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67.幸福な降伏(六)
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「っは、あ……あ、そこ、いいっ」
「ここ?」
「ん、そこっ」
腰を少し引き、亀頭の先で膣内の気持ちのいい箇所をぐりぐりと突いて、健吾くんが笑う。相変わらず、両手は胸を揉んでいる。
だいぶ上達したなぁ、なんて思う。腰の使い方とか、指の使い方とか。ハタチの学習能力は高いみたいだ。
「っひゃ!」
いきなり乳首を舐められると、また中がきゅんと締まる。それに気づいて、また健吾くんが笑う。本当にわかりやすいな、と。
今週・今週末は湯川先生も翔吾くんも用事があって会えなかった。だから、健吾くんに抱かれている。彼は何をどこまで知っているのか。ただ、何も言わずに、私を抱くだけだ。
「あっ、もっと、舐め――っ、やっ」
「ほんと、弱いな、ここ。いいよ、イッて」
健吾くんの髪をくしゃくしゃと撫でると、少し強めに乳首を噛まれる。強い刺激は官能を呼び起こし、体の奥に熱を灯す。
「んっ、ん、あ……や、来ちゃっ」
「俺もすぐイクから、先においで」
「けん、く、キス……キス、してっ」
健吾くんは仕方ないなと苦笑して、すぐに舌を絡めてくる。ぐちゅぐちゅと響く水音は、どちらの体液からもたらされる音なのか、私にはわからない。
「んっ、ふ、ん、んー!」
いいところを刺激され、優しく昇らされる。お互いの熱を十分感じながら、私は官能の海に身を投げる。絶頂に昇り詰めたまま、今はただ、快楽に溺れたい。
「……きゅうきゅう、締め付けてくる。すぐイッちゃうじゃん」
弛緩することすら許されないまま、健吾くんに奥を攻め立てられる。痛いほどに突かれる子宮口が、乱暴にされて悲鳴を上げそうだ。
「やだ、いた、っ、痛いっ」
「ん、わざと」
酷い意地悪をするほどにまで、健吾くんに余裕が生まれたということなのだろうか。でも、私以外の女の子にそんな乱暴なことをしたら嫌われてしまうよ、健吾くん。
「もっ、やさしく、して」
「イヤ」
「ひど、っ」
「うん、酷くしたい」
健吾くんは苦しそうに眉間にシワを寄せ、射精感に耐えている。その表情が、色っぽくて好きだ。
「あかり、奥に出すよ」
「ん、ちょうだい」
「痛くても耐えて」
「ん、頑張る、っ」
健吾くんの肉棒が最奥を穿つ。子宮口のさらにその奥を目指すかのように、激しく抽挿される。
痛みに耐えながら、目を閉じて、健吾くんの肩を抱きしめる。
「あっ、は、あかり、イクよ」
「来て、健吾」
「あ、イク……イッ――!」
どくん、と吐き出された精液を、いつも通り搾り取る。じわりと広がる熱が美味しい。健吾くんは震えながら、何度も奥に出してくれる。量も質も申し分ない。
ご馳走様です。
「っ、は……」
「やっん」
弛緩しきって四肢を投げ出したままだらんとした私の乳首を舐め、健吾くんはゆっくりと腰を動かす。まだ適度な硬さを維持しているそれは、二回戦の誘いなのだろうか。
「……あかり」
「ん?」
「気持ち、良かった」
抜かないままキスをして、時折乳首を口に含みながら、健吾くんは微笑む。
「うん、やっぱり俺は、セフレでいいや。月イチくらいでセックスできればいい」
「え、うん、わかった」
唐突なセフレ宣言に、私は面食らってしまったけれど、それが健吾くんの考えなら反対はしない。たぶん、双子にとってはいい判断だと思うから。
「翔吾くんと、付き合うことになったよ」
「ん、おめでと」
「もう一人、恋人がいるんだけど」
「ま、いいんじゃない? 彼氏もセフレも全員事情を知っているなら」
気にしていない、といった感じで健吾くんはゆるゆると腰を動かす。緩慢な動きでも気持ちはいい。私もまだ繋がっていたいから、ちょうどいい。
「俺はあかりさんのことが好きだけど、翔吾と張り合いたいとは思わないから」
なるほど、翔吾くんは荒木さんのことを伝えていないようだ。たぶん、付き合うことになったことも、湯川先生に会ったことも。
翔吾くんが健吾くんに隠していたわけではないのだろう。私から直接健吾くんに伝えるべきだと判断したのだろう。
翔吾くんはそういう人だ。
「翔吾を愛してやってくれるなら、俺は何も言うことはないよ」
「健吾くんて、翔吾くんのことが好きだよね」
「……兄弟、だから、な」
美しい兄弟愛、ってやつね。その領域に、私が土足で入り込んでしまっただけで。いつか、出ていかないといけない領域なのだ。
「俺に彼女ができるまで、セフレでいてあげるよ」
「うん、ありがとう」
「で、もう他の男の話は終わり?」
ぐいと体を抱き起こされて、不機嫌そうな健吾くんの唇が重ねられる。ずぶと奥まで埋まる肉杭は、既に硬い。
「ご、ごめ」
「セックスの最中くらい、俺のことだけ見ててよ。セフレだけどさ」
そういうつもりじゃなかったんだけど、と言い訳してもきっと健吾くんの機嫌は直らないだろう。翔吾くんの話題を出したのは私だ。セックスのときに他の男の話をするのは厳禁。そんな簡単なルールを破ったのは私なのだから。
「怒ってる?」
「多少はね」
「ごめんなさい」
何度も唇を重ねて、舌を求め合って、許しを請う。この行為がただの戯れだとわかっている。本気で健吾くんが怒っているわけではないことくらい、わかっている。
「じゃあ、あかり――」
ほら。
意地悪そうな目で健吾くんは私を見る。浮かぶ笑みが、このあとの「罰」を口にする。
「――イカせて」
後ろに倒れた健吾くんの熱杭が角度を変え、膣内に快楽をもたらす。腰のラインをたどり、両手が目指すのは、相変わらず胸の頂きだ。
騎乗位で果てたいという希望を叶えるための、何ともおかしな茶番。小芝居は、まぁ、楽しかった。
「すぐイカないでよ?」
「大丈夫でしょ。さっきイッたし」
その自信は一体どこから来るのか。
初体験のときは七秒だったっけ?
あれから騎乗位大好きな子に育ててしまって、本当に申し訳ないと思う。もちろん、健吾くんの将来の彼女に対して、だ。マグロくんにならないといいんだけど。
「じゃ、遠慮なく」
さて、何分……何秒、保つかしら。
そんなことを考えながら、私はゆっくり腰を上げるのだ。
◆◇◆◇◆
荒木さんとの関係は良好だ。表向きは。
今まで通り、仕事はきちんと片付けるし、報告連絡相談も怠らない。お互い、仕事に余計な感情を持ち込むほど、子どもではないのだ。
ただ、少しだけ、会話は少なくなった、笑顔が作りものになった、と思う。それだけだ。
それだけなのに、距離を感じてしまって、少し寂しいと思っている私がいる。
もちろん、自分から彼との距離を縮めていくほど愚かではない。そんな、感情を煽るようなことはできない。
寂しい、という気持ちだけ胸に残したまま、私は荒木さんの前から去るのだ。四ヶ月後には。
それが、正しい選択。正しい道なのだ。
「良かったじゃないですか。何もかも丸く収まって」
水森さんは冷酒を飲みながら、炙られたエイヒレをつつく。私はビールを飲みながら、だし巻きを食べる。サバの味噌煮も食べる。相変わらず、永田板長の料理は美味しい。
「本当に、これで良かったのでしょうか?」
「いいんじゃないですか。今回は二人も伴侶を得ることができたのですから、食事に関しては問題ないでしょう」
「そういう問題ではないんですけど」
じゃあどういう問題なのか、と聞かれても困る。
湯川先生と翔吾くんへの情を捨ててまで荒木さんを手に入れたいという思いはない。荒木さんをセフレにしたいという気持ちはあっても、恋人二人のほうが大事だ。
あぁ、そうか。
優先順位に、私の気持ちがついていかないのが問題なのかもしれない。
「すべての人間にいい結末を与えることはできませんよ」
「わかっています。わかっていますけど。理屈じゃない、じゃないですか」
平日のどら猫亭はそこまで混んでいない。今夜もカウンターではなく、半個室のほうを使わせてもらっている。
永田店長は相変わらずかわいらしく、狭い店内を歩き回りながら、おじさん方に愛想を振りまいている。
「その人がどれだけ村上叡心に似ていたとしても、生まれ変わりでもあるまいし、叡心とは違う、ただの他人ですよ」
「それは、わかっていますけど……って、生まれ変わりってないんですか?」
「さあ。それは知りませんが」
「じゃあ、叡心先生の生まれ変わりかもしれないじゃないですか」
論点がずれた、ぐだぐだな酔っ払いの会話だ。建設的な会話ではない。
別に構わない。問題を解決できるとは思っていない。私は水森さんに突っかかりたいだけなのだ。
「顔が似ているだけで生まれ変わりだと言うなら、世の中生まれ変わりばかりですよ」
「水森さんは水森貴一の生まれ変わりっぽいですけどね、嫌味な性格とかそっくり」
「性格が似ているだけで生まれ変わりだと言うなら、もっと生まれ変わりばかりになりますね」
表情を変えずに手酌で冷酒をちびちび飲む水森さんが憎らしい。
一応、水森貴一の貴録を読んだことを伝えるためと、湯川先生の風邪を知らせてくれた御礼を言うためと、千恵子さんへの手紙を託すためにこうして会っているけれど、正直、会いたくはなかった。見ているだけで水森貴一を思い出して腹が立つ。
「湯川先生は、病院内で迫害されていませんか?」
「迫害って……とにかく邪険には、されていませんよ。心配なさらずとも、湯川は毎日嬉しそうですから」
それは湯川先生から毎日毎晩「愛してる」を言うように強制されているためだろうか。そのせいで頭の中にお花畑が咲いているとしたら、かなり問題だけど。
「……浮かれていますか?」
「まぁ、かなり」
「就職、大丈夫ですかねぇ?」
「大丈夫でしょう。もういくつかの病院から声をかけてもらっているようですし」
へぇ。それはちょっと驚きだ。学会なんかに出ていると、いろんなパイプができるのだろう。医者は横の繋がりが大事、なのかもしれない。
それなら、安心だ。
「湯川に関しては心配しなくても大丈夫ですよ。それより」
「それより?」
「話さないのですか?」
「何を?」
「あなたの正体を」
サキュバスであることを。
水森さんの言葉に、とっさに返事ができない。
いつかは話さないといけないことだとは思っている。「いつか」が問題。結婚する前か、結婚した後、一年後、十年後……いつ、にしよう。
翔吾くんは薄々気づいている、気がする。「秘密にしていることをいつか話してほしい」と言われたから。
湯川先生はどうだろう。気づいていて、私から切り出すのを待っている、のだろうか。
「何年かなら騙せるのでは、と水森さんが言ったじゃないですか」
「何年か後にどうするんですか? 何も言わずに失踪するんですか?」
「……」
「それだけは、やめてあげてください。湯川の友人として、お願いします」
失踪して、名前を変えて、生きていく。それは、今までのやり方。
わかっている。それが、幸せから逃げ、幸せを手放すことであるということも。愛してくれる二人に絶望を与えることであるということも。
私に、できるだろうか。そんな残酷なことが。
「湯川からあなたを取り上げたら、どうなると思いますか? 水森貴一と同じことになりますよ」
「……先生は、強いですよ」
「男はみんな弱い生き物ですよ。どんな女性より、あなたが一番よく知っているでしょう?」
そう、ですね……そう、でした。
男の人は弱い。私はよく知っている。叡心先生も、水森貴一も、宮野さんも、弱かった。男の人の心の弱さを、私は、よく、知っている。
「湯川の前からいきなり消えないであげてください。せめて、正体を明かしたあとで、納得してもらってからにしてください」
そうです、ね。そのほうがいいかもしれません。湯川先生と翔吾くんのことをきちんと考えたら――今までのやり方と同じことは絶対にできない。
きちんと「さようなら」を言わなければならないのだ。
「僕は、湯川の絶望した姿を見たくありませんので」
「……はい」
「お願いしますね」
わかりました、と頷いて、私は小さなグラスの中身をグイと飲む。ヒヤリ冷たい、さっぱりとした喉越しの。
「……それ、僕の冷酒……」
あぁ、冷酒って結構度が高いんだな、と、ぐるぐる回る頭の中で考えて。じゃあ、二人にはいつ話そうかな、と、考えたけれど。
結局、考えるのはやめてしまった。
「ここ?」
「ん、そこっ」
腰を少し引き、亀頭の先で膣内の気持ちのいい箇所をぐりぐりと突いて、健吾くんが笑う。相変わらず、両手は胸を揉んでいる。
だいぶ上達したなぁ、なんて思う。腰の使い方とか、指の使い方とか。ハタチの学習能力は高いみたいだ。
「っひゃ!」
いきなり乳首を舐められると、また中がきゅんと締まる。それに気づいて、また健吾くんが笑う。本当にわかりやすいな、と。
今週・今週末は湯川先生も翔吾くんも用事があって会えなかった。だから、健吾くんに抱かれている。彼は何をどこまで知っているのか。ただ、何も言わずに、私を抱くだけだ。
「あっ、もっと、舐め――っ、やっ」
「ほんと、弱いな、ここ。いいよ、イッて」
健吾くんの髪をくしゃくしゃと撫でると、少し強めに乳首を噛まれる。強い刺激は官能を呼び起こし、体の奥に熱を灯す。
「んっ、ん、あ……や、来ちゃっ」
「俺もすぐイクから、先においで」
「けん、く、キス……キス、してっ」
健吾くんは仕方ないなと苦笑して、すぐに舌を絡めてくる。ぐちゅぐちゅと響く水音は、どちらの体液からもたらされる音なのか、私にはわからない。
「んっ、ふ、ん、んー!」
いいところを刺激され、優しく昇らされる。お互いの熱を十分感じながら、私は官能の海に身を投げる。絶頂に昇り詰めたまま、今はただ、快楽に溺れたい。
「……きゅうきゅう、締め付けてくる。すぐイッちゃうじゃん」
弛緩することすら許されないまま、健吾くんに奥を攻め立てられる。痛いほどに突かれる子宮口が、乱暴にされて悲鳴を上げそうだ。
「やだ、いた、っ、痛いっ」
「ん、わざと」
酷い意地悪をするほどにまで、健吾くんに余裕が生まれたということなのだろうか。でも、私以外の女の子にそんな乱暴なことをしたら嫌われてしまうよ、健吾くん。
「もっ、やさしく、して」
「イヤ」
「ひど、っ」
「うん、酷くしたい」
健吾くんは苦しそうに眉間にシワを寄せ、射精感に耐えている。その表情が、色っぽくて好きだ。
「あかり、奥に出すよ」
「ん、ちょうだい」
「痛くても耐えて」
「ん、頑張る、っ」
健吾くんの肉棒が最奥を穿つ。子宮口のさらにその奥を目指すかのように、激しく抽挿される。
痛みに耐えながら、目を閉じて、健吾くんの肩を抱きしめる。
「あっ、は、あかり、イクよ」
「来て、健吾」
「あ、イク……イッ――!」
どくん、と吐き出された精液を、いつも通り搾り取る。じわりと広がる熱が美味しい。健吾くんは震えながら、何度も奥に出してくれる。量も質も申し分ない。
ご馳走様です。
「っ、は……」
「やっん」
弛緩しきって四肢を投げ出したままだらんとした私の乳首を舐め、健吾くんはゆっくりと腰を動かす。まだ適度な硬さを維持しているそれは、二回戦の誘いなのだろうか。
「……あかり」
「ん?」
「気持ち、良かった」
抜かないままキスをして、時折乳首を口に含みながら、健吾くんは微笑む。
「うん、やっぱり俺は、セフレでいいや。月イチくらいでセックスできればいい」
「え、うん、わかった」
唐突なセフレ宣言に、私は面食らってしまったけれど、それが健吾くんの考えなら反対はしない。たぶん、双子にとってはいい判断だと思うから。
「翔吾くんと、付き合うことになったよ」
「ん、おめでと」
「もう一人、恋人がいるんだけど」
「ま、いいんじゃない? 彼氏もセフレも全員事情を知っているなら」
気にしていない、といった感じで健吾くんはゆるゆると腰を動かす。緩慢な動きでも気持ちはいい。私もまだ繋がっていたいから、ちょうどいい。
「俺はあかりさんのことが好きだけど、翔吾と張り合いたいとは思わないから」
なるほど、翔吾くんは荒木さんのことを伝えていないようだ。たぶん、付き合うことになったことも、湯川先生に会ったことも。
翔吾くんが健吾くんに隠していたわけではないのだろう。私から直接健吾くんに伝えるべきだと判断したのだろう。
翔吾くんはそういう人だ。
「翔吾を愛してやってくれるなら、俺は何も言うことはないよ」
「健吾くんて、翔吾くんのことが好きだよね」
「……兄弟、だから、な」
美しい兄弟愛、ってやつね。その領域に、私が土足で入り込んでしまっただけで。いつか、出ていかないといけない領域なのだ。
「俺に彼女ができるまで、セフレでいてあげるよ」
「うん、ありがとう」
「で、もう他の男の話は終わり?」
ぐいと体を抱き起こされて、不機嫌そうな健吾くんの唇が重ねられる。ずぶと奥まで埋まる肉杭は、既に硬い。
「ご、ごめ」
「セックスの最中くらい、俺のことだけ見ててよ。セフレだけどさ」
そういうつもりじゃなかったんだけど、と言い訳してもきっと健吾くんの機嫌は直らないだろう。翔吾くんの話題を出したのは私だ。セックスのときに他の男の話をするのは厳禁。そんな簡単なルールを破ったのは私なのだから。
「怒ってる?」
「多少はね」
「ごめんなさい」
何度も唇を重ねて、舌を求め合って、許しを請う。この行為がただの戯れだとわかっている。本気で健吾くんが怒っているわけではないことくらい、わかっている。
「じゃあ、あかり――」
ほら。
意地悪そうな目で健吾くんは私を見る。浮かぶ笑みが、このあとの「罰」を口にする。
「――イカせて」
後ろに倒れた健吾くんの熱杭が角度を変え、膣内に快楽をもたらす。腰のラインをたどり、両手が目指すのは、相変わらず胸の頂きだ。
騎乗位で果てたいという希望を叶えるための、何ともおかしな茶番。小芝居は、まぁ、楽しかった。
「すぐイカないでよ?」
「大丈夫でしょ。さっきイッたし」
その自信は一体どこから来るのか。
初体験のときは七秒だったっけ?
あれから騎乗位大好きな子に育ててしまって、本当に申し訳ないと思う。もちろん、健吾くんの将来の彼女に対して、だ。マグロくんにならないといいんだけど。
「じゃ、遠慮なく」
さて、何分……何秒、保つかしら。
そんなことを考えながら、私はゆっくり腰を上げるのだ。
◆◇◆◇◆
荒木さんとの関係は良好だ。表向きは。
今まで通り、仕事はきちんと片付けるし、報告連絡相談も怠らない。お互い、仕事に余計な感情を持ち込むほど、子どもではないのだ。
ただ、少しだけ、会話は少なくなった、笑顔が作りものになった、と思う。それだけだ。
それだけなのに、距離を感じてしまって、少し寂しいと思っている私がいる。
もちろん、自分から彼との距離を縮めていくほど愚かではない。そんな、感情を煽るようなことはできない。
寂しい、という気持ちだけ胸に残したまま、私は荒木さんの前から去るのだ。四ヶ月後には。
それが、正しい選択。正しい道なのだ。
「良かったじゃないですか。何もかも丸く収まって」
水森さんは冷酒を飲みながら、炙られたエイヒレをつつく。私はビールを飲みながら、だし巻きを食べる。サバの味噌煮も食べる。相変わらず、永田板長の料理は美味しい。
「本当に、これで良かったのでしょうか?」
「いいんじゃないですか。今回は二人も伴侶を得ることができたのですから、食事に関しては問題ないでしょう」
「そういう問題ではないんですけど」
じゃあどういう問題なのか、と聞かれても困る。
湯川先生と翔吾くんへの情を捨ててまで荒木さんを手に入れたいという思いはない。荒木さんをセフレにしたいという気持ちはあっても、恋人二人のほうが大事だ。
あぁ、そうか。
優先順位に、私の気持ちがついていかないのが問題なのかもしれない。
「すべての人間にいい結末を与えることはできませんよ」
「わかっています。わかっていますけど。理屈じゃない、じゃないですか」
平日のどら猫亭はそこまで混んでいない。今夜もカウンターではなく、半個室のほうを使わせてもらっている。
永田店長は相変わらずかわいらしく、狭い店内を歩き回りながら、おじさん方に愛想を振りまいている。
「その人がどれだけ村上叡心に似ていたとしても、生まれ変わりでもあるまいし、叡心とは違う、ただの他人ですよ」
「それは、わかっていますけど……って、生まれ変わりってないんですか?」
「さあ。それは知りませんが」
「じゃあ、叡心先生の生まれ変わりかもしれないじゃないですか」
論点がずれた、ぐだぐだな酔っ払いの会話だ。建設的な会話ではない。
別に構わない。問題を解決できるとは思っていない。私は水森さんに突っかかりたいだけなのだ。
「顔が似ているだけで生まれ変わりだと言うなら、世の中生まれ変わりばかりですよ」
「水森さんは水森貴一の生まれ変わりっぽいですけどね、嫌味な性格とかそっくり」
「性格が似ているだけで生まれ変わりだと言うなら、もっと生まれ変わりばかりになりますね」
表情を変えずに手酌で冷酒をちびちび飲む水森さんが憎らしい。
一応、水森貴一の貴録を読んだことを伝えるためと、湯川先生の風邪を知らせてくれた御礼を言うためと、千恵子さんへの手紙を託すためにこうして会っているけれど、正直、会いたくはなかった。見ているだけで水森貴一を思い出して腹が立つ。
「湯川先生は、病院内で迫害されていませんか?」
「迫害って……とにかく邪険には、されていませんよ。心配なさらずとも、湯川は毎日嬉しそうですから」
それは湯川先生から毎日毎晩「愛してる」を言うように強制されているためだろうか。そのせいで頭の中にお花畑が咲いているとしたら、かなり問題だけど。
「……浮かれていますか?」
「まぁ、かなり」
「就職、大丈夫ですかねぇ?」
「大丈夫でしょう。もういくつかの病院から声をかけてもらっているようですし」
へぇ。それはちょっと驚きだ。学会なんかに出ていると、いろんなパイプができるのだろう。医者は横の繋がりが大事、なのかもしれない。
それなら、安心だ。
「湯川に関しては心配しなくても大丈夫ですよ。それより」
「それより?」
「話さないのですか?」
「何を?」
「あなたの正体を」
サキュバスであることを。
水森さんの言葉に、とっさに返事ができない。
いつかは話さないといけないことだとは思っている。「いつか」が問題。結婚する前か、結婚した後、一年後、十年後……いつ、にしよう。
翔吾くんは薄々気づいている、気がする。「秘密にしていることをいつか話してほしい」と言われたから。
湯川先生はどうだろう。気づいていて、私から切り出すのを待っている、のだろうか。
「何年かなら騙せるのでは、と水森さんが言ったじゃないですか」
「何年か後にどうするんですか? 何も言わずに失踪するんですか?」
「……」
「それだけは、やめてあげてください。湯川の友人として、お願いします」
失踪して、名前を変えて、生きていく。それは、今までのやり方。
わかっている。それが、幸せから逃げ、幸せを手放すことであるということも。愛してくれる二人に絶望を与えることであるということも。
私に、できるだろうか。そんな残酷なことが。
「湯川からあなたを取り上げたら、どうなると思いますか? 水森貴一と同じことになりますよ」
「……先生は、強いですよ」
「男はみんな弱い生き物ですよ。どんな女性より、あなたが一番よく知っているでしょう?」
そう、ですね……そう、でした。
男の人は弱い。私はよく知っている。叡心先生も、水森貴一も、宮野さんも、弱かった。男の人の心の弱さを、私は、よく、知っている。
「湯川の前からいきなり消えないであげてください。せめて、正体を明かしたあとで、納得してもらってからにしてください」
そうです、ね。そのほうがいいかもしれません。湯川先生と翔吾くんのことをきちんと考えたら――今までのやり方と同じことは絶対にできない。
きちんと「さようなら」を言わなければならないのだ。
「僕は、湯川の絶望した姿を見たくありませんので」
「……はい」
「お願いしますね」
わかりました、と頷いて、私は小さなグラスの中身をグイと飲む。ヒヤリ冷たい、さっぱりとした喉越しの。
「……それ、僕の冷酒……」
あぁ、冷酒って結構度が高いんだな、と、ぐるぐる回る頭の中で考えて。じゃあ、二人にはいつ話そうかな、と、考えたけれど。
結局、考えるのはやめてしまった。
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