罪悪感が勝るような女なら、きっと、こんなことにはなっていない。わたしが我慢のできる女なら、ラルスにもう一度罪を犯させるようなことにはなっていない。
「……ラルス、抱いて」
十年たっても、わたしはバカなままだ。変わっていない。
「これが罪になるなら、今度はわたしも、一緒に罰を受けるから」
少しだけ変わったことがあるとしたら、その覚悟ができたことくらい、かな。
ラルスはきょとんとした表情を浮かべたあと、すぐにわたしを強く抱きしめた。
「大丈夫です、罪にはなりませんよ。私はご夫君方公認の……愛人ですから」
「あぁ、なるほど、愛人……ってことは、セックスしてもいいの? ええと、欲の解放!」
「久しぶりに聞きました、その単語」
ラルスの前でセックスセックスと連呼していたのは、遠い昔。さすがに、もう多少の恥じらいは持ち合わせていると思う。連呼はしない。たぶん。頭の中はそれでいっぱいだけど。
「ウィルは、その、してもいいって?」
ラルスはわたしを抱きしめたまま、「欲の解放ですか?」と尋ねる。ウィルフレドは、夫たちは、ラルスにセックスの許可を出したのだろうか。それだけが、気がかりなのだ。
「紫の君が私に禁じたことは……十五日と三十日以外の同衾、のみです」
「……それだけ?」
「それだけです」
月に二回の逢瀬だけ。それを守るならば、セックスしても構わない、と。それが夫たちの総意である、と。
皆、優しすぎでしょ。わたしに甘すぎでしょ。愛人を公認しちゃうなんて。……だから、わたしは皆が大好きなんだけど。
「そっ、か、公認……夫を裏切るわけではない、のね」
「あの、気づいていますか、イズミ様」
「うん?」
「禁じられているのは、休日以外の同衾だけです」
「うん」
それは聞いた。それ以外なら、何をしても構わない、ということよね? ……何をしても構わない?
「まさか」
「そのまさかです」
「いやいやいや……それはできないでしょ。無理でしょ。だって、そんなこと」
だって、そんなこと、望んじゃいけないでしょ。
「紫の君からの、伝言です。『食べるかどうかは、二人に一任します』と」
ラルスは、ちょっと膨らんだポケットから、それを取り出した。拳の大きさの、懐かしい白い果実。
「……どうしましょう」
「どうするの、これ」
「イズミ様は、どうしたいですか?」
「ら、ラルスこそ、どうしたいの?」
見つめ合って、キスをする。情欲を孕んだ、とろけてしまいそうなキスをする。
「あの日の続きを、しましょうか」
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